ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

暇をちゃんとやる[2022年12月9日(金)晴れ]

恋人が出張のため昨日から不在。私は今年の後半がかなり忙しかったので仕事をセーブしていて、しかしそんなに思い通りにコントロールできるものではなく、今週後半からようやくペースを緩めてもよくなってきた。今日も何時間もかかるような作業はしなくて大丈夫。

こまごまとしたメールやメッセージの返信。昼は昨日の残り物を食べて、13時から短い電話取材を1件。そのあとまたメールやメッセージの返信。一巡すると手持ち無沙汰になり、またメールボックスを見返す……座りの悪い自分に気づき、いつも仕事をしている時間に仕事がないと落ち着かないことをはっきりと自覚した。もうちょっと暇でありたいと言っているしいつも思っているが、暇になると意識をそちらへ持っていけないし時間も上手く使えない。せっかく時間に融通が効くフリーランスなのに。

そこまで認識してようやく「“暇”をちゃんとやろう」と気持ちを変えることができた。暇をやる、って矛盾ではある。でも、矛盾と感じるのは行為の時間中に「暇をやるぞ〜」と張り切っている状態をイメージするからであって、その手前のスイッチを切り替える段階で「暇をやるぞ〜」と思うのは効果があるのでは、と考える。帰宅して部屋着に着替えるみたいに。

とはいえそれだけではなく、「労働をしていない居心地の悪さに慣れよう!」と考えることで楽になっている節もある。それは暇な状態に慣れていくことをプロジェクト化、タスク化することなので、結局仕事と似たかたちをしたもので埋めて落ち着いているだけかもしれない。まあでも、それはいったん目をつぶってもいいことにしておく。どんなことにも慣らし期間はあるものだし、手段はなんであれ暇であることの居心地の悪さに慣れるという目的が達成されたら見える景色も変わっていると思うから。

 

多和田葉子『太陽諸島』を読みはじめる。1時間ほど読んだあと新宿のスポーツ用品店へ。今使っているスイムゴーグルのクッションが劣化し水が入り込むようになっていたし、曇り止めの効果もほぼなくなっていたため、新しいものを買いに。どれも同じに見える上に試着ができず、それでいてバリエーションがかなり豊富なので、選べなくて売り場で固まる。比較検討する基準を掴みきれないまま漫然と売り場で手に取ったり戻したりして、最終的にデザインがかっこよくて、スイムキャップの色と合いそうなNIKEのものにした。

東中野へ移動してミスドで『太陽諸島』の続きを読む。ハニーオールドファッションとエンゼルフレンチ。ドーナツを食べながらゆっくり読みたいのだけど、いつもうまくできない。最初の10分とかで食べてしまう。

『太陽諸島』は『地球にちりばめられて』、『星に仄めかされて』に続く三部作の最終作。一作目の『地球にちりばめられて』が出版されたのは2018年。主人公は留学中に母国の島国が消滅してしまった女性のHiruko。明言はされないのだけど、島国はおそらく日本で、消滅した原因は原発事故による汚染であることが読み取れる。そのため「震災後」が出発点にあったと思うのだけど、作品が執筆されている期間にコロナ禍になり、ロシアのウクライナ侵攻が発生し……と現実の方がどんどん変わっていき、それ以上の意味を持つものになっていった。

こんなに一つ一つの会話が現代の問題を下敷きにしたものだったか、と驚きながら読む。私は前2作でたくさんのことを読み取り損ねていたかもしれない。ドイツ人女性のノラが「最低限の労働条件が守られているフェアトレードの洋服を買うようにしているが、町を歩いていると服にナンパされるように店先の安い服を手に取ってしまう。買ったあとで児童労働、という言葉が浮かぶ」と考え事にふける場面がちょうど出てきた。自分のトートバッグの中に入っている新品のNIKEのスイムゴーグルを思い出す。Asics新疆ウイグル自治区産の綿花を使っているし、東京五輪のスポンサーでもあったのでなんとなく避けていた。でも、NIKEは大丈夫か……ぱっと検索すると社会学者のケイン樹里安さんが2020年にNIKEの広告(と、その日本社会での受け取られ方)を論じた記事が出てきて、発表当時に読んだその記事を再読する。

