ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

1ヶ月くらい休みたい[2022年10月1日(土)晴れ]

10月になったので朝からニュースレターの執筆。事前にざっくり書いていたのを整えていく。私はですます調のほうが文章がすらすら書けるな、と思う。だ・である調だと妙に詩的な、イメージ優先の言葉が出てくることが多くて、そのイメージに論理が引っ張られてしまう。予想外な言葉が出てくるぶん面白い跳躍になることもあるけど、自分の言葉を自分で解釈するプロセスが発生するので時間がかかってしまう。手堅く書き進めたい時と広がりを大切にしたい時で使い分けよう。

執筆途中に恋人が起きてきて、先日吉祥寺のPICARDで買っていたクロワッサンを焼いてくれる。部屋にバターの甘い匂いが漂ってくる。匂いにつられてリビングに行くともう焼けるというので、一緒に食べる。齧ると生地の中からほわっと熱い蒸気が飛び込んできて幸せな気持ちに。先日テレビで「クロワッサンがおいしいのは焼きたてではなく冷めたてです」と言っていたのを見たのだけど、本当に? 焼きたてめっちゃおいしいですけど、これ以上に? と思う。

 

ニュースレターを書き終えて配信をセット。今回は先日の国葬の日に反対デモに行ったことを書いたのだけど、国葬に賛成している人からはもちろん、反対している人からも冷たい目線を感じることがある。国会での手続きを踏んでいない、国民らの理解も得られていない、弔意も強制しない。名前だけのものなのだから気にせず普通に過ごすのがよい、真っ向から批判するのはかえってその存在感を強めてしまうので悪手だ、みたいな……うーん、考えすぎかな? 武道館前で反対派と右翼団体が衝突し、それがわかりやすい混乱として取り上げられたことも風当たりが強くなった一因のように思える。実際はもっといろんなかたちのデモがあったのだけど。

 

お昼は恋人と近所のお店でフォーを食べる。恋人は明日から10月下旬までヨーロッパ出張なので、向こうで食べられないアジアっぽいご飯をチョイス。食べたあとはスーパーで鶏むねのひき肉を購入。安くて助かる。

帰ってきてまた仕事。大きな仕事が大詰めなのと、他のことも立て込んでいて全然仕事が終わらない。スケジュールが合わなかったりしていくつか断ってしまってさえいるのだけど、それでも忙しい。仕事があるのは本当にありがたいことだし、楽しい仕事も多いのだけど、セーブしているのに全然忙しくて息苦しくなってきている。仕事そのものが嫌というより、余裕のない自分や自分の生活が嫌なのだと思う。

金曜日、取材で表参道に行ったのだけど、お昼時に街を歩いていたらみんなおしゃれな格好をしていたり、新しくオープンしたお店に行列を作っていたりして、楽しそうでうらやましかった。再生していたポッドキャストからは面白そうな映画の話。1週間くらい、いやできればまるっと1ヶ月くらい休みたい、という考えがいきなり浮かぶ。長く休んでそのために前後の期間を慌ただしく過ごすより、毎日規則正しく働きたいと考えるタイプだったから、自分でも意外に感じた。それだけ疲れているのだろうか。本気で休めないか、頭で検討しはじめる。11月下旬には落ち着くだろうか、12月の正月休みを長めに確保するという方法もあるけど、年末進行で失敗するだろうな……とか。どちらにしても10月は忙しそう。せめて土日に誰かと遊びに行くくらいの余裕はどこかで確保したい。恋人もいなくて寂しくなるだろうし。

そんな忙しい中でもプールだけは定期的に行くようにしている。今日も17時ごろにプールへ。しかしなんとなく胃が気持ち悪い気がして、プールの目の前まで行ったのに引き返してしまった。代わりに新宿へ行きユニクロなど見る。何も買わずに出る。プールは明日時間があったら行こう。

 

帰宅してすぐ、鶏むね肉のひき肉と枝豆の寄せ焼きを作る。恋人が明日は4時起きだというので、いつもより2時間ほど早い夕食。彼が寝てしまったので、自室で日中の仕事の続き。

無理はしない[2022年9月22日(木)雨のち曇り]

