ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

伏線など[2023年6月5日(月)晴れ]

朝から出張原稿の見直し。2パートあるうちの二つ目のパートの仕上げ。私は原稿を「1ざっくり書く(完成度5〜6割)」「2文章を整える(完成度7〜9割)」「3仕上げ(完成度10割)」の3段階で書いているのだけど、今回は2の段階の完成度が高かったおかげで、あまり手を入れずに済んだ。午前中に終わらせて、支度をして新宿へ。

 

ケイズシネマで映画『老ナルキソス』を見る。この映画のパンフレットの制作に編集として関わっていて、今日は上映後のアフタートークに出ることになっている。制作時にオンラインでは何度か視聴していたのだけど、劇場で見ると暗闇の黒色はより深く沈み、明るいシーンはより眩しく、何倍も映画の世界観が伝わってきた。ゲイでナルシストの老絵本作家・山崎(田村泰二郎)の顔にきざまれた皺や体のしみ、ゲイ風俗で働くレオ(水石亜飛夢)の無自覚な美しさも大画面で見るとより対比が効いている。他にも、細かいシーンで「ここはこういう演出になっていたのか」と気づくことが色々とあり、やっぱり映画って劇場で見た方がいいんだなあとなんだか当たり前のことを思った。監督も「今回は特にぜひ劇場で見てほしい」と言っていたので、こだわったのだと思う。

 

エンドロールの最中にそっと劇場を抜けてロビーへ。東海林監督、パンフレットのデザインを担当した潟見さんと合流し、簡単な流れの打ち合わせ。東海林監督が先に出て行って挨拶したあと、呼び込まれて潟見さんと二人で出ていく。

今回は映画のパンフレットとしてはかなりこだわった内容で、寄稿陣も豪華だし、そもそもボリュームがすごくて96ページある。主人公の山崎が青春時代を過ごした70年代に刊行されていたゲイ雑誌をモチーフにしていて、キャストの方や(なぜか)監督のゲイ雑誌風グラビアや、「文通欄」の再現コーナーなんかも入れてある。

まだインターネットもない当時、ゲイの出会いのツールとなっていたのが雑誌の後ろのほうについている「文通欄」だった。恋人や友達を募集する100字強のメッセージを書いて編集部に送ると次号に掲載され、いいなと思った人からまた編集部経由でメッセージが届く仕組みで、投稿してから返事がもらえるまでには数ヶ月かかる。当時のゲイの人たちは、その時間をじりじりしながら待ったのだった。そしてそういう仕組みなので、メッセージもしっかり好みの人にアピールできるようめちゃくちゃこだわっている。

寂しさと性欲が波のように打ち寄せ、絡み合うその文章を、今読んで、「面白い」と純粋に言っていいかはわからない。だけどこの先二度と同じものは生まれない、この時代のゲイカルチャーを象徴するものではあるのだと思う。私はその再現コーナーのテキストをすべて自分で書いたので(パンフレットの制作で一番大変だった……)その話なんかを少し。作っている時は言葉遣いなどの再現性を意識しながら、だけどそうやって強い思いを込めて当事者の方達が投稿したものを、あざ笑ったり、収奪したりしないようにしたいと考えていた。そのことを話そうとしたのだったけど、ちょっとテンパっていてうまく言えなかった気がする。

トークは20分ほどなのであっという間。最後に告知があれば、と話を振られたのだが、自著の話をするのはもういいかなと思って、パンフレットの表紙を描いてくださった海老原靖さんの個展が明日からあります、という話をする。そうしたら監督がやや困った感じで「こういう時はだいたい自分の告知をするんじゃ……」と言われ、慌てて自著の宣伝。しどろもどろになってしまったが、監督が「コロナ禍の3年間、同性のパートナーと暮らしながら考えていたことの日記で、今読むと当時のことってすごく昔に思えて面白いので、みなさんもぜひ読んでみてください」とフォローを入れてくれる。多分、今日のトークにあわせてその紹介を用意してくれていた。

ちなみに自分の本の話で言うと、2021年の日記の中に、東海林監督の『片袖の魚』をケイズシネマに観に行き、監督とイシヅカユウさんのアフタートークを聞く、という話がある。それから2年が経って、自分がケイズシネマでその監督とトークをしているのだから不思議だ。客観的に見ると「エモい」「伏線回収」という感じがするが、生きることは物語と違うので伏線とかない。だからただ単に面白いなあと感じる。

 

