ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

本を読むことと水を飲むこと[2021年2月25日(木)晴れ]

2月はけっこう忙しかったのだけど、ようやく余裕が持てるようになってきた。業務量としては先週がピークだったけど、今週も細かい原稿やゲラの出し戻しがあったし、なかなか気持ちが落ち着かなかった。仕事自体はそんなにないけど気持ちがせかせかしている時、なんとなくいつも回転する車輪のようだと思う。ブレーキを踏んだらすぐに止まるわけではなくて、徐々に減速して、やがて停止する。その車輪を思い浮かべると、まあそんなものかと思って落ち着く。

フリーランスにとって暇になることはそれなりに怖いことでもあるのだけど、今回は2週間後くらいの予定がけっこう埋まっていて、一時的だとわかっているので焦りもない。春休みのような気持ちで(まったく仕事がないわけじゃないけど)過ごそうと思う。

 

そんな怠けた気分のせいか、朝は起きられず9時起床。身支度をして、今日が締め切りの原稿の最終チェック。それからオンライン取材に一件同席し、終わったらお昼ご飯を食べに行く恋人についていく。最初はテイクアウトの弁当を買おうと思っていたけど、目星をつけていたお店が軒並み売り切れ。近所の居酒屋が昼だけラーメン屋になっているので、そこに行ってみることにする。

お店で隣の席に座っていたサラリーマン2人が、スープまで飲み干したどんぶりを前にして「近所にあったら毎日来ちゃうよ!」と言っていて、そんなにおいしいのかと期待するけれど、ハードルが上がりすぎていたせいかそこまでではなかった。というか、しっかり出汁が効いているけど個性は出さない、勝ちにいかないタイプのやさしい味だったので、自分の感想はサラリーマンの人とは別の角度での「おいしい」だなあと思う。それとも、「(飽きずに食べられる素朴な味だから)毎日来ちゃうよ」だったのか。でも、口調からしてその意味ではなさそうだった。

まあ味の感想は人それぞれで、こんな文句つけているみたいなこと言うのもおかしいのだけど。

 

帰ってきたらメールの対応と、今月分の請求書の作成。15時くらいまでやって、今日のまとまった仕事はおしまい。

それから読書。先週くらいまではまったく読めていなかったので、取り戻すように読んでいる。読書、できない時は本当にどうやっても自分の中に入ってこないのに、気分やタイミングがぴったり合うとこんなに素晴らしいことはないと感じる。書かれた文章の意味やリズムももちろんあるけれど、それ以上に活字を目で追うことへの喜びが大きくて、喉が渇いた時に水を飲むのと似ている気がする。

そう思い至った直後、この比喩はちょっとしゃらくさいなと思う。というか、そこから「読書は水のように私にとってなくてはならないものだ」みたいに解釈していくことが容易すぎて、それは陳腐だし私の実感とも違うから、注意深くいないといけない。喉が渇いて水を飲み干す時、「人が生きるのに水はなくてはならないものだね……」とかいちいち思っていないのと同じで、体が乾いている時に飲む水はおいしいという、素朴な体感を素朴なままとらえた場合のみ、私の中で本を読むことと水を飲むことが重なると思う。

 

今日読んだのは國分功一郎さんと熊谷晋一郎さんの対談本『〈責任〉の生成−−中動態と当事者研究』。國分さんと熊谷さんがお互いの研究を手掛かりに、「責任」や「意志」といった概念を捉え直す。分厚く学びの多い本で、どこから感想を言えばいいのか難しいのだけど、まず二人の対話によって何度も当事者研究と中動態について語られているので、それぞれの概念やその核となる部分についての理解が深まったと思う。二人のこれまでの著作を読んでいたらより楽しめると思うけど、読んでいなくても大丈夫というか、むしろこの本を入り口にすることができそう。

「能動/受動」、つまり「する/される」という現在の私たちの思考の枠組みとなっている対立は、「責任」というものを個人に帰属させる。「欲望する」「惚れる」など、自分を動作の場として何かが起こる時に使われる態である「中動態」は、そこからの抜け道を示す。でも、それは責任逃れをするための概念ではなくて、むしろ個人に還元されないことではじめて自分の中に「責任」が生成される、といった内容。

まだ自分の中で応用ができていなくて、本の要約以上のことを書こうとするとうまくいかなくなってしまうのだけど、ただこれから何かを考えていく上で手掛かりとなるような概念や考えがたくさんあった。言葉が思考の枠組みを形成するとしたら、新たな概念を知ることはその枠組みを破壊し、拡張する契機になる。中動態、消費と浪費の関係など、様々な概念を紹介してきた國分さんと、当事者研究という「言葉」を最大の手掛かりとする探究を続けている熊谷さんの対話は、その変化のダイナミズムに満ちていて、読み終えた時には読者の思考回路も変質していると思う。

 

そのあとは友人のMくんが勧めてくれた安永知澄『やさしいからだ』1巻を読む。前の話のサブキャラが次の話の主人公になり、その話のサブキャラがまた次の主人公になり…と、人が数珠繋ぎのようになって物語が展開していく。その中で時間や場所が飛躍するから、前の話でおばさんだった人の子ども時代を思わぬ角度から知ることになったりするのだけど、エピソードがどれも仄暗いので、勝手に引き出しの中を開けてしまったような感覚になる。ただ、愚かさを描きながらも善悪は別の彼岸にあるようで、だから読んでいて苦しくなるようなことは、少なくとも1巻では私はなかった。読み終えてすぐ、その場でAmazonで続きの巻を買う。

 

続けて岸政彦『リリアン』。まだ途中だけど、岸さんの小説の中で一番好きかもしれない。冒頭の、夜の街にひとり出かけていくことをシュノーケリングに例えるシーンからもう素晴らしい。細部が積み重なって世界を認識して、それで胸がいっぱいになるあの感じ。そんな風に胸がいっぱいになっている自分を世界はあっけなく包み込んで、それ自体になんの影響も及ぼさない、その冷たさも含めて知っているような気持ちになる。

小説の中にソニー・ロリンズによるスティービー・ワンダー「イズント・シー・ラブリー」のカバーが登場して、気になって曲をサブスクで聴いたら音楽のモードになってしまって、本を読むのをやめてスティービーワンダーの曲を数曲聴いた。