ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

見慣れた気持ち[2021年10月10日(日)晴れ]

昨日は『セックス・エデュケーション』を見はじめたら止まらなくなってしまって、25時前には見終えたのだけど、頭が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。眠かったけど、午前中にオンラインで取材があるので起き出す。私はネトフリなどのドラマを見るまでの腰がかなり重くて(時間があると本を読む方を優先してしまう)、その一方で見はじめると一気に見てしまう。リズムが作れない。見たい作品がたまるばかりで取りこぼしも多いので何か視聴を習慣づける仕組みを作りたいのだけど、そもそも習慣化とか考えているのがおかしい気もする。止まらなくて睡眠時間を削ってしまう、みたいなほうが、(身体的にはともかく精神的には)健全なような。そんな管理するものでもないのだ。

 

取材を終えて、そのあとすぐに文字起こし。いくつかの箇所で「ここでもっと踏み込めば良かった」「あの話も聞けば良かった」と思う。ライターあるあるだし、一つも逃さず聞き切るのは至難の業だと理解しているつもりだけど、定期的に「自分はこの仕事に向いていない……」くらいの落ち込みをしてしまう。今日もそう。ただ、それはできなかったことのほうばかりを見つめてしまっているからそう思うのだということもわかっていて、気づいて抜け出すまでの時間も、回数を重ねるごとに早くなってきている。今日は家を出て、ホームで電車を待っていたときに気分が切り替わったので、だいたい2時間くらいで抜けた。

 

新宿のKEN NAKAHASHIで森栄喜雷電 Dialogue』最終日滑り込み。KEN NAKAHASHIは古いビルの5階にあって、大きな窓から伝わる光や音、街の気配が美しいギャラリー。でも、今回の展示ではその窓や入り口のドアに隙間なくアルミホイルを貼って、光を遮断していた。真っ暗な中で作品と向き合う。

入り口のドアに向けて照射された映像の中では、森さんが海辺でマイクを手に、そこにはいない誰かの輪郭をなぞる。その間、背後のスピーカーからはマイクによって集めた音とその場の環境音が流れている。輪郭をなぞり終えると森さんはいなくなって、無人の風景の映像にさっきの音が重なる。それからしばらく無音の・暗闇の時間があって、再び最初から映像と音が流れ出す。

アルミホイルを貼ったドアに映し出された映像は、ホイルのたわみや壁の起伏によって歪む。場の干渉を受ける。去年の森さんの作品「シボレス」も、空間から影響を受けるインスタレーションだった。そこに何かを感じているんだなと思い、次に不在の輪郭をなぞることと、場の影響を受けることのつながりを思う。不在の中でその人を思い出すことと、作品に流れる時間とこの場の時間が重なって時間が複層化していくことはどこか似ていると感じる。作品の前に立っていた時、稲光に照らされるようにその相似形を理解した気がしていたけれど、いま言葉にしようとするとうまくできなくなってしまった。

オーナーの中橋さんに声をかけて、少し話す。ギャラリーは真っ暗、作品の音も静かで、どう声をかけようか迷う。タイミングやボリュームなど自分なりに気を使ってみたけど、その甲斐なく普通にめっちゃ驚かせてしまった。数ヶ月前に一度取材をさせてもらった時のお礼を言いつつ、この作品について教えてもらう。夏にここで開催したグループ展で発表した作品を再構成したもので、その時はもっと別の見せ方だったと言っていた。その間もスピーカーからは作品の音が流れ続けていて、中橋さんの声がその音に重なる。

コロナ禍になる前、このギャラリーで森さんとばったり出くわしたことがあった(あれは在廊、というのともちょっと違っていたと思う)。最終日だし、今日もばったり会ったりするかなあと思っていたが、特にそんなことはなかった。真っ暗なギャラリーを出て、昼間の新宿に戻る。無印で洗顔など買って帰宅。

 

しばらく家で過ごして、友人たちが私の街まで来てくれるというので会う。緊急事態宣言は明けたものの、20時がラストオーダーだったり、4人までしか入れなかったりするお店もある模様。そうした情報がどこかにまとまっているわけでもないので調べるのが億劫で、結局いつも行っている焼き鳥屋。24時前くらいまでみんなで話して飲んだ。

今日の新規陽性者数は60人、現在の重症者数は67人、死者7人。9月末から友人と会う機会が増えていて、自分でも気が緩んでいるなと感じる。しかし今日の新規陽性者数は今年最小らしく、緩めるなら今、とも思う。かと思えば後ろめたさを感じたり、後ろめたさの実感そのものを免罪符にしようとしているところもあったり。こういう心の動きはこの1年半で何度も繰り返していたことでもあって、いい加減もう飽きたなと思う。

