ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

ソフトランディングがいい[2021年2月18日(木)晴れ]

コーヒーを飲むとしゃきっとする、というのは気持ちの問題だと思っていたし、夕食のあとにコーヒーを飲んでも普通に眠れるタイプだったので、カフェインのことをまともに意識したことがなかった。それがここ二週間ほど、カフェインが効いているかどうかが如実に体調を左右するようになってきている。

ロキソニンを飲んでも頭痛が治まらなくて、原因を考えたら数日コーヒーを飲んでいないだけだったということがあるし、思考が澱んでいて全然原稿が進まない時にコーヒーを飲むと脳の霧が晴れるような感覚になる。今日もそうだった。会話に飛躍や混線が多い人の文字起こしを見て原稿を書いていたのだけど*1、文章をうまくほぐして整理することができなかったり、細部まで意識が行き届かなくて語尾が単調になったりしていた。

これは間違いなくカフェインが切れてるんだろうな……と思いつつ、認めたくなくて白湯を飲んでいたのだが、あまりにも書けないので観念してコーヒーを淹れる。マグカップの3分の1ほど飲んだだけで頭が冴えていく感覚があり、原稿もいつも通り書けるようになった。嫌だなあ、と思う。カフェインであれなんであれ、何かに依存するのは不安だ。

「カフェイン断ち」で調べてみると、「離脱症状の時は壮絶なつらさだったけど、やってみてよかったです!」という記事がたくさん出てくる。一大試練を乗り越えてハッピー、みたいなのはきついなと思う。できれば少しずつ減らしていって、なくても平気な体質になっていきたい。何事もソフトランディングがいい。

 

昼はミートパスタ。これだけだと足りない気がしたのでゆで卵も作る。パスタを茹でる湯に一緒に入れて作る。冷水で粗熱をとったりしなかったので、殻を剥く時に指の腹が熱い。「こうやって指の皮が厚くなって、大丈夫になっていくのだから」となぜかぼんやり思って耐えた。

食後、今日が締め切りの原稿2本を最終調整して提出。その他、ゲラの確認や制作中の媒体の寄稿依頼など。このところずっと忙しくてキャパオーバー気味だったのだが、ようやくちょっと収まってきた。ただ、業務量は落ち着いてきても気持ちはまだのようで、なんだか常にそわそわしてしまう。夕方はプールに行きたかったのだけど、なんとなくパソコンの前から離れてしまっていいのかわからなくて、そうしているうちに行きそびれてしまった。

今は近所のプールが改修のため休業中で、数駅離れたプールに行かないといけないという状況も災いしていると思う。昔よく利用していたがちょっと離れたところにあるAと、行ったことはないけどもっとも家から近く、ただし最寄り駅から15分くらい歩かねばならないBという2つのプールがあり、どっちに行けばいいのか決めかねている。コロナや緊急事態宣言への対応も各プールごとにばらばらで、おそらく何かしらのイレギュラーな対応に迫られるだろう。

正直、こうして書いていると本当にどっちでもいいことで悩んでいるなと思うし、コロナの対応なんて行ってみないとわからないしそんな難しいことを要求されるわけでもないのだからとりあえず行けばいいじゃんと思う。でも、判断基準がたくさんあると思考がまとまらなくてフリーズしてしまうようなところが私にはある。判断をするための部屋の手前に分厚く硬い扉があり、その扉にたくさんの判断基準が色とりどりのスーパーボールのように跳ねてぶつかっているような映像が浮かぶ。

 

夕飯ははじめて作る料理で、鶏胸肉とじゃがいもを豆板醤ベースのたれで炒め煮にする。たまたま見つけたこのレシピに、使わないままで発芽しまくってしまったじゃがいもをあわせて作る。

作りながら、最近聞けていなかった「荻上チキ・Session」を聞こうかと一瞬思うも、やめて特に関係ない音楽を聴く。どうやら爆弾級の問題や問題発言が続出しているっぽいのを見て辟易してしまい、社会のことをきちんと追えていない。

ここのところ忙しかったせいもあって目の前の仕事や自分の生活だけ考えていて、それはとても穏やかだった。でも、見なければ穏やかでいられるというのも、居心地が悪いし違うなと思う。

 

じゃがいもを入れるタイミングがいまいちよくわからなかったが、恋人もまだ帰ってこないし、すぐ食べるわけではないから余熱で火が入るだろうと思って、最後のほうの適当なタイミングで入れた。最終的にはちょうどいい感じに仕上がったと思う。

スノーマーチという、男爵のようなかたちだけど煮崩れしにくいじゃがいもを使ったのも良かったのかもしれない。スノーマーチは冬に採れるじゃがいもで、もうすぐ春だし、だから次に作る時は手に入りやすい男爵あたりで作ることになるのだろう。その時は余熱で火が通るのを待つ時間もないかもしれない。だからこれが唯一のやり方ではないし、その時にまた考えればいいのだと思う。

*1:ちなみに、それが悪いということではない。思わぬ方向に話を進めてくれる人のほうが面白いことになる場合は多いし、その爆発力と文字で読んだ時の整合性のバランスをとるのがライターの仕事でもある