ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

俺は気にしいの人[2023年3月18日(土)雨のち曇り]

昨日は夜から出かけていたので、遅い時間に来ていたメールを返せていなかった。朝起きてすぐに返信を書く。今週かなり力を入れて書いていた原稿について、やりとりをしている編集の方、その上の編集長の方から「とても良いと思います」と言われてほっとした。昼に提出して、すぐに拝受の連絡がきたあと夜まで返信がなかったので「もしや致命的な大直しが発生しているのでは……」とそわそわしていたのだ。単純に忙しかったというのが理由らしい(金曜日だししょうがない)。すぐに最悪の事態を思い描いて、その不安に心を持っていかれてしまう。また別の話になるけれど、人と話していて「この人は私ほど空想の不安に心を支配されて踏みとどまったりしないんだな」と思うことがよくある。本当によくあるので、私の気にしすぎという側面が大いにあるのだろう。慎重ではありたいが、「俺は気にしいの人」という認識を持つことで、必要な時にアクセルを踏み切れなくなるのを減らしていきたい。

 

別の原稿の仕上げをして、お昼は恋人が炊いてくれたご飯にSEIYUの「on the ご飯」シリーズをかけただけのもの。恋人に「仕事落ち着いたんでしょ」と言われる。おとといくらいまでは最初に書いた原稿やその他のことでバタバタしていて、かなり殺気立っていたらしい。「髪の毛が逆立って見えたよ」だそう。自分でも余裕がなく、一緒にいるのにいないような感じになっていたと思う。今は提出物を出し終えて少し落ち着いていて、自然と笑ったり冗談を言ったりしている。「わかりやすっ」と呆れて笑われた。

14時から青山ブックセンターの『『ジャクソンひとり』『世界と私のA to Z』刊行記念 安堂ホセ × 竹田ダニエル トークイベント』を聞く。安堂さんの「『ジャクソンひとり』は読者の反応はあまり考えず、書きたいように書いた」という発言に対し、竹田さんが「だからマジョリティ側で責められてると思う人がいるのかもね」と言っていて、わー、重要な指摘! と思った。考えてみると『ジャクソンひとり』はマジョリティの描き方の鋭さが、作品をリアルでひりひりしたものにしている。冒頭のジャクソンとキャプテンのやりとりもそうだし、ジャクソン、エックス、ジェリン、イブキが一緒にいる時に話す言葉の正直さも、マジョリティ不在というかたちでその存在を感じさせるものになっている。正確な表現かちょっと自信がないのだけど、「当事者に指摘されたことでどんな反応が起こるか、マジョリティ側も隠そうとするから、小説ではその部分を広げて書いている」というようなことを言っているのも印象に残った。

その他の話も興味深くて、竹田さんが『ジャクソンひとり』を読んで「これってアリアナでしょ」と盛り上がって安堂さんに伝えた話は、その時の竹田さんの声の明るさも含めて聞いているこちらまで楽しい気持ちになった。アリアナ・グランデのことはあまり追ってないからどの部分を指しているのかはわからなかったのだけど、クィアの表象をこういう風に入れ込んで、そしてそれに気づいた人が盛り上がれる、というのはいいなと思う。自分の『いちなが』はそのへんちょっと、紹介者的なスタンスになってしまったのだよな。ライターの性でもあるかもしれない。そして紹介する、説明することを妙に意識してしまっていたせいで、それがさらっと日常に溶け込んでいる、という表現にはなっていないような気がする。しっかり説明するのがあってもいいけど、もっと気づく人だけが気づく書き方でもよかったのかもと最近は思っていて、その考えを(勝手に)後押ししてもらったような一場面だった。

 

少しごろごろし、夕方からプールへ。雨はもうほとんどやんでいた。気温が低そうで、ちょっと久しぶりにダウンを着る。今週忙しくて1週間ぶりになってしまったのと、寝不足だったので無理はせず2200メートル。

終わってからOKストアで買い物。ウー・ウェンさんのレシピ本を読んでいて見つけた豚の薄切り肉とクレソンの炒め物を作る。薄切り肉はいつ食べてもおいしいが、春に食べるのは他の季節と違ったよさがある。これだけでは足りない気がしたのでキャベツとねぎを投入。分量としてはキャベツが圧倒的に多く、もはや別の料理なのでは、クレソンいるのか、と思っていたが、食べてみると全体がしっかりクレソン風味になっておりよかった。