ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

鈍痛[2022年11月1日(火)曇り]

恋人は朝6時起きで出張へ。私は昨晩あった会社の歓迎会のアルコールが体に残っていて、見送ったあと遅くまで寝た。9時ごろ起きて、昨日の飲み会で息をするような自然さでヘテロのふりをしたことを思い出して苦い気持ちになる。私はこの会社(大学卒業から数年勤務し、現在はフリーランスでいくつか仕事を振ってもらいつつ週1で出社している)でカミングアウトをしていない。異性のパートナーと暮らしている、という設定にしている。

最近会社で結婚をされた人がいたので、「小沼君のとこはどうなの」といった話も出てくるだろうとは覚悟していたし、実際にその話を振られた。ただ、これまでは「そういうのは男からプロポーズするものですよ」「あんまりもたもたしてると逃げられちゃいますよ」などと言われていたのに、今回は「事実婚みたいな? そういうのもありですよね」のような反応で、ちょっと肩透かしをくらったような気分に。とはいえ、以前と比べるとずいぶん気が楽でほっとした。変化にいたった背景には何があったのだろう。

ただ結婚そのものに関してはあまり触れられなくて楽だったのだけど、この日に私が「ヘテロのふり」をしたのは、それとはまた別の話なのだった。話題はざっくり言うと子どもを産み育てることについて女性ばかりが負担を強いられることについて(生理や出産などの身体的な負担、育児によってキャリアが中断してしまうこと)。このことについて、私は当事者ではないが自分なりに考えはある、という立場なのだけど、それをあたかも異性のパートナーがいる当事者として語ってしまった。

異性愛規範が浸透している社会では、特定の話題だけ誤魔化せばいいわけではなく、全面的に嘘をつかないと整合性を保てない。仕方ない側面もあったとはいえ、すらすらと言葉を並べ立てた自分を思い出して強い嫌悪感を抱く。その饒舌さの裏には、ここできちんと答えられないと疑われるのではという焦りがあった。もっと慎重に話すべきだったかもしれないけど、お酒が入っていてそこまで配慮できなかった。自分の身を隠すために何かを利用した罪悪感が、鈍痛のように響く。

 

実名で自分の生活を書いた本を出しておきながらカミングアウトしていない、このねじれた状況を思う。さすがにバレるだろうか……仕事柄会社の人は書店へ行くことも多いし。ただ、あんまり人文・エッセイ・ジェンダー系の本を読んでいる人はいない印象なので、気づかれないような気もしている。わからない。

でも、もし誰かが本を見つけて気づいたら、それはそれでいいと考えている。別に「絶対に知られたくない」と思っているわけではないのだ。知られたくないというより、ずっと隠していたので今さら言うタイミングがわからなくなっているし、カミングアウトにまつわるプレッシャーや実際的な手続きが負担で、そこまでするなら黙っている方が楽なだけ。だからもし誰かが気付いたのであれば、その先でどう対処するかはそちらで考えてください、と思っている。

そもそも、カミングアウトできないのは当事者ではなくて社会の問題だ。当事者も好きで嘘をついているわけではなくて、本当のことを言えない抑圧が環境の側にあるから自分を偽らざるを得ない。そんな中で、カミングアウトに関するあれこれの負担を当事者が背負って、時には社会の側に配慮して下手に出ざるを得ない構造こそ問題だと思っている。だから私は、少なくともこの場では、自分がカミングアウトをすることについて悩むのをやめる。それ自体が押し付けられた負担だからと、背負うのを拒む。悩んで、考えるのは当事者ではなくて社会の側の仕事のはずだから、もし書店で本を見つけて私がゲイだと気づいたら、その時はたくさん動揺してほしい。そして「なぜ言えなかったか」から考えてみてほしい。

状況がアクロバティックで再現性が低く、私のこの戦いは果たして誰かの参考になるのだろうか……とも思うのだけど、まあこういうのもあっていいだろう。

 

日中は仕事。アルコールのせいで睡眠の質が悪く、途中でちょっと仮眠をとったりしながら原稿の仕上げと編集作業。夕方からプールへ。今日は2550メートル泳ぐ。本当はあと50メートル泳ぎたかったけど、水中点検のための休憩時間になってしまって断念した。帰宅後は家にあった野菜を使って鍋にした。

 

夜にネットを見ていて、今日から「東京都パートナーシップ宣誓制度」の運用が開始されたことに気づく。パートナーシップか……。昨日のニュースでは137組から届出があったという。なんだか引き裂かれていてどう言葉にすればいいのかがわからない。

明るい話題として紹介されているのを見るたび、自分がねじれた思いを抱えている事実に突き当たってしまう。結婚のような法的な権利が認められているわけじゃない、とはいえ通過点として一つの達成ではある、だけどそもそも結婚制度自体が根強い家父長制的価値観を延命させそうで嫌だし2人で生きることを選んだ人のみを優遇するものに思える、でも1人で生きる時と2人で生きる時では必要な制度も違うだろうからただ否定するだけでも駄目なんだろう、とか、色々。あとは単純に、自分自身が人生の方向を決めるような大きな契約が苦手で、その選択を直視する準備ができていないということもあるのだろう。結婚については多分まだ混乱している部分が大きい。その都度手探りで考えていくしかないなと思う。