体(からだ/たい)[2021年10月6日(水)晴れ]

文章を書く仕事をしていて致命的だと我ながら思うのだけど、言葉を扱う能力が低下する時期が定期的にやってくる。感覚としては、だいたい1ヶ月ほど普通に書ける時期があったあと、10日から2週間ほど書けない期間がある。書けなさの程度はその時によってまちまちで、あまり気にならないこともあればかなり顕著なこともある。今回は後者で、めちゃくちゃ能力が下がってるな、という自覚がある。書いていて明らかに言葉や表現が単調になるし、喋っていても言葉が出てこなくてつっかえるし、本を読んでも目が滑って内容が頭に入ってこない。あと、この言語力低下期間の特徴として「音楽がすごく豊かに聴こえるようになる」というのがあって、それもいつも通り発動している。

おかげで仕事をしながらかなりもどかしい思いをしているのだけど、今でよかった、とも思う。今週は比較的仕事が少ないので、今なら多少能率が下がっていても困らない。この期間を抜けた直後は頭がフル回転していつも以上に書けて話せるようになるので、来週半ば以降の忙しい時期にちょうど当たればいいなと都合のいいことを考えたりもしている。

 

今日は6時半に目が覚めてしまって、そのまま活動を開始した。日記を書いて、日記本の追加原稿の見直し。言語力が低下している今、見直しとかもっとも避けたい作業なのだが、タイミング的に仕方がない。それでも初稿にしてもらったあとの赤字がなるべく少なくなるように頑張って読んだ。Mに原稿を送信。

 

お昼は恋人が作ってくれた甘辛いひき肉、天かすなどを載せたそうめんチャンプルー。それから、今進めているクラフトビールの案件の執筆・リサーチ。ビールを飲みたくなってくる。しかしまだやることがあるし、そもそも手術から2週間経たないとアルコールは飲んじゃダメと言われている。金曜日で2週間なので、あと少しの我慢。

手術したところは日によって痛みが増減して、直線的に楽になっていくわけじゃないんだなあと道のりの遠さを思ったりする。普通にしていて痛みを感じることは術後も今もないけれど、最近はトイレに行ったあとの痛みがややきつい。泣き叫ぶほどの痛みを10とした時、5くらいの痛み*1

自分の部屋のデスクに長時間座っているのもきつい。今のところ、ベッドに足を伸ばして座って壁に背中を預ける姿勢が一番負担が少ない。マットレスがやわらかいことと、上半身の重さを腰とお尻で分散できるからだろう。そう考えると、私がどうして円座クッションが合わないのかも(痔といえば、という感じだけど、私はかえって悪化するような気がするほど合わなかった)説明がつく。円座クッションは腰を伸ばして座る体制を要請するかたちになっていて、上半身の重さがお尻に集中してしまうのがダメだったのだと思う。ちなみに円座=ドーナツ型は合わないけれど、U字型を意識して座るとちょっと楽。それはお尻だけではなく、太ももの裏でも体重を支えるようなかたちになるからだろう。

 

17時半までそうして原稿を書いて、オンラインで雑誌の打ち合わせ1件。すでに年末号の2021年振り返り特集の話が出ていておののいてしまう。夕飯は昼に恋人が買ってきてくれた材料を使って水炊き。butaji『RIGHT TIME』を聴きながら作る。

 

夜は『みんな政治でバカになる』を読み進める。私には難しい部分もあるけど、これは必読の書では。挑発的なタイトルだけどそれはタイトルとその周辺だけで、色々な認知バイアスについて、感情を抑えてかなり丁寧に説明されている。

たとえば2章では「集団分極化」という、同じ考えの者が議論すると極端な考え方に先鋭化する現象を紹介しているが、これはテロリストを生む温床になる一方で、一般的な討論では不可視化されるマイノリティをエンパワメントする効果もある、と書いている。こういう感じで、さまざまなバイアスや現象の両面をしっかり提示することに心を砕いている印象。多分、著者は自分の筆致や論理展開がなんらかのバイアスを生む可能性にかなり自覚的で、それをなるべく最小化しようと気を遣っているんじゃないかと思う。「都合のいいところだけ見んな」=「バカになるな」という著者の主張を体現する文体が目指されている。

熟議民主主義など、WIRED最新号で扱っているテーマと重なるところもあった。頭に入らないままページをめくってしまったところがあったので、かいつまんで読み返したい。

 

今日の新規陽性者数は149人、現在の重症者数は77人、死者10人。

*1:「痔ろう」でSNSなどをサーチすると痛みを10段階で数値化している人が多くて、これはなんなんだろうと思っていたのだけど、術後に先生から渡される経過観察シートに痛みを記録する欄があり、それが10段階評価になっていたのだった