トークを終えたらお腹が空いていた。潟見さんと一緒に近くにあった合作社という台湾料理のお店に入る。私はルーロー飯をオーダー。ふつうのご飯茶碗くらいの器に、甘辛く煮た豚肉と煮卵がのっている。「本場っぽいですね」と潟見さん。日本のルーロー飯は大きめの丼に入っていることがあるが、台湾ではこんなふうに量が多くないものが主流なのだそう。食べつつ、先週タックスノットに遊びに行った時に飲みすぎて後半記憶がない話とか(あんまり見たことないくらい楽しそうにしてましたよ、と言われて若干怖い)、7月に韓国のクィアパレードに参加しようと思っているので、どのへんに泊まるのがよさそうか相談するなどした。

 

仕事をしに家に帰る。改札をくぐってからインスタを開き、国会前で入管法改悪反対の大集会があることを知る。仕事が片付いたら行くことにしようと思って、ちょっと急いで帰って作業。6時半くらいに家を出て、近所のタイ料理屋でカオマンガイを食べ、電車に乗って国会前へ。電車の中で目を閉じる。ここ数日うまく頭が働かなくて、何かを考えようとすると電源スイッチを指で押し込まれているみたいに眠くなる。

途中でメッセージに返信せねばならず少し遅れてしまったのだけど、19時半ごろに到着すると国会前はすでにたくさんの人。列の後ろに並ぶ。

国会前のデモには何度か参加しているけれど、今日はこれまでの中でスピーチが一番よく聞こえた。スピーカーが良いからなのか、風向きも関係しているのか。LGBTQI+支援サークル東京大学TOPIAメンバーの方、中央大学の田内信善さんなど、学生の方々のスピーチが力強くて印象に残った。TOPIAメンバーの方は、プログレスレイインボーフラッグを背負って登壇し、「そうすべきかとても迷った。別イシューの活動を持ち込むことになってしまうのではないかと」と語っていた。その上で、「しかし性的マイノリティの外国人は二重の差別を受ける。だからこの旗を持ってくることで、自分はレイシズムにもセクシズムにも反対すると言うことを伝えたかった」と続けていた。

話を聞きながら時々Twitterを見ていたのだけど、主に流れてくるのは入管法改悪のこと、トランスジェンダーであることを公表している中岡しゅん弁護士への殺害予告のこと、それから香港でレズビアンカップルが襲撃されて命を落としたが、二人の関係性がレズビアンではなく「友達」と報じられていること。香港のニュースはまだ全貌がわかっておらず、襲撃を受けている最中の映像もアップされているようで、ちょっと見たら立ち直れなさそうなのできちんと情報にアクセスできていない。でも、情報をつなぎあわせるとレズビアンであることを理由に襲われたヘイトクライムのようなのに、「友達」とされたら問題の本質が隠されてしまうのでは? 

なんか、ひどいことがあまりにもたくさん、同時に、起こりすぎではないか。ヘイトが人の命をおびやかすことはこれまでもあったけれど、加速的に身近なものになってしまっている気がする。入管に蔓延しているのだってゼノフォビア、ヘイトだし、強制送還の機能を強化する「改正案」も人の命を軽んじている。

#FREEUSHIKUのTwitterアカウントが、強制送還された難民・難民申請者のその後をまとめたページをシェアしていた。人が死ぬかもしれないこと、それを防げないかもしれないことに途方に暮れる。

集会は20時半までの予定だったがすでに21時を過ぎていた。長引いたことで途中離脱した人もいたのか、少しずつ列が前に動いていく。流れにそって歩いていくと、警備の警官数人が近くにいるあたりで止まる。そこへ歩いてきた別の警官が「少しずつ減ってきちゃってるから(そのあとに何か一言、二言言っていたが聞き取れなかった)」と言うと、小さな笑い声が上がった。

最後にスピーチをしたのは児玉晃一弁護士。「今日、諦めている人はいないですよね?」「私は諦めません。なぜなら私がやっていることは正しいことだから」

 

胸の中にたくさんの気持ちがつながらずに転がっていて、なんとなくまだ帰りたくなかった。少しだけタックスノットに顔を出そうか迷って、でも明日もあるし、すごく眠いし、やめておく。土曜日に映画『aftersun』を見てからずっと聴いている、QueenとDavid Bowieの「Under Pressure」を再生しながら地下鉄に乗る。ずっと外で立っているうちに思ったよりも汗をかいていたようで、肌がべとべとしていた。