よく泳ぐようになってからちょっとお酒に強くなった気がしていたけど、今回はそうでもなかった。昨晩は生ビール2杯、ウーロンハイ2杯だったけど、しっかり頭痛。ロキソニンを飲む。箱の中には一錠しか残っていなかったけど、飲みに行くことが決まる前にたまたま新宿の薬局でロキソニンを購入していた。今日追加でもう一錠使うことはないと思うけど安心感がある。

偏頭痛持ちだしお酒を飲んだ翌日も頭がガンガンすることが多く、私はロキソニンにとにかく頼りまくっている。あんまり飲みすぎるのもよくないかなと思っていたけど、以前製薬会社のインタビューで同様の質問をされた開発者の方が「痛みを我慢しなくていいように私たちは薬を作っています」と答えているのを読んでから、気にせず使うようになった。限度はあるにせよ一般的な使い方なら耐性ができて効きづらくなることはないように作られているし、痛みを我慢して限界になってから飲むより早めにさっと飲んだほうが効果も出やすいそう。

 

細かい作業や締め切りが迫っている原稿の手直し。午前中、よくお世話になっているメディアの系列メディアから新規の仕事の依頼。ちょっと忙しい時期ではあったのだけど、すごく興味がある内容だったので引き受ける。

お昼は恋人が「お腹の調子がよくない」と言うし、私もやさしいものが食べたかったのでナスとツナ、ネギのあたたかいそばを作る。そばつゆはいったんめんつゆだけで味付け。いつもはしょうゆとみりんで味付けするのだけど、面倒でサボってしまった。甘くなりすぎた気がしたので、少ししょうゆを足して味を引き締める。そこには「料理が“めんつゆ味”になるのが嫌」という強めのこだわりもある。

 

午後は昨日の取材の文字起こし。そのあと、少し時間が空いたので買ったばかりの『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』を読む。まだほんのさわりしか読めていないのだけど面白い。自分がうまく立ち回れずにいたり、悩みつつもやり過ごしたりしてしまっていた場面の解像度がぐっと上がりそう。

 

夕方からプールへ。ほんの数日前までは半袖半ズボンにサンダルで出かけていたけど、それでは肌寒く感じるようになってきた。秋服を買いに行きたい。家を出たのはいつもの時間だったけど、プールのある駅に着いた時には周囲が暗くなっていて、日が短くなりはじめているのを感じる。もうあと10日もすれば10月だ。

 

最近は広いプールで泳ぐのにはまっていて、長水路(50mプール)のあるところにたまに通っている。今日もそのプールに行ったのだけど、なんとなくうまく泳げなかった。ロキソニンを飲んだことで忘れていたけど、もしかしたらアルコールがまだ残っているのかも、と思う。プールは途中から足がつかないほど水深が深くなって(2.2mほど)、いつもはそれが気持ちいいのだけど、今日は落ち着かなかった。無理はしないようにしようと思って、休憩しながら2000mで終了。

 

帰宅後、駅前の本屋で『CD Journal』を探すも見つからず。「新しい世界が見えるかもしれない 読書案内2022」という特集で、loneliness booksさんが「可視化されてこなかったマイノリティの声」をテーマに私の日記ZINE『隣人的』を取り上げてくれているのだ。自分にその人脈がないこともあり、LGBTQやクィアの文脈でZINEを売ることができていなかったので、こうしてピックアップしてくれたことがとてもうれしかった。また出かける時に探してみよう。

 

夕飯はカオマンガイ。鍋に水、しょうがとにんにく、あれば長ネギの青いところを入れ(今日はなかった)、湯が沸いたら鶏胸肉と料理酒を入れる。再び沸騰したら火を止め、蓋をして30分ほど放置する。これだけでしっとりやわらかい茹で鶏ができる。沸かし続けるよりこのほうがやわらかくなるのはどうしてなんだろう。楽だから別にいいのだけど、仕組みが気になる。

 

夜、日銀の24年ぶりの為替介入のニュースを読む。為替の知識がほぼないので基礎的な解説を読んでへー、と思う。一気に5円ほど上がったのはすごい気がするけど、根本的な解決にはならなさそうで焼石に水っぽい。実際どうなんだろう。そのままニュースサイトを見ていて、安倍元首相の国葬についてなど。気づけばもう来週の火曜日。どう過ごそうかな。