工事中[2021年10月3日(日)晴れ]

7時ごろ起きて、身支度をしたあと部屋でメールや日記書き。お昼ごろに恋人と恋人のお母さんと家を出て新宿へ。お母さんが帰る前に一緒に食事をしようと、小田急百貨店のレストランフロアへ向かう。ここには以前自分の母親とも来たことがあって、なんとなく親世代の人と食事をするのに良いような印象があった。母と来た時のことをなんとなく思い返す。

店へ向かう途中に展望スペースがあって、大きな窓から新宿の街を見下ろす。もっと高いところからであればまた違った見え方になるのだろうけど、12階程度の高さだと鳥瞰、という感じはなく、雑然とした街並みが目につく。見える範囲に広がるのがだいたい一度は通ったことのある道なので、地面を歩いている時の視点を思い出しながらぼんやりと眺めた。

バスロータリーを超えてすぐ、ヨドバシカメラの並びのビルが2区画ほど工事中になっていて、上から見ると灰色でさみしい。そこに何があったか恋人と思い出そうとするも、うまく思い出せない。右側の区画は去年は東京五輪の公式グッズショップがあった記憶があるけれど(以前から催事的な使われ方をしていて、その前はたしかどこかの企業がやっているビアガーデンだった)、それもいつの間にかなくなっていた。「この小田急百貨店もなくなっちゃうんだよ」と、恋人がお母さんに説明している。

 

食べたあとバスタまで行ってお見送り。タイミングが良いのか悪いのか、チケットを購入した時にはすでにバスが到着していて、お母さんはそそくさと乗って帰っていった。
 新宿三丁目のほうへ歩いて、私は紀伊國屋で仕事の資料本を探す。耐震工事のためにいくつかのフロアが閉鎖されており、そのためなのか本の検索システムが使えない。どこもかしこも工事中だなと思いながら、時間をかけてうろうろする。無事に数冊購入して、恋人と合流。NEWoMANのブルーボトルコーヒーでアイスコーヒーを買って、飲みながら帰りの電車に乗る。

夕飯どうしようかな、と考える。木曜日に作ったハンバーグを冷凍したものが残っているけれど、それはおそらく今月の後半に訪れるであろうめちゃめちゃ忙しい期間のために取っておきたい。今回のハンバーグは自分でもうまくできたと思ったし、恋人のお母さんにも「おいしい」と言ってもらえた。良い記憶がある料理はテンション上げないとやっていられないような日に食べるべきだ。今日みたいに穏やかな日ではなくて。

良い案が思いつかず、恋人に「夕飯どうする?」と聞くと、「何かさっぱりしたものがいい」とのこと。たしかに金曜、土曜と外食が続いていて、ちょっと疲れている感じがあった。恋人は旅行先でも外食だったからなおさらだろう。味がさっぱりしているというだけでなく、ハレとケで言うところのケの食事をしたいという意味だと理解する。オーケーストアに寄って食材を購入。

 

帰ってきて、恋人とテレビを見ながらだらっと過ごす。夕方は新しい日記本の表紙について少し考えて、MにLINEしたり。新内閣についてちょっと調べて、調べる前と同じ憂鬱な気持ちのままページを閉じたり。夕飯はみそ汁、温野菜と蒸しブリ、熱海土産の磯揚げ。みそ汁に顆粒だしを入れ忘れてしまって、いつもとかなり味が違って二人で驚く。顆粒だしは味のためというよりなんとなく習慣で入れていたのだけど、ちゃんと意味があったのか。

湯船に浸かりながら『みんな政治でバカになる』をさわりだけ読んで、上がったあとベッドで続きを読んでいたらいつの間にか寝てしまっていた。今日の新規陽性者数は161人、現在の重症者数は88人、死者7人。

途中で気づく[2021年10月1日(金)雨のち曇り]

今日から10月。台風が来ていて、日中は東京でも雨風が強くなりそう。夕方出かける時には落ち着いているといいなと思いながら、家で原稿を1本書く。昼食は先日買って食べ損ねたコンビニの千切りキャベツ、インスタントのみそ汁、玄米を混ぜたご飯と納豆。主菜がないが、玄米だとなんとなくそれでもいい気がしてしまう。たとえば白米に塩だけかけて食べることはまずないけれど、玄米だと塩だけで食べてもいいと思える。これは何の刷り込みによるものなのだろう。

 

原稿が早めに終わったので、来週やろうと思っていたこまごまとした作業を前倒しで。そのあとはエアーポケットのように仕事がない時間が訪れたので、昨日「軽いものが読みたい」と思って買った岸本佐知子『ねにもつタイプ』を読む。

