ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

PCR→ワクチン(1回目)[2021年7月30日(金)曇り時々雨]

一昨日は3177人、昨日は3865人と陽性者数が爆速で増えていることに都民として不安を覚えつつ、今日はPCR検査&一回目のワクチンで、コロナ関連の予定が重なっている。午前中に少しだけ会社に顔を出し、それから新宿の新型コロナPCR検査センターへ。早めに着いてしまったので西武新宿ペペのセガフレードで時間を潰すも、検査の30分前は飲食禁止(唾液で検査するため)だったのを思い出し、急いでコーヒーを飲み干す。飲み物がないのに居座るのも気が引けて、そのままぺぺをうろつく。先日作っておいしかったほうれん草カレーのキットを無印良品で買った。

 

検査センターは西武新宿駅からすぐ、マクドナルドの裏にある。そばには牛カツのお店もあって、人が並んでいたので今もこんなに人気があるんだと思っていたらそれは牛カツではなくてPCR検査の行列だった。人通りを塞がないよう微妙に検査センターと離れた場所に並んでいたので勘違いした。予約は5分単位で取ることができたのだけど、厳密に順番通りにするのではなく、なんとなく近い時間帯の人が来た順番に受ける方式らしい。

5分ほど並んだあと受付へ。説明を聞いて検査料の2300円を支払い、検査キットを受け取る。検査のための唾液は、ついたてで簡易的に仕切られたブースで各人が採取する。ブースはかたちとしては選挙用紙を記入するところみたいな感じ。

円筒形の保存容器にろうとを被せて口にあて、唾液を出して規定の目盛りまで採取する。そろそろいいかな、と思って見てみてもまだ足りない、というのを2回繰り返し、無事採取を終えたら保存容器を密閉袋に入れて係の人に渡して終了。並んでいる時間を除けば所要時間は5分くらいだった。結果は明日メールで届くという。

 

検査センターを出て駅に向かう途中、メールが入っているのに気づく。開くと、感染拡大を受けて来週の出張が延期になるかもしれない、という連絡。えええ。そもそもPCRを受けることにしたのが少しでも安心して出張に行きたいと考えてのことだったので脱力しつつ、まあ仕方ない。私もこんな状況の東京から行くことに不安はある。今回の取材相手は年配の方も多そうだし。まだそのままの予定で実施する可能性もあるのだけど、急な予定変更を検討するくらいの危機的状況だということを改めて肌で感じる。菅首相の発言や政府の対応はやけに悠長だが。

 

駅に向かう途中、みんながスマホを上に向けているからなんだろうと思ってその方を見ると、少し前に話題になった立体の巨大猫だった。街路樹の隙間から少しだけ、数秒だけ見えた。

 

丸の内線で東高円寺駅まで移動。行こうと思っていたラーメン店が閉店していて、近くにあった「えん寺」で辛つけ麺。6,7年ほど前に一度行ったきりだけど、記憶の通りおいしかった。辛味が強く、スープを飲み干すとお腹を壊すかもと思いつつ、半分以上飲んでしまう。食べ終えてもまだワクチン接種まで時間があったので、駅のドトールに入って温かい紅茶を頼み、気持ち程度に胃腸を労る。ついでにメールの返信など。

 

15時くらいに店を出て、接種会場になっているセシオン杉並へ。着いたのは15時10分ごろだったけど、まだ15時00分開始の人が待っていて、少し遅れているみたい。冷房があまり効いていなくて蒸し暑いエントランスでしばらく待つ。

25分くらいに呼ばれて、同じ回の人数人とエレベーターで3階へ上がる。受付で必要事項の確認。私より先に受付をした人の何人かが「2回目の接種ですね」と確認されているのが聞こえて、少し焦る。私は今日が1回目の接種だけど、2回目の予約をとることができていない。本当は1回目の接種時に2回目も予約すべきだったのだけど、当時はワクチン接種に少し不安を感じていたこともあって様子を見ていたらあっという間に埋まってしまったのだった。そして杉並区と国との間でワクチン供給に行き違いがあったらしく、予約受付が一時停止となっている。杉並区のサイトをこまめに見ているものの、「今後の予定は7月末ごろにお知らせします」と書かれたまま更新されず、7月の平日最終日を迎えてしまった。

接種を躊躇したのは自分なので仕方ないといえばそうなのだけど、この話、今の状況だけみるとイソップ寓話ぽさがあってけっこう恥ずかしい。接種に積極的だった人の「だから言ったじゃ〜ん」という声が聞こえてきそうですらある……。でも、不安があってそれを処理していくプロセスも自分にとっては必要なことだったので、まあ仕方ない。それから接種に慎重だった人でも受けたいと思った時に速やかに受けられる体制は整っていてほしいから、国の供給がうまくいっていないことへの批判は別軸でなされるべきだとも思う。実際、「若者がワクチンを打ちたがらない」は周囲の声を聞く限りまったくの間違いではなさそうだけど、「打ちたいけど打てない」という人がたくさんいるのも事実だし。

 

会場に入ってからはスムーズで、短い診察のあとでワクチン接種。診察はごくシンプルなもので予診表に書いたことを確認するだけだが、疑問点などがあれば質問することもできる。接種後の経過観察は通常15分だけど、私は抗生物質でアレルギーがあるので30分になった。

ワクチン接種は思っていた以上に痛みが少なかった。注射するところを見ないようにしていたので、思わず本当にしたのか疑ってしまうほど。ニュースで流れる針を垂直に刺す映像を見て、勝手に痛いものだと思い込んでいたのだけど、最近した血液検査のための採血の方が痛かったし、時間も長かった。経過観察で待つ間にちょっと調べたら、どうやら筋肉注射のほうが痛みが少ないものなのらしい。

