ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

そわそわ[2021年1月20日(水)晴れ]

11時からオンライン取材。今回の取材は先方に日程候補を挙げてもらって、その中から自分が都合のいい時間を選んだ。自分で決めたにもかかわらず、なんで11時にしたんだろうと少し思う。取材前は気持ちがそわそわしていることが多く、だいたい30分から1時間前はあんまり他の仕事が手につかない。11時から取材だと10時からは仕事が手につかなくなりがちなので、その前に仕事をしようと思うと9時に開始しても1時間しかできない。となると、「1時間じゃ大きいタスクはこなせないし、だったらあんまり早起きしなくていいや……」と、ベッドの中でスマホをだらだら見て、いつの間にか1時間経っている、みたいなことがよくある。

多分11時に取材を入れたのは自分にプレッシャーをかけるためで、「8時に仕事開始できれば2時間ちょっとで短めの原稿とか編集の仕事を一つ終わらせられる!」と思ってのことだったと思う。でも、なぜかうまくいかない。とにかくベッドから出られない。一度出て、シャワーさえ浴びれば完全にスイッチが切り替わるのに、そして切り替わったとたん小さな焦りと後悔が湧き上がってくるのに、なぜこうも同じことを繰り返すのだろう。

今朝はその「寝てたい」と「早く起きて仕事したい」がわりと拮抗していて、8時ちょっと過ぎに起きて9時くらいから仕事を開始した。結果、一番中途半端な感じに……。とりあえずメールの返信などをして、それから質問項目や取材概要を見返しながらそわそわする。でも、よく考えたらこのそわそわしている時間ってなんなんだろう、取材に向けて気持ちを整えているようで、いたずらに緊張しているだけなのではないか? とふと感じ、思い切って文字起こしをやってみることに。音を聞いて文字を打ち込むというシンプルな作業に没頭していると、他のことをいったん忘れて無心になれるし、仕事も片付く。緊張したりそわそわしたりしている時は思い切って別のことをやったほうがいいんだな、と気づいた朝だった。

 

取材のあとは原稿の編集と、今日と明日提出の原稿の見直しをいくつか。精神的な負担では10だけど実際にかかる時間は1の仕事(前回の日記に書いたメールとか)と、精神的な負担は1だけどかかる時間は10の仕事というのがあり、今日の編集作業や見直しはどれも後者。ついまとめてできるような気持ちでいるが、やりはじめて気づくと2時間とか経っていて驚く。そして精神的な負担はないけど働いたぶんだけ脳は疲れる。夕方ごろに全部終えて、それから別の文字起こし。

 

これらの仕事の最中、1時間おきくらいに近所のプールのブログを確認していた。設備の一部が故障してしまって、月曜日から休業しているのだ。昨日プールに行く直前にブログを確認したら(コロナの感染者が出たらいきなり休業になることもあると思うので、一応チェックするようにしている)そのように書かれていた。

「復旧には2〜3日かかる見込みです」と書いてあったので、早ければ今日には再開するかもしれない。そう期待して見ていたのだけど、特に更新はされなかった。明日は夕方から打ち合わせだし、となると行けても金曜日だろうか。しかし来月から一ヶ月の改装工事だというのにその前に故障って、よっぽどガタがきていたのだろうか。清潔感がいつも保たれているからあまり古さを意識することはなかったけれど。

 

仕事が終わったのが8時くらい。そこそこやることも立て込んでいて、プールにも行けないし、お昼も夕飯も家にあるもので済ませたので今日は家から出なかった。だけどそれも今回の緊急事態宣言中は珍しいことでもなくて、先週から3日くらいはこんな日がある気がする。もうちょっと意識して外に出るようにしないと、本当に運動不足になりそう。出かけたとしても本当にスーパーに行くだけということも多くて、電車も全然乗っていない。

こう書いてみると家にずっといて仕事もあって、特権的で嫌味な感じかもしれないと思う。しかし人出を減らさないといけないのは事実のはずだし、なるべく家にいようと思っている。予定を無理やり作って出かけたとして、違う人の気持ちが本当に理解できるわけでも、特権から降りられるわけでもない。というか、必ずしも降りてみんなフラットになればいいというものでもない。特権、という言葉を使うととたんに居心地が悪くなるけれど、大切なのはその居心地の悪さ、後ろめたさを自覚しながらどう振る舞うか、だという気がする。