ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

街のどこかに[2023年2月22日(水)晴れ]

昨日の夜、久しぶりにサウナに行ったおかげでかなりぐっすり眠れた。朝はもう少し早めに起きたかったけど結局8時半くらいまで寝てしまう。

日記を読んでくれている人から「早起きしていてえらい」と言われることがあるのだけど、この「8時半くらいまで寝てしまった」みたいな書き方がそう思わせるのだろうかとふと思う。たしかに日中に仕事をしている人でも11時くらいに起きる場合もあるだろうし、そういう人と比べたら8時半なんて全然朝、という感じなのかもしれない。しかし私の早起きはそんな褒められるものではないんだよなあと思う(というか、早寝早起きが褒められるというのがそんなにぴんときていない)。

せっかちなのと、ちょっとした強迫観念みたいなものだ。時間の使い方をブロックで捉えていて、午前中に1、午後に1〜2のタスクこなすように予定を組むことが多いから、単純に朝起きられないとスケジュールがずれ込んでしまい、それが嫌なだけなのだと思う。午前にできなかったぶんを夜遅くまで働いてカバーするということもあまりしたくないというか、うまくできないし。そうした働き方をせざるをえない局面もあるけど、明らかにクオリティもやる気も落ちてしまう。

こうした自分の性質を私は「柔軟性がない」「馬力がない」というネガティブなものとして捉えている。その負の側面をカバーするのに早寝早起きや、予定を立てて進行することが有効だった(自分に合っていた)というだけなので、褒められるといつもなんだか変な感じ。

 

しかし最近は朝のスタートも遅れ気味で、スケジュールも全体的に後ろ倒しになってしまっている。午前中に終わらせようと思っていた仕事も、思ったよりかかってしまって13時の時点で8割というところ。午後に終わらせたかった仕事があと2,3個あるけど、夕方の打ち合わせまでにおそらく全部は終わらないだろう。

腰を据えてやる必要がある原稿執筆も、こまごまとした連絡や確認も予想していた以上に時間がかかってしまっている。この感じだと、すべてが少しずつずれ込んで遅れていきそう。午後、渡された仕事の戻しの期日を(ある程度こちらに裁量があったため)余裕をもったスケジュールで打診。すぐに「承知です」と返ってきてほっとする。昨晩も、別の仕事で原稿の締め切りをいつもより数日猶予をもらう連絡をした。通常のスケジュールでも頑張ればできそうだったけど、焦ってじっくり考えずに書いてしまうのも嫌だったし。来週前半くらいまでに集中していた締め切りのいくつかを来週中くらいまで伸ばせたことで、だいぶ余裕ができた。

しかしスケジュールを調整する連絡とか、年々遠慮がなくなってきているなと思う。具体的に期限がある仕事ならともかく、そうでないなら数日遅らせてでもきちんとしたものを提出できた方がお互いにとっていいだろうと思うけど、思っているのと実際に締め切りを交渉できるかどうかはまた別の話だ。こういうのも大人になった、と言っていいんだろうか。世渡りスキルを使っていきたい。常識の範囲内で。

 

夕方から打ち合わせへ。電車の中でいくつか連絡を返しつつ、SNSを見る。今回の国会では更迭された元秘書官の発言あたりから同性婚や性的マイノリティに対して政治がどう向き合うのかが大きな論点になっているけど、議論の中であからさまな差別や理解のない発言が飛び交っていてつらい。地上戦、という比喩が浮かぶ(今の時代に、かつ日本の内地でしか暮らしたことのない人間が使っていいのか迷うけど……)。ろくに知りもしない人が延々言葉を発して流れ弾を浴びるくらいなら議論してもらわなくていい、社会が変わらなくてもいいと思ってしまいそうになる瞬間がある。私はそこで「いや変わらなくていいはずはないんだ」と思い直す人だけど、そうはならずに、積極的に権利のため活動している方への反感をため込んでしまう人もいるのだろうなと想像する。

自分にできるやり方ってなんだろう。瞬発力で正確に打ち返していくのをずっと続けるのは限界があるし、最近は真正面から反論するとかえって身を固くしてしまう人のことをよく考える。なにか、パッケージにべたっと貼られたシールを、パッケージもシールも傷つけずに剥がそうとする時のような、短い爪をシールのわずかな厚みに引っ掛けてカリカリやる時みたいな、静かで慎重なやり方というのができないかなと思っている。あまりにも抽象的すぎるけど、それは文化とか、人の生活を介して行われるものだと思う。

 

