ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

未来のLove Song/発見の喜び[2021年5月8日(土)晴れ]

ダムタイプ「S/N」の記録映像を見た。9日までの配信で、この週末のうちに見なければと思っていたもの。ダムタイプは昨年新作パフォーマンス「2020」の記録映像を年末に3日間限定で配信していたのだけど、見たのが公開終了数十分前だったことを覚えている。ぎりぎりで見終えたことをTwitterに投稿したら、同じタイミングで見ていた人が他にも何人かいて、図らずも、そして見終えたあとだったけど同時上映のような一体感を味わった。今回は特にそういうタイミングではないからつぶやくこともなく、一人で見る。もしかしたら世界のどこかにたった今見ている人はいるかもしれないけれど。

 

1995年(初演は94年)当時のエイズや同性愛、人種、セックスワークをめぐるリアルな語りと、印象的なパフォーマンスが繰り返される。前半、登場人物の一人であるピーターが「現在のLove Songはどうなってる? そして未来のLove Songはどうなっていくでしょうか」と問いかけ、テイちゃん(古橋悌二)が現在のラブソングは異性愛中心で男女のジェンダーロールも決まっている、ゲイやレズビアンもそのパターンをなぞっている、というようなことを返す(憂鬱と明晰が入り混じった平熱の言葉遣いで)。見ながら、「未来のLove Song」は聞こえているのだろうかと考えた。公演から四半世紀が経った今は、記録映像から見れば未来になる。

 

「S/N」では、轟音に紛れて聞こえない大声、言葉にならない叫び、耳を傾けても翻訳や字幕なしではうまく理解できない語りといった様々なバリエーションで、ノイズとして排除される「声」を表現していた。その時代の過酷さを思うし、それは2021年においても、多くの局面では変わっていない。だけど同時に、現在は別のチャンネルが開かれている、とも思う。それがノイズではなく、声であることを伝える場所、轟音(これも現代においては部分的にではあるけれど、一つの大きな音というよりたくさんの小さな音の重なりのようなものに質的に変容してきていると思う)から逃れて耳を澄ませられる場所が増えてきたように思う。

聴覚障害を持つアレックスの語り*1を見ながら、なんとなく思い出したのが森栄喜さんの朗読のパフォーマンスや近年の作品だった。そこでは(ボリュームとしても、内容としても)小さな声を小さなまま届ける試みがなされていて、耳を澄ませることが受け手にも求められる。そこで生まれる親密さの中に、政治性が宿る。そこに「未来のLove Song」の糸口があるのかもしれないと思う。

印象に残った場面がたくさんあったけれど、二人の人が互いの手首をナイフで傷つけ、その赤い傷口をゆっくりと重ね合わせるシーンが美しかった。口づけのようで、SEX,LOVE,LIFE,MONEY,DEATHといった作品のテーマにつながるメタファーでもあった。

 

*

 

夜は久しぶりにこのブログのための日記を書く。人が読んでもまったく面白くなさそうな内容だし、なんだかうまく書けない(それは今日の日記も同じ)けど、ひとまずそれでもいい、と思う。

最近はEvernoteの日記も書く気分になれず、義務的に、嫌なものを薄目で流し見するような態度で書いていた。それなのでブログのための日記も滞っていたし、書くことで消耗するのではないかと思っていたけど、結果は意外にもその逆で。なんてことのない風景でも、スケッチしようとすれば適度な集中力と発見の喜びがある、ということを思う。だから人が読んで面白いかどうかは、少なくともこの日の日記においてはその価値を左右しない。

 

日記を書いたあとはご飯を食べて、久しぶりに湯船に浸かる。夕飯の買い出しの時に買ったKneippのバスソルトを入れたせいか、体がかなり温まった。窓を開けて夜風にあたって、少し涼む。

*1:「あなたが何を言っているのか分からない。でもあなたが何を言いたいのかは分かる」。跳躍するブブ・ド・ラ・マドレーヌをしっかりと支える瞬間の静謐な美しさにも打たれた

