ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

日記を書いて[2022年12月31日(土)晴れ]

晦日と元日は作業らしい作業をせずに過ごそうと決めていた。朝は遅めに起きて、布団にくるまりながら電子書籍で蜂飼耳訳の『方丈記』を読む。お腹が空いてきたので餅を食べようと思う。先日母親から届いたのし餅を開封。すでに切ってあるので、切れ目に沿って割っていく。大きなものを2つ鍋に入れて茹で、残りの餅は冷凍庫へ。茹でた餅には納豆を上にかけて食べた。

 

午前中は引き続き読書。『方丈記』を読み終え、先日Tac's Knotで買った大塚隆史『二人で生きる技術 幸せになるためのパートナーシップ』を読みはじめる。大塚さんが「僕のライフストーリーを縦糸に、パートナーシップに関することを横糸に、一枚の布を織り上げるように作った」という本。

今読んでいる第一講では、大塚さんが幼少期から半生を振り返っている。大塚さんは1948年生まれなので、1960年代に10代を過ごしていることになる。LGBTQ+の権利獲得運動のもっとも大きな転換点と言われるストーンウォール・インの反乱が1969年6月。それ以前を生きた人の言葉をこうしてまとまったかたちで読めるのはすごいな……と、まだ数十ページしか読んでいないけれど静かに感銘を受ける。しかもそれが「歴史の証言」のような大きなものではなくて、「誰かと生きていく」ことを模索する、小さな視点のまま綴られているのがすごくいい。自分が生まれるよりもずっと昔のことを想像する時に抜け落ちてしまいがちな体温のようなものが伝わってきて、こうした素朴さを抱えた人がきっとたくさん生きていたんだろうと思える。穏やかで明るい語り口も素敵。年末年始にじっくり読み進めたい。

 

お昼ご飯は家にさっと食べられるものがない。お腹が空いたと言いつつ面倒臭がって何もせずにいると、恋人がレタスと卵のチャーハンを作ってくれた。昨日恋人が年末年始用に作っていた筑前煮も出てくる(私はなますと角煮を作ったが、今回の昼ごはんには出ず)。おいしく食べる。そのあとはなんだか眠くなり、1時間ほど昼寝……自堕落だなあと思うが、こうして過ごすのも今日と明日だけ。自分で自分を許す。起きてまた『二人で生きる技術』を読み進めていく。

夕方には今年最後の買い出しのため近所のSEIYUへ。大晦日〜三が日にどんなものを食べるかを考えて、足りない食材や袋麺などを買う。レタスは売り切れていたが、それ以外のものは揃った。こんな年の瀬ギリギリに買い出しに行っても野菜とか肉とかが手に入るのは、ギリギリまで働いている人がいるから。スーパーの店員さんや物流の人、生産者の人たちに改めて感謝する。

SEIYUはセルフレジで、恋人と手分けして会計作業を行う。私はバーコードを読み取り、恋人が袋に詰めていく。袋詰めが苦手だからこの割り振りなのだが、だからといってバーコードの読み取りが得意なわけでもない。カップ麺をくるくると3回転させたあとようやく側面ではなくふたにバーコードがあるのを発見したり、「(読み取った商品は)台に置いて」と言われているのに何度も手渡ししようとしたりとおぼつかない。しかしなんらかのペア競技のようで楽しくもあった。

 

買い出し中にライターのKさんから、「二子玉川蔦屋家電でめっちゃいいところに置かれてたよ!」と『いちなが』が面陳されている写真が届いていた。発売から2ヶ月が経ったが、まだこうして展開してくれる書店があることに感謝。

「2020年から今年の日記です」とキャッチーな紹介ができるのも今日まで。今年がはじまった時には自分が本を出すとは思っていなかった。夏ごろから出版に向けて動きはじめて10月末に出版、その後も色々とイベントを開催していただくなど、下半期の活動の軸は間違いなく『1日が長いと感じられる日が、時々でもあるといい』だった。

出版するまでは本を出すことがゴールのように思えていたけど、いざ出してみるとむしろ「あっ、ここからがはじまりだったんですね」と感じる。山を越えたらまた次の山、というような。

そんなにたくさん売れたり話題になったりしているわけではないものの、出版したことでライターとしての自分の状況は明らかに変わりつつある。これまでなかったタイプの原稿の依頼も舞い込んできているし、意図的に舵を切ってもいる。来年は変化の大きい一年になりそう。引き続き『いちなが』を売っていきながら、次の展開も考えていきたい。でもそういうだけじゃなくて、もっとすごい文章を書きたいな、と純粋に思っている。

 

日記はいつも翌日に書いているのだけど、今年は大晦日のうちに書いておきたいと思った。そうしないと締まらない気がした。今は恋人が予約していた回転寿司を受け取りに行っているところ。もうすぐ日記を書き終える私は、頭の片隅で年越しそばの準備のことを考えている。