はげしく光っている[2022年9月14日(水)晴れ]

昨日の夜はプールで体を洗ったし、気持ちが焦っていたので朝シャワーを浴びずに仕事をはじめてみる。30分ほどやってみて、失敗だったな、と思う。全然頭が働かなくて、文章がうまく出てこない。経験的にルーティンはこなしたほうがいいとわかっているのに、15分ほどの時間を惜しんで結局作業効率が悪くなるのを何度も繰り返してしまう。明日はちゃんとシャワーを浴びよう。でもきっと忘れた頃にまたやるのだろう。

 

集中して仕事。集中モードになると食事の用意がおろそかになりがちで、今日もお昼は恋人がそうめんを茹でてくれた。

友人カップルのHが、「パートナーのNは忙しくなると仕事にかかりきりになって部屋から出てこなくなる」という話をよくする。私はそういうことってないなあと思っていたのだけど、最近はけっこうNのような感じに近いかもしれない。ご飯は恋人と一緒に食べるし、夜もちゃんと寝ているけど、他の作業をしている時も心ここにあらずのようになる。単純に普段やっている仕事は半日程度で終わる/区切れるものが多いから、そうなっていなかっただけなのかも。

 

夕方、17時ごろまで仕事をしたら出かける準備。今日は恋人と中村佳穂のライブツアー「TOUR ✌ NIA・near ✌」を見に八王子へ行く。下りの中央線に乗って一駅ほど通過した頃、隣に立っていた人とたまたま目が合う。すぐに顔を逸らされてしまったのだけど、私が彼の長い髪の後ろ姿を眺め(どこかで見たことあるような……)と考えていたら、その人が驚いた顔で振り返った。Mだった。びっくりしながら「もしかして、中村佳穂ですか」と話すと、驚いて丸くなっていた目がさらに丸くなる。たまたま同じライブに行くために、同じ電車の同じ車両に乗っていて、しかも帰宅ラッシュでけっこう混んでいたのにたまたますぐ近くにいたという偶然。Mはずっと笑いをこらえていて、「電車の中だから我慢してるけど外だったら爆笑してるかも」と言っていた。なんかいいことありそう。ちょっと仕事で張り詰めていた気持ちが一気にほぐれて、フジロックサマソニの話とか、Rina Sawayamaの来日公演に行きたいといった雑談をする。みんな大人で仕事を早めに切り上げてきているので、途中では全員がスマホでなんらかの返信をする時間もあった。

八王子に着いて、会場のところでMと別れる。座席に向かう前にロビーで恋人とプロテインバーを分け合って食べていたら、どこかで見覚えのある女性2人組が前を通り過ぎていく。急いで呼び止めるとやはり知り合いだった。なんだか知り合いによく会えてうれしい。できれば直接会って言いたいな、と思っていた私のちょっとした報告も伝えることができてよかった。

 

ライブもすごくよかった。中村佳穂の歌をはじめてライブで聴いたのは2019年の夏で、蓮沼執太フィルの日比谷野音にゲストで登場した時。声を発した瞬間に大袈裟じゃなく空気が変わった気がしたのが今でも忘れられない。その前後から一気に時の人になってしまったのでなかなかワンマンライブのチケットも取れず、そうするうちにコロナになってしまって、ようやくライブに来ることができた。

中村佳穂が数字を言って、その数の分だけバンドが拍を取る、というコーナーがあるのだけど、今日はそれを1曲目の冒頭で披露。「46!」と言われ、一緒に46数える。最初からそういう感じなので、1曲目が終わった時点で大団円のような盛り上がりに。MCでしゃべっていたと思ったらいつの間にか歌に突入しているのも、フジロックライブ配信などで見ていたけど現場で目撃するとより引き込まれる。バンドメンバーへの愛が強すぎて、曲中でメンバーを大フィーチャーしているのもあたたかい気持ちになった。そして全体的に中村佳穂およびバンドの音楽身体能力が高すぎて、空中ブランコや玉乗りのようなサーカスを見ている気分になる。