コーラ[2021年5月6日(木)晴れ]

ゴールデンウィークは1日だけ友達と会って、恋人と近所の公園に出かけた以外は家で過ごしていた。5連休だったけど仕事ややらなくてはいけないこともあって、4日、5日は半日仕事。今日は一日会社へ行く日だが、そうして2日前から助走をつけていたので気分的なつらさは少ない。ただ、なかなか朝は起きられず。朝から活動を開始したいから6時半に目覚ましをかけるのだけど何度もスヌーズを使ってしまって、二度寝を繰り返すうちに深い眠りがやってくる。引きずり込まれるようにスヌーズを無視してこんこんと眠り、結局起きたのは8時半だった。

 

出社前にやろうと思っていたことすべてはできなそう。取捨選択して、今日提出の原稿2本の仕上げ。どちらもほとんど完成しているもの。途中で時間切れになってしまったのでGoogle Driveにデータを突っ込んで、残りは会社でやる。1本めのデータをドライブに入れ忘れていたことが発覚し、「あー…」となった。帰宅後に送るしかないが、遅くなってしまうのが申し訳ない。

 

連休明けということもあってか、打ち合わせやフィードバックが多め。助走はつけていたが、職場で働くのはそれとは別種の疲れがある。気温や季節の変化についていけず、体に熱がこもっている感じがするのもつらい。

定時まで働いて即帰宅。帰り道に自販機でコカコーラのミニボトルを買って久しぶりに飲んだらかなりうまかった。頭や体の奥底にある疲れには届かず、浅く部分的ではあるのだけど、それでも生き返った感覚を覚える。混んでいる中央線を避けて、総武線で帰宅。GWはインドの変異株について(情報がいまいち少ないが)調べていて、警戒感を強めている。緊急事態宣言は結局延長になりそうだし、それなのにオリンピックは開催の方向で動いているようで、もう何が何やら。

 

一駅手前で降りて、さっきのコーラをちびちび飲みながら帰る。歩いている途中、ミツメの初期の「migirl」という曲に似たような歌詞があったな、とふと思い出して聴いてみる("コーラ自販機で買って飲みながら帰ろう どこにでもあって君思い出すね"という歌詞だった)。ファーストアルバムに入っている、どことなくくるりっぽい曲。音楽は心地よかったけど、歩くうちにシャツの内側に熱がこもって、かえってだるくなってしまった。

 

帰宅後は家のPCを開いて原稿を送付、それからメイ・サートン『今かくあれども』を読みはじめる。読み始めて、これ小説だったのかと気づく。『独り居の日記』のような鮮烈な失望や怒り、後悔、自分自身の手で平和を取り戻そうとする文章を求めていたのだけど、小説だと少しニュアンスが違うかも(テーマは通底する部分がある)。とりあえず読んでみよう。

しかし木・金と有給をとって9連休にしている恋人がやけにハイテンションで、読書中に話しかけてくるので全然進まず。それでなくともあまり頭が働いていない気がしていたので、本を閉じて話をしたり甘いものを食べたりした。

違う立場[2021年4月29日(木・祝)雨]

7時ごろ起きて、昨日の夜疲れていてできなかったメールの返信など。恋人は昨日からの腹痛がまだ治らないそうで、「病院行こうかな……」と心細そうな声で言っている。お弁当に持って行った鶏肉が生焼けだったらしい。熱や他の症状はないみたいだけど、ただの腹痛にしては長引いているのでちょっと心配。しかし今日は午前中から「Books & Something 2021(ブクサム)」の手伝いがあるので、気にしつつ支度をする。