打ち合わせと、その後の雑談で23時くらいまで。雑談の時にKさんがちょっと話題にした「真夜中のギター」のUAによるカバーを聴きながら帰る。ゲイ雑誌の文通欄のメッセージをいくつか読み上げたあと、この曲のリップシンクを披露する、というドラァグのショーがあったのだという。ステージを照らす一筋の光や、乱反射するスパンコールや、空中でほとんど静止しているみたいな塵を、自分で見たわけでもないのにはっきり思い描けてしまって、胸の中に甘やかさと行き場のなさが交互に寄せては返していた。

色々な試み[2023年2月14日(火)晴れ]

昨日と一昨日は気圧のせいかとにかく朝が起きられなかった。昨晩寝る前に天気予報と「頭痛ーる」をチェックして、晴れ予報だし気圧も問題なさそう、これなら朝もちゃんと起きられるはず、と思っていたのだけど、結果は全然ダメ。10時くらいまで寝てしまった。シャワーも浴びず、歯磨きだけして仕事に取り掛かる。鏡に映った自分を見て、寝ぐせが爆発しすぎていて苦笑する。でもこれは昨晩ちゃんと整髪料を落とした証。ドライヤーで乾かさずに寝た証でもあるけど。

 

朝からざっくり書いていた原稿2本の仕上げ。それぞれ1時間ほどで終わる。そのあと、木曜日に配信予定のポッドキャストの最終音源をAnchorにアップする。

最近、この日記ブログの更新が滞ってしまっているのが引っかかっている。その原因の一つがポッドキャストの配信であることは間違いない。時間は無限ではないのだし、何か新しいことをすれば別の何かが手薄になるのは仕方ない。そうは思うものの、やっぱり自分にとって話すことやポッドキャストはサブ的な位置付けのはずなのに、それが日記や書くことを圧迫しているのは本末転倒という気がする。

日記は不定期で、ポッドキャストは週一配信、と決めているのもバランスが崩れている一因なんだろう。しかしポッドキャストはまだやりはじめだし、安定飛行に到達するまでは更新頻度を決めておいたほうがいいと考えている。いずれ隔週更新などになっていく可能性はあるけど、ひとまずもう少し週一をキープしたい。

ただ、日記の更新が滞っているのはポッドキャストだけが原因ではなくて、単純に日記ブログという以外の形態を試したいということもある。エッセイのZINEを構想しているというのもあるし、日記を書くにしても、誰かとの会話や一緒にいた時間をもう少しちゃんと書き込みたくて、そうするとそれぞれの人への確認を出したいのでブログにぽんと出せなくなる。そのような理由で、ここには掲載していない日記もある。

 

お昼ご飯は少し前にカルディで買っていたパクチーラーメン。具なしだと味気ないのでツナ缶を入れる。ツナの出汁がよりアジア風味をアップさせてくれた気がする。腹ごなしにスーパーへ買い物。今日がバレンタインだったことを思い出し、近所のケーキ屋でチョコレートのケーキとプリンを1個ずつ購入。帰ってきたら軽く筋トレ。BGMはリアーナのスーパーボウルのハーフタイムショー。リアーナ、終始余裕綽々で格好いい。

ファン・ジョンウン『ディディの傘』を読む。2つの物語が収録されているのだが、ひとつめの「d」がなぜかいっこうに読み進めることができずにいた。それでもわりと終盤まで来ていたので、残りを集中して読み切る。みんながすごいすごいと言っている小説なのにあんまりよくわからなかったな……と思いつつ、2つめの作品「何も言う必要がない」を読みはじめる。

 

途中でプールへ。2月は全然泳げていない。出張があったし、先週はうまく時間を使えなくて1回しか泳げなかった。そのせいか、持久力が落ちている気がする(そんなにすぐ落ちるのかは不明だが)。そして前にも書いたけど体力的に苦しくなるよりも先に腕や胸の筋肉が疲れてしまう。いわゆる「乳酸がたまる」みたいなことなんだろうか。何か疲労を軽減するスポーツドリンクを飲みながら泳ぐといいんだろうか。クロールと平泳ぎで2200m。

 

帰宅して、夕飯はキャベツとひき肉の豆板醤炒め。そのあとケーキを食べて、恋人がテレビを見ている横で『ディディの傘』。「d」が全然進まなかったのに対し、「何も言う必要がない」のほうはぐいぐい読み進めてしまう。どちらもセウォル号事件以降の韓国社会が舞台で、二つの物語の登場人物は直接言葉を交わすことはないけれどある地点で交わり、すれ違っている。別々の物語が一つの社会の中に織り込まれている様子を描いて、小さなものと大きなものを接続する。それによって、また別の小さなもの=読者やその隣人の生や苦しみがなかったことにされるのに抗う、ような小説。ここまで読むと「d」の重く、何かを引きずるような文体も完全に効いてくる。途中で読むのを諦めないでよかった。

