ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

完璧なもの(を思う)[2021年5月26日(水)晴れ]

金曜日に手術した部位は、膿をしっかり出し切るために縫合せず傷口をそのままにしてある。だからずっと血と膿が流れ出ていて、医者からはそれを受け止めるガーゼをもらっていたのだけど、このガーゼがなかなかうまくいかない。お尻の近くで傷口を見て貼ることができないし、ガーゼがどれだけ汚れたかの確認もしにくい。立ったり座ったりすると固定するためのサージカルテープがつっぱって、その途中で剥がれてしまうこともある。

結局、早々にガーゼはやめて、成人用おむつを使うことにした。最初は抵抗があったけど、恥ずかしさよりも便利さと面白さの合計点が上回った。おむつ事情にはまったく詳しくなかったのだけど、最近はとても薄型のものがあるようで、ごわごわするような感覚もなく、普段下着を履いているのとまったく同じ感覚で使える。ガーゼのようにずれて下着を汚していないか心配になることもないし、汚れ具合を確かめる時はおろして確認すればいいので楽。排泄は普通にトイレでするから出血と膿以外で汚れることはないので、頻繁に取り替える必要もなし。

 

今朝も起きてすぐにトイレへ行き、おむつの汚れ具合を確認した。手術からだいたい5日くらい経つけど、だいぶ出血や膿の量が減ってきた気がする。ここまで痛みなども特になく、自分の感覚としては経過は良好。5日分の処方だった抗生物質も今日で飲み終わる予定だ(7日分の薬もあるので、まだ投薬は続くけれど)。

シャワーを浴びる時、おそるおそる傷口を触ってみる。痛みはないけれど、体の内側に触れてしまった時の妙な不安がせりあがってきて、すぐに指をひっこめた。触ってみて、皮むき器の横にあるじゃがいもの芽を取る部分、あれを親指の爪くらいの大きさにしたもので鳥もも肉をくりぬいたらこんな感じなのでは、と連想した。ちなみに、穴は親指の爪ほどの直径のまま直腸につながっているわけではなくて、大きく開いているのはあくまでもお尻側の付近だけ。そうするのは、しっかりと穴を開けないと膿が出きらないからだそう。直腸側の穴はおそらくこれよりずっと小さくて、だからそこから便などが漏れるということは、少なくとも私の場合はない。

なんか面白くてじっくり観察してしまう。このあと肉が徐々に盛り上がり、穴が小さくなっていくという。人体の不思議を思いながら新しいおむつにはき替える。

 

関わっている雑誌が今日でようやく校了。月曜日くらいまで慌ただしかったけど、今日時点ではもう私の作業はほとんどなし。念校があがってきて、「大丈夫なので進めてください」を繰り返す。一つずつ終わって手離れしていく感じがすがすがしい。

日中は来週の取材のための資料を読む。私も好きなあるブランドのデザイナーへのインタビューで、個人的にも気合が入っている仕事。食事会も予定されていてすごく楽しみにしていたのだけど、コロナの影響を考慮して断念することにした、と編集者の方から連絡があった。残念。そのぶん取材に集中しよう。

 

資料を読み終え、17時前にスーパーへ買い出し。その間、『荻上チキ・Session』の昨日の特集「LGBT理解増進法案の行方と課題」を聞く。荻上さんの端的な質問に対してゲストの皆さんが答えにくそうにしていたり、前置きが長くなったりする場面が他の特集の時よりも多くて、そのこと自体が今のLGBTQ+を取り巻く状況の複雑さを一番明らかにしていたように思う。言い淀みやエクスキューズの中に、無数の切り捨ててはいけないものがあった。

この法案について意見を聞かれたライターの鈴木みのりさんは「知らないところで話が進んでいる感じ」「それを通すのが果たしていいことなのか本当にわからない。わからない以上は反対」と、発話する直前ぎりぎりまで言葉を選ぶようにしながら話していた(書き起こしだとその逡巡が伝わらないのだけど)。そのあとでfairの松岡宗嗣さんが「反対か、と聞かれると難しい」「これは差別禁止の実効性があるものではなく、理念法と呼ばれるもの。今なぜこんな法律を、と思う気持ちもあるけれど、このレベルの法律でここまでの反対が起きる現状を考えると、使い方によっては前進する部分もあるのかもしれない。その部分を取る考え方もあるが、かえっていろんな議論を後退させてしまう可能性もあって難しい」と話していたのも印象的だった。

なんというか、綺麗な水は望めないから汚れた水を飲むか、引き続き喉の渇きに耐えるか、みたいな状況。そしてKGBTQ+当事者のための法案であるはずなのに、そういう状況を生み出してしまっているというのは、やっぱり当事者のごく一部だけのことしか見えていないからなのかな、と思う。

最後のほうで清水晶子さんが話していた「性自認をめぐる発言で批判を受けている山谷えり子議員は、2000年代のジェンダーバックラッシュの中心的人物」「当時の性教育に対してもそうだったけど、スキャンダラスにプレゼンテーションしたいものを集中的に取り上げて、ジェンダーセクシュアリティの一般的な人権保障や差別禁止を押し戻していく、というの構造がすごく似ている」というのも勉強になった。同じ人が同じ手法で事態を転覆させようとしているのだと思うと、見え方は変わってくる。

 

スーパーの帰りに本屋に寄り、よしながふみきのう何食べた?』の18巻、こだま『縁もゆかりもあったのだ』、荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』などを購入。帰ってきて『きのう何食べた?』を読んだ。なんだかんだと言いながら結局読み続けている漫画。単行本は年に1冊くらいのペースだから1年ぶりくらいに読んだけど、この1年で自分が完全に「二人暮らしのゲイカップルの(主に)料理担当」になったので、より身近なものとして読んでいる気がする。こんなに倹約にこだわったり手間をかけたりする余裕が自分にはないが、シロさんの彩りや器をほぼ気にしないところは限りなく自分に似ている……。

まあこの漫画に限らず、この1年は料理系のコンテンツを見る機会が増えたし、共感を覚える回数や解像度が圧倒的に向上している。

 

夕飯はオムレツ。白ごはん.comのレシピをベースに、にんじんをピーマンに変えて作る。

オムレツは以前、テフロン加工がはげたフライパンを使って失敗したことがあるのだけど、今回はテフロン加工がしっかりしているフライパンを使う。おかげでくっついて卵がボロボロになるのは防げたが、くるんだり、皿にうつすのがうまくいかない。前回のボロボロ度が100だとしたら、今回のボロボロ度は一つ目が50、二つ目が80くらい。二つ目はフライ返しを使って勢いよく、裏返しながら皿にのせようとしたら、中途半端に着地してボロボロになった。綺麗に裏返せていれば限りなく高得点だったと思うのだけど。恋人は「皿をフライパンに重ねればいいんじゃない」と言うが、熱い油が滴ってきそうなのが怖くて躊躇してしまう。味は同じだし、火傷するくらいなら崩れたオムレツで構わない。一度くらいは完璧なオムレツを作ってみたい気持ちもあるけれど。