2019年に発売された同エッセイシリーズの最新作『ひみつの質問』は大爆笑しながら読んだのだったけど、その第一弾であるこの『ねにもつタイプ』は個人的にはそこまで。なんとなくその想像力の広げ方に既視感がある。ただ、それはおそらくこのエッセイが何かを真似ているというよりは、このエッセイに影響を受けた後発の作品や書き手がたくさんいて、私がそちらに先に触れてしまったからではないかと思う。まあそういうこともある。だからなのか、妄想・ユーモア炸裂というより、寮暮らしをしていた頃の奇妙な寮母さんとか、高校の頃に学校に来ていたパン屋さんとの文通のような、現実との境目があいまいな話のほうに惹かれた。脚の長さが1本だけ短い椅子に座って、収まりの悪さを覚えながらつい何度もぐらつきを確かめてしまうような、そういう楽しさがある。

 

17時過ぎに出かけて代々木上原の病院へ。風は強いけど雨はほとんどやんでいて、夜には完全に上がるそう。台風はもう去ったみたいだ。オリジナルラブのトリビュートアルバム『What a Wonderful World with Original Love?』を聴きながら電車に乗る。原曲が好きというのも大きい気がするけど、小西康陽「夜をぶっとばせ」Yogee New Waves「月の裏で会いましょう」の流れが良い。「夜をぶっとばせ」は田島貴男が在籍していた頃のピチカート・ファイヴの曲だから、小西康陽のセルフカバー的な側面もあるだろうか。作詞も小西康陽だけど、このカバーではほぼインストになっているのを美しく思う。歌はないけれど、主旋律をなぞりながら自然と歌詞が心のうちを流れていく。

 

手術の経過は良好だという。「傷もきれいに治っていますね」と言われ、なんとなく褒められた気分になる。私が努力していることは特になくて、周辺の細胞が頑張ってくれているだけなのだけど。

そのあとでMと合流。今作っている新しい日記本の表紙の打ち合わせのため。改札で待ち合わせて、「(対面で)会うのって3ヶ月ぶりくらい?」と驚き合う。オンラインでは定期的に話していたのでそんな感じはしなかったけど、考えてみればそのくらい久しぶりだ。

代々木上原って一人で来るから飲食店ってよくわからない」「わかる」「昨日で緊急事態宣言もまん延防止措置も解除になったけど、飲食店の営業やアルコールの提供には制限があるらしい」「よくわかんないね」と話しながら駅のあたりをうろついて、通りにあったイタリアンのお店に入る。Mに言われて、そこが『大豆田とわ子と三人の元夫』でかごめがコロッケを選んでいた店だと気づく。

 

コロッケやらピザやらをオーダーして、まずは表紙の話。いまだにタイトルが確定していないのだけど、イメージや、日記を書いたり読み返したりしながら考えていたことを伝える。前作の『消毒日記』とつながりを持たせたいが、今作は今作で独立していてほしくもあり、そのバランスが悩ましい。だけど思考の壁打ちに付き合ってもらったおかげでなんとなく固まってきた気がする。デザインを具体的に立ち上げてくれるのはMなので、まずはそれを待ちながら私は原稿を進める。急遽、収録する期間を少し伸ばすことにしたのだ。こうしてああだこうだ話しながら作るのは楽しい。

私が自分の考えを長く話している途中でピザが運ばれてきて、食べてめちゃくちゃおいしいなと思いながら話す方を優先する。ひと段落したところでMが素早く「っていうか、ピザめちゃくちゃおいしい」と言って、うまく言えないのだけどその時にああ、こういうのが人と食事をする醍醐味だったと強く思った。

日記本の話のあとは街で見たことのある有名人(私は宇都宮けんじと斎藤工。Mは上京してはじめて芸能人を見たのが、銀座の三越に入っていくデヴィ夫人だったという)とかのかなりどうでもいい話もして、気づいた時には9時過ぎ。閉店の時間になって、会計を終えて席を立つ。奥に座っていたから気づかなかったのだけど、店内はけっこうにぎわっていて、どのテーブルの人たちもまだ店にとどまっていたいように見えた。人と集まるのが久しぶりという人もいたかもしれないし、何時までやっているのか、アルコールを出しているかなどが店によってばらばらなので、二軒目を探すのが大変という理由もあるのかもしれない。その様子を見て、「あんなに長い緊急事態宣言はこれで最後にしてほしいね」と言う。思ったことをただ口にしただけだったのだけど、途中で急にその言葉が実はすごく重いもののように感じられて、最後の方は気持ちと話し方が分裂してごにょごにょとした喋り方になってしまった。

 