タバブックスの宮川さんが「うちのブースでZINE売ってもいいですよ!」と言ってくれたので、『消毒日記』を持っていくことに。なんだかんだで2刷も残り少なくなってきていて、もう一回刷るかどうか悩ましい。イベントに出すとそれなりに売れるし、コロナの真っ只中の記録として面白く読んでくれる人もいる。記録としての日記の価値は時間が経つごとに増していく手応えがあるけど、書いた本人としては時間が経つほど当時の自分と距離が開いていくので、それを売り続けることにやや違和感がある。この日記を書き続けることで違和感を埋め、当時と今を地続きのものにしているつもりだけど、ZINEというかたちになっているものの強度はやっぱり高い。続編を作るべきなのだろうか。日記ではなくても、何か今の自分が書いたものを。

特典としてつけているペーパーを準備しようとしたらもう3枚くらいしかなく、慌ててコンビニへコピーしに行く。出かけるついでに恋人に何か買ってきてほしいものがあるか聞くと、「経口補水液とゼリーの飲み物……」とまた弱々しい返事。小雨が降るなかファミマへ。経口補水液はなかったのでグリーンダカラとウイダーinゼリーなどを買う。

 

帰ってきたら恋人は再び眠っていたので、枕元にダカラを置いてあとは冷蔵庫へ。準備を終え、朝食を食べながら祝日でも診療している近所の内科を調べる。別にそのくらい恋人自身で調べられると思うのだが、先回りするようについやってしまう。

こういうちょっと過保護なサポートの仕方は完全に母親似。当時はそれを疎ましく感じたこともあったけど、今は母がどんな思いに突き動かされていたのかがちょっとわかるから、少し違った立場から受け取れるように思う。よさそうなクリニックを見つけて、恋人にLINE。iPhoneが短く振動する音が聞こえた。

 

雨はさっきよりも勢いを増していて、『消毒日記』が濡れないように気をつけながらバス停まで歩く。環七通りをまっすぐに走るバスで、会場の新代田Feverへ。

ブクサムは本当は1月に開催予定だったけど、緊急事態宣言の発出によって延期に。その延期後の日程がまた緊急事態宣言と重なってしまったけど、今回は開催を決めたようだった。いくつか直前で出展を見合わせるところもあったけど、そこにはそれぞれの判断がある。

 

私の今日の仕事は受付スタッフ。来場した人がマスクをしているか確認し、手指消毒と検温をお願いする。自分が客側の場合、入り口での検温や消毒はもはやほとんど流れ作業のようにこなすだけになっていたけど、運営側にまわってみると本当にしっかりやらなくてはという気持ちになる。責任重大で緊張。幸い、ほとんどの人が言われる前から消毒をしてくれたし、検温の際には自ら髪をあげて額を出したり、エラーが出てこちらがもたついても嫌な顔せず待ってくれたりする人も多くてありがたかった。

緊急事態宣言中だし、雨も降っていたからどのくらい人が来るかわからなかったけど、けっこう賑わっていたように思う。しかし一度にたくさん来ると入場制限をしなければならず、混んでるかもと思ったらその都度、交通量調査で使うようなカウンターで場内の人数を数えた。たくさんの人が楽しそうに集まっているのをそのまま喜べないのは、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる感じですり減る。

こうしたイベントや接客を毎日の仕事にしていて、自分や働いているスタッフの生活もかかっている人が感じる重圧や複雑さに少し触れた気がした。もちろん、私が関わったのは時間も責任も本当に少しだけだから、そのすべてを理解するには程遠い。それから日常的にその環境に身を置いていることで、やり抜く術や気持ちの落としどころを見つけている人もいるだろうから、感傷的になりすぎるのも勝手というか、それを生業にしている人たちの力を軽視することにつながる気がする。だからどう書くべきなのか、書きながらよくわからなくなっているのだけど……あらゆる判断には単純に言い切れない感情や込み入ったプロセスがある(それは本人が言語化できていない場合もある)ということを、何かをジャッジする前に立ち止まって考えたいと思った。なんか当たり前のことを言っているようだけど。

 

13時に私のシフトが終わり、Mとバトンタッチ。Feverの店内に併設のレストラン「POOTLE」から差し入れでいただいたバインミーを食べる。受け取ってから少し時間が経ってしまったけどチキンがまだほんのり温かく、パンも肉もやわらかかった。