 

経過観察中は打った方とは反対の腕が痛いような気がしたり、頭が熱いような気がしたりしたけれど、どれもそう言われればそうかも、というくらいのもので、おそらく体の感覚に敏感になっているだけ。明らかにこれは、と思うような異常な反応は起きないまま30分が過ぎた。ほっとして席を立ち、帰り際に運営スタッフの方に2回目の予約について何か知っているか一応聞いてみる。「私たちも区のサイトに掲載されている以上のことは知らないんですよ。7月末には新しい情報が入るっていうから、そろそろだとは思うんですけど」と、予想通りの返事。「こまめに予約サイトを見ているとけっこうキャンセルが出るので、そこから予約できると思いますよ」とも言われて、その回答も予想通りではあったのだけど、思ったよりも声の調子が軽くて、多分本当にそこそこキャンセルがあるんだなと推測する。チケット争奪戦みたいなのは苦手なのだけど、まあやるしかない。

 

会場を出ると大雨が降っていて、折り畳み傘では防げそうにない。雨宿りをして様子をみて、雨足が少しだけ弱まった頃に歩き出す。湿度が高すぎて不快。帰ってすぐに部屋着に着替えて涼む。ワクチンも接種したし、なんだか気が抜けてしまった。仕事の本を読んだりベッドでごろごろしたりしながら、自分の体調を観察。3時間を過ぎた頃から打ったほうの腕に筋肉痛のような痛みを感じるようになったけど、今のところ本当にそれだけだ。1回目だし、そんなに劇的な反応はないのかも。

 

夜に連絡があり、結局出張は予定通り実施する可能性が高そう。行くことに不安があるような、感染大爆発の東京から数日でも脱出できるのがうれしいような気持ち。少し仕事をして、夕飯にキャベツの千切りと豚の薄切り肉を炒めたものを作った。

 

夜、寝る前に杉並区のサイトを見てみると情報が更新されていて、2回目接種の人を優先しつつ来週から予約を再開するという。なんとかなりそうでほっとした。副反応は打った腕の筋肉痛が少し強くなっている気がするのみ。「利き腕と反対の腕に打つのがおすすめです」と言われて左腕に打ったのだけど、私は右利きだけどスマホは左手で使うから、少し操作しづらい。

 

今日の新規陽性者数は3300人、現在の重症者数は88人、死者2人。

晴れ男[2021年7月27日(火)雨のち曇り]

 台風は東京に直撃しなかったようだけど風が強い。12時から池袋で取材一件。滞りなく終えて駅で坦々麺を食べ、会社へ移動する。今日は火曜日だから普段は会社に行かない日なのだけど、メールサーバーの移行作業があって、不具合発生時に備えて念のため待機する必要があったのだった。

池袋駅のホームで見た時はそれなりに強い雨が降っていたのだけど、会社の最寄駅のあたりは降っていなくて、交差点ではやんだことに気づいていない何人かがまだ傘をさしている。降ったりやんだり、少し晴れ間がのぞいたりと安定しない空模様だけど、私はうまく雨雲から逃れることができていて、今日一度も傘をさしていない。こういう網の目を縫うように自分のいる場所だけ雨がやんでいる時、晴れ男であることを強く実感する。旅先でも、建物の中にいるときや車での移動中だけ雨が降るけどそれ以外は晴れ、みたいなことが少なくない。

 

会社で仕事。かかっているラジオから「今日の東京の感染者数が3000人を超える」というニュースが聞こえてくる。2000人をはるかに飛び越えた数字に驚くが、まあそりゃそうなるよと思う。近いうちにこうなることは全員予測できていたはずで、ならもっと何か打つ手があったのではないか。対策が打たれなかったのはなぜなのか、いろんな人が出かけるのをやめないのはなぜなのかと考えれば、4年に1度の(今回は5年ぶりの)お祭りが大なり小なり影響しているのはまず間違いがないだろう。もううんざり。そんな気分の中でも日本選手がメダルを獲得すればスマホに速報が届いて、ラジオでも(それぞれのスタンスに応じてテンションは異なるが)速報が読み上げられて、だんだん悲しくなってくる。

そのあと正確な感染者数が報じられて、3000人超えは飛ばし記事だったもよう。だけどいつも水曜日が一番感染者数が多いから、どうせ明日には超えるだろう。

 

18時くらいには終わるかと思っていたのだけど思っていたより長引き、店屋物を取ることに。釜飯を頼むというので私は鮭いくら釜飯をお願いする。うす味で上品だなと思っていたら、だし汁をかけて食べるものだったらしい。だし汁の存在に気づいた時は8割くらい食べ終えていた。

 

20時前にサーバーの移行が完了して退社。帰り道でスマホを見ていると、朝日新聞デジタルからプッシュ通知で『菅首相、五輪中止の選択肢「ない」 人流減を理由に』というニュースが届く。切れ味のいい言葉がいきなり飛び込んできてうっとなる。プッシュ通知、精神衛生的に良くないし一時的にやめようかな……重要なニュースを確実にキャッチできるから重宝しているのだけど。見出しを見ただけでうんざりしているけど、一応ちゃんと記事も読む。”首相は6月9日の党首討論で、五輪による感染拡大リスクについて「国民の生命と安全を守るのが私の責任だ。守れなくなったら(五輪を)やらないのは当然だと思う。それは前提だ」などと話していた。”という一文で締められていて、余計にうんざり(わかってたけど)。これだけ感染が拡大している状況で、国民の生命と安全を守れているという認識なのか。

 

