ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

「うす〜い人」にならないように[2020年12月24日(木)晴れ]

朝、頭が一番すっきりしている状態で、昨日執筆した原稿を読み直す。ある本に関する読書会のような、座談会のような記事で、全体の流れや発言の回数などのバランスを調整。なんだか色々と自分にとって学びの多い取材・執筆だった。

まず、座談会だと、一人の人に話を聞くよりも話題が混線したり、飛躍したりしやすい気がする。その場で話を聞いているぶんには問題ないんだけど、文字にしてみると補ったほうがいい部分も多い。単純に事実を補足するだけではなくて、時には部分的に「こういうことを言いたかったのだろう」と類推しながら書かなければならない場面もあり、それはけっこう神経を使う。

もちろんまったくなかった話を書いてしまうことはなくて、類推し補足するのはあくまでも部分的だ。断片的で、それだけでは読む人に伝わらない発言を、原稿の大きな流れの中に加えるための「つなぎ」の部分。それは欠損したタイルを修復する作業と似ているかもしれない。模様の位置をぴったり揃えるような正確さと、失われた部分の代用品として極力色の似たパーツを選ぶ観察力が求められるというか。

そんな風に、執筆は言ったことをまとめるだけではなくて、言わなかったことを汲み取る作業でもある。だから取材が終わり、原稿を書きながら気づくことがたくさんある。その中で「このことも聞けばよかった!」と後悔することも多い。

私にもっと反射神経があればそういう後悔は減るだろうし、「つなぎ」の素材だってその人の口から聞くことができるかもしれない。まだまだ未熟だなあと思うのだけど、でも私がどれだけ成長したとしても「あれも聞けばよかった」がゼロになるなんてことはないんじゃないかと思うし、それを汲み取る作業は執筆の重要な側面の一つであり続ける気がする。

 

それから、今回は座談会のメンバーとして私自身も前に出て、意見や感想を述べたりしている。座談会中の私の発言は情報や配慮が不足していることが多く、原稿ではそういう発言をけっこう補ってしまった。そしてその補う作業の中で、自分自身がそう考えるようになった経緯や根拠をけっこう考え直した。

そこで思ったのは、私は本当に頭でっかちなんだな、ということ。倫理観や社会の情報はそこそこ入っているけれど、それが現実の実感と結びついていないから、優先順位をつけるのが苦手なのだ。実感や体験至上主義に陥らないように常に注意しないといけないけれど、それでもやっぱり当事者かどうかでものごとの解像度はまったく変わる。ある社会問題があったとして、その中に顔の見える誰かがいるか、抽象的な存在としてのみとらえるかというのも大きな差を生む。平時にはそこまで違いはないかもしれないけど、本当につらそうな時に多少無理をしてでもその人の力になりたいと思えるかどうかは、やっぱり実感や当事者感覚が必要になってくるのではないか。

これだけ複雑で色んな社会問題がそこかしこで噴出し、情報も飛び込んできやすい現状では、なんらかの尺度を持っていないとすぐにパンクしてしまう。それに、Aを優先すればBが困るという状況下で身動きがとれなくなってしまう。あるいは、パンクしないために自己防衛した結果、あらゆる問題意識を持っているが全体的にうす〜い人、みたいになってしまう可能性がある。私はもともと人と会うのがそんなに得意ではない(=顔の見える誰かとつながり、当事者意識を持つ機会が少ない)ので、注意していないといつでも「うす〜い人」になるリスクを秘めているのだと思った。

そして最近人と会うのが楽しいのは、この頭でっかちな状態から抜けられるような手応えを感じているからでもある。しかしそう考えると、『消毒日記』はだいたい常に身動きが取れなくなっていて、自分の頭でっかちさが最高に混迷を極めていた時期の記録になったと思う。それをあんな風にまとめて売っているのは少し恥ずかしい気持ちもあるのだけど、かたちにしたからこそ足がかりになって、次に進めているのかもしれない。

 

そのあとは他の原稿の見直しや執筆。明日は会社の大掃除なので、今週作業できるのは今日まで。「ここまで終わらせたい」と思っていたラインまではどうにか終わらせることができたので、達成感。あとは来年締め切りのものばかりなので、年末年始の時間を使って進めていく予定。

夕方、日が暮れてからスーパーに買い出し。揚げ物が食べたくてコロッケかアジフライを買おうと思っていたのだけど、惣菜コーナーへ行くとチキンとクリスマスっぽいメニューで埋め尽くされている。クリスマスのことをほとんど忘れていた。春巻きなどやメンチカツは隅のほうに置かれていたが、コロッケとアジフライはなし。とりあえずフライドチキンだけ買ってみる。

外に出ないし、人と会ったりどこかお店を予約したりもしないし、そもそも平日で仕事があったしとなるとクリスマス感が本当にない。せめてもと思い、ゴンザレス『A very chilly christmas』を聴いた。クリスマスが近づくまで楽しみにとっておこうと思っていたのだけど、ろくに聞かないまま当日を迎えてしまった。だけどお祭り感や荘厳さのあるアルバムではないから、こういうちょっといわゆるクリスマスと距離がある心境で聴くのはよかったのかもしれない。ふと口ずさんでしまっただけ、のような佇まいの「All I Want For Christmas Is You」がよかった。

 

恋人が帰ってくるまで、先日買った『NEUT Magazine』を読む。雑誌はもともと色んな人が関わって作っているものだけど、読みながらそのことを、「私たち」というものをなんとなく、でも強烈に意識する。次に作りたいZINEのイメージがあるのだけど、それは前回以上に色んな人と作りたいと考えている。

 

夕飯は恋人のお母さんが送ってきてくれた宝永餃子。皮がもちもちでおいしかった。