元気になる、楽しい、肯定される、あたたかい。何か平易な言葉で表現すべきと感じる力強さがあるのだけど、どの言葉もこの体験を言い表すには足りない。しいて言うなら「はげしく光っている」とか? そんなライブだった。

気が抜けて[2022年9月8日(木)雨]

8月が終わってなんとなく気が抜けてしまったのと、日記とは別の形態で自分のことを書く作業をいろいろしているため、日記から少し足が遠のいてしまった。Evernoteの日記も書き損ねて2日分まとめて書くことがあるし、内容も何を食べたとか何をしたとか、事実を羅列するだけで済ませていることがある。もったいない気がするけど、そういう時期もある。

 

今日もそういう日で、自分の幼少期のことなどを思い返していた。午前中にまずは細かいところを気にせずばーっと書けるだけ書く。13時からオンライン取材があるので、12時半ごろに一人で冷凍うどんを食べる。レンジでチンしてビニールを破り、深皿に出したら昨晩カオマンガイを作った時の鶏肉の茹で汁を使ったスープをかける。小松菜、ネギが入っていて見た目はおいしそうだけど、スープの味が薄いのとうどんになかなか味が絡まずぼんやりした印象だった。きっとラーメンのような細麺だと合うのだろう。今度はそうしようと思って、とりあえず醤油を足して食べる。スープを飲み干したら体が熱い。

 

取材を終えたら、細かい部分を見直していく。見直していると追加で書きたいことが出てくる。結末がこれでいいのかも自信がないし、完成まではもう少しかかりそう。集中力が切れて、たまに見ているYouTuberが新しい動画をアップしていないか見に行ったり(更新はまだなかった)、The 1975のライブ動画を見たりする。前から音楽はちょこちょこ聴いていたけど、映像を見たりSNSを追ったりしているうちにボーカルのマティ・ヒーリーの佇まいが大好きになってしまった。曲を聴くというより、マティを見ている時間がけっこうある。

フォローしているインスタのストーリーも更新頻度が高い。先日は川上未映子『ヘヴン』の英訳版のペーパーバッグをアップしていてよかった。マティのストーリーはファンの他愛もないコメントへのリアクションも多くて、彼とインターネットのこの親和性の高さ、(プラットフォームが違うけど)一昔前の「ツイ廃」っぽさも感じる無邪気な使い方に妙な好感を抱いてしまう。そこに孤独が横たわっているように感じてしまうのは、ファンの勝手な偶像化だろうか。

土曜日には吉祥寺ブックマンションでお店番をするのだけど、店番の時は好きな音楽をかけていいことになっている。The 1975のアルバムを年代順にかけてみようかなあと思ったり。

 

20時からまた一件オンライン取材。今日は恋人も昔の職場の先輩とご飯を食べてくるので、私は一人で小雨の降る街をうろついて夕飯を食べるお店を探す。カレーなど食べたいが、22時近いのでけっこうお店が閉まっている。迷った挙句、中心部から外れたところにCoCo壱があったことを思い出す。

CoCo壱は通常メニューはそんなに好きではないのだけど、期間限定のスパイスカレーやスープカレーは食べやすさ、それっぽさ、満足感の三拍子が揃っていてかなり好き。問題はその期間限定があるかどうかだけど、調べてみるとあった。今は「SABAとごぼうのスパイスカレー」。鯖のカレー、ずっと気になっているのにカレー屋に行くとつい肉系を頼んでしまう。いい機会かもしれない。

とぼとぼと店まで歩いていってカウンター席に通され、店員さんがお冷やを持ってきてくれた時にそのままオーダー。出てくる前に朝日新聞のニュースレターを読もうと思っていたのだけど、思っていたよりすぐに出てくる。読みながら食べる。ニュースレターの見出しは"旧統一教会、自民国会議員「379人中179人が接点」"。今日は安倍元首相の銃撃事件からちょうど2ヶ月。色々なことが一変してしまって、もっと長い時間が経ったように感じている。

鯖のカレーはおいしいけど、やっぱり肉のカレーの方が好きだなと思った。

悲しみよりしぶとさ[2022年8月29日(月)曇り]