「何も言う必要がない」は同棲しているレズビアンたちの話でもあって、韓国における同性カップルの保証のなさや理解のされなさに加え、「女性二人で暮らしている」ことで向けられる男性からの性加害的な視点についても語られていた。また、女性に対しても三人称を「彼」としたり(斎藤真理子は訳者あとがきで「英語圏で見られる、theyを三人称単数として使うケースとも呼応している」と書いている)、その他の作品でも性別を明らかにせず恋愛関係を描くなどクィア小説としても色々な試みをしているようだ。他の作品も読んでみたい。

 

寝る前にメールをチェックすると、すごく興奮する仕事の依頼が来ていた。受ける以外の選択肢はないが返信は明日することにして、とりあえず今日は寝る。しかしテンションが上がって目が冴えてしまった。寝付けないので、電子書籍で町屋良平『ほんのこども』を買って、読みながら眠くなるのを待った。

楽しい話[2023年2月5日(日)晴れ]

1日から3日まで福岡出張で、一日延泊して市内を観光し昨日帰ってきた。その疲れで起きられないかと思いきや、意外としゃきっと目が覚める。おかげで昨晩力尽きて完成させられなかったニュースレターの原稿に朝から着手できた。今回のテーマは岸田首相および荒井(元)秘書官のLGBTQ+への差別発言について。ニュースレターに書いたからここに繰り返し書くことはしないけれど、本当にひどい。

 

午前中のうちに送信。いつもは読者限定公開にしているのだけど、今回は誰でも読めるようにしてみる。怒りを共有することに意味があると思ったのが最初の、かつ最大の理由。

配信するとすぐ引用RTしてくれる人がいる。誰かの曇った気持ちが少しでも晴れたなら、書いた意味があった。

 

朝ごはんを食べるタイミングを逃して、気づけば11時半。お腹が空いていたが少し我慢して、お昼は恋人とエリックサウスへ。マトンビリヤニを食べた。あたたかいビリヤニにミントの爽やかさがおいしい。私はミントを使った料理がけっこう好きなのだけど、家で作るとつい入れすぎてしまい、歯磨き粉っぽくなってしまう。このマトンビリヤニはミント感がちゃんと感じられつつ、歯磨き粉っぽさはまったくない絶妙なライン。勉強になります。

恋人はカレーを頼んでいた。カレーには調味料や漬物がついていて、少し分けてもらう。グリーンチリソースが辛くておいしい。

 

いったん家に帰宅して、だらだらしたのち新宿へ。コワーキングスペース的なエリアを設けたサウナで仕事をしつつさっぱりしたくて、とりあえずテルマー湯を目指す。しかしテルマー湯、休日はけっこう高い。新宿に向かいつつもまだ心が決まらず、結局やめて目についたドトールで仕事した。日記と、次回のポッドキャストで話すことを簡単に整理。何か楽しい話をしたいなと思う。

作業を終えたら別のもうちょっと安いサウナへ。昨日の朝のホテル以来シャワーを浴びれていなかったのでかなりさっぱり。出張中に疲れていて整髪料を落とさないまま寝落ちしてしまう日が続いていたためか頭皮が荒れていて、指で触れると痛かった。

 

20時ごろ帰宅。久しぶりに自炊する、といっても永谷園の麻婆春雨。近所にあるOKストアの入り口で大展開されており、気になって買ってみたのだった。裏面の作り方を見ると、①フライパンに水と春雨を入れて沸騰させる②具材入りの素を投入して煮詰めつつ混ぜるだけで超簡単。包丁使わなくていいのか。これだけだと物足りないかもと思い長ネギを切ってきくらげを少し足したけど、それでもかなり楽。

恋人は麻婆春雨をはじめて食べるそうで(私もそんなに食べたことないかもしれない)、最初はおいしいのか半信半疑な様子だったが、一口食べて気に入ったらしい。楽な料理を気に入ってもらえて助かる。今後も使えるな。あとはダシダのスープとサラダ。

 

サウナに行くと、体の奥に溜まっていた疲れが表面化してくる感じがする。ご飯を食べたあとはその疲れですぐ眠くなってしまった。

もう少しうまくやれたら[2023年1月28日(土)晴れ]

5時ごろに一度目が覚めたけどまだ日も出ていないし、外が寒すぎたため活動開始は断念。トイレに行ってすぐ布団に戻り、再び目覚めたら9時半だった。1月は寝過ぎている気がする。

