ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

過剰適応と権威性[2021年3月10日(水)晴れ]

前回の日記で書いた「原稿を提出する前に『という』『と思います』などをカットできないか見直してほしい」というツイートについて引き続き考えていた。あのあと、ツイートをした編集者の人は投稿を削除したようで、不適切な内容だったと謝罪する投稿が誰かのリツイートで流れてきたのを見た。

考える中で、これは権威性の問題だったと気づく。編集者とライターの力関係は媒体や作っている内容によっても異なると思うのだけど、「発注側」である編集者が構造的に上に立つことが多い。制作の現場では対等だとしても、ライターとしては頭のどこかで「面倒なことを言うと、仕事を切られるかも」と考えてしまうことはあるし、それが弱みになって強く主張できないことは少なくない。だからこそ、文章を書く人を尊重している編集者ほど、権威性をまとう振る舞いから距離を置いているように思う。それが構造に意識的だからなのか、文章を書く人を尊重した結果自然にそうなるのかは人によるけれど。

 

私は全面的にあの編集者の方の投稿を首肯していたわけではないし、「どっちのパターンもあるよね」という考えに変わりはない。ただ、この問題を考える上で権威性のことがすっぽり抜け落ちていたことにぞっとした。それは過剰適応しがちな私の性格と無縁ではないだろう。権力勾配の下にいる時、過剰適応は自分自身だけを傷つけるものだけど、上にいる人間がそれをやると大勢の人を巻き込む。同じ仕事を長くやっていれば自然と上に上がることや、上にいる人として見られる機会が出てくる。その場合でも適切なのか、有害さをまとってしまう危険はないか、もっと意識しなくてはいけない。

過剰適応が何から来るかといえば、原因はいくつかあるけど私の場合は主に自信のなさや、コミュニケーションに対する臆病さからきていると思う。なかなか難しいけどどうにかしていかなければ。

 

朝から撮影の立会いのため渋谷へ。スタジオが駅から徒歩20分ほどのところにあり、バスもあるようだったけど歩いていく。風は強いけど、天気がよくて気持ちがいい。渋谷でもいつもあまり行かない方面で、特に何があるわけでもないけどなんだか楽しかった。撮影のあと、家に戻って仕事をして、オンラインで取材。本当は取材も対面で行う予定だったのだけど、緊急事態宣言が延長になったためオンラインになった。

取材の前後で昨日の取材の文字起こし。そういえば、昨日の取材も駅から徒歩20分ほどのところで行ったのだった。なんだかよく歩いている。そして今週は取材が多い。本当は7日で宣言が解除の予定だったから、みんなこの週に詰め込んだのだと思われる。

 

夕方からプールへ。ちょうど日が暮れていく時間で、宇多田ヒカルの「One Last Kiss」を繰り返し聴きながら向かう。1オクターブ低い声で「忘れられない人」と歌われる時、いつも底の見えない穴を覗いたような気持ちになる。

意味や隠されたメッセージやレトリックばかりが「深い」ともてはやされるけれど、私は深読みを拒否しながら深淵をたたえて存在しているものが好きだ。そういうものに言葉は追いつかない。「吹いていった風の後を 追いかけた 眩しい午後」という終わり方もすごい。

 

今日は時間をかけて2キロ泳いだ。タッチターンで、足を床につけずに1キロ泳ぐのを2セット。