ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

街のどこかに[2023年2月22日(水)晴れ]

昨日の夜、久しぶりにサウナに行ったおかげでかなりぐっすり眠れた。朝はもう少し早めに起きたかったけど結局8時半くらいまで寝てしまう。

日記を読んでくれている人から「早起きしていてえらい」と言われることがあるのだけど、この「8時半くらいまで寝てしまった」みたいな書き方がそう思わせるのだろうかとふと思う。たしかに日中に仕事をしている人でも11時くらいに起きる場合もあるだろうし、そういう人と比べたら8時半なんて全然朝、という感じなのかもしれない。しかし私の早起きはそんな褒められるものではないんだよなあと思う(というか、早寝早起きが褒められるというのがそんなにぴんときていない)。

せっかちなのと、ちょっとした強迫観念みたいなものだ。時間の使い方をブロックで捉えていて、午前中に1、午後に1〜2のタスクこなすように予定を組むことが多いから、単純に朝起きられないとスケジュールがずれ込んでしまい、それが嫌なだけなのだと思う。午前にできなかったぶんを夜遅くまで働いてカバーするということもあまりしたくないというか、うまくできないし。そうした働き方をせざるをえない局面もあるけど、明らかにクオリティもやる気も落ちてしまう。

こうした自分の性質を私は「柔軟性がない」「馬力がない」というネガティブなものとして捉えている。その負の側面をカバーするのに早寝早起きや、予定を立てて進行することが有効だった(自分に合っていた)というだけなので、褒められるといつもなんだか変な感じ。

 

しかし最近は朝のスタートも遅れ気味で、スケジュールも全体的に後ろ倒しになってしまっている。午前中に終わらせようと思っていた仕事も、思ったよりかかってしまって13時の時点で8割というところ。午後に終わらせたかった仕事があと2,3個あるけど、夕方の打ち合わせまでにおそらく全部は終わらないだろう。

腰を据えてやる必要がある原稿執筆も、こまごまとした連絡や確認も予想していた以上に時間がかかってしまっている。この感じだと、すべてが少しずつずれ込んで遅れていきそう。午後、渡された仕事の戻しの期日を(ある程度こちらに裁量があったため)余裕をもったスケジュールで打診。すぐに「承知です」と返ってきてほっとする。昨晩も、別の仕事で原稿の締め切りをいつもより数日猶予をもらう連絡をした。通常のスケジュールでも頑張ればできそうだったけど、焦ってじっくり考えずに書いてしまうのも嫌だったし。来週前半くらいまでに集中していた締め切りのいくつかを来週中くらいまで伸ばせたことで、だいぶ余裕ができた。

しかしスケジュールを調整する連絡とか、年々遠慮がなくなってきているなと思う。具体的に期限がある仕事ならともかく、そうでないなら数日遅らせてでもきちんとしたものを提出できた方がお互いにとっていいだろうと思うけど、思っているのと実際に締め切りを交渉できるかどうかはまた別の話だ。こういうのも大人になった、と言っていいんだろうか。世渡りスキルを使っていきたい。常識の範囲内で。

 

夕方から打ち合わせへ。電車の中でいくつか連絡を返しつつ、SNSを見る。今回の国会では更迭された元秘書官の発言あたりから同性婚や性的マイノリティに対して政治がどう向き合うのかが大きな論点になっているけど、議論の中であからさまな差別や理解のない発言が飛び交っていてつらい。地上戦、という比喩が浮かぶ(今の時代に、かつ日本の内地でしか暮らしたことのない人間が使っていいのか迷うけど……)。ろくに知りもしない人が延々言葉を発して流れ弾を浴びるくらいなら議論してもらわなくていい、社会が変わらなくてもいいと思ってしまいそうになる瞬間がある。私はそこで「いや変わらなくていいはずはないんだ」と思い直す人だけど、そうはならずに、積極的に権利のため活動している方への反感をため込んでしまう人もいるのだろうなと想像する。

自分にできるやり方ってなんだろう。瞬発力で正確に打ち返していくのをずっと続けるのは限界があるし、最近は真正面から反論するとかえって身を固くしてしまう人のことをよく考える。なにか、パッケージにべたっと貼られたシールを、パッケージもシールも傷つけずに剥がそうとする時のような、短い爪をシールのわずかな厚みに引っ掛けてカリカリやる時みたいな、静かで慎重なやり方というのができないかなと思っている。あまりにも抽象的すぎるけど、それは文化とか、人の生活を介して行われるものだと思う。

 

打ち合わせと、その後の雑談で23時くらいまで。雑談の時にKさんがちょっと話題にした「真夜中のギター」のUAによるカバーを聴きながら帰る。ゲイ雑誌の文通欄のメッセージをいくつか読み上げたあと、この曲のリップシンクを披露する、というドラァグのショーがあったのだという。ステージを照らす一筋の光や、乱反射するスパンコールや、空中でほとんど静止しているみたいな塵を、自分で見たわけでもないのにはっきり思い描けてしまって、胸の中に甘やかさと行き場のなさが交互に寄せては返していた。