恋人も似たような時間に起きてきたので、朝食はマリールゥのパンケーキミックスを使ってパンケーキを焼く。昨年末に買っておいた冬季限定のフレーバーで、シナモン、クローブなどが入っている。普段は豆乳で作るのだけど家に十分な分量がなく、牛乳を使う。そのせいなのかいつもより生地がもったりしている気が。それを考慮して焼き時間を調整すればよかったのかもしれないが、そこまで考えがまわらなくて焦げてしまった。皿に上げたあと裏側を見てみたら真っ黒で苦笑する。「生焼けよりはいいよ」と恋人。私も基本的に生焼けよりは焼きすぎのほうがいいと考えるタイプだけど、それにしても今回はもうちょっとうまくやれた気がする。そして「生焼けよりは焼きすぎ」という考え自体が慎重派というか、粋じゃない気がしてそういう自分の性質はあんまり好きじゃないんだよなあ、というところまで思考が展開してしまう。そんなに悩んでいるわけでもないけれど。はちみつを多めにかけ、焦げた苦味とバランスを取る。

 

来週更新のポッドキャストを編集しながら聞き返す。話題にしているいくつかのコンテンツについて、今の話し方だとその作品を知らない人にとってかなり不親切ではないかと不安になる。テキストと違い、音声メディアは後から補足することが難しい。何度も行きつ戻りつしながら文章を書く自分にとって、一筆書きで、ライブで過不足なく伝えなければいけない喋りは難易度が高い。いざ収録になるとそこまで頭がまわらなかったり、ちょうどいい言葉がうまく出てこなかったりするのだ。

もっとうまく喋れるようになりたいな。話し方教室とか通えばいいのだろうか。「なんか……」とか「ちょっと、あの……」とか言いすぎて冗長なところをトリミングしながら思う。

 

そのまま自室で筋トレ。出かけていた恋人が帰ってきてお昼は焼きそばを作ってくれる。私は斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』を読み進めていた。文学作品を通して韓国の歴史、社会を揺るがしたできごとについても解説する本で、かなり面白い。小説、ドラマなど韓国作品に触れる時の解像度が一段階も二段階も上がりそう。

斎藤さんは『文藝』2023年春季号「批評」特集にも寄稿していて、韓国文学や文学批評の中に出てくる「良い人」「倫理」といった言葉の使われ方について言及していた。韓国の文芸作品の中で表現される抵抗や倫理観、なんというか「それでも良い人であろうとする」というような態度はは自分の感覚とも近い気がしている。『韓国文学の中心にあるもの』を読めばそこには韓国の歴史が重たく横たわっていることは明白で、簡単に重ねていいとは思わないのだけど、背景に何があるのか、どのように表現しているのか学びたい。しかし無限に読むべき本が増えていく。

 

新宿へ移動し、サブナードのDAISO、紀伊国屋書店、カルディとめぐる。DAISOではこの折りたたみテーブルを探していたけど、通路も狭いし人も多いし、地下で空気がこもっている気もするしで見つけられず。じっくり探せばあったのかもしれないけど、長居できないと感じてしまった。

私にとって100均の原体験って地元の複合施設の地下にあったCAN★DOで、小学生の時とか、塾の帰りでバスが来るまでの時間を潰さなければならない時などによく行ってはただぶらぶらしていた。あの頃、売り場は広々していて店内は明るく、どんなものでも100円で買えるのがすごく豊かなことのように感じていた。小学生の自分がはっきりそう思っていたわけではないけど、あの時の気分を今言語化してみるとそのようなものだと思う。

それがいつからか、100均というと今日行ったサブナードのDAISOで抱いたようなイメージが強くなっていったのだよな。豊かさよりも貧しさを感じる場所になってしまった。

紀伊国屋書店では『ディディの傘』のみ入手。カルディではニョッキを購入。私はニョッキが好きだけど恋人は好きではないので、一人の日などに食べる用。楽しみ。カルディも通路が狭くて人が多くて地下だったけど、DAISOほどの居られなさは感じなかった。

 

続いてプール。いつも最初の1000mは止まらずぶっ続けで泳ぐようにしているけど、最近は300mも泳ぐと腕が痛くなってそのあと減速してしまう。体の使い方が良くないんだろうか。腕が痛いよー、と思いながらそれでもなんとか1000m泳ぎ、そのあとは200mごとに区切ってクロールと平泳ぎを繰り返す。合計2200m。

恋人と友人たちが荻窪で飲むというので、いったん帰宅して水着を干して荻窪駅前の鳥貴族へ。詳細はぼかすが、程度の差こそあれどんな場所にも自分のことしか考えず、思慮の浅いクソ馬鹿はいるなという話。ハラスメント気質であったり差別や偏見に対する意識が引くほど低い人と一緒に何かをしなければならない時、頭を使って戦略的に動かなければならないのはいつも被害者の側のほうで、そのことが本当にやるせない。