帰宅してからPCR検査について少し調べる。来週の出張、これだけ感染が増加している東京から行くのだし念のため検査しておきたい。最初は検査キットを調べていたのだけど、結果が出るのが早いのは検査センターのほうみたい。医療機関の検査は高くて躊躇するが、民間検査は精度が怪しいものもあって玉石混交。色々比較してみて、木下グループの検査センターは2300円と安いし結果もある程度信頼できそうな感じ。検査キットもわりと安いので、万が一のために1つ家に置いておくのもいいかもしれない。

 

今日の新規陽性者数は2848人、現在の重症者数は82人、死者2人。ちなみに行政検査数の参考値は9382.7件で、およそ3人に1人が陽性という計算になる。これ、検査は追いついているんだろうか。

揚げ物/失点[2021年7月25日(日)晴れ]

昨日の夜、Mがオンライン飲みに誘ってくれて3時頃まで話していたので、今朝は少し起きたのが遅め。4連休最終日で、今日もよく晴れている。午前中に一件原稿の編集作業。小休憩でリビングへお茶を汲みに行った時、恋人に「今日、夕飯揚げ物にしようかな」と言ってみる。恋人は喜び、私も自分で言いながらアドレナリンが出るのを感じる。暑い夏の盛りに熱い揚げ物をする、これが俺のスポーツや! という気持ち。テンションを上げたい。

 

近所のタイ料理店で昼食を摂り、スーパーで買い物。ごぼう衣の唐揚げを作ることに決めて、土付きのごぼう鶏もも肉。他にはアイスコーヒー、キャノーラ油、炭酸水など液体系を大量に買ったので、トートバッグがずしりと重い。でも頭の中で重量を計算してみると5〜6キロくらいで、意外とそんなにでもなかった。重さを肩に感じながら坂道を下り、この4連休は一度も自分の街から出なかったと思う。それは暑さのせいであり、感染があきらかに拡大しているからでもある。医療体制のひっ迫具合を見ると出かける気がしなくなってしまう。医療従事者の方に負担をかけたくないという気持ちと、このままいくともしかかったときにちゃんと治療を受けられるかわからないという恐怖が半々くらい。

 

帰ってきて、今日中に読んでしまいたかった石沢麻依『貝に続く場所にて』。読み始めた時から感じていたけどあまり世界観に入り込めず、なかなかページが進まなかった。ただ、それでありながら妙に心に残る小説で、シンボリックな惑星の比喩や重層的な時間の連なりといった断片的な物語の景色には、間違いなく触れたと感じる。そういう手触りのたしかさが言葉から立ち上る感じがあった。時間を置いてまた読みたい。

 

次の本を読みはじめたかったのだけど、なんだか気が乗らずだらだらしてしまった。インスタを開くとみんなけっこうオリンピックを見ている。私の仲のいい人たちやTwitterでフォローしている人は軒並み反対派、もしくは全面的には賛成していないけれど部分的に楽しんでいる(普段から応援していた選手の試合は見るなど)という人が多いのだけど、インスタではこれまでオリンピックについて特に何も言っていなかった人が楽しんでいる印象。SNSに投稿する意見がその人のすべてではないから(私も最近はほとんど投稿していないから、何にも言及していない人に見えると思うし)、これだけで判断するのはよくないと思うのだけど、なんとなく虚しい気持ちになってしまった。私もいくつか興味がある競技はあるけど、ちょっと見る気分になれない。やたらと日本選手のメダル獲得のニュースが速報で届くのも、なんとも言えない気分になる。

「選手を応援することと運営や政府を批判することは同時にできる」と言うような意見を見かけるようになってきて、たしかにそうかもしれないけど、本当にそうなんだろうかと揺れる。この大会に賭けてきた人のことを否定したくないしその思いを尊重したいけど、でもそう言い切るほど肯定するのは、自分には難しい。私は、その二つは両立しないんじゃないかと思う。ただ、一人の人間の胸の内で、矛盾しながら共存することはある。両立するか、矛盾していないかといった基準で考えようとすると、こぼれ落ちてしまうものがあるように思う。

 

そうやって悶々とネットの海を漂っていると、終わりのない壁打ちをしているようだと感じることがある。それは画面の向こうにいる相手のことを読み取ろうとしているようで、自分の思考の轍をたどっているだけだからだろう。しかもこの壁打ちが厄介なのはボールが無限に増殖していくことで、対処するにはやみくもにラケットを振り続けるしかない。そんなのすべて打ち返せるはずもないのに、ボールを落とせば律儀に失点だと感じてしまう。

ここ最近、SNSを見ている時間が長くなっていて、それが憂鬱を肥大化させていると思う。情報を拾いつつも、適切な距離をとらなければ。対面で人と会う機会を作りにくいから難しいけど、本当に必要なのは安心して意見を交わせる誰かと話すことだ。壁打ちじゃなくて、試合でもなくて、ラリーやキャッチボールのようなもの。一人でSNSを見ていて3つの意見を読んだらボールが3つになってしまう(ことがある)けど、3人で話すときは一つのボールをみんなで投げ合える。相手に向かってボールを投げようとすることが、思考のかたちやテンポを変えていく。その中で、変えられない部分に気づくこともある。

昨日の夜のオンライン飲みはそういう体験だったと思い返す。オリンピック開会式の辞任・解任騒動について2時間近く話していたと思うけど、議論の余地なく許されないことと明言する人、思想や発言と素晴らしい音楽を作る能力をもっと分けて評価すべきと言う人、小山田圭吾のいじめがあった時代の空気感を自分の体験とともに語る人、最終的な判断は保留しながら思索を多くの言葉で語る人、それぞれのスタンスがあって、その背景にはそれぞれの生きてきた歴史が浮かび上がる。それを聞きながら、自分の考え方を点検したり、死角があったことに気づいたり、心に浮かんだことを話してみたりした。