雨があがっていたので、Feverから出て近くにあるエトセトラブックスへ行ってみる。フェミニズムに関する本を中心に扱う書店。棚をじっくり眺め、『「テレビは見ない」というけれど』『イラストで学ぶジェンダーのはなし』の2冊を購入。色々気になる本は多かったけど、結局ほかの書店でも取り扱いがありそうな新刊を選んでしまった。今度また行きたい。

 

エトセトラブックスを出た時にはまた雨が強くなっていた。不安定な天気。近くにあった喫茶店に入って、Mのシフトが終わるまで読書する。Mと一緒に会場をまわって、また何冊か本を購入。ナナロク社が自社の本にふせんを貼って用紙や造本についてわかりやすくしたものを並べていて、造本や紙に興味があるMが大興奮していた。

途中で恋人にLINEで具合を聞く。病院で診てもらったところただの腹痛のようで、出された整腸剤を飲んで安静にしているという。「常に痛い場合や、呼吸したり歩いたりした時に響く痛みは大変ですが、波のある痛みは基本的に大丈夫。このタイプの症状は医者としてもできることが少ないんですよ」みたいなことを言われたそうで、なんとなく腑に落ちる。深刻ではないと聞いて安心したのか、15時からの歯医者も予定通り行って親知らずを抜いたと言っていた。タフだな。

甘いものが食べたかった[2021年4月24日(土)晴れ]

午前中に少し作業。思ったよりも手こずってしまい、昼にかかってしまった。恋人と一緒に『リコカツ』をだらだら見ながらレトルトカレーで昼食。今日は午前中、朝食を食べながら『生きるとか死ぬとか父親とか』『ソロ活女子のススメ』も見た。今期は他にも『大豆田とわ子と三人の元夫』(これが大本命)、『コントがはじまる』も見ていて、『今ここにある危機とぼくの好感度について』も気になっている。1クールでこんなにたくさんドラマを見るのは生まれてはじめてかもしれない。

 

昨晩放送の『生きるとか死ぬとか父親とか』は、坊主だった父親が突然カツラ姿で帰ってきたが、嫌で嫌でたまらない…というお悩み相談でスタート。実際に「相談は踊る」に寄せられたお悩み相談だったから、「これきたかー!」という感じ。そして「カツラを被っている旦那の妻に自分がなるのが嫌なんじゃない?」というトキコの(というかジェーン・スーの)回答の鋭さ。そしてオープニングのラジオの後ではトキコの父親が急に「顔のシミをとりたい」と言いだし、男性が自分の見た目を気にすることへの何とも言えない逡巡が描かれていく。

私が見ながら思っていたのは、自分に引きつけてしまうけど「LGBTも全然いいけど、身内がそうなのはちょっとイヤ」みたいなこと言う人のこと。関係ない世界の価値観としては受け入れられるけど、距離感の近い人がそうだと冷静ではいられないということはあると思う。そうなったときに「この感じ方はなんだろう?」と改めて正面から向き合ってほしいと思うけど、なかなか負担も大きいし、すぐにそうできるわけじゃない、というのもわかる。

あと、トキコと父親の関係は親子というより恋人的なところがちょっとあって(しかもトキコ自身がそうであるところと、早くに亡くなった母親と自分を同化させているところが入り交じっている)、だから父親が「シミをとる」ことへの拒否感は他の女性の影を察知しているからでもある。「男性の美容は今では普通のことだけど、身近な人がやっていると寛容でいられなくなる」という背景には複数の感情があるのだろう。だから難しいし、絡まっているから投げ出しやすくなる。