プールを上がってからずっとワインが飲みたくて、鳥貴族のワイン「トリキレッド」をオーダー。ワンカップみたいな容器に入っており、甘くて飲みやすい。しかし体に合わないのか途中から頭が痛くなってきた。入口に近い席で寒いし、どんどん調子が悪くなっていく……後半あんまり発言できなくなってしまった。23時半くらいに解散。この調子の悪さを明日に持ち越さないといいなあ、と思いながら、帰ってすぐ眠る。

寒波とキャベツ[2023年1月24日(火)曇り]

今週は予定がたくさん入っている日と全然ない日が交互にやってくるスケジュールになっていて、今日はない日。午前中、先日のインタビュー原稿を見返して仕上げる。恋人が家にいないのでお昼は一人で、キャベツを千切りにして「無限キャベツのもと」とあえたもの、それから昨晩スーパーで買った惣菜のささみ揚げ。千切りとかみじん切りとか、たくさん切らないといけない料理は面倒で、ぱっと食べたいお昼にするには億劫だったのだけど、それしか食べるものがなかった。だるいなー、と思いながら切る。しかしいざやってみると予想していたよりはだるくなかった。店で出てくるような細い千切りを目指さなかったこと(幅7〜8ミリでOK)、使用したキャベツの量が1人前1/8玉ほどと少なかったので調理しやすくまな板の上が散らかりすぎずにすんだことが勝因と分析。昨日からずっと野菜を欲していたためわしわし食べられてうれしい。求めている食べ物を的確に突き止めて自分に食べさせてやれるのは、セルフケアしてるな〜、という気持ちになれる。

 

午後は日記を書き、週末の会議に向けて企画を考え、膝コロとスクワット。膝コロは去年に自己流でやって腰を痛めた失敗から学び、正しいフォームを意識して行っている。動きを確認するなら動画だろうと思ってYouTubeを色々と調べたのだけど、なるっちょさんという方のこの動画(上裸です)がかなりわかりやすかった。腕と脚が「ハ」の字になるように動く、というのを実践してみると、腰が痛くなることも前腕に力が入ってしまうこともなく腹筋に負荷がかかっているのがわかる。これは楽しい。スクワットも膝を曲げるのではなく、お尻を下に落とすのを意識。合計で10分もやっていないけど、体の動きに集中していると他のことをあまり考えずに済むし、気分転換になっていい。

 

来週に迫った出張のオンライン打ち合わせをして、夕方からプールへ。大寒波が来ているらしい。気圧のせいなのか風も強くて、冷たい風がびゅうびゅう吹くと耳がちぎれそう。上半身は着込んでいたが下半身は普通のスウェットだけだったので、風が吹くたびに繊維の隙間から入り込んだ冷気が容赦なく脚を打つ。

これだけ寒ければプールも空いているだろう。温水プールは意外と暖かいと知っている私ですらやめようと思ったのだから。そう踏んでいたけど、意外と混んでいた。10代の学生らしき集団が、団体コースではなく個人コースでいくつかのレーンに分かれて泳いでいた。あれはなんだったのだろう。水泳部にしては泳ぎ方がゆるいし、かといって授業というわけでもなさそうだった。今日は2700m泳いで終了。

 

帰りの電車、車内のディスプレイで東京電力が家庭向けの電気料金3割値上げのニュース。3割ってなかなかすごいな……物価の上昇に賃金が追いついていなくてつらい。しかし経済のことがよくわからないからこれは間違っているかもしれないけど、こんなふうに物価の上昇が顕在化すれば賃金も上がりやすかったりするのだろうか。でも物価の上昇を賃金の上昇がただ追いかけるだけだと生活が楽になるわけではないし、どうせ上流で多めに取られて下の方まではあんまり行き渡らないんでしょ、とつい思ってしまう。
そして仮に賃金上昇が広く行き渡るとしても、それが一介のフリーランスライターの原稿料に反映されるのは時間がかかるのではないか。拡大傾向にある業界なら末端の賃金上昇も早そうだけど、出版は縮小傾向だ。お金のことを考えると憂鬱になる。防衛増税も嫌すぎだし……

 

恋人の帰りが遅くなるというので、家でチョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』を読み切る。以前買って読めずにいた『寝そべり主義者宣言』を読みはじめたところで帰宅の連絡があり、じゃがいもとわかめの味噌汁、サラダ、キャベツとひき肉のオイスターソース炒めを作る。キャベツ尽くし。ここしばらく料理が楽しくなくてサボりがちだったのだが、夕飯のキャベツを千切りしている時にそのフェーズを抜けた感覚があった。また戻るかもしれないけど。

