ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

自覚する[2022年5月26日(木)晴れのち雨]

校了や取材で昨日はかなり忙しくて、おかげで今朝はぐっすり眠れた。今日はやるべきことはあるけど、比較的ゆったりめに予定を組んでいる日。午前中にいくつかの原稿をちまちまと進めて、昨日の取材の文字起こし。今日目標としていた作業はそこまでで、正午をまわったくらいで終えられた。午後は週末にやろうと思っていた編集作業を片付けちゃおう、と思いながら、お昼ご飯の準備をする。

 

SEIYUの「On the ごはん ルーロー飯」を湯煎し、ご飯をチンする。作って食べている間、昨日のTBSラジオのアトロクをタイムフリーで聞く。高橋芳朗さんがハリー・スタイルズの新作を解説する回。ハリーのポップな新作を最近はよく聴いていて、先週末もライブ映像やMVをいろいろ見ていた。以前からスカートやフリル、レースなどを取り入れたファッションがすごく好きだなーと思って気になる存在ではあったのだけど、今作でまた一段と好きになったように思う。

一瞬「これが“推し”ってことかも…?」と思ったりもしたのだけど、自分がハリーのようなアイコンを「推す」ってなんて退屈なんだろうと感じて、今は思い直している。夢中になるなら何かもっとドラスティックな、めちゃめちゃになるような跳躍のあるものがいい。自分の内側にある要素や方向性を美しく、ハイレベルに具現化したものに見とれるのは自己愛的な感じがする。それ自体を否定はしないし、私だってそうして楽しみたい部分が残っている。自分を愛せない人が、何かに自己を投影して愛そうとすることは大切なことだ。でも、そこに「推し」という概念を当てはめてしまうと、何かを隠蔽する方向に物事が進んでいく気がする。

ラジオではハリーが女性用の服を着ることについて、保守派コメンテーターのキャンディス・オーウェンズが「強い男性なくして生き残った社会などありません」「男らしい男性を取り戻しましょう」などと批判したことを否定的な文脈で紹介していた。これに対してライムスター宇多丸さんが「何を恐れてんだよ」とすぐに合いの手を入れていて、そのまっすぐな声がなんだか怖かった。言っていることには完全同意だし、以前なら信頼できると感じた気がするのだけど、今日はうまく言えない違和感が混入した。

私は今、自分の考えや価値観がけっこうぐらついている。価値観自体はそう大きく変わっていないのだけど、その支え方を見直す必要があると感じている、と言う方が正確だろうか。そうやって自分を作り替えていく時、強くてまっすぐな言葉とは距離を置いたほうがいい。なんとなく無意識でそう思っていて、生理的な反応として違和感が生じたのかもしれなかった。

 

編集作業を終えて、仕事の本を読んでいると恋人から「帰る」とLINE。明日からイタリアへ出張なので、今日は早めに仕事を切り上げたらしい。恋人の他にも何人か、友人や知り合いで海外へ出張などへ行く人を知っている。そういえばGWには「ANAのハワイ便が2年ぶりに満席」というニュース記事も見た。いよいよ海外へ行くことのハードルが下がっていくのだろうか。本当にどんどんルールが変わっていく。そして海外へ行くとかそんな話だけではなくて、屋外ではマスクをしなくていいとか、そういうもっと身近なレベルでも変化を感じることになるんだろう。

 

夕飯は久しぶりに豚キムチを作った。「明日からはもう食べられないんだから味わって食べな」と言う。お互いにわざと(出張の一週間は)という部分を省略して、「明日からは食べられない」「明日からはもうできない」などと永遠に機会が失われるような言い方をしている。それは感傷に浸るというより戯画化している感じだ。

 

恋人は明日の朝が早いので早々に寝てしまって、私は自分の部屋で本を読んだりSNSを見たりする。ふと気づくと気持ちが沈んでいて、それは多分気圧のせいなのだった。最近は気持ちが落ち込むと思ったらだいたい気圧のせい。笑ってしまうくらい影響を受ける。笑ってしまうくらいと書いたけど普通に真顔。そして外的なものと自覚しても、少し冷静になれるだけで気持ちが元に戻るわけではない。

 

気づいたら1時だった。パソコンの画面を見続けていたせいなのか目が冴えている。それでも寝ようと思ってベッドへ行くと、枕にカバーがついていなかった。昼に洗濯して、風呂場に干してあるのだった。つけなくちゃと思うけどその気力がない。いつもと違う肌触りが落ち着かない。カバーをつけたらすぐに眠れる気がするけど起き上がれなくて、なるべく気にしないように、無感覚になろうと思いながら眠った。

 

今日の新規陽性者数は3391人、現在の重症者数は3人、死者10人。