なかなか疲れが取れなくて朝もすっきり起きられず。10分だけ二度寝しようとしていると恋人が起きて、シャワーを浴びに行った。恋人に先を越されると、ああ今日は寝坊したなと思う。シャワーの音がやんだタイミングで私も起きて、朝の準備。

 

鏡の前で舌を持ち上げる。舌の左奥にできている気がしていた口内炎は、実は裏側にできていた。位置を正しく把握できると食事の時に刺激しない口の動かし方がわかるので、ずいぶん楽になった。目で見て様子を確認できると、こんなもんかと思えるのも気楽。軟膏を置くようにやさしく塗る。どの程度効果があるかはわからないけど、自分を大切にしている気分になって面白い。

空気が涼しくて秋のようだった。電車には薄手のカーディガンを羽織っている人もいる。仕事や打ち合わせをして、14時過ぎに取材のため吉祥寺。

 

そのまま吉祥寺パルコのスタバで仕事し、夕方にアップリンクで『スワンソング』を見る。オハイオ州の小さな町、サンダスキー。その老人ホームで生活するパットは、若い頃は町の有名人がこぞって通う腕利きのヘアメイクドレッサーだった。今はひとり孤独に暮らす彼のもとに、かつての顧客で町一番の金持ちだったリタの訃報が届く。リタの遺言状には「おパットに死化粧を頼んでほしい」と書いてあったのだという。パットはリタとの複雑な過去や、すでに引退し腕が衰えていることから一度は依頼を拒絶するのだが、逡巡の中で突発的にホームを抜け出し、リタの葬儀場を目指す。

パットが久しぶりに歩く外の世界は様変わりしていて、愛飲するタバコは驚くほど高くなっているし、恋人のデビッドと暮らした家は知らぬ間に更地にされているし、かつての自分が愛用したヘアクリームは「環境への負担が大きい」という理由で生産終了していた。かつてドラァグクイーンとしてステージに立ったゲイバーも閉店間際。「ネット世代のゲイはバーで出会わない」から。そして子育てをするゲイカップルの姿を見て、「祝福したい気持ちがある/同じくらい妬ける」とこぼす。

すべてがパットに時代が変わったことを告げていて、その描写は観客を切なくさせる。ただ、ノスタルジーに彩られてはいるのだけど、強く印象に残るのは悲しみではなく「しぶとさ」だ。

パットは老人ホームでも隠れて煙草を吸っていて、スタッフに「また心臓発作を起こしますよ」と言われてもやめない。死化粧の道具を買うために弁護士から借りた20ドルで白ワインを飲み、全部チップに使ってしまう(肝心の化粧道具は万引きする)。毒のあるユーモアを振りまく。享楽的でどうしようもないのだけど、今この瞬間を楽しむ姿勢が完璧に染み付いているとも言える。

パットの姿が後半に向かってゴージャスになっていくのもいい。老人ホームにいる時のパットは灰色のスウェット姿だけど、派手な指輪を身につけ、黒人向けの美容室で譲り受けたピンク色の女性物のハットを被り、ブティックでミントグリーンのスーツに着替え……と、どんどん派手になっていく。ゲイバーのステージにシャンデリアを逆さにしたヘッドドレスをかぶって現れるシーンは、笑いながら泣きそうになった。そして最後には自身にも化粧を施し、頭から「つま先」まで完璧に着飾る。

クライマックスに向かってパットの装いは輝きを増していく。ただ、それは「かつての光を取り戻した」のではなく年老いたパットの今の輝きだ。装いの変化が彼に自信を取り戻させたとか、そういう感じには見えないんだよな。ヘアメイクドレッサーでドラァグクイーンでもあったパットにとって着飾ることは人生そのものだったと思うけど、その精神は灰色スウェットの時でさえ損なわれていない。ヘアメイクの技術が衰えていなかったように一度培ったものは消えないし、美しい日々は過ぎ去ったとしてもその記憶は体のどこかに必ずある。パットの歩みはそのことをちゃんと観客に伝える。悲しみよりしぶとさが印象に残るのはきっとそのためだ。長い歴史を生き抜いてきた人のタフな魂がライトを浴びる時、時代が変わった寂しさなんて舞台の背景にすぎない。