恋人は仕事が終わっておらず、食後にプレゼンの練習をするという。リビングで読書は集中できなそうだったので(自室は寒すぎるし暖房をつけるのも気が引けた)、ノイズキャンセリングイヤホンをして『本気のしるし』ドラマ版を3話まで見る。今のところヒロインにあたる葉山浮世の言動がわけわからないが、最近はこういう理解不能な人物が出てくる作品に妙に惹かれてしまう。それは女性の神秘化と紙一重な気もするけど、友人らなどの評判を聞く限り全部見る前にその判断を下すのは拙速な感じ。少しずつ見ていきたい。

と、思ったけれど[2023年1月20日(金)晴れ]

朝から月曜日の取材の文字起こし。しばらくインタビュー系の仕事が少なかったし、あっても忙しくて後輩に文字起こしをお願いしていたため、自分でやるのが久しぶりだった。火曜日くらいからみょうに手首が痛く、再生速度を追いつかないなー、と思いながら作業する。

11時からオンラインで打ち合わせ。チェックイン(近況報告)の時、Hさんが「地元(静岡)の本屋さんがストーリーズで(いちながを)紹介していましたよ!」と教えてくれてうれしかった。「セレクトのいい書店さんがよく置いてくれるんですよ」と返す。なんか自慢みたいになってしまったが本当にそういう書店さんに支えてもらっているのだ。

 

1時間ほどで打ち合わせ終了。このまま文字起こしを終わらせようかと思ったけど、お腹が空いてきたし家に食べ物がないので近所に食べにいく。昼食後は多分眠くなるから、頭よりも手や耳を使う文字起こしにあてたほうが効率がいいと思った。昼食後に文字起こしをしながら寝落ちしたことも何度かあるが、今日はそんなに寝不足でもないし、多分大丈夫だろう。

オムライスを食べて、帰ってきて、文字起こしの続き。最中、ふと自分が息を止めていることに気づく。ハムスターみたいに頬を膨らませて、ちょっと苦しくなったらふーっと吐き出す、という動作を無意識にしている。考えてみると原稿が行き詰まっている時も同じことをしている気がして、集中するとやりがちなのかもしれない。ただでさえ文字起こしは自分のインタビューの至らなさを直視しないといけなくて苦痛なのに、息まで止めて肉体的にも苦しい思いをしているって一体……無意識の行動だからすぱっとやめるわけにはいかないけど、気づいた時には意識して呼吸を整えたりしよう。

そしてこの無意識に息を止めてしまうことについて考えていて、川上未映子さんが「シャンプーが苦しくて苦しくて仕方がなかったが、それは無意識に息を止めていたからだったと気づいた」と何かのエッセイに書いていたのを思い出す。「力いっぱい奥歯を噛み締めていた」だったかもしれない。当時は「そんなことあるのかな」と思いつつ笑っていたが(面白く書かれたエッセイだった)、今ならわかる。

寝落ちせず、酸欠にもならずに無事文字起こし完了。今日が締め切りの原稿を最後にもう一度見直してから送信し、編集で関わっている本の原稿を読み進めていく。

 

そうしているうちに17時。Rina Sawayamaのライブへ行くため、準備して国際展示場へ向かう。昨年のサマソニのステージの話や私のタイムラインの様子を見ているとクィアからの人気が圧倒的で、今日のライブもそんな感じなのだろうか。以前買ったものの派手すぎて着ていく場所がなかったNOMA t.d.のシャツを着ていくことにする。胸元に花の刺繍があるもの。

駅に着くと中央線の先の駅でトラブルがあったみたいで、通常通り動いている総武線のホームに人々が大移動するのが見える。もう少し早めに出ればよかった、と思いながら、イヤホンを外してアナウンスに耳を澄ますと、トラブルは速やかに解決し、すでに運転を再開するとのこと。ほっとして、中央線のホームへ向かう。ほとんどの人が総武線のほうへ移動してしまったので、電車はがらがらだった。

 

タイムラインを見る限り、知り合いがとてもたくさん行っているみたいだった。だから誰かに会うかと思ったけれど、意外と知り合いには会わなかった。国際展示場駅のトイレで、今の恋人と付き合う前に一度リアルした男性を見かけたが、それも相手には気づかれなかったと思う。マスクをしていなかったらどうだっただろう。

政府が屋内でもマスクの着用を原則不要とする方針を検討しているとニュースで見ていた。新型コロナも5類に引き下げ。5類の是非についてはよくわからなくて、コロナの情報をほとんど追わなくなってしまったことを痛感する。マスクの着用不要に関しては、ちょっと嫌だなと思う。飛沫、という概念があまりにも身についてしまった。今は街中でマスクをつけていない人はいくらでも見かけるから慣れてきてしまっているけど、それでも電車などで近くにマスクをしていない集団がいたら少し距離をとるし。これもだんだん慣れて考えなくなっていくだろうか。