今日の新規陽性者数は200人、現在の重症者数は93人、死者14人。

結婚とか[2021年9月28日(火)晴れ]

今朝もすっきり起きられず。先日手術をしてから薬(創部が汚れやすいので炎症や菌への感染を抑える薬や、痛み止めなど)をいろいろと飲んでいて、その中に眠気が出るものがある。日中に眠くてどうしようもないというほどではないけど、朝がだるかったり、夜早くに眠くなったりしてしまう。一日が短くなった感じ。秋めいて日が短くなってきていることもその感覚を強めているかもしれない。

 

午前中から日中にかけて、昼休憩をはさみながら原稿を執筆。最近、本当に集中力が続かないと感じる。行き詰まったり、やる気が起きない作業だったりするとふらふらYouTubeSNSを見たり、本棚をぼんやり眺めたりして時間を溶かしてしまう。集中力それ自体に濃淡があるわけではなくて、「何かに意識が集中する」という状態は維持したまま対象だけがスライドしていく感じなので、意識が別のものに移ったことをその瞬間に感知できない。そしてあるタイミングではっと我に帰る。それでもどうにか現在作業できるぶんは書き上げた。

 

昼のうちに外に出て、銀行で家賃や保険料のためのまとまったお金を引き出す。スーパーで夕飯の買い出しをして、意外と荷物が重くならなかったので本屋にも行く。INA『つつがない生活』とブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の続編を購入。

帰宅して、企画をまとめるはずがついつい『つつがない生活』を読みはじめてしまう。若い夫婦の生活の記録。顔色をうかがうというのとはまた違う、相手が本当に何を考えているのかを読み取ろうとする姿が美しいと感じる。うまくいったりいかなかったりしながら、日常が積み重ねられていく。バンドのツアーで行ったアメリカや新婚旅行のフランスの話もよかった。旅先でのできごとって小さなことでもすごく心揺さぶられるけど、それは日常の感じ方、視点と地続きなんだよな、みたいなことを思う。作者のパンクス精神の深いところが露出しているのが旅のエピソードで、それがまた普段の生活のエピソードに奥行きを与えていた。最後まで読んだあと、なんとなくページを行きつ戻りつして絵を眺める。

 

そのあともなんだか仕事に身が入らず。Evernoteにつける個人的な日記もうまく書き進められなくて、合間にまた集中力が切れて気づくとSNSYouTubeを見ていた。

日記を書くことを回避するためにSNSなどを見てしまっている感覚もあり、これは本当にどうしてなんだろうと思う。Evernoteの日記は文章が破綻していたり生煮えだったり、忙しい時ははしょってもいいから毎日書く、というルールで続けている。それはかなりゆるいルールで、このブログのほうがよっぽど負荷が高いと思うのだけど、ブログの時は集中力が続いて、Evernoteの日記の時は回避行動に出てしまう。破綻や未整理な状態への気持ち悪さが強くなっていて、腰を据えて書けばいいのだけど、それはこれまでのEvernoteでのやり方とは違うからうまくいかない、という感じだろうか。

今考えていて気づいたけれど、Evernoteはこれまで半ば自動筆記的だったのだ。たしかな言葉を書くというより、とにかく手を動かす、ということを大事にする書き方だった。それが自分(が日記を書くということ)に合わなくなってきているのかもしれない。

 

夕飯を作るのも腰が重い。それでもそろそろ恋人が帰ってくるかも、というタイミングで洗い物をしてシンクを片付け、ポトフを煮込む。できあがった頃に「かえります」とLINEが届いて、そのままタラのムニエルの下準備。ポトフにかぶを入れたのだけど、茎と葉っぱの部分はムニエルに添えることにする。

下味で塩を振りすぎたためムニエルは少ししょっぱかったが、恋人曰く「味は濃いがしょっぱいとは思わない」とのこと。添えた葉っぱが何だと思うかクイズっぽく聞いてみたが、最後まで当てられていなかった。

 

嵐の櫻井翔相葉雅紀がそれぞれ同時に結婚発表、というニュース。「嵐・櫻井と相葉が結婚」など、二人が結婚したかのような誤読を誘う見出しをつけたものがあって、けっこう嫌な気持ちになる。楽しそうに「二人が同性婚したのかと思った〜!」とはしゃいでいる人は、実際の同性婚訴訟などには一切興味がないであろう、という偏見。っていうか、ジャニーズ(アイドル)の結婚をどこかタブー視するような雰囲気とか*1、皇室の結婚とか、みんな好き勝手騒ぐけど本人たちの意思を一番に尊重してあげてよと連日思う。