 

ずっと冷房の効いた部屋にいたのに脱水症状のような感じがあって、何か塩気のあるものを欲している。ちょうどいいものがなく、麦茶を2杯飲んで、アルフォートに塩を振って2枚食べた。体がだるいので念のため体温を測るが平熱で、症状としてもコロナではないと思うけど少し緊張する。短い時間横になる。

夕飯を作るのが面倒になっていたのだけど、やりはじめればやってよかったと思えるはずと言い聞かせて重い腰を上げる。まずみそ汁と、レタス、トマト、きゅうりのサラダを作る。ナスを塩もみしてみょうがと大葉を散らしたものを冷蔵庫で冷やしておく。それからごぼうをささがきにして水にさらし、水気を切ったら一口大に切った鶏肉と混ぜて下味をつける。15分置いたら卵と小麦粉で衣をつけて、フライパンで揚げていく。油の表面がジュワッと泡立つのが見ていて心地いい。1日では食べきれない量を揚げ、できたてを食べる。

 

食べると少し体が元気になった気がして、気持ちも上向いた。だけどしばらくするとまた体が重くなってきて、ポカリスエット的なものが飲みたいと思う。家から一番近い自販機まで出かけて、ポカリがなかったのでグリーンダカラを買った。家の前の公園には若者たちがたくさんたむろしていて、それはもう見慣れた光景になっている。

 

今日の新規陽性者数は1763人、現在の重症者数は72人、死者0人。テレビで台風のニュースを見る。

開会式[2021年7月23日(金・祝)晴れ]

朝起きてTwitterを見て、一番に飛び込んできたのがセネガル出身のパーカッショニストLatyr SyさんがJOCに出演を一方的にキャンセルされた話。本人のFacebookが拡散されているのだが、その投稿によればキャンセルの理由は「なんでここにアフリカ人が?ってなる」からだという。もう、言葉がない。本当にそんなことがあるのかと俄かに信じられない気持ちと、一連の騒動を見ていたらやりかねないな、と思ってしまう気持ちが混ざり合っている。

 

今日は恋人とどこかドライブに行こうと話していたのだけど、昨日レンタカーやカーシェアリングを調べたらもう借りられる車が一つもなかった。車でドライブ、かつ日帰りなら人との接触を極力避けられるからギリOK、と話し合って決めていたので、車が使えないならどうしようもない。何も予定がなく、家で過ごす。昨日途中まで書いていた21日の日記を書く。小山田圭吾さんのことについて書きながら、昨日はディレクターの小林賢太郎さんが解任されているからそのことも考えたくて、もう全然追いつかないな、と思う。追いつかないくらいトラブルが起こっている。

 

それぞれの辞任・解任は「五輪に関わったアーティストが、過去の言動で炎上」という点では同じだけど、それでひとまとめにするには内実はだいぶ違っているようにみえる。問題になっている「できるかな」というコントも見てみたのだけど、全体の流れの中でみると少なくともホロコーストを肯定したり揶揄したりしているようには見えない。ただ、ではそこに批評性があるか(動画のコメント欄にあるような、絶対にやっちゃいけないことの例として機能しているか)というと微妙で、もっと無邪気にただぶっ飛んだものを出すことで笑いにしようとしただけのように見える。

そしてそういう笑いのあり方は、このコントが放送された1998年の価値基準*1と照らし合わせても大きく違和感のあるものではないと感じる。今となってみればうかつだし、あんまりよくはないと思う。ただ、有無を言わさず解任というのが本当に適切だったのだろうか。

私はラーメンズについて詳しいわけではないのだけど、いろいろ調べる中で、過去に人を傷つける表現をしたことを後悔するようなインタビュー記事を読んだ。それは具体的に「できるかな」について触れたものではなかったから留意が必要だけど、でも考えが変わっていることを予感させるものではあった。

いろんな要素を集めてそのすべてを好意的に解釈すればOK、かも…という感じで、もう少し丁寧なやりとりを重ねることができていれば違っていたかもしれないと考える。時間がなかったことやトラブルが相次いでいたこともあるのか、素早い火消しが何より優先されてしまったように思えた。

しかしとにかくもう組織委員会に不信感しかない。まずそもそも小山田さんの時と同様に人選の基準はどうなってるんだという話で、調べていなくて知らなかったのであれば甘いと思うし知っていて起用したならクリエイターを守ってほしい。素早すぎる火消しもそうだし、ディレクターを解任しておきながらプランを変更せず、その人が作ったものをそのまま使うって……。演者の人たちも相当複雑な思いになるのでは。だってディレクターからは練習や打ち合わせの場で指示や提案を受けているはずで、血肉化されたそれがきっとパフォーマンスを支える。そういう仕事を仕事としてカウントせず、「1人で演出を手がけた部分はないから」と名前を消して成果だけ奪うって一体なに?