それから、単純に顔が隠れるのも気楽だと感じていた。目元しか見えないコミュニケーションは最初は不安だったけど、今では自分の表情が隠れることにかえってやりやすさを覚えている。まあこれは感染対策とは関係ないけれど。そしてどちらにしても、もうすぐ春だ。つまり花粉の季節なので、しばらくはマスクをつけ続けることになるのだと思う。春がすぎて、梅雨や夏になったらどうだろう。蒸し暑くてマスクをつけないことが増えていくかもしれない。2023年の梅雨や2023年の夏を少し思い浮かべる。

 

自分の席へ向かう途中、ビールが売っていたので買う。今ちょうど向かっているという恋人にLINEで「いる?」と聞くが、電波が悪くてなかなか送れず、送信中を示す左上を指す矢印が消えない。いらないと言われたら一人で2杯飲もう、と思ってとりあえず2つ頼む。手が塞がってしまう。座席の番号を頭で繰り返しながら向かった。座席に着いて恋人からのLINEを確認。ビールはいらないということだった。一人で座って、ゲイクラブみたいなBGMを聴きながらだらだら飲んで、10分くらいして恋人が到着。19時を10分ほど過ぎたところで客電が落ちて、ライブがスタート。

Minor FeelingsからはじまってHold The Girl、Catch Me In The Air、Hurricaneと最新アルバムの曲を続けてパフォーマンス。その後もFrankenstein、STFU!など、好きな曲をたくさん聴けてよかった。「LGBTQコミュニティに捧げる」と言って歌われたChosen Familyも素晴らしかったし、「彼女がいなければアーティストを目指さなかったと思う」と宇多田ヒカルのFirst Loveのカバーを披露したのもレア。アンコールで披露された「This Hell」のクィアネスに満ちた祝祭感はすごく勇気づけられた。

ライブは1時間ちょっとと、時間的には短め。バンドはギターとドラムのみとミニマルな編成で、個人的にはフルバンドでもっとゴリゴリの演奏が聴きたかったと思う(Rinaの歌声も、ギターとドラムの演奏もパワフルだからこそなおさら)。ダンスやステージングもそうだけど、ディーバのライブでよく見る過剰な感じがなくて、スマートだなと感じた。キャンプじゃないというか。

パフォーマンス、MC含め、どこまでも真面目な人という印象を受けた。そこを自分は好きだなと思うし、会場が祝祭的な空気に満ちていたのも真面目さゆえだと感じる。テンション上がりながら同時になんだかしみじみとした気分になった。

 

ライブが終わり、感想を言い合いながら恋人と帰る。途中、蟹ブックスの花田さんから今日発売の『ノンノ』でいちながを紹介したよと連絡がある。広く届きそうな紹介の仕方をしてくれていてありがたかった。もうすぐ発売から3ヶ月で著者的にはひと段落みたいな気持ちがなくもないのだけど、こうして話題にしてもらえると引き続き届く人のところに届くといいな、という気持ちになる。

人間なかなか変わらない[2023年1月8日(日)晴れ]

誕生日。朝起きると家族や友人の何人かからメッセージが届いている。29歳から30歳になる時はそれなりに感慨深かったものだけど、30歳から31歳は驚くほどなんとも思わない。そのためメッセージの返信も紋切り型になってしまう。特別感が持てないのに特別っぽくしなければいけない時ほどつらいことはないので、特にSNSとかには書かず(去年は書いたけど)黙っていようと思う。

私はクリスマス、正月、誕生日がおよそ1週間おきにやってくるので、年末年始はかなりイベントフルになる。しかも今の恋人は12月末が誕生日。何年か前まではそれを楽しいと思っていたが、今はただ「渋滞しているな」と思う。あと誕生日って「素敵な1年を過ごしてね!」と言われるので何か返答を考えなければならないけど、それ1週間前の正月にやってるし……。

 

今日は仕事はしない予定だったので、午前中はゆっくり過ごした。お昼は昨日、母親が誕生日祝いにと送ってくれた富山の鱒寿司。恋人と二人で1ホール(というのだろうか)食べる。2ホール送ってくれていて、もう一つは昨晩食べた。恋人は「一生分の鱒寿司を食べた」と言っていた。