そしてそんなことを考えていたら昨日会社の面談で「そろそろ結婚しないの?」と半笑いで聞かれたことを思い出し、再びイライラしてしまう。私は会社では「異性のパートナーと一緒に暮らしている」という嘘の設定でやっていて、周囲の人からすればそろそろ結婚する方が自然と感じるのかもしれない。でも、仮に私が本当に異性のパートナーと暮らしていて結婚しなかったとしても、それを人にどうこう言われる筋合いはない。
結婚の話を聞かれたのが年齢の話の流れだったこともかなりびっくりしてしまった。「いくつになるんだっけ?」「1月で30になります」「結婚しないの?」。いやー、ムカついたな〜。

 

木曜日から恋人のお母さんが泊まりに来る予定。うち一日は外で食べるが、もう一日は家で食べることになりそうで、私が食事を作るかも。「義母に作る料理」などで検索するも(というか結婚しているわけではないし、そもそも同性は結婚できないし、できても私には結婚願望がないしで正式には義母ではないが、便宜的に)「義母に手料理を拒否された」「義母が作ってくれる料理がまずい」など嫁姑トラブルばかりがヒットする。まあ別に義母に作る料理のセオリーとかないよな、というかそのセオリー別に乗りたくないよな……と軽率な行いを自省。恋人に「お母さん何が好きなの?」と聞いてもあまりはっきりした答えが返ってこず、母親の好きなものって知らないよね、という話になる。母は私の好きなものをよくわかっていたと思う。

いろいろと探った結果、恋人から出てきたお母さんの好きな食べ物は「お好み焼きと素うどん」。前者は我が家にホットプレートがないうえそれぞれのマイルールがある食べ物なのでなかなかハードルが高く、逆に後者はインスタントすぎ(麺から作れば別だけど、それはさすがに…)。もう少し考える。というか、本人に直接聞いてみればいい話なのだけど。

 

風呂を沸かそうかと思ったけれど、めんどくさくて結局入らず。病院からは毎日の入浴を勧められているが、なんだかんだで土曜日に入浴して以降はずっとシャワーで済ませている。幸い痛みが少ないし、ただ清潔に保つためならウォシュレットでもそれなりに事足りるし、という思いもあったり。

 

今日の新規陽性者数は248人、現在の重症者数は117人、死者8人。

*1:男性アイドルの結婚については今はタブーというわけではないけれど、肯定的に語る時に「それでもアイドルという立場の人が一人の相手を選ぶ」ことに過剰なストーリー付けがされている雰囲気があってなんだかなと思う。でもずっと応援してきたファンだったらそういう気持ちになるのかもしれず、一概に切って捨てるような判断は難しいなとも思う

痔ろうの根治手術/ネットに書かれないこと[2021年9月25日(土)曇り]

朝9時半から肛門科の病院へ。昨日した痔ろうの根治手術(シートン法)の経過観察。痛みはどうですか、と聞かれて「ほとんどないです」と答えると、「それはうれしい誤算です」と先生。誤算ということは、やっぱり普通は痛いのだろうか。

手術をする前は当日のことを日記に書こうと思っていたのだけど、手術前に特に気をつけたこともあまりないし、術中は相変わらず鎮静剤のせいで記憶がないし、術後の痛みもひどくなかったし帰ってからは家でごろごろしていただけだし、特に書くべきことがなかった。ネットで「シートン法」と検索するとサジェストに「痛い」「地獄」などのワードが並ぶので、書くべきことがなかったこと自体が書くべきことだとも言えるのだけど、拍子抜けした、というだけであれば別に手術当日のことを書く必要もない。自分の中に「この日のことを書いておきたい!」という盛り上がりもあまりなかったし、手術当日のことをドラマチックに書いている体験談はググるとけっこう出てくるので、そういうのが読みたい人はそういう人に任せて、自分は「そんなでもなかった」というほうを記録しておこうと思った。

というのは、自分が術前に「シートン法」で検索してみて改めて、ネット上はどうしても刺激的な情報ばかりが浮き上がってしまう場所だというのを痛感したからでもある。痛くなかった人はわざわざ書かないし(ドラマがないし、もともと痔ってちょっと恥ずかしい病気だから公表しない人もいると想像する)、痛かった人はちょっと大げさに書くものなのだと思う。大げさに書く理由は人によってはPV数を稼ぐためかもしれないし、恥ずかしさや情けなさを面白さで覆い隠すためかもしれないし、単純に非日常に興奮して言葉が強くなっているためかもしれない。

大げさな言葉でしか言い表せないくらいつらい思いをしている人もいるだろうから、それぞれの体験を矮小化したくはない。実際、それぞれの体験や言葉は真実なのだと思う。ただ、同時に俯瞰で見るとそういう傾向がある、劇的じゃない話はネットには書かれないということも頭に入れておかないと、不安になりすぎてしまう(実際自分はその傾向をきちんと把握できておらず、超ナーバスになった)。シートン法で検索してこのブログにたどり着いた人、言うほど痛くない可能性もあるし、術前に心配しすぎても仕方がないからあまり不安になりすぎないでください!