 

お昼ご飯を食べて、仕事のメールの返信など。それから李琴峰『彼岸花が咲く島』と同時に芥川賞を受賞した石沢麻依『貝に続く場所にて』を読む。合間にTwitter。今日公開されたLIL NAS Xの新曲MVが最高で、何度か続けて見た。

タイムラインに国立競技場付近でのデモに参加している人がいて、その様子が流れてくる。あとはオリンピックですぎやまこういち作曲のドラクエのテーマが使われる、という話。すぎやまさんは杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」発言に同調していたりして、小山田さんの音楽を使わないのだしこちらも使ってほしくない。組織委員会が倫理観や社会的望ましさによって判断しているわけではないのが透けて見えて虚しくなる。

 

開会式は見るかどうか迷っていたのだけど、やはり見ることにする。まったく話題にしないことで反対の意を示す考えもあるけれど、自分としては見た上で何かを言いたかった。

見る前は「もし素晴らしくて感動したらどうしよう」と思っていて、「どんなに素晴らしくても、それがいろんな人の意見やコロナの感染状況を無視した上で国威発揚として行われたものである以上は評価できないよ」という言葉を胸の奥に用意していたのだけど、その言葉を口にすることはなかった。わくわくする/してしまう感じがなくて、そのことに安堵しながら同時にがっかりしている自分がいた。

部分的に良いなと思うところはあったし、それぞれの人がそれぞれの考えで引き受けているんだろうということは、SNSで流れてくる詳しそうな人の解説を補助線に感じ取ったけれど、全体を通して見たことがあるイメージの連続で、なんというか想像を超えなかった。

繰り返される「多様性」という言葉もなんか、日本の広告代理店が考える多様性という感じがした。そもそもLGBT法案も同性婚も実現していない、パーカッショニストを人種を理由に拒否する、難民の扱いもひどいみたいな現実があるのにショーでだけ輝かしくクローズアップされても良いように使われたとしか思えないし、「復興五輪」みたいな言葉も空虚、医療従事者らエッセンシャルワーカーが出てくるのもうーん、と思う……このオリンピックが医療従事者の負担をかなり大きくさせるものになりそうなことは明らかではないかと思うんだけど……。

選手団の入場も最初がすぎやまこういち作曲のドラクエ「ロトのテーマ」で、音楽が高らかに鳴れば鳴るほど複雑な気持ちになる。選手入場は各国の衣装にそれぞれの国の特性が反映されていそうで楽しく見てしまったのだけど、やっぱり複雑でもあり。笑顔で入場してくる選手団を見ながら、こんなオリンピックじゃなかったらな、と思って少し泣けた。

 

今日の新規陽性者数は1359人、現在の重症者数は68人、死者1人。

*1:私がまだ小学校に上がったくらいのころのものだから、小山田圭吾さんの件と同様にきちんと把握できているわけではないと思う。ただ、その空気は2000年代以降も引き継がれていたから、なんとなくは理解できていると思う

引きずりながら移動する[2021年7月21日(水)晴れ]

昨日の夜から腹痛で、朝になってもまだ治りきっていない感じ。胃腸を痛めそうなのでコーヒーを飲まずに仕事をはじめるも、カフェイン不足のためか集中力がまったく続かない。昨日プロットを作っておいた原稿を執筆していたのだけど、一文が長く、全体的にキレのない文章になっている気がする。途中から文章自体が良くないのか、私の読解力が落ちているのかがわからなくなり、とりあえず本編を最後まで書いたあと少し寝かせることにする。

 

お昼ご飯はお腹にやさしいものにしようと思い、冷凍うどんに卵とめんつゆをかけて食べる。先日作った鶏肉とキャベツの味噌マヨ炒めが残っていたのでレンジで温めたら、ジップロックの蓋を開けた時点で危険なにおい。キャベツを噛んだらあきらかに酸っぱい。ずっと冷蔵庫に入れていたのになぜ……仕方がないので少し冷ましてからビニール袋に入れて捨てる。

 

今日からオリンピックの競技が福島で開催。入ってくるニュースはどれも最悪。バッハ会長のこのタイミングでの「開催に疑念があった」発言とか……これだけ開催への不安と批判が大きくなっている段階で「実は私もそう思っていた、でもその気持ちは胸の内に留めておかないといけなかったんだ」って、こんなタイミングで言うくらいならずっと胸の内に留めておいてほしかった。もちろん早い段階でその疑念を共有し、現実的に検討していただけたら一番良かったのだが。まあでも、この発言も人によっては「不安を抱えながら、それでも前に進んできた私たち」という団結を強めるものになるのだろう。そういうところも、「この人(ならびに、このイベント)全然こっちを向かないなー」と感じる。

他にも選手村のリモコン類が全部日本語で選手が困惑しているとか、メディアセンターの1600円の弁当がひどいとか、選手村で陽性者が出たことでホテル宿泊に切り替えた選手団のこととか、いたたまれなくなる話がたくさん。基本の感染対策も大会の運営もはじまる前からグダグダで、逆になんだったらちゃんとできているのか知りたいレベルだ。

 

それから、過去のいじめ発言で楽曲制作担当を辞任した小山田圭吾さんのことについても。発言が大きな問題になったあとも当初は留任となったが、昨日で一転して辞任となった。私の周りはコーネリアスや彼の音楽活動を好きだった人も多くて(というか、人生を支えてもらったくらいの人もいるよう)いろいろな意見が出ている。でも、いろんな論点があるのにTwitterを見ているとそれがあまり整理されていなくて、テーマAへの意見に応答しないままテーマBで批判するみたいなことを繰り返して、自分の立場を鮮明にすることが優先されてみえる(そうでないものももちろんある。また整理できていない怒りの発露が必ずしも悪いわけではないとは思っている)。私もいろいろ考えたので、なるべく細かく区切って書いてみる。

 

