ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

この夏合流したいね[2022年1月22日(土)晴れ]

昨日は乗代雄介『皆のあらばしり』、九龍ジョー『東京で聖者になるのはたいへんだ』、佐原ひかり『ブラザーズ・ブラジャー』を立て続けに読み、移動時間に宇多田ヒカル『BADモード』を聴いていた。先週末に見た『偶然と想像』からの流れもあると思うけど、色々な人の作品に触れてすごく刺激を受けている。今日と明日はたくさん見たり読んだり聴いたりする日にしよう、と決める。

 

午前中に佐原ひかり『ブラザーズ・ブラジャー』を読み終える。ブックマンションと吉祥寺ジュンク堂のコラボ企画で、にちようだなさんが選書していたもの。もともと作品のタイトルやあらすじを聞いて気になっていたけど、せっかくなのでここで買わせていただいた。最初は人の核心にあるものをどう描くかの眼差しや言葉遣いに吉本ばななっぽさを感じたのだけど、後半に向かってその印象が薄れていった。神秘的なものに回収されることなく、登場人物たちがただただ自分や相手と向き合うことで物語が進んでいくので、どこまでも不恰好で地道だ。どれだけ感情が爆発しても、結局はその地道さしかない、というまっすぐさ。個人的には主人公のちぐさや晴彦よりも、ままならなさを抱えながらもどうにかやっていく方法を身につけた大人たちに心を重ねてしまうのだけど、大人たちのそういうところがこの姉弟を苛立たせる原因でもあって、痛いところを突かれたような気持ちにもなった。

 

お昼ご飯は恋人と一緒に近所でハンバーガー。いつかテイクアウトしておいしかったところ。店内は薄暗く、若い女性の2人組が食べ終えた皿を前に話しているだけ。その2人組もしばらくすると席を立って、私たちが食べている時は他に客はいなかった。でも、ウーバーイーツの注文が入ったことを知らせる通知音は何度かキッチンから聴こえてきていた。

スーパーで夕飯の食材などを買って、恋人にそれを持って帰ってもらう。私は喫茶店で1時間だけ仕事。今日はなんとなく家では仕事と関係ないことだけしていたかった。一席だけ空いていたテーブル席に座って作業をする。

本当はまっすぐ帰って、できるだけ家にいたほうがいいのだろう。でも、適度に外で食事をしたり仕事をしたりしている今を「別にいいじゃん」と感じている自分もいる。結果的に気にせず出歩くわけでも完全にこもりきるのでもなく「状況に応じて」ということになっているのだけど、都度ちゃんと判断しているかというと怪しい。もう疲れてしまって、判断の基準が摩耗して、ろくに機能していない気もする。

 

帰ってきて、恋人と一緒に宇多田ヒカルの配信ライブのアーカイブを見る。「君に夢中」が良かった。音源ではさらりとしているからそこまで強く意識していなかったけど、演奏も歌唱もかなり難しそうな曲。正確に乗りこなそうとする時に必然的に切迫感が生まれて、それが曲と合っていた。ただ感情を爆発させるのではなく、抑制されたなかから濃縮したものがこぼれ落ちるような感じ。あとはサックスの音色が好きなので「BADモード」「誰にも言わない」も良かった。

欲を言えば、「気分じゃないの(Not In The Mood)」「Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー」のアルバム曲2曲も聴きたかった。

「気分じゃないの(Not In The Mood)」では「私のポエム買ってくれませんか?今夜シェルターに泊まるためのお金が必要なんです」と話しかけてきた人の詩を、ロエベの財布から出したお札で買って読む、という描写が登場するのだけど、その瞬間の空虚さが切り取られていてすごい。ノブレス・オブリージュのような規範を内面化していたら見過ごしてしまうような、本来人間の価値は等しいはずなのに、という実感が滲んでいて、「社会」からはみ出した本音のように感じた。

「Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー」は「僕はロンドン、君はパリ/この夏合流したいね/行きやすいとこがいいね/マルセイユ辺り」というカジュアルな歌詞が浮遊感のあるサウンドにのせて歌われるのだけど、これも「対等さ」という観点でみるとまた意味合いが変わってくるように思う。お互いの行きやすいところ、中間地点を探るということ。分断を超えること、あるいは境界線そのものがない場所を目指し、その状態を回復すること。深読みのような気もするけど、コロナ禍でカジュアルにはできない旅行が歌のテーマになっていて、かつ実際には合流できていないこと(歌われているのは「オーシャンビューの部屋」を「予約」するところまで)の地に足のついていない感じとみょうにリンクする。ただ、それは比喩というよりは暗示のようなもので、そのために作られた歌詞ではなく、個別具体的なシーンに時代のほうが意味を与えてしまう、みたいなことな気もした。

 

夕飯はきのこ納豆鍋。肉を使っていないのだけど、きのこや油揚げ、こんにゃくの豊かな歯ざわりがそれと同等の満足感をもたらしてくれる。ネトフリ版の『新聞記者』を見ながら食べた。

食後は一人で、見逃していた『はちどり』を見る。万引き、夜遊び、休学や突然の退職。規範の外へと身軽にアクセスする女性たちの足取りは、閉塞感を抱える主人公のウニにも影響していく。逆に、規範に自分自身を添わせようとする父親や兄の厳しさもウニに影響を与える(力を奪っていく)。潮の満ち引きのような人間関係と、その間で引き裂かれそうになる心を丁寧に見つめている映画だった。