 

それにしても、痛み止めを飲んでいるとはいえ本当に痛みが少ない。シートン法は肛門の道(?)と、その脇に空いてしまった痔ろうの道の間に太い輪ゴムを通して、ゴムが縮んでいく力で患部を切っていく……というものなので、常に肉が切られているような痛みを感じるものだと思っていたけど、痛みというより違和感くらいの感じ。痔ろうができた位置が浅いとか、色々理由はあるのだと思うけど、「本当にちゃんと切れてるのかな」と逆に不安になってしまうくらいだ。「早い人は1週間くらい、遅い人は半年くらいでゴムが取れます」と言われたので、とりあえずはこのまま様子を見てみる。

 

来週の金曜日にまた経過観察の予約をして、まっすぐ家に帰る。痛みはないけど、外を出歩くのは若干不安だ。創部(手術でできた傷口)から常に血や浸出液が出ているので保護パットや下着が濡れるし、肛門にゴムが入っているから直腸のセンサーがバグってしまって、出るのが気体なのか液体なのか固体なのかの区別が難しい。肛門の外側にゴムが飛び出ていて、それがお尻に触れるので、出たあともそれがなんなのかわかりづらい。だんだん感覚を掴んできたけど、最初のほうは本当に毎回ひやひやしていた。

地元の駅に着いて、薬局でおむつを買う。何かに負けた気がするけれど、街中で下着やズボンを汚してしまうよりはこのほうがいい、と自分に言い聞かせる。

 

いったん家に帰ってゆっくりして、15時から吉祥寺で用事一件。おいおい詳しく書くけれど、最近はインターネットに限界を感じることが多くて、コロナ禍だけどリアルな場にもっと身をおかないといけないと思っている。ネットにはなんでもあると思われているけど、それこそシートン法の手術体験記みたいに情報は偏っているし、属性や居場所を超えて誰とでもつながれるというのも、半分は本当で半分はそうではないし。今日はその状況を変えるための準備のようなことをした。吉祥寺は賑わっていて色々ぶらつきたくなったけど、肛門のセンサーがバグっている恐怖があるため直帰した。

 

家に帰って読書。北村紗衣『批評の教室』を読み終え、ジェニー・ザン『サワー・ハート』を読み始める。夕飯は家で作ろうと思って材料を買ってきていたのだけどめんどくさくなってしまい、恋人といつもの焼き鳥屋へ行く。この店はお酒も提供していて20時以降も営業しているのだけど、術後2週間はアルコール禁止なのでウーロン茶を飲む。私のリアルな場に身を置くプロジェクトについて話したり。

 

帰ってきてから入浴。術後の過ごし方を書いた紙でも「毎日入浴」のところはわざわざマーカーで線が引かれていて、シャワーではなく湯船に浸かる方がいいらしい。温めて血行をよくする方が治りが早く、痛みも緩和されるそう。お風呂に入るのは怖かったが、意外と浸かっても痛みはない。トイレをするたびゴムに便がついてしまい、ウォシュレットやペーパーでしっかり洗っていてもいまいち不安が残っていたから、シャワーと湯船でしっかり洗えた気がして満足。正直、毎日は無理だと思うけど積極的に入浴していきたい。

 

今日の新規陽性者数は382人、現在の重症者数は131人、死者8人。かなり陽性者、重症者数が減ってきた。30日には緊急事態宣言、蔓延防止措置ともに一斉解除になりそう。ずいぶん思い切りがいいなというか、そこはもうちょっと都道府県ごとの状況があるのではと思うけど、まあわからない。これでまたすぐに数字が増えるようだとしんどいなあと思うけど、ワクチンの接種も進んでいるから状況は違うのだろうか。そして自分としても、10月以降は多少人と会う機会が増えていくかもしれないと感じている。

 

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この日記を書く数時間前(9月26日午前9時ごろ)、トイレをしていたらシートン法のゴムが取れた。「早くて1週間」と先生は言っていたが、まだ1日半しか経っていない。ゴムは輪っかの状態のままだし(稀にゴムが内部で切れてしまうことがあって、そうなるときちんと治療ができていない可能性が高い。輪っかのまま取れたということは、正常にゴムが役目を終えたということ)、ひどい出血などもないけど、さすがに早すぎるのでは……。不安になって先生に電話する。出られなかったので留守電にメッセージを残すと、すぐに折り返しがきて「早い人は本当に早いので、心配しなくていいですよ。それだけ浅い位置だったということでしょう」と穏やかに言われる。安心したけど、展開が早すぎて戸惑う。まあでも、本当に思った以上に負担が少なく、早く快復しそうでほっとした。