父親と仲違いしてしまったトキコが考えを改めるのは、深夜に学生時代からの友人と行ったマッサージ店でのこと。ふと友人が言った「お父さんがシミを取ったのって、自分自身を励ますためだったんじゃないか」という言葉が、パワフルなマッサージ師に顔や体を揉まれる中で腑に落ちていく。それは「男の美容は今では当たり前」みたいな、最新のレディメイドな概念を飲み込むこととはまた別の理解のルートだから、偏見とか、自分の中の黒い感情をまるっと消滅させることはないかもしれない。でも、こういうのってたとえば肩がほぐれると頭痛や目の疲れが軽減される、みたいにつながっていることでもあって、その中で、偏見が発露する前に気付けたり、黒い感情は黒いまま無害化できたりすることがあるのだと思う。

原因と解決の方法をプログラムのようにまっすぐ結んでいないから、ちょっとなし崩し的という気もする。でも、そんなにまっすぐ切り分けられることばかりじゃないと思うし、なんとなく丸く収まって関係が続いていく、という生々しい温かさを成立させているのは親密さだとも思う。他の関係に重ねることができそうでできない唯一の関係があるなあ、と思ったりした。画面にはユーモアや、疲れた誰かを思うやさしさも満ちていて、現在までに放送された3話の中で一番好きだった。

 

午後は編集者の竹田純さんのフェアが開催されている西荻窪の今野書店へ。勝手に小さな書店を想像していたのだけど、思っていたよりも広いし、何よりエネルギーがあるように感じてちょっと圧倒された。けっこうお客さんが多かったというのもあるのかもしれないけど、単に賑わっている以上の何かがあるような力強い感じ。

フェアでは竹田さんが在店(って言うんだろうか)していて、編集した本を自分で解説などしてくれる。「自分が編集したかった本」というコーナーもあって、上間陽子『海をあげる』などがあった。

現在は謎めいた読書家を名乗るカツテイクさんの選書フェアも同じ棚で開催していて、勧められたコルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』、ロベルト・ボラーニョ『通話』を購入。あと竹田さんの編集した本『歴メシ!世界の歴史料理をおいしく食べる』や、フェアとは別で気になった本なども。

雑談の中で竹田さんに「小沼さんも何か書きたいことあるんじゃないですか」と聞かれ、煮え切らない返事。自分がこれなら書ける、書きたいと思うようなテーマがいまいち見つからなくて、漫然と日記を書き続けているところがやっぱりある。日記も面白いし、新たな発見、自分の心への気づきは日々あるのだが、やっぱりこれだけではなあ。方向性が定まらない。

 

明日から三度目の緊急事態宣言で、書店も休業対象という話を聞いていたので焦って今日来たのだけど、明日以降も今野書店は開くという。そういえば、私が制作に参加した雑誌『つくづく』のフェアが代官山の蔦屋書店で今日からGW明けくらいまで開催なのだけど、判断によってはそっちも影響を受けるのでは。心配になる。

しかし今回の宣言は対応の場当たり感が過去2回と比べてもぶっちぎりでひどくて、よくわからないし納得がいっていない。ライブハウスや映画館、商業施設は感染者を出さないようにすごく対策を気を付けているのにその点への評価がないまま強い休業要請が出て、1年間の蓄積が政府の中に何もない。

対策を8時以降の消灯はかえって危険になりそうだし、アルコールの提供禁止、外飲み取り締まりとかも……一般庶民が我慢すれば神風が吹くとでも思っているんだろうか。GWの過ごし方を考える。変異株は怖いし、医療現場の負担を考えても外出の機会は絞るつもりだけど、ずっと家にこもっているだけというのも、それでいいのかなという感じがしている。補償もあまりにも粗末だし。

 

西荻窪から帰って、その足でプールへ行こうと思っていたけど一旦帰宅。スポーツジムも休業するところがあると聞くし、区民プールなんてめちゃくちゃ休業しそう。それなら絶対に行っておきたいと思ったけど、最寄り駅に着いた時点で妙に疲れていてとても行けそうになかった。帰り道、近所のケーキ屋でシュークリームとケーキを買う。甘いものが食べたかった。

五感[2021年4月21日(水)晴れ]

