ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

雷雨、エヴァ、打つ手なし[2021年3月13日(土)雨のち曇り]

雨と低気圧のせいで体調が狂って、午前中を棒に振ってしまった。朝から仕事をする予定が崩れてしまったし、なんか天気が悪いのがそれっぽいなと思って、明日行こうと思っていた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に今晩行くことにする。たくさんの映画館で一日に何本も上映しているけど、どの回も残席わずか。IMAXで見たい気がしたけど良い席がなかったので、新宿ピカデリーで16時50分の回を予約した。

寄りたいところがあったし昼過ぎから出かけようと思っていたけど、その時間から雨風が強まってくる。なんでこんな日に映画のチケットとったんだろうと、ノリで動いた数時間前の自分を恨む。しかも冷静に考えると「天気悪い=エヴァっぽい」というのもよくわからないし。

恋人は「エヴァっぽいじゃん」と皮肉なのか励ましなのかわからないようなことを、両方が打ち消しあってニュートラルになったような声で言う。それぞれリビングで本を読んでいるとドーンと大きな雷鳴が響いて、私のバカさを二人で笑う。またすぐに近くの空を稲妻が走って、私たちの部屋も光る。

 

15時過ぎには少し天気が持ち直してきた。今のうちにと駅へ急ぐ。近くの紀伊国屋書店、ピカデリーの下にある無印良品で少し買い物をしてから劇場へ。以下、(この場所は基本そうだけど)ネタバレありです。

 

映画を見終えたら家に帰って、すでに見ていたM、たまたま今日違う場所で見ていたN、Hと感想を話す。みんな私よりもずっと気合の入ったファンで、旧劇場版やアニメシリーズとの比較を足がかりに話していた。私は新劇場版から入ったし、アニメ、旧劇場版の内容がかなりうろ覚えなので、彼らの感想や考察を楽しく聞く。

後半で碇ゲンドウの独白があって、私は「長い上にしょうもないな……」とちょっとしらけてしまった。でも、Hに「あの場面こそ必要だった」と力説される。話を聞いてもしょうもないという感想はあんまり変わらないのだけど、ただしょうもないことをそのまま話すこと、そしてそれをしょうもないものとして扱わないシンジの態度は重要だったと思い直した。話して、聞いて、認めるというプロセスは、自分の中を逡巡し続けるループ構造から抜け出す鍵になるし。

第三村での生活を「ポスト資本主義」の世界を描いているという話も面白かった。今回はいろいろな最先端の思想と接続できそうな、2020年代に完結する意味を支えるような場面がところどころにあった。

件のゲンドウの独白は男性学的な話に引きつけて語れそうだし、ジェンダーの話でいえば、エヴァ作品の女性キャラの神格化は「崇めているようで矮小化している」という信田さよ子さんがよく言っている批判に当てはまるところがあるように感じていたけど、今作ではそこからも解放するようなところが見られた。それはフェミニズム的視点の導入というよりは、キャラクターを尊重し旅立たせるという行為の副次的効果としてそうなった感じ。でもその経路が一番理想的だと思う。

贖罪・責任というテーマだと國分功一郎さんの中動態の話や、熊谷晋一郎さんとの共著『〈責任〉の生成』あたりも参考になりそう。それこそ、『ユリイカ』とかで特集を組んでも良さそうなものだけど、今のユリイカはもっと若い読者がターゲットなんだろうか。

 

24時前に終了。恋人のいるリビングに行ったら「緊急事態宣言解除だって」と言われる。ニュースを見たら21日で解除の方向で動くとのことで、しかしその判断理由は後ろ向き。専門家組織の会合では「もう打つ手がない」という意見も出たそうで……この2週間特に新たな手を打っていたようにも見えないのに、じゃあこの再延長はなんだったんだという。たしかに宣言は形骸化してしまっているかもしれないけど、何も対策やっていないのをこちらのせいにされているようでイライラ。エヴァの人間賛歌からの惨憺たる現実。『シン・ゴジラ』みたいに一回全部終わってくれ〜という気持ちになったけど、現実にすべて焼け野原になるような状況が訪れた時、再起不能なほどの被害をこうむるのは立場が弱い人たちで、それはコロナ禍が実証してしまったことでもある。