1)辞任について

個人的に、辞任は当然なのかなと思う。っていうか、運営組織委員会は少しくらい調べなかったのだろうか……。この事実を踏まえてオリンピック・パラリンピックでその音楽が流れるのをどんな気持ちで受け止めればいいのかわからない。少なくとも、曇りなく楽しい気持ちで見ることはできないだろう(ただ、そもそも私はオリ・パラの開会式・閉会式を楽しみにしてはいないので、これは「私がオリンピックを楽しみにしていたら」という仮定の上での話になるけれど)。それは被害当事者や、同様の経験をしたことがある人にとってはもっと強烈に不快なものだと思う。加害行為自体を想起させるし、結局いじめ加害者の仕事になんら支障がないのであれば、それは社会の多くが被害者の傷を軽視しているのと同じだ。

あと、これは好感度や自身の損得で判断されるべき問題じゃないと思っているけれど、それも論点になっていそうなので考えてみると、それでもやっぱり辞任したほうがいいと思う。留任は事実を把握した上で認めるということになって組織委員会にとっても小山田さん自身にとっても印象が悪いし、音楽の意味や聴こえ方ががらっと変わってしまうことは本人にとっても喜ばしいことではないんじゃないだろうか。

 

2)発言が過去のものであることについて

Twitterでは発言が20年以上前のものであること、当時の社会の空気感などを考慮して擁護する意見を見かける。

自分はその当時をリアルタイムでは知らないから、なんとも言えないところはある。そして行為や発言、企画というのは社会や時代によって強く規定されるもので、その意味では小山田さんだけを批判しても仕方ない部分はあると思う。ただ、この問題は何年かに一度話題になっていたもので、批判があってもスルーされてきた。だとしたら、発言がいつのものとかは関係ないのではないか。

 

3)人の過去を裁くことについて

そうやって人の過去の発言を今の価値基準に照らして裁いていけば、清廉潔白でいられる人はいない、という意見もある。これは自分も悩ましく思うところ。一つ一つ掘り起こして裁いていくのは、人間は変わっていくものという前提が抜けているように感じるし、謝罪や意見表明はしていないけれど、反省していて二度としない、と固く誓っている人もいるだろう。

後悔している言動があるなら振り返って、きちんと今の自分の言葉で語り直すのが望ましいと思うけど、そうしてすべてに白黒はっきりつけるのは現実的ではないかもしれない。いいとか悪いとかではなく、怯えや保身の感情はどうしても生まれるだろうし、もっと頑固に自己正当化してしまっていることもあると思う。それに悲しいけれど、こういうことってやっている側は自分のしたことを忘れるものだから、意識に上がっていることを反省してもすべてをカバーすることはきっとできない。私にもそういうふうに、言われた方は覚えているけど私は忘れてしまっているようなひどい過去の言動があると思うし、そのことを考えるととても怖い。

また語り直すにしても、その人自身の現在の地位やイメージによって黒を温存したまま白になってしまったり、社会的制裁の激しさによって考慮すべき点がたくさんある問題が真っ黒になったりすることも容易に想像できる。表明すればいいのか? という疑問もあって、すごく難しい。

グレーゾーンというか、緩衝地帯は必要だと思う。今後その幅はどんどん狭まっていくかもしれないが、少なくとも今は。それと同時に、説明を求めていくこと、求められたら応えることも必要だと考える。そして今回のオリンピックのように白であることが求められる場というのはあって、そういう場に参加するなら適切なプロセスを踏んでいなければならなかったのだと思う。

 

4)いつ許されるのかについて

小山田さんは謝罪文を出しているけれど、それで水に流して数日後のイベントは予定通り、というのはさすがに難しいだろう。となると「謝罪もしたのに、いつになったら許されるんだ」という意見があると思うけど、これについては「少なくとも今ではない」ということしかわからない。

そもそも許すというのはそんな社会的な一つの意見として存在するものではない。今後の活動を通してある段階で許す人はいるだろうし、その積み重ねで世論として許された感じになることはあるかもしれないけど、一生許さない人というのもいる。そのことは背負って、変に開き直ったり投げ出したりせずにやっていくしかない。

私自身も人の尊厳を深く傷つけてしまったことがあって、謝罪をしてまだ日が浅い。だから、この重さを身をもって感じている。

 

5)私自身のことについて

今回の件でやり過ごしてはいけないのは、私がこの発言を今回はじめて知ったわけではないということだ。それが障害者に対するものであったことなど、詳細は知らなかったのだけど、こうした発言があったことは何年か前に断片的に聞いたことがあった。その時にどう感じたのかはっきりとは思い出せず、多分「うわー…」と思ったと思うのだけど、あいまいにしか覚えていないということは、しっかり受け止めなかったということだろう。そして今回こうして取り沙汰されるまで忘れてしまっていた。

この問題を忘れてコーネリアスの音楽を聴いていた自分と、辞任すべきと考えている今の自分の間には距離がある。それは社会の変化にあわせて自分も変化していたからだけど、それで済ませずきちんと反省しないといけないと思っている。昔の自分を顧みず、今正しいとされている価値観に飛びつくのは誠実じゃない。それに、そもそもこういう変化ってOSをアップデートするように一気に移行するわけではなく、「大枠は変わっているけれど、個々の問題では認識が以前のままだった」ということも十分にありうる。だから何かが起こるたびに真剣に点検しないといけない。

時代にあわせて変わっていかないといけないところがある。変化にあたって問題になるのがこれまで自分の生きてきた道のりや作り上げてきた考え方への責任、あるいは整合性だと思うけど、たとえばそこで過去を切断したり、反対に今の自分を過去の考えに揃えることで正当化したり、そうやって取り繕ってはだめだと思う。重い過去を引きずりながらそれでも移動しなければならない、変化しながら本当の一貫性を保たないといけない。

