ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

コミュニティ[2022年12月24日(土)晴れ]

クリスマスイブ。家にちょうどいい食べ物がなく、恋人を起こして駅前のパン屋へモーニングを食べに行く。パン屋の隣には月替わりで色々なお店が出店するショップがあるのだけど、今月はアンナミラーズが入っているのでオープン前から長蛇の列ができている。お店の前だけでは並びきれないので、飛び地のように少し離れた場所にもう一つ列が作られているほど。人気なんだね、と言いながらパン屋へ入る。食べ終えて出ると、行列はさらに長くなっていた。

 

恋人が昼から出かけるというので、本を読んだり日記を書いたりしながら家に一人になるのを待つ。一人になりたかったのは新しくはじめるポッドキャストの収録をするため。一人で喋るのは気恥ずかしく、隣の部屋であっても人がいたら落ち着かないような気がしていたのだった。

恋人を見送り、朝パン屋で買っておいたあんドーナツを食べて収録。どんなトーンで話せばいいか掴めず、最初の挨拶を何度かやり直す。その後も何度か、途中まで話しては録音を消去してやり直した。音源はトリミングできるので、うまく喋れなかったらその部分だけ削って使える部分は生かせばいいのだけど、編集作業をしたことがないからすごく面倒なのではないかと思ってしまって、トリミングするくらいなら喋り直せばいいや、と判断していた。しかし繰り返し同じことを話していると飽きてくるし、喋りの鮮度も落ちそう。そもそもラフにやりたいと思っていたのに、人からすれば大差ないような些細なこだわりにまた終始してしまっている……そんな自分を無視できなくなり、もういいや、と思ってばーっと最後まで話した。収録はこれでおしまいということにして、編集作業へ。

編集は最低限にする。Anchor(ポッドキャスト編集用のアプリ)を触ってみて、編集作業そのものは慣れたら大変ではなさそうだったのだけど、具体的な負担というより、「細かいことは気にしない」というマインドに持っていくことが大事だと感じたため。聞き返してみると、その場の思いつきで話している箇所は声がいきいきしている。やっぱり考えすぎてもいけないんだろう。私はなにごともつい準備してのぞんでしまうけど、準備すればするほど不自由になることもある。「正解」が設定されてしまうからだ。そうではなくて、もっと即興的なやりとりを楽しめるようになりたい。多少気になるところがあっても形にする。それを続けていくうちに、ちょっとずつ上達していく。そんなふうに取り組みたいのだと思う。

 

編集を終え、あとは番組自体の登録や概要のテキストを考えたら完成。作業していたらお昼を食べ損ねてしまったので、何か食べてから続きをしようと思っていたら恋人が帰宅。キッチンで何か作りはじめたので、それをもらうことにする。鶏肉とごぼうの甘辛炒め。甘味がしっかりあって、塩気も引き立っておいしい。私が作るときはつい砂糖やみりんを控えめにキリッとした味にしてしまうので、これは彼だから作れた味。同じ調味料を使っていても仕上がりが全然違うのが面白いと思う。食後にポッドキャストの作業の続きを終えて、あとは読書。

 

17時過ぎに恋人と新宿へ。今日は二丁目にあるaktaで映画『ウィークエンズ』の上映会があって、友人たちと観に行く約束をしていたのだった。『ウィークエンズ』はG-voiceという、韓国で活動するゲイのコーラスグループを追ったドキュメンタリー。G-voiceの活動やメンバーの等身大の語りを追っていたカメラは、次第に韓国のクィアへのヘイトの現状、労働組合との連帯などを通して「声を上げる」ことの意味を映し出す。

私が映画を見るのは10月に渋谷PARCOで行われた「道をつくる」以来2度目。だから内容はだいたいわかっていたのだけど、G-voiceの活動やゲイとしての自分自身について語る人たちの姿は何度見てもチャーミングだし、結婚式で起きるトラブルなどは展開を知っているからこそドキドキした。プライドパレードの進路を座り込みで妨害したり、「die die die!!!(死ね、死ね、死ね!!!)」と言いながらパレードに向かってきたり、ヘイト団体の苛烈さにはやっぱりびびる。直球のヘイトが飛んでくるので対抗するアクティビズムも力強く、その姿からは多くを学ぶ。

 

終映後にはloneliness booksの潟見さん、字幕翻訳を担当した植田祐介さんのトークもあった。映画は2016年ごろまでのことだが、その後の6年ほどで韓国のLGBTQ+シーンはどのような変化があったかという話で、「パレードは韓国の各地で開催されるようになったが、地方ではパレードを開催してもヘイト団体のほうが人数が多いくらいだ」と植田さんが言っていたのが印象に残った。同性愛嫌悪の宗教保守の存在の大きさに改めて考え込んでしまう。人口が少ない地方でパレードで歩くと、誰か知り合いに見つかってしまう可能性が高いし、一人に見つかればすぐにコミュニティ全体に情報がまわってしまうかもしれない。当事者がいないわけではなく、リスクが大きすぎて可視化やカミングアウトが難しい現実がある。

地方で性的マイノリティとして生きることの難しさは韓国に限ったことではない。先日、植田さんは山形ではじめて開催されたプライドパレードに参加したそうだが、そこでもやはり参加したくてもできない当事者がたくさんいたという。植田さんは「そういう当事者を守る意味でも、地方のパレードに足を運ばないとと思っているんですけどね」とも話していた。

 

恋人、M、Aと入った三丁目の池林房でも、こうした地方と性的マイノリティの話になる。九州出身のMは、先日帰省してたくさんの親戚に会ったとき、「あなた誰でしたっけ? というような距離感の人でも、二言目には『結婚は?』と聞いてくる」と言っていた。そうした社会でカミングアウトをする大変さは、東京で暮らしていて、親もすでに知っている自分からするとなかなか想像できない。『いちなが』を読んだ地方の性的マイノリティの方々は、私の日記を読んでどう感じるのだろうと思う。社会的にはまだまだ差別がたくさんあるが、それでも自分は恵まれているほう。その恵まれている状態が、自分だけのものではなく当たり前になるようにできることを続けていかなくちゃと思う。

池林房でお腹を満たしたらTac's Knotへ(今日『ウィークエンズ』を見た人は2杯目無料とのことだった)。月曜日にも行ったので、偶然だけど今週2回目になった。一杯目はおすすめされた栗のリキュールのミルク割り。ローズマリーがのっていてクリスマスっぽい。

店内には潟見さんや植田さんもいて、映画のことなど色々話した。ソウルのクィアパレード、来年は行ってみたい。

 

今年はなんだかコミュニティで過ごすクリスマスという感じでよかったな。恋人と二人とか、親しい友達だけと過ごすのとはまた違ったあたたかい気持ちでいられたし、その気持ちを持ち寄れた気がする。

駅まで向かう帰り道、Tac's Knotでは席が離れてしまったAと少し話す。酔っ払っていてちょっと記憶が怪しいのだけど、占いができるAが来年はどんな時代になるかを話していた。曰く、2020年から風の時代(情報や知性などかたちのないものが重視される時代)と言われていたが、2022年までは過渡期みたいなもので、本格的にはじまるのは来年から。資本力や権力にしがみついている人たちがいよいよ大変になっていくでしょう、とのこと。その中で、「ちゃむは自分でこれって決めるというより、流されるみたいに進んだ方が思ってもみない未来へ辿り着けるよ」と言われる。まさに今、私の来年の仕事の予定はそのように誰かからの面白そうな提案で埋まりはじめているのだ。言い当てられたようで怖くて吹き出してしまった。だけど明るい兆しが見えた。