2〜3日ほどの作業時間を見込んでいた仕事が流れて、ぎちぎちに詰まっていたスケジュールに少し余裕が生まれた。転職して水曜休みになった友人からたまたま連絡があって、日中から会うことにする。午前中だけ仕事をして、パソコンもiPadも置いて渋谷へ。ホームの自動販売機で買った水を飲んで、味や冷たさを鋭敏に感じる。最近は食欲があるのかないのかよくわからないような感じだったけど、スパイスの効いたものなら食べられる気がして、カレー屋に入った。全部食べた。

 

そのまま表参道のほうまで歩く。途中で青山ブックセンターに寄る。もともと行きたかったのと、ちょっと涼みたいという気持ちのため。夏のような日で、歩いているだけで汗ばんできていた。しかし店内に冷房などは効いておらず(まだ4月だし、当然だと思う)、あまり体温は下がらない。ぶらぶらと興味のある棚を見て、本を2冊買う。中身がなくて軽かったトートバッグが、少し重くなって安定した。

エスカレーターをのぼって外に出て、通りに向かう。ビルとビルの隙間を強い風が吹くと、汗が冷えてすぐに肌寒くなった。ついこの間桜が散ったと思ったばかりなのにもう夏めいていて、移り変わりの早さに感覚が追いつかない。雲ひとつなく晴れているから大通りはまぶしいほど陽を浴びていて、また少し汗をかく。用もなくspiralに入る。たまたま開催していた展示で五木田智央の『Save the Last Dance for You』(2021)という大きな絵が飾られていて、見ていると、というか目の前に立っていると妙に落ち着いた。

五木田智央はモノクロの硬質な作品を描く人という印象があったけど、この絵は描かれている主体はえんじ色で、背景は濃い辛子色。解説を見るまで五木田智央の作品だとは思わなかった。iPhoneで真正面から写真を撮って、そのあと少し斜めから、最初に見た瞬間の印象を再現したいと思いながら撮る。

 

約束までまだ少し時間があって、表参道ヒルズのあたりまであてもなく歩く。寝不足と暑さのせいか、会う直前になって疲れが出てきて、歩道沿いのガードレールに座る。植栽から甘い香りがして、よく見かける紫色の花なのに名前がわからなかった。

 

清水湯の前でHと合流。入浴料+レンタルタオルのチケットで入ったらシャンプーやボディソープが備え付けられておらず、「手ぶらセット」を選ばなければならなかったらしい。16時台の銭湯にしてはけっこう混んでいる。ぬるい湯と休憩用の椅子を行ったり来たりしながら、Hの新しい仕事のことなどを話す。風呂場は声が反響して聞こえにくく、私は何度かHの話を聞き返した。

 

風呂を出ると夕方で、Hに「あるものを食べるから、Hがいいなと思った店に入るのでいいよ」と伝えて、原宿駅のほうまで歩く。駅の近くでインバウンド向けらしいのり巻き専門店を見つけて、私もちょっと食欲を刺激されたので入った。海外から旅行客がほとんど来られないから、きついだろうなと思う。小さめののり巻きをそれぞれ4本ずつ食べて、会計をして店を出た。

 

夜は仕事を終えたMと恋人も合流して、代々木公園へ向かう。Mに夕飯何を食べたのか聞かれ、答えたら「ウーバーで一度頼んだことあるかも」と言っていた。公園は暗く、まん延防止措置法のためかオレンジ色の柵が張り巡らされて芝生に入れなくなっている。点在するベンチに人影がある。ランニングサークルの活動なのか、やけに走っている人が多くて、たらたらと歩く私たちをたくさんの人が追い抜いていった。

落ち着ける場所がなくて、ずいぶん歩いたあとで歩道沿いの大きな石にそれぞれ腰かける。恋人が原宿で買ったマクドナルドを食べ始めて、けっこう歩いたから冷めてそうだな、と思う。夜はけっこう肌寒い。月が出ていて、風はなかった。私たちは最近見ているドラマの話とか、また出るという緊急事態宣言についてとかを、お互いの顔も見えない暗さの中で2時間ほど話した。