 

笑いながら泣いた105分だった。映画館を出て、吉祥寺でご飯を食べ帰宅。家では恋人がちょっと落ち込んでいるようで、話を聞く。自分は完璧主義で、たとえば会社に入るためのIDを家に忘れてしまったような小さな失敗でも1日中引きずってしまう、というようなことを話している。

 

「落ち込んでいる時は失敗したことばかり見ちゃってるから、そうじゃなくてできたことのほうを数えるといいよ」

「できたことって? あんまりないなあ」

「うまくできたことじゃないよ。意識していないくらい普通に、難なくできたことを数えるの。たくさんあるでしょ」

 

自分だってちょっとしたことを気にしていつも落ち込んでいるのに、自然とそんな言葉が出てきて驚いてしまった。だけど誰かを責めるのではなく慰めるための言葉なら、自分のことを棚に上げてどんどん言っていけばいいのかもしれない。そうするうちに自分ができるようになることもあるだろう。

ブエノスアイレス 4K[2022年8月27日(土)晴れ]

仕事がある程度片づきそうだったので、新宿で『ブエノスアイレス 4K』を見ることに。朝に映画館のサイトで確認した時には座席に余裕があったのに、正午に再びサイトを見るとほとんど空きがない。焦って予約した。

恋人と駅前のそば屋で昼食。舌の奥にできた口内炎がいつまでも治らず、しゃべると痛いので無口になってしまう。いつもなら数日経つとなんとなく口内炎を刺激しない口の動かし方が把握できるものだけど、今回はそれがうまくできない。慎重に食べるも、とろろそばですら滲みた。恋人は気を遣っているのかあまり話しかけないでいてくれる。さっと食べて、少し夕飯の相談をして駅前で別れる。

 

暑くて湿度の高い日で、新宿駅は空気が蒸していた。半ズボンを履いてくればよかったと後悔。紀伊国屋書店で時間を潰して新宿シネマートへ向かう。信号を渡る時に隣にドラッグストアがあるのが見え、涼みがてら入る。映画館よりドラッグストアのほうが冷房が強く効いていそうな気がして、汗がひくまで待ちたいと思った。ぶらぶらと棚を見て、口内炎用の軟膏を手に取る。舌に塗るのってすぐ取れてしまいそうな印象があるけど、どうなんだろう。わからないけど試しに買ってみる。

 

映画館は大盛況。人でごった返していて、ドラッグストアで涼んでおいてよかったなどと思う。並んで発券。そのあと、パンフレットを買おうとして間違えてドリンクの列に並んでしまって、途中で気づいて正しい列に並び直す。幅2メートルもない通路は人の流れが絶えず、列を並び直すのも一苦労だった。

チケットを取る時、前から2列目の席と後方しか空きがなかった。どちらにしようか迷って前から2列目を選んだのだけど、思っていたよりスクリーンが近すぎるということはなくて、こっちでよかったと思う。すぐに左右の座席が埋まる。ロビーではスタッフの方が「『ブエノスアイレス』はほぼ満席、このあとの『恋する惑星』はすでに完売」と言いながら歩いていた。

香港返還の直前、1997年に公開された『ブエノスアイレス』は、ゲイカップルのウィン(レスリー・チャン)とファイ(トニー・レオン)の物語。香港の裏側、アルゼンチンへとやってきた二人は「やり直す」ためにイグアスの滝へ向かうが、途中で道に迷い、喧嘩別れしてしまう。

はじめて見たのは多分10代の時で、ストーリーよりも音楽の印象が強く残っていた。イグアスの滝の激流にあわせて流れる「Coucouroucoucou Paloma」、耽美で物悲しいアコーディオンの音色、ファイを乗せたMRTが夜の台北を突き進むラストシーンを忘れられないものにした「Happy Together」。その音楽に取りつかれてしまって、映画のDVDを返したその日にTSUTAYAサウンドトラックを借りたのだったと思う。そして時々そのアルバムを聴き返したりして(映画よりもサントラの方が再生していると思う)、ますます音楽の印象が強くなっていった。

