ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

生産的ではない過ごし方の3つのレベル[2020年9月17日(木)曇り]

秋鮭を朝から焼く。昨日の夕飯はシチューと鮭のムニエルにするつもりだったのだけど、恋人の仕事が忙しく、待っていたら23時過ぎになってしまった。夜も遅いので軽めにしたく、ムニエルはスキップ。代わりにそれぞれの昼食用に鮭の幽庵焼きを作ることに。調味料に漬け込んでいる間に日記を書いた。

 

昼までに原稿の修正対応をして、鮭、白米、インスタントのスープ春雨で昼食。食べている途中で電話がかかってきて、そういえばUQWiMAXから長期契約者向けのプラン変更やポケットWi-Fiの機種変更の案内の電話を、今日の昼にもらう予定だったのを思い出す。スピーカーモードかつこまめにこちらの音声をミュートして、食べながら電話。めちゃくちゃ偉そうだな……と思いつつ、対応してくれている方に気づかれなければ大丈夫だろうと静かに食べる。啜って食べるスープ春雨に苦戦した。

案内してくれた内容はどれも良さそうだったので、言われた通りに契約内容を変更。最近UQ mobileに機種変更したためセット割も適用されるそうで、携帯料金もちょっと安くなった。

 

昼過ぎからは急ぎの仕事がなく、そしてやる気も起きず、ひたすらにだらだらと過ごしてしまった。時間がある時は料理を作ることが多いけれど、昨晩のシチューが冷蔵庫を圧迫していて作り置きを入れる余裕がない。プールも昨日行ったため、筋肉痛で今日は行けず。日記の整理とか、企画のリサーチとか、やることはあるのだけどついサボってしまった。

私には「平日は生産的な活動をする(お金を稼ぐ)もの」という感覚が染みついてしまっているらしく、今日みたいに過ごすと自分がとても駄目な人間のように感じる。オンオフの区切りがなくなりがちなフリーランス、モードを切り替えられる外的な要因があるのは必ずしも悪いことではないけれど、縛られると苦しいのが難しい。

そして生産的ではない行動にもいくつかの段階があって、それによって後ろめたさも違ってくるなと思う。レベル1は「直接的にはお金を生み出さないが、自分の土壌を耕している状態」。私の場合は読書とか、映画を見るとか、日記を書くとかがこれにあたると思う。

レベル2が「お金を生み出さず土壌も耕していないが、割り切って休めている状態」。疲れがたまっていて、休んで心身を回復させた方が良いなと感じている時がこれに当たる。で、最後のレベル3が「何もできていない上に、その自分を許せていない状態」。今日の日中はこれで、後ろめたさレベル、自分のことを駄目人間だと思うレベルではマックス。この状態だと休んでいるようで、かえって精神的にダメージを受けることになりがちである。

レベル2と3の違いは要するに「納得して休めているか」という気持ちの問題である。だから精神を安定させる上では一見レベル3をどれだけレベル2に引き下げるか、あるいは頑張ってレベル1に持っていくか、が要になってくるように見えるけれど、レベル1、2は結局「生産性のための休息」だ。だからそれだけになってしまうのは、休むことまで生産性に回収されているようで、なんだかなあという気持ちもある。

ということは、3の状態が重要なのだろうか。居心地の悪さを感じつつ、「そんな時もあるかも」と受容しようとすることで、ちょっと距離を取れるというか。

「生産性の呪い」みたいな表現をよく聞く。この言い方だと生産性そのものが悪いように感じられるかもしれないのだけど、私は必ずしもそうではないと感じている。問題は生産性と自分の主従関係が逆転していないかどうか、だと思うのだ。一分一秒たりとも無駄にしない気持ちで生活していて、その基準をクリアできない自分を良くないと感じるなら生産性が主になっている。逆に、生産的な時もあれば、そうではない時もある、という態度でいれば、主体を自分に取り戻せるかもしれない。レベル3はその取り戻すきっかけになり得る。

なんだかんだ理屈をこねてみたけど私は何もできない自分に傷ついているので、現状呪われているのだと思う。ただ、自分が縛られていることに気づくのは、動きを制限され、糸が肌に食い込むのを感じた時だ。だからまあ、そんな日があってもいいのではないでしょうか。最終的にはもうちょっとカジュアルにレベル3状態の自分を許せるようになれたら楽かもしれないけど、そこは人生において生産性をどれだけ重視するかによって変わるので、必ずしもすごく楽にならなくてもいい、とは思う。

 

これは振り返って書きながら考えたことなので、過ごしていた当初は悲しい気持ちでいっぱい。17時からオンライン会議があったのだけど、これがなかったら今日一日ずっと自分は駄目な人間だと落ち込みながら何もできなかったと思う。切り替えられてよかった。予定があるのは大事だ。

はじめて関わる媒体の企画会議だったのだけど、以前から好きでよく読んでいたのでとてもうれしい。普段なら企画会議はみんなで集まって、終わったら飲み会になることが多いといいう。でも今回はオンラインなので飲み会はなく、終了後に20分ほど雑談したくらい。オンラインは移動の手間や時間がかからないのは楽だけど、こういう時にちょっと寂しいなと感じる。必要なこと以外をやりにくいというか、「直接的な仕事ではないが、関係性の土壌を耕す状態」を作りにくいというか。