すごい営み[2021年4月11日(日)晴れ]

昨日おおむね完成させた小説を頭から読み直す。大学の同級生の文芸サークルに誘われて書いたもので、5月の文フリ(開催されるのだろうか)でおそらく初売りになるもの。気になったところに手を加えていくも、いまいちどこをどう直せばいいのかわからない。一眼レフのカメラを手にした時とか、Adobeインデザインをはじめて触った時に似ていた。作りたいものがあるのだけど、そのための最善の方法がわからない。だからとりあえず今できる一番いいやり方を試してみる、という感じ。

私が書いたのは原稿用紙10枚程度と短いものだけど、小説をまともに書いたのがはじめてということもあってけっこう大変だった。下手にいろいろ読んでいて理想があるぶん、自分の力量とのギャップも大きく、執筆が止まってしまう。追求するには文字数も時間も足りなくて、最後はとりあえず破綻していないかたちを目指してハンドルを切っていったけど、面白いのかどうかはまったく不明。というか、面白いかどうかはわりと二の次で、「こういう人や関係が本当にあるのか」を重視していたなと、いま日記を書きながら思った。でも、それもちゃんとできているのかあまり自信がない。

 

ただ、「すごいものを書いている」とは思えなかったけど、なんというか「すごい営みの末席に連なっている」みたいな感覚は強烈にあった。小説という大きく長い、脈々と続いてきた表現の端で書いている、という感覚。日記や普段の原稿とは比べものにならないくらい時間がかかったし苦戦したけど、また書いてみたいと思う。もう二度と書きたくないという気持ちもあるけど。

今度はもっと自分に近い人物を書いてみたい。今回書いた作品の主人公も自分と重なるところがないわけではないけど、設定があらかじめ決められていたので、その点で自分自身と距離があるものになったと思う。

 

午後までにおおむね見直しを終え、昼は小松菜とトマト、ツナのパスタを作って恋人と食べる。恋人はこのあと九品仏のd&departmentに棚を見に行くそう。レンジやトースターを置くための棚。もともと冷蔵庫の上に置いていたのだけど、1月に大きい冷蔵庫を買ったら置けなくなってしまった。仮でコンテナボックスの上に置いて、気づけば3ヶ月近くが経つ。もう慣れてしまってこのままで良い気がしてきているけど、うちのインテリア担当は恋人なのでそこはお任せする。

食後は昨日の日記を書く。昨日は今日以上に集中して小説を書いていて、その中で感じたことを記録しようと思ったのだけど、なんだかうまくまとまらない。とりあえず今書けるだけ書いて、後日まとまるようならブログにアップするし、まとまらないならメモ的に残しておこう、と思う。

しかし今週は本当に仕事が忙しくて、日記を書く時間をまったく取れなかった。来週後半だと思っていた締め切りが前半〜半ばだった、というのが2件あって、かつ取材も立て続けに入ったのが原因。こんなに長く更新しなかったことはなかった気がするから、けっこう悔しい。これが癖になって、どんどん更新期間が空くようなことにならないようにしたいと思う。最近は読書や英語の勉強もおろそかになりがちだ。可処分時間が圧倒的に足りない。どこかでリズムを立て直したい。

 

夕方から高円寺でCLOUDS GALALLY+COFFEEの『バクちゃん展』と、タタの『IWAKAN』の展示をはしご。どちらも今日が最終日。『バクちゃん展』では作者の増村十七さんが在廊していて、少し話す。以前オンラインでインタビューさせてもらったお礼など。私がギャラリーに行ったタイミングでは他に難民支援をしている方や留学生の方などがいて、みんなが増村さんに作品が支えになったことを伝えていた。漫画は2巻で完結してしまったけど、ネトフリとかでアニメ化しないかな、と思う。「次回作を楽しみにしています」と伝えて出る。