それを可能にするのは誠実な内省しかないのではないか。ありきたりで、頼りない答えではあるけれど。考えを変えることは傍目にはちぐはぐに見えるかもしれないけれど、しっかり考えれば自分の生き方に筋を通せるんじゃないかと思っている。
問題が次々に起こるから、一つ一つについてしっかり考える時間がなくて、思考するというよりただ反応しているだけっぽくなってしまうことはある。スワイプするように簡単にイエスかノーかを判断してはいけない時ほど、自分の立場に固執してしまうことがある。そうならないように、ちゃんと立ち止まって考えたい。

 

それから、今回の問題を考える上では「荻上チキ・Session」の「小山田圭吾氏の過去のいじめ加害問題について荻上チキがコメント」荻上さんが話していた「公正世界信念」「防衛的帰属」の考えが参考になった。

 

午後も仕事をしていたけど本当にまったく集中できない。いつもなら30分くらいで終わるような原稿が進まず、合間にYouTubeで動画をいくつも見たりしてしまう。そうしていると恋人からLINEで、ブルーインパルスの予行演習が見えたと動画が送られてきた。「撮ったあとに五輪だと気づいてモヤモヤ。供養」とのこと。雲はあるけど気持ちのいい青空に、5つの円が浮かんでいる。

延々とだらだらした末、17時くらいにどうにか気合いで原稿を終わらせる。この集中できなさ、やる気の起きなさはきっとカフェイン切れだろうと思う。でも、今から飲んだら寝れなくなりそうで、どうすることもできない。そのあとも集中力がなく、本を読んだりすることもできなくてだらだらと過ごしてしまった。

 

19時ごろ、恋人がもう帰ってくるというのでスーパーに買い出し。色がすごく鮮やかとかそういうことでもなかったのだけど、夕焼けをきれいだと思った。今日は久しぶりに温野菜。ネットで菅首相がオリンピックについて「やめることは一番簡単」「挑戦するのが政府の役割」みたいなわけのわからないことを言っているのを読んで本当に嫌な気分になる。

 

今日の新規陽性者数は1832人、現在の重症者数は64人、死者4人。いよいよ2000人が近い。そして東京の重症者数の定義が独自のもので、国の基準では10倍近い数字である、という記事を読む。仕事に集中できない時に医療現場の逼迫についても調べていたので納得すると同時に、やっていることがせこくてうんざりする。

これ、国基準の数字を毎日更新しているところはないのだろうか。そうしないと恣意的に操作された数字を毎回書いていることになってしまうのだけど。

早送りしたい[2021年7月18日(日)晴れ]

もう少し早めに起きたかったのだけど8時過ぎにしか起きられず。午前中に原稿を1本編集して、そのあとスーパーで食材の買い出し。ランチはコンビーフとミントのパスタを作る。

コンビーフとミントの組み合わせは少し前に買った遠藤雅司『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』を読んでいる時になんとなく頭に浮かんだもので、細かいレシピはこのクックパッドの投稿を参考にした。
『歴メシ!』は本自体は古代メソポタミアなどの歴史上の料理を再現し、ものによっては現代人の口に合うように、また作りやすいようにアレンジを加えたレシピ集。普段自分が使わないスパイスや食材ばかり出てくるのが面白い。「豆のスープ 庶民風」などは作りやすそうだし、「トロネ風サメのステーキ」もおいしそうで、いつか作ってみたい。

 

茹で上がったパスタをフライパンで具とあえている時、恋人から急に「来週の四連休、どこかへ旅行に行きたい」と言われる。別の考え事が心を占めていたこともあってちょっとキャパオーバーになってしまい、尖った声で返事をしてしまった。先日友人に旅行に誘われた時も後ろ向きな返事をしたし、なんだかとても旅行をする気分にはなれないのだけど、恋人はテンションがけっこう違うらしい。もともと恋人のほうがどこかへ行くのが好きだし、にもかかわらず私は8月に出張があって東京を脱出する機会があるが、彼には今のところそれもない。こういう状況で突っぱねるのも違うよなと思って、車でどこかへ行くくらいなら……と提案。恋人の表情がぱっと明るくなる。

 

家で仕事の続きをする気分になれず、午後はサウナへ行く。サウナに入って、休憩室でアイデア出しをして、またサウナ。旅行は抵抗があるのに、不特定多数がマスクを外して会話しているサウナはいいのか? と自分で自分に突っ込む。そもそも東京で出かけるほうがよほど感染のリスクが高いと思うけど、慣性のバイアスのようなものがかかっているのか。

まっすぐ線を引くように切り分けられるものではないとわかっているはずだけど、自分の判断基準のおかしなところが急に目につきだして、なんだか感じるのも考えるのも行動するのもやめたくなってしまっている。この息苦しさは、最初の緊急事態宣言の時に似ている。

オリンピック開催まで1週間を切って、Twitterを見るとみんなぴりぴりしているし、ニュースも狂ったようなものばかり。バッハ会長の歓迎会とか、五輪後の感染者数が2400人に達するという試算に政府高官が「それくらいなら大丈夫」と答えたというものとか。

 

サウナを出て帰宅。夕飯は鶏胸肉とキャベツ、卵の味噌マヨネーズ炒め。食べながら『#家族募集します』の2話を見る。相変わらず仲野太賀の演技に見入る。先日コロナに感染したというニュースがあったけど、体調や撮影は大丈夫なんだろうか。夜は本を読もうと思っていたのだけど何もする気が起きなくて、22時くらいにベッドに横になった。昨日の夜もそうだった。時間を早送りしてしまいたい、という気持ちがある。

 