この長いタームの終わり[2021年9月19日(日)晴れ]

台風一過でよく晴れていて、久しぶりに気温も高そう。快晴につられて自分の気持ちもすかっとしているかというとそうでもなく、昨日久しぶりに飲んだアルコールのせいで体が重い。昨日は心身の不調を低気圧のせいにしていたけど、そうじゃないのかよ、と胸のうちでつっこむ。つっこむとそのぶんだけ心が軽くなるというか、その部分だけ正常になったような感じがした。窓の外に広がる濃い青空を見ながら、粛々と原稿の赤字に対応。お昼は夏の間に食べ損ねたインスタントの涼麺を食べて、それから日記を書いた。

 

夕方、思い立ってグループLINEに「今晩オンライン飲みしませんか」と提案してみる。最近MやAとLINEのやりとりをたまにしているのだけど、日々の仕事に追われてついやりとりを止めてしまったり、かと思えば自分が返信する時にはなかなか話が前に進まないもどかしさを感じてしまったりして、いっそ話したいなと思っていた。

返事を待ちつつ、恋人と散歩。YouTubeを見ていたら高円寺にクラフトビールの自動販売機がある、という動画がサジェストされてきて、行ってみることにしたのだ。早稲田通り沿いにある「DRiNK UP!! Craft Beer Shop」というお店で、店内に自動販売機が1台置かれている。スタッフの人も常駐していて、質問すると色々教えてくれたり、自動販売機に入りきらなかったビールを売ってくれたり、両替してくれたりする。

自販機の前で数分迷い、STRATHCONAのBeautifulとUntitled Coffee Goseの2本を買った。Coffee Goseはカナダのブルワリーが地元のコーヒーロースターとコラボしたもので、コーヒー豆を注入しているそう。アヒルが赤いマグカップでコーヒーかビールかを飲んでいるパッケージがかわいい。STRATHCONAのBeautifulはフルーティなペールエールということで、多分好きな味だろうなと思った。昨日、輸入食品屋で「1本1000円は気が引ける」とか言っていたが、Beautifulはそのくらいの値段。まあ、久しぶりの友人とのオンライン飲みだし、と奮発した。

 

駅前のスーパーで野菜などを買って帰宅。飲み会の前に夕飯の準備を終えたい。今日は無印良品の「手づくりカレーキット ほうれん草のカレー」。レシピに沿って作りつつ、サフランライスを炊き、付け合わせのキャベツとにんじんのクミン炒めの準備。それから、飲み会のつまみとしてなすと大葉・みょうがの塩揉みを作って冷やしておいた。

20時過ぎからスタート。iPadの画面に写ったMの手にはおしゃれなクラフトビールの缶が握られていて、「俺たちも今日クラフトビールだよ〜」と、DRiNK UP!!の話をする。画面越しに乾杯して、Mが飲んでいるビールについても教えてもらう。VERTEREという、西多摩にあるブルワリーだという。真っ白な缶に控えめに風景写真がプリントされているデザインで、SNSでよく見かけるわりにお店では見かけたことがなかったから、詳しく聞けてうれしかった。今度買ってみよう。

そのあとは他愛もない話を色々と。Spotifyの「Music+Talk」という、音声配信の合間にSpotifyで配信している音楽を挿入してラジオDJっぽいことができるポッドキャストが作れる機能の話や、野菜と肉はアキダイが安くて質がいいのだが、魚は断然OKストアがうまい、SEIYUはPBのクオリティが高くて好きみたいな話*1、『ドライブ・マイ・カー』の話、村上春樹の原作『女のいない男たち』の悪口、あとは前後関係を忘れたけど伊丹十三スーパーの女』、『騙し絵の牙』、『プロミシング・ヤング・ウーマン』といった映画をおすすめされたり。12時を過ぎてからは、心の中に深く降りていくような話もした。

久しぶりに複数人でたくさんしゃべった気がする。夜も更けて、なんとなくお開きの雰囲気が漂った時に「次はオフラインで会いたいね」と話す。前回このメンバーでオンライン飲みをしたのは8月の上旬で、その時はとても対面で会おうと言える雰囲気ではなかった。ようやくこの長いタームの終わりが見えてきたんだなあと思う。

 

今日の新規陽性者数は565人、現在の重症者数は171人、死者16人。

*1:スーパーを情熱的に語ることについては、滝口悠生『長い一日』のオオゼキ語りに確実にエンパワメントされている