劇場で見たのははじめてだった。クィア・アイコンとなったレスリー・チャンの不遜な魅力、トニー・レオンの無骨な色気。パンフレットにある映画執筆家の児玉美月による作品レビュー「イグアスの滝が生み出した水脈」には、「映画評論家の石原郁子は、この映画を『発熱の映画』と評した」とある。白黒でもカラーでも、画面全体が熱い。

そして音楽もやっぱり良いけれど、それだけじゃなくて「音」が強く訴えかけてくる。荒々しく軋むベッド、乱れた息遣い、男たちの肉体がぶつかりあう音。冒頭のセックスシーンだけで痺れる。そのあとも切り裂くような車の走行音、木製ドアを乱暴にノックする拳、喉がちぎれるような怒鳴り声、重く熱い中華鍋を振る音、タオルがこする肌、かたく絞られたタオルが滴らせる水滴、叩き落とされ床に散らばる煙草。傷つけあう2人の心情を、音は雄弁に語り続ける。ブエノスアイレスの喧騒に負けない力強さで。そして乱暴な音が続くから、ウィンとファイがキッチンでタンゴを踊るシーンの幸福な静けさが際立つ。

目を閉じてしまいたいと思った。こんなに目が離せないシーンが連続しているのに。動揺していると、画面は中華料理店の厨房へと変わり、3人目の男チャン(チャン・チェン)が登場する。台湾からの旅行者で、次の目的地までの資金を貯めているというチャンはいつも耳を澄ませていて、ファイの声を心地よいと言う。彼はファイと2人で飲んでいる時、「耳って目より大切だと思う」と話した。そして「声はウソをつけない。先輩(ファイ)は今幸せじゃない」と続ける。この時、すでにファイのもとからウィンは去っていた。

旅費を貯めたチャンは、旅立つ前に再びファイを飲みに誘う。その席でテープレコーダーを手渡し、「ここに悩みを吹き込んでくれたら、これから行く南米最南端の岬で代わりに悩みを捨ててきてあげる」と言う。テープレコーダーを受け取ったファイだが、思いは言葉にならずすすり泣くのみだった。岬に到達したチャンはそこでレコーダーを再生するが、ファイの「声」には気づかない。

香港の真裏で重なりあった3人の人生は、そうしてまた離れていく。それぞれの期待や後悔とともに。

 

映画の終盤、ファイがひとりでイグアスの滝を訪れるシーンがある。ファイは滝を見上げながら飛沫を浴びてびしょ濡れになるのだが、劇場の前列で『ブエノスアイレス』を見るのは、まさに「浴びる」ような体験だった。発熱して、びしょ濡れになった。時間を超えたような気分で、映画館を出たあとの新宿の街に現実味がない。残暑の熱気だけが、映画と現実をつないでいる気がした。

他の作品も劇場で見たくなった。しばらく忙しそうで時間を作れるかわからないのだけど、これだけ人が入っているし、しばらくは上映が続くのだろうか。

 

茶店で少し仕事。スーパーでゴーヤチャンプルーの材料を買い帰宅。疲れていたので少し休憩してから作ろうと思っていたのだけど、会話の中で恋人が作ってくれる流れに。「指示して」というので、後ろに立ってあれこれ口を出す。普段の自分とは少し作り方が違ったけど、やさしい味のゴーヤチャンプルーだった。

 

今日の新規陽性者数は17126人、現在の重症者数は38人、死者25人。

0.5、7、11、31[2022年8月24日(水)曇り一時雨]

目覚めるとやはりまだリンパが腫れている。10代の頃は疲れるとよくリンパが腫れて高熱を出していたけど、最近は熱が出ず、ただ倦怠感が続くことが多い。明日は終日取材なので、どうにか今日中に回復してほしい。

冷房のせいなのか内臓が冷えていて、それも不調の原因に思えた。起きてすぐ熱いお茶を2杯飲む。同時に首筋にはハンカチに包んだ保冷剤を当てて冷やす。だるい、口内炎が痛いとぶつくさ言っていたら、お昼は恋人が冷凍うどんをチンしてくれた。明太子パスタのソースをかけて食べる。

 