日中は佐々木敦と児玉美月が恋愛映画について語り合う対談本『反=恋愛映画論』を読んでいく。一つ一つの作品の読み解きもそうだけど、児玉さんがある映画が話題に上がった時に別の映画に接続して語る情報量の多さに圧倒される。あとこれは二人ともだけど複雑なものを複雑なまま語る語彙がかなり豊かで、その豊かさがそのまま解像度の高さに通じている。監督、脚本、テーマ、俳優の演技、時代性といった複数のパラメータが関わってくるし、登場人物の行動にも功罪両面があって白黒はっきりつけられない。ともすれば「色々あるよね」と散漫になってしまうところを、ちゃんと一本の筋を通して自分の視点から映画を見ているのがわかってものすごく刺激的。2章まで読んで、観た映画は目次に名前が出ている作品のうち半分くらいなのだけど、他の作品も観たくなった。特に『本気のしるし』は友人も激推ししていたし、観ておかなければ。

児玉美月さんは先日観た『そばかす』のパンフレットにも寄稿していて、それもすごくよかった。今一番尊敬している書き手のお一人。

 

恋人がジムへ行くというので私も出かけることに。今日はサウナに行きたかった、というか外気浴がしたかったのでアクア東中野へ。この銭湯は小さな屋外プールが併設されていて、泳ぐのは難しいけど大きい水風呂みたいな感じで解放感があって気持ちいい。夏場は水風呂よりは水温が高いが、今は同じくらいかもしれない。サウナ→屋外プール→プールサイドで外気浴、を3セットほど繰り返す。すっきりした。

電車に乗って帰宅。その最中、久しぶりにTBSラジオ荻上チキ・Session』をタイムフリーで聞く。岸田総理の年頭記者会見。少子化対策のところで「子ども家庭庁が4月に発足する」と言っており、あー、、という気持ちになる。結局この名前のままなのか。
当初の案では「子ども庁」だったのが自民党保守系議員の「子どもは家庭でお母さんが育てるもの」といった意見を受けて「子ども家庭庁」になったとされており、旧統一教会の関与も疑われている。政府は影響を否定しているけど、どちらにしても旧態然とした家族観を強めてしまう嫌なネーミングであることに変わりはない。親からの信仰の強制によって苦しむ宗教二世の方がいる中で、子どもと家庭をわざわざ結びつけなくてよいのでは。苦しんでいる宗教二世に限らずたとえば虐待サバイバーの人にとっても受け入れにくい名称だと思う。結局、周縁化された人を取りこぼさないようにしようという意識がないのだと感じる。子ども家庭庁という名前に限らず、政治のいたるところでその態度を感じ取ってしまう。

 

話は変わるけど、23年に発足するものといえばインボイス制度もある……。先日今年初めての出社をしたら、定例ミーティングでインボイス制度についての簡単な説明があったのだった。その流れで「どうするの?」と聞かれ、「ちょっと登録しないで様子見たいんですよね。嫌なので」と返す。まあ「嫌なので」で免れられるものでもないのだけど……これ、みんなどう考えているんだろう? 制度自体には引き続き反対だけど、そろそろ導入開始したあとの行動も現実的に考える必要がある段階なのでは。色々な人に話を聞きたい。

 

18時半から地元のビストロで恋人と誕生日のお祝い。今月は仕事が暇なわりに人と遊ぶ予定がたくさん入っていて、これでいいのかなーと思う、というようなことを話す。この日記でも何度も何度も書いているけど、私は仕事がない状況に対していつも必要以上に不安になってしまう。もっと「生きていけるならいいじゃん」「暇でラッキー、今は目先の仕事以外に時間を使おう」と思えるようになりたい。というか、そうならないと安定してお金を稼いでいるうちに人生が終わる気がする。そしてそんな人生を回避するには、暇でちょっと収入が少ない状況に身を置くのが手っ取り早い。……まったく同じことをフリーランスになってから何度も考えている。この結論にたどり着くのも今回が初めてではない。人間なかなかすぐに変われるものではないな。とりあえず一月は遊びまくろう。そのうち何かが変わるだろう。

 

店を出る時までずっと親切な接客をしてくれるお店だった。赤ワインを2杯飲んだだけなのに酔っている。帰りにヴィレッジヴァンガードに寄り、グミを買った。だいぶ前に流行っていた「地球グミ」をはじめて見たのでそれと、「レインボーグミ」という韓国のグミ。「レインボーグミ」はパッケージにユニコーンと虹が描かれていて、(クィアじゃん)と思ったので。恋人が「誕生日だし買ってあげようか」と言ってくれたが普通に自分で買う。

 

帰宅してさっそく地球グミを食べてみる。弾力があると聞いていたが、グミっていうよりむちむちとしたマシュマロに近い食感。味も甘ったるい。私はとにかく固くて酸っぱいグミが好きなので、ちょっと期待はずれだった。自分で買ってよかった。

『反=恋愛映画論』を読み進めたかったが、酔っぱらっていて文字が追えず。ワインは気持ちよく酔える時とそうでない時の差が激しい。水をたくさん飲んで寝る。