ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

最後の1枚[2023年6月1日(木)晴れのち曇り]

8時ごろ起きて、先週の出張の取材原稿を書く。大きく二つのパートがあるのだけど、昨日のうちに一つ目のパートを途中まで進めていた。もう半分をちゃっちゃと終わらせたくて、早めに起きることに成功した。何かの本で読んだけれど、人間はやりかけの作業は進めたくなるものなのらしい。だから気が乗らない仕事の時ややる気が出ない時は、重い腰を上げて一気にやるというのではなく、ひとまず少しだけ手をつけるといいのだそう。なんでもないことのように自分を騙して、やりかけの状態を作ってしまうのだ。別に今回のは気が乗らない原稿ではないが、こういう仕事のコツみたいなものは多少状況が違っても応用できる。

午前中に9割ほど書き終え、お腹が空いたのでお昼ご飯を作る。卵が1パック300円近くなってしまって、使うのがうっすらと後ろめたい。だけどやっぱり溶き卵のオレンジや、ごま油で炒めた時の優しい黄色は食欲をそそる。冷蔵ご飯、ツナ缶、先に軽く炒めておいたキャベツを混ぜてチャーハンを作った。二人前。皿に盛ってテーブルに持って行くと、恋人が紅生姜を用意していて(センスがいいな)と思った。鮮やかなピンク色が淡いチャーハンの色を引き立て、おいしそうに見える。ちなみに紅生姜はすき家をテイクアウトした時にもらってきたものの余り。今日使い切ってしまったので、また今度すき家に行った時にもらってこよう。

 

食後に残りの原稿を書き終え、身支度をして映画の試写会へ。『アシスタント』。名門大学を卒業し、映画プロデューサーになる夢を抱いて有名エンターテインメント企業に就職したジェーン。業界の大物である会長のアシスタントとして働き始めたが、任されるのは平凡な事務作業ばかり。そして華やかなパブリックイメージとは裏腹に、オフィスでは残業や休日出勤が、ハラスメントが常態化していた。その仕組みを、誰もが見て見ぬふりをしてやり過ごしている。激しい競争を勝ち抜いて今の職を手にしたジェーンには、自分の代わりがいくらでもいることも、チャンスを掴むためには今ここで耐えるほうがいいこともわかっている。

映画が進んでも物語がいっこうに進まず、何が起こっているのか把握できない。その把握できなさこそが、ジェーンが置かれた状況を追体験するものになっている。下っ端には何が起こっているのか知る機会はなく、ただ与えられたことをこなすしか選択肢がない。

見ていると、抑圧の記憶や構造に加担した経験が蘇ってきた。ただ、無機質な映像と冷たい音、時折挿入される悪い夢のようなユーモラスな瞬間によって、映画には妙な非現実性が漂っていて、生々しくて苦しくなる、ということはなかった。手応えというものが、痛みにおいてさえないというか。

『アシスタント』を撮ったキティ・グリーン監督はドキュメンタリーを多く手がけていて、本作はフィクションだが、数百人の労働者へのリサーチとインタビューが重ねられている。静かに問題を突きつけてくる映画で、どう感想をまとめていいのかがわからない。

見終えたあと、配給のIさんに「これまで描かれてこなかった人たちの体験がこうして90分の物語になることで、何かが変わるきっかけになるかもしれませんね」と言ったのだけど、それは何か感想を伝えなくちゃ、という焦りによる部分が大きくて、半分は本心だけど、もう半分は映画のメッセージ性から客観的に導き出される感想でしかなかった気がした。

借り物の感想を取り去って、言い直すとしたらどうなるだろう。想像してみる。

 

「これまで描かれてこなかった人たちの体験がこうして90分の物語になることで、何かが変わるきっかけになるかもしれませんね。でも、本当にそうなのでしょうか。奪われた力を、塞がれた声を取り戻すのは容易ではないし、敵はあまりにも大きすぎますよね」

「短期的な変化を期待したり、登場人物や観客に背負わせるのは酷だし、構造の問題を指摘したところでそんなこと当事者はとっくにわかっているのではないかという気がします。だから、ジェーンが何もできずに疲れ果てて帰るというところに、監督の誠実さがあると感じました。無力さに寄り添う優しさと、宙吊りにして突き放す厳しさの両方が共存するラストシーンだったと思います。大きすぎる構造の中で、人は被害者でもあり加害者でもあるから」

 

プールへ。2週間ぶりだったので今日は2000mに留めておく。帰ってスーパーで夕飯の買い出し。生クリームを手に取って、こんなに高いのかとびっくり。明日はカオマンガイにしようと思っていつも使っている素を買おうとしたら、いつものコーナーに置いていなくて取り扱いを終了したようだった。どこか別のスーパーで手に入るだろうか。
家に着いた時、恋人はまだ仕事をしていた。「忙しい? さっと食べたい?」と聞くと「いや大丈夫」と言うので、ちょっとコース料理風にすることにした。まず豆と玉ねぎのコンソメスープとトマト、キャベツのアンチョビ炒め(S&Bのシーズニング)。それらを一通り食べたらパスタを茹でる。

書いていて気づいたが、コースにするならスープとトマトとキャベツを一度に出しては駄目である。これではただパスタを後出ししただけだ。まあでも、そもそも私が炒め物とパスタを同時に作ろうとすると頭がパンクしそう(シングルタスク人間なので)というだけで、コースっぽくする必然はなかったので別にいい。私の頭がパンクしなかっただけで御の字。

パスタは恋人が前回のイタリア出張で買ってきた乾燥ポルチーニを使ったクリームパスタ。おいしくできたと思う。

 

プールの疲れが出ていて眠かったが、恋人に「一人で行くのさみしいからついてきて」と言われてコンビニへ。正直めちゃくちゃ面倒だったが、「ぶー(私の愛称)が夜に一人でコンビニに行くのがさみしいからついてきてって言う時についていってあげたこと何度もあるのに、立場が逆になるときてくれないんだね」と言われてしまい、断れない。スーパーで買い忘れた豆乳を買う。それだけではなんとなくもったいない気がしてスナック売り場をうろうろするが特にほしいものがなく、なぜか韓国海苔を買った。帰ってきてもそもそ食べる。「12枚入り」と書いてあって、5枚目くらいまでは数えていたのだけど途中からわからなくなり、気づくと最後の1枚だった。