今日でロシアのウクライナ侵攻から半年。さらにソ連からの独立記念日でもあるという。独立を果たしたのは31年前、1991年8月24日。独立の瞬間の記憶がある人もまだ健在だろう。当時独立に沸いた人たちは、どんな気持ちで今日を迎えたのだろう。ニュースを調べる。キーウ中心部の「独立広場」は戦火に焼け、他の都市と同様に激しい攻撃にさらされている。ロイター通信によればウクライナではこれまでに人口4100万人の3分の1以上が自宅から離れることを余儀なくされているほか、数千人の市民が亡くなり、戦争で9000人の軍人が死亡した。戦争の終わりは見えない。一日も早く平和が訪れてほしい、それ以外に言葉が見当たらない。

 

そして今日は一橋大学アウティング事件から7年でもあるのだった。ゲイであることを同級生らに同意なく暴露(アウティング)され、心身に不調をきたすようになった一橋大学の男子学生が、大学構内の施設から転落死した事件。

LGBTQ+であることを同意なく周囲に言いふらされ、学校や職場、家庭から居場所を失う。こうしたリスクは当事者にとっては昔から身近なものだった。一方で、アウティングという言葉が浸透する前はその認識はもっと大ざっぱだったと感じる。私も「この人にはまだ言わないようにしよう」と思っていたはずの人にいつの間にかゲイだと知られていることがあったし、それによって嫌な思いをしたこともある。でも、驚かれる情報だから、人から人へ噂されてしまうのはしょうがないのかもしれないと思っていた。本当は驚かれる=反応が予測できない情報だからこそ繊細に扱うべきだし、そもそも人のジェンダー性的指向を勝手に言うべきではないのだけど、そんなことを期待できる環境ではなかった。

私の場合は不快な思いをするくらいで、激しい嫌悪感を直接向けられたことはない。でも、状況が少し違っていればそうなっていた可能性はいくらでもある。運がよかっただけだ。

運がよかっただけ。大学生の頃の自分がその言葉を聞いたら怒るだろうか。「(勢いで言ってしまうこともけっこうあったけど)俺はなるべくカミングアウトしても大丈夫そうなコミュニティを選んでいる」と。自由な場所を探して、生き延びようとしていた必死さを否定されたように感じるかもしれない。もちろん安全な人を見極めようとすることは大切だけど、それを自分が努力して勝ち取ったもののようにしてしまえば、うまくいかなかった人に過失が、責任があることになってしまわないか。気をつけていても最悪の事態は起こりうるし、大して気をつけていなくても大丈夫かもしれない。だとすればそれは結局のところ運でしかない。

でも、不幸な事態を回避する可能性を高めることはできる。それは当事者が努力するのではなく、周囲の人が知識を学ぶことで実現できる。7年が経って、アウティングという言葉は少しずつ認知度を上げてきた。確実に前進しているけれど、まだ十分とは言えないと感じる。同様の事件を繰り返さないためにも、忘れてしまってはいけない。

そんな中で入ってきたのは原発のニュース。再稼働、さらに新増設……それこそ今年に入ってから、ロシア軍がチェルノブイリ原発を占拠したという背筋が凍るようなニュースがあったばかりなのに。戦争もそうだけど日本の場合は地震などの災害のリスクも高い。その怖さを日本中が感じたのはたった11年前のことだ。

電力状況の逼迫や、脱炭素のために原発復権が進んでいるというのは聞いていた。でも、そもそもなぜ脱炭素かといえば地球を持続可能なものにするためのはずで、万が一の際に大事故を引き起こす原発は持続可能ではないのではないか? 再稼働にも増設にもとても賛成はできない。

 

今日は他にもシュールなオンライン記者会見で行われたコロナ感染者の全数把握見直し、二階元幹事長の旧統一教会国葬に関する火に油を注ぐような発言、文化庁メディア芸術祭が終了など、気力を削がれるニュースが多かった。

夕飯は昨日と同じ鶏肉と枝豆の寄せ焼き、それからみそ汁とサラダ。食後は母がこの前送ってくれていた冷凍の桃を自然解凍して食べる。シャーベットのようになっていておいしい。

 

一歩も外に出ない日だった。今日の新規陽性者数は25444人、現在の重症者数は36人、死者22人。