今日の新規陽性者数は1008人、現在の重症者数は58人、死者0人。

こうやってコロナの患者数を書いているのは、毎日これだけの人が病気で不安な思いをしたり命の危機に陥ったりしているのにオリンピックを開催するってどうなんだ、という思いではじめたところがある。なのだけど、書いているうちに自分の方が、それを単なる数字として処理していないか、自らの政治思想的イシューに利用するために、数字が大きくなることを心のどこかで期待してしまっているんじゃないかと疑念も抱くようになった。それからもし身近な人がコロナで亡くなった時も、こうして淡々と数字を記せるのか? とも。でも、「死者0人」と書く時にいつもよりもずっと気持ちが楽だったから、私はこの件において歪んだ方向に行ってはいないし、感覚も麻痺していない、と思えた。できることならこのまま死者数は0であってほしいし、その他の数字も小さくなっていってほしい。

梅雨明けして[2021年7月17日(土)晴れ]

午前中から肛門科の病院へ。最初に聞いていた通り、やはり根治のためには手術が必要と言われる。手術の方法は自分で調べて知っていたけれど、一応先生にも聞いてみたところ、「あなたの場合はSeton法がいいでしょうね」とのこと。

どういう手術かというと、まず私の直腸はトの字のように途中で分岐して、斜めの棒の先に膿が溜まってしまっていた。これに外側から穴を開けて膿を排出したのが2カ月前の手術で、今はこの穴は膿を出し切り、自然治癒力によって塞がっている。根治手術ではここにもう一度穴を開けて、縦棒と斜め棒の間の道にゴムを通す。ゴムが縮む力を利用してゆっくりと患部を切っていき、同時に人体本来の回復力を利用して少しずつ傷を塞いでいく。トの字の縦棒と斜めの棒の間の角度が、ゴムの力でゆっくり狭まっていくイメージだ。そうして角度がゼロ度になったら治療完了となる。

「最終的には、ゴムがぽんと直腸から落ちてきます」

先生にそう言われ、なんかピタゴラスイッチみたいと思う。落ちたゴムに「ピタゴラスイッチ」の旗がついているのを想像してしまう。

ネットで調べた限りでは入院が必要と書いてあるものが多かったのだけど、聞いたところ日帰りでできるという。入院せずにすみ、かつ痛みのケアにすごく気を使ってくれるこの先生が施術をしてくれるのなら安心……と思いつつも、手術に対して躊躇してしまう。1カ月以上かけてようやく穴が塞がったのに、もう一度穴を開けるというのはけっこう心的な負担が大きい。その様子を察して先生も「まあ、再発を繰り返すようなら根治手術をするというのでもいいですけどね」と助け船を出してくれるが、仮に再発した場合はもう一回膿を出す手術をして、それからでないと根治手術はできない。どう考えてもやるなら今なのだが、日和って黙り込んでしまい、先生に「まあ、今すぐ決めなくても1カ月後の経過観察の時でも良いので……」と言わせてしまった。内心(面目ない……)と思いながら、処置室を後にする。

 

会計を済ませ、歩きたい気分だったので代々木八幡まで歩く。恋人に「手術はしたほうがいいけど入院は必要ないって」と報告。LINEでやりとりをしながら、どう考えても手術すべきだよなあという気持ちが強くなってくる。人体ピタゴラスイッチみたいなのもウケるし。さっきまでの逡巡はどこへやらでさっさと手術したい気分になっているが、忙しそうだったし今から電話して手術の予約を入れるのも申し訳なく、私はこういう判断の遅さがあるんだよな、と思う。過去、同様に判断が遅くて気まずかったり間に合わなかったりしたことを色々思い出して、少し憂うつに。

まだ午前中なのにとにかく暑く、歩いているだけで汗が噴き出してくる。胸のあたりにできた汗疹が痒い。東京、というか関東地方は昨日梅雨明けして、そのまますぐ猛暑に突入という感じ。さすが「アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」ですね、と思いながら、信号待ちで冷房の効いたコンビニに避難。入ってすぐの場所でオリンピック公式グッズを大展開している。

 

新宿に移動して珈琲西武でモーニングセットを注文。メッセージの返信など。返信を終えてもまだモーニングが来ず、注文から30分以上経っている。念のためそろそろ忘れられていないか確認したほうがいいかな、と思ったところでちょうど運ばれてきた。冷房が強く効いていて、アイスコーヒーを飲むと寒い。店に入った時は冷たいのが飲みたかったのだけど、すっかり体が冷えてしまった。

 

12時半からK's cinemaで『片袖の魚』。日本初のトランスジェンダー女性当事者が主演を務めた映画で、イシヅカユウさんが主役の新谷ひかりを演じている。楽観的でも悲観的でもなく、優しさと毅然とした態度をもって作られたような作品。洋服、音楽、コミュニティのつながり、そうしたものにエンパワメントされてひかりが一歩を踏み出す姿がまぶしく、この物語と交わることではじめて自由に泳げる感情というのがあるのではないかと思う。

上映後のアフタートークは東海林毅監督とイシヅカユウさん。本作は主役を一般公募のオーディションで選んだこともあって、イシヅカさんがオーディションに参加した経緯や、作品制作のことなど。撮影直前にイシヅカさんが「このセリフは言えない」と変更を求めた話を、東海林監督が「もうちょっと早く言ってほしかったな」と笑いながら言っていて、イシヅカさんもそれを受けて笑いながら謝っていて、きっと良いチームで作られたのだろう、と想像したりした。

 

そのあとは紀伊國屋で何冊か本を買い、恋人と合流して食事をしたのち、東急ハンズで食器を見る。もう少し買い物をしていくという恋人と別れて一人で帰宅。

 

今日の新規陽性者数は1410人、現在の重症者数は59人、死者2人。連日1000人を大きく超えている。