ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

生き延び[2022年1月18日(火)晴れ]

スケジュールが遅れている記事の赤字修正を朝イチで戻す。そのあと、8時半くらいから出張の原稿のブラッシュアップ。前回の日記で書いた「パズルのピースが一気にはまっていくような感覚」になる作業のはずだったのだけど、今回はあまりその気持ちよさはなかった。文章自体は収まるべきところに収まっていくのだけど、なんとなく自転車のペダルが軽すぎる時のような感覚があって不安。思っていたよりも1時間近く早く作業が終わったのも、何か重要なことを見落としているのではないかと心配になった。

ひとまず、現時点での完成度は8割。今週あと一日作業日を確保できているから、そこでひとまず提出できる状態には持っていけるはず。

 

作業中、知り合いのライターさんから連絡。新年会に誘っていただいていたのだけど、「オミクロンの感染が落ち着くまで延期しましょう」とのこと。残念だけれど、自分も完全に同意。まん延防止等重点措置も適用になるみたいだし、しばらくはまた人とも会いづらくなりそう。結局(悪い予想が的中して)「新年会しましょう」と言っていた人たちとは会うタイミングを逃してしまった。声をかけたりかけてもらったりした人たちとは、きっとまた会う機会がと思っているけど、やっぱり寂しくはある。

そしてここで考えてしまうのが週に一度通っている会社のこと。つい先日「新年会をしましょう」とミーティングで言われて、参加の返事をしてしまったのだった。そこには、夏の飲み会や忘年会を断っていた後ろめたさがあった(忘年会は単純に都合がつかなかったのだけど)。予定日は今から少し先で、増加のペースをみていると、もしかしたら再び緊急事態宣言に突入している頃かもしれない。これまでのケースから判断すると、それでもおそらく予定通り行われるだろう。また断るの言いだしにくいなあ……。

会社では私一人だけ立ち位置がやや特殊で、フリーランスの出入り業者だけど元社員なので、みんなの接し方としてはほぼ社員、みたいな感じ。そして社員時代から数えると最古参だが、すでに社員ではないので、気を使いつつもけっこう自由にやらせてもらっている。

夏の飲み会を断った時は、これだけ感染が広がる中で参加したいと思えなかったことに加えて、不参加を言い出しにくい人もいるかなと思って自分から口火を切ったところがあった。ただ、その後の会社の人たちの様子をみていると、どうやらみんな私ほどは気にしていなさそうなのだった。だから一人だけ「めっちゃ気にしている人」みたいになってしまっていて、それも言い出しにくさに拍車をかけている……。

悶々としながら言い訳を考える。「フリーランスで取材などの予定もあるし、万が一かかった時のリスクがどうしても大きいのだ」という言葉が浮かぶ。でも、実のところリスクというのは一部分にすぎなくて、「感染が広がる中であまり人と飲食したくない。その自分の主義を曲げることに抵抗がある」というのが主な理由だと感じている。その言い方はだいぶ角が立つからそのまま言ったりはしないけど、「感染のリスク」みたいななんとなくみんなが理解を示してくれそうな理由で納得してもらおうとするのも、嘘ついてるみたいで嫌だなと思ってしまう。言い訳なんてそんなものだと、割り切ってもいいのかもしれないけれど。

もともとそんなに会社の飲み会を楽しめていなくて、その消極的な姿勢がみんなに思いっきり伝わってしまっているのも大きい(だって「結婚は男から切り出さなきゃ」とか言われるし)。それでも絶対に参加したくないわけじゃなくて、話したいと言ってくれる人もいるから参加しないとな、と思う気持ちもあるのだけど……ここで断ったら「やっぱり来たくないんだな」としか受け取られなさそうなのも悩む。それは自分が断り続けた結果でもあるのだけど……うーん。

 

少し時間が余ったので、乗代雄介『皆のあらばしり』を読み始める。ウザいけど絶妙に憎みきれないおっさんのこの感じ、いいですね……ニヤニヤしながら読む。芥川賞の発表は明日。

夕方からHMV&BOOKS 日比谷コテージで清田隆之さんの出版記念トークイベント。ゲストは澤田大樹記者。お二人の本の話、男らしさの現在地の話、面白かった。盛り上がっていたのは「男子校」の話で、そこで生まれる有害なホモソーシャル空間についてや、男子校を優秀な成績で卒業し、名門大学に進学したエリートがそのまま官僚になったりするので結果的に日本社会や政治の中枢にも男子校のようなノリ、不文律が蔓延してしまうなどなど。

話を聞きながら、私はつい最近読み終えた遠野遥『教育』のことを思い出していた。ある学校が舞台なのだけど、そこでは1日に3回オーガズムに達することが推奨されていて、成績も「4枚の伏せられたカードから正解を当てる」という、サイキックというか、オカルトめいた能力によって決められる。そういう外から見たらまったく意味不明な状況に過剰適応して、良い成績を残そうとしているのが主人公。登場人物は、男たちはだいたい成績をはじめとする能力によるパワーゲームに一切の違和感を抱いていなくて、その外に目を向けようとするのは基本女性。要するに、男性が置かれた場所に過剰適応していくこと、それによって内面が空洞化していくこと、完璧に適応してしまっているから自分がおかしいことにも気づけないこと、などが描かれていた。前作の『破局』からテーマが一貫していると感じる。そして、それは今回のトークイベントで繰り広げられた「男子校」の空気ともかなり通じるなあと思ったのだった。

 

質疑応答ではまさに男子校で教師をしているという方が質問されていて、そこで澤田さんが「自分が通っていた男子校にも同性愛者やトランスジェンダーの生徒はいたと思うし、今思うととても苦しかったのではないかと想像する。(男子校のルールの)外の風を入れてあげることが大事だ」というようなことを話していたのが印象的だった。二年生の時に行かなくなってしまったのだけど、私も中堅進学校の男子校に通っていたから、その時の自分に声をかけてもらったような気持ちになった。

まあ、私の場合は正直そんなにいい話ではないっていうか、犠牲者(なんとなく被害者という言葉よりはこっちが近いように思う。でも、どちらの言葉もあまりしっくりきてはいない)でもあり共犯者でもあるのだけど……中学での私は、経緯を忘れてしまったけど「早熟キャラ」みたいになっていて、雑誌などで仕入れた性の話を積極的にする子どもだった。どうしてそんなことをしたのか今考えてみると、そうすることでホモソーシャルな空間の中で自分を卓越化できたし、自分のセクシュアリティに対するアリバイ工作にもなるという、二重の利益があったのだ。すっっっごい愚か……そして切実……でも、同じようにしてどうにか生き延びたゲイの人もいるのではないかなと想像する。この話はまたどこかできちんと整理しよう。

日比谷コテージ店長の花田さんや、清田さんに少し挨拶。澤田記者の本にサインをもらう。帰って、恋人と一緒にフォーを食べた。今日の新規陽性者数は5185人、現在の重症者数は7人、死者0人。