他にも、NIKEが発表している環境や社会への影響に関する報告をまとめた「インパクトレポート」に関する記事など。そのほか「NIKE ウイグル」「NIKE 労働」「NIKE 差別」などで調べてみて、目立った問題はなさそうなのでほっとした。上の記事にもある通り、かつてNIKEの委託先で行われていた児童労働が1996年に世界的に大きな問題になったことがあった。このことを契機に、社会や環境に対してクリーンであろうと努める同社の姿勢が築かれたようだ。

しかし突き詰めて考えれば、スイムゴーグルだって新品を買う必要はなかったのだと思う。クッションを取り替えたり曇り止めスプレーを使ったりして古いものを使い続けるほうが、環境にとっては負荷が少ない。でも、新しいものを買うことの楽しさ、便利さを知ってしまっている。息をするような自然さで新品を購入して古いものを捨ててしまう。

 

夕方までミスドにいて、家に帰って夕飯を作る。秋に恋人が出張で家を空けていた時は、仕事が忙しかったこともあって自炊がほとんどできなかった。今回はちゃんと自分で作りたい。辛いものが食べたくて麻婆豆腐。恋人がいる時は彼に合わせて絹の豆腐を使っているが、今日は自分しか食べないので木綿を使う。この水分が少ない、ぎゅっとした感じが好き。ダシダのスープ、サラダも作る。ドーナツでまだお腹が空かないので準備だけしておいて、映画『渚のシンドバッド』見る。橋口亮輔監督の1995年の作品。本当は『ハッシュ!』が見たかったのだけど、SVODで見つけられなかった。

男子高校生の伊藤は自分がゲイであることを隠していて、密かに友人の吉田に思いを寄せている。転校生の相原はそのことに気づき伊藤に接近するが、相原にもまた人に隠している秘密があった。

ゲイ映画としては、伊藤と吉田のやりとりの手探り感や、自分がゲイであることを受け入れる時のシニカルさが胸に迫る。伊藤がゲイだと父親にバレてしまったことで精神科に通うことになるシーンがあったりして、この時代の同性愛を取り巻く社会状況を垣間見ることもできる。

男子高校生のシャツ、体操着、グラウンドに線を引くローラー。冒頭のシーンから白色のまぶしさが印象に残る。その後もチョーク、吉田の家に伊藤が遊びにきた時に吉田が作る牛乳入りのカルピス、終盤に相原と伊藤が着ている洋服など印象的な場面で白色が登場するのが気になる。率直に純粋さの象徴のようにも思えるし、エロティックでもある。

白線ローラーを持った伊藤は熱中症で倒れてしまうし、吉田が手渡したカルピスは他の友人に勝手に飲まれてしまう。終盤に相原は自分が食べている白いアイスを吉田の赤いシャツに苛立ちながら押し付ける。白色のものに限らず他のものでもそうだけど、正しく手渡せない/受け取られない描写が連続していて、その描写が10代の不器用でぎこちないコミュニケーションを象徴していた。それを演じる役者たちの、あどけなさと大人らしさを行き来するような顔つきもよかった。

相原を演じているのは歌手デビュー前の浜崎あゆみ。相原は徹底して伊藤の側に立ち続ける人、同性愛をおかしなものとして扱おうとする人に対して時に攻撃的になりながらも抗う人なのだけど、歌手としての浜崎あゆみがある世代のゲイたちに特に愛されアイコン的な存在になっていることを思うと感慨深い。クィアの味方であることが宿命づけられているようにさえ感じてしまった。映画を見たあとはYくんが近所で飲んでいるというのでふらっと出かけたのだけど、その道では初期の浜崎あゆみを聴いていた。初期Ayu、冬に聴きたくなる。

 

Yくんがいたのは北海道のお酒を多く扱うゲイバー。がやがやとした喧騒や、視線が行き交う感じが久しぶりでちょっと楽しい。メロンのビール、花椒ウイスキーに漬け込んだリキュールのお酒がおいしかった。