ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

ハッピーアワー、コールドムーン[2020年12月30日(水)雨のち曇り]

13時から友人たちと渋谷シアター・イメージフォーラム濱口竜介『ハッピーアワー』。15分前に待ち合わせをしていたけれど、なんだかんだでみんな集まったのはギリギリに。Mが事前に買ってくれていたチケットを受け取って、トイレを済ませて劇場に入るともう予告編がはじまっていた。

 

『ハッピーアワー』を見るのは、私は2回目。恋人とMははじめてで、NとHはもう何回も見ているという。3部構成で5時間超という長さは見始める前はちょっと気合がいるけれど、はじまってしまえばあっという間だ。人間の存在を圧縮せずに立ち上げていくための大きな土台であり、観客が作品世界に溶け込んでいくための時間でもある第1部。物語が大きく動き、それぞれの感情がもつれていく第2部。そのもつれを断ち切りながら、これまで見えていなかった側面が浮かび上がってくる第3部。それぞれの間には10分ほどの短い休憩時間があったのだけど、私たちはそのたびに地下のシアターから地上へ出て、早口で感想を言ったり聞いたりした。

 

以前見たのは3,4年前だから忘れていたシーンも多くあったのだけど、それでも前回よりも全体を把握しながら細部を見られたような気がする。特に第1部と第2部で丁寧に描かれた時間の重さがそのまま高負荷の重力になるような、張り詰めた第3部に圧倒された。

第1部と2部はあかり、桜子、芙美、純という4人の主人公が抱える不安や葛藤を中心に描いていて、4人の中に流れた時間や温度を、観客はストレートに受け取る。渡される情報には謎めいたものもあるが、それでも基本的にはカメラが映した通りに受け取ることができる。純の家に離婚調停中の夫である公平が訪ねてくるシーンがあるけれど、公平が話している時、逆光になっていてその表情をまったく読み取れない。離婚を望み強く拒絶する純をそれでも追い続ける公平を、理解不能な存在としてカメラも捉えていると思う。

第3部になるとそれが翻る。たとえば、能勢こずえという小説家が朗読をするシーン。抑揚のない単調な語りを長尺で流して観客に退屈な思いをさせたあと、居眠りをしたりヘッドホンで音楽を聴きだす人の姿を映すことで、それが正しく退屈であると切り取る。ところが、朗読後に急遽ゲストとして登壇することになった公平がその朗読を絶賛するのだ。しかも、私たちにも伝わる明快な論理と、静かだけど確信を帯びた言葉で。退屈なものだった能勢の小説と朗読が、一瞬で切り捨てられない(かもしれない)ものへと裏返る。得体の知れない存在だと思っていた人が心のやわらかさを使って、私たちの前提を容易に覆していくのはかなり怖かった。

そのあとの打ち上げのシーンでも、公平は自分の論理を毅然とした態度で貫く。カメラはその語りを真正面から、今度ははっきりと表情が見えるかたちで映している。そんな風に、第3部ではこれまで描かれなかった男たちの内面が、彼ら自身によって語られる。4人の女性たちを疲弊させ、抑圧するばかりだった男たちの論理や弱さが明らかにされたことで、観客は戸惑い立ちすくむ。だけどそうしているうちに、観客ではなく当事者である女性たちはそんな男たちのことなど振り切り走り去っていく。腹の底で感じていることに突き動かされて。

実際にはそんなに男女で綺麗に二分できるほど単純な構図ではないのだけど、何かそういう女性が自分自身を解放することと、男性の弱さがあふれ出る瞬間が、今回はとても印象に残った。それはもしかすると、2020年個人的に「連帯」や「シスターフッド」という言葉をよく聞いたからでもあるのだろうか。抑圧に気づいて、時にはぶつかったり手を貸したり、行動によってやり方を示したりしながら全員がばらばらに解放へ向かっていく姿には、そんな言葉を使いたくなった。もちろん、4人の関係はそれだけで言い表せるものではなくて、もっとぐずぐずとした、往生際の悪い強さみたいなものがあるとは思うけど。

 

映画を見終わると19時で、外は暗くなっていた。みんなで歩きながら映画の感想を話す。Mは第3部の朗読会後の打ち上げのシーンを話していた。公平が純を追い続けることに、芙美と桜子は「あなたが追い続ける限り純は戻ってこない」「私たちのもとに純を返してほしい」と言葉をぶつける。そこに能勢が「芙美さんと桜子さんは自分の主張のためにこの場にいない純さんを利用しているように見える」と口を挟むのだけど、「能勢さんの言ってることは正論だからぐぬぬとなる」みたいなことを言っていた。

たしかにあのシーンは、私もはじめて見た時は冷水をかけられたような気持ちになった。でも今回見た時はあまりそうは感じなくて、むしろそうして純の気持ちを代弁できているような、自分と純が同じ気持ちでいるような錯覚を信じて突き動かされてしまう芙美や桜子の肩を持ちたいと思った。Nも「自分が純だったら芙美みたいに言ってくれる友達がいたらうれしいけどな」と言っていた。

 

いつもならどこか居酒屋にでも入るところなのだけど、私と恋人がこの年末年始は少なくとも人との会食は控えようと決めていた。途中ローソンでめいめい飲み物やホットスナックを買って、また少しあてもなく歩く。表参道の交差点に「R番地」という、エナジードリンクのRAIZINが提供している公園のようなスポットがあったので、そこに座って話をすることに。私の座った席からは満月が見えて、流れの速い雲がそれを時折隠していた。

5人で集まるのは久しぶりな気がしていろんな話をしたかったけれど、ニュースでも言われている通り大寒波が来ていて、とにかく寒い。風がなければそこまででもないのだけど、テーブルに置いた缶が倒れそうな突風が止まない。30分くらいでギブアップ。「明日紅白でも見ながらオンラインでまた話そう」と言って、今日はお開きになった。屋外だからコロナ対策にはなったけどかえって風邪をひきそうなシチュエーションで、付き合わせてしまって悪いような、笑えるような気持ちが混ざり合う。

 

原宿駅まで歩いて、駅のホームで電車を待っている間にペットボトルのお茶を買う。温かいはずのボトルを握っても温度を感じられないほど手が冷えていた。電車に乗ると次第に感覚が戻ってきたけれど、あたたかい血が身体中をめぐりはじめたせいで、右のわき腹にできている湿疹のかゆさを思い出す。途中、電車がなんらかの事故で30分ほど動かなくなってしまって、窓もドアも開いた電車の中で恋人と話したり黙ったりしながら運転再開を待った。

ようやく駅に着いて、冷えた体を温めるためラーメン屋に入ってワンタン麺を食べる。白いタートルネックを着ている恋人がiPhoneの画面を見せてきたのだけど、そこには似たような白いタートルネックを着た冨永愛さんが、ラーメンの前で「いただきます」と手を合わせている画像が写っていて、「同じように撮って」と言われた。早く食べたかったがどうせやるならと思い、「もうちょっと顔を右に向けて。それで目線だけカメラに」などと真剣にディレクションをした。