タタの『IWAKAN』展は、はしごを上った屋根裏のような場所に展示スペースがあった。クィアな体験をGoogle map上に記録・集積し、それを無機質な音声が読み上げる「Queering The Map」の展示がよかった。『IWAKAN』にはこの創設者のインタビューも載っているそうで、今から読むのが楽しみ。最終日ということもあって、編集部らしき人もたくさん在廊していたのだけど、人見知りもあって特に話しかけたりはできず。『IWAKAN』最新号とメイ・サートン『今かくあれども』の古本を買って店を出る。

 

一旦帰って荷物を置いてプールへ。ちょっと体が重かったけど、1800メートル泳ぐ。帰ったら恋人が先に帰ってきていて、一緒に豚キムチの残りとみそ汁、サラダを食べる。

夜は短い小説を書くのに参考になるかと思って買ったチョン・セラン『フィフティー・ピープル』を読んで過ごす。面白いけど、思っていたよりバイオレンスな描写が多め。喪失や悲しみが作品のキーになっているし、書かれた時期的にもセウォル号事件以後の韓国文学になるか。Twitterに相関図を書いてアップしている方がいて、ぼんやり眺めたり。しかし途中で睡魔に耐え切れず、22時過ぎに本を開いたまま寝落ちしてしまった。展示にプールに欲張ったせいで疲れていたのだと思う。

懐かしさ[2021年4月2日(金)曇り]

小田急線で、小学生から社会人の一年目まで生活していた街へ久しぶりに行く。祖父の葬祭費の申請のため。葬儀にかかった費用は役所に申請すると5万円の補助が受けられるのだけど、葬儀を行った日から2年以内に申請しなければならない。祖父が亡くなったのは2019年の4月下旬だから、期限が迫っていた。2年もあればどこかで行くだろうと油断していたら、こんなタイミングになってしまった。

 

この駅で降りたのは1年ぶりくらい。昨年までは実家があったけど、母が一人で住むには広すぎたし、兄弟が暮らすには駅から遠かったり色々あって現実的ではなく、それも手放してしまった。もうこの街に家族は誰も住んでいないし、特に連絡を取り合っている知り合いもいないから、訪れることはこの先ほとんどないだろう。機会がなければ、これが最後ということさえあるのかもしれない。

駅構内のトイレを借りる。途中で改装しているとはいえもう十数年は経っていると思うけど、清潔で、古びた感じはしない。あんまりあからさまに朽ちたりはしないものなのかなと思いながら外に出る。区役所を目指す途中、線路越しに通い慣れた商業ビルが視界に入って、こんなに壁が汚れていたっけ、と思う。外壁は手入れが大変だから、経年の影響が見えやすいのだろうか。そこまで考えて、妙に感傷的になりたがっている自分に気づく。もうここで暮らしていない自分にとっては、新しいお店ができることも、当時からあったものが古くなっていくことも、どちらも失われていくことだ。だからやろうと思えばいくらでもノスタルジーに浸れる。自分にとって更新されないことと、街が古くなっていくことを取り違えてはいけないと胸に留めておく。

 

役所の人に「期限ギリギリでしたね」と少し笑われながら、無事に申請を終える。駅の周辺を少し見てみようかと思ったけど、色々とやることもあるので今日のところはとんぼ帰り。区役所から駅まで、行きとは違う道を歩いて、もう他界した父にこのロータリーまでよく迎えに来てもらったことなどを思い出す。

 

この2週間、仕事がほとんどなかった。だからもっとゆっくりする予定だったのだけど、先週はZINEフェスに出展することを突発的に決めたからその準備(出展を決めたのは仕事がなくて身軽だったからでもあるし、身軽すぎて不安だったからでもあると思う)、今週はなんだかんだで色々とやることがあって、結局まったくゆっくりはできなかった。というか、むしろ押しているくらい。

しかも今週半ばから、来週以降の予定が一気に決まっていった。ありがたいことだし、まだスケジュール的に多少余裕もあるのだけど、決まっていくペースが速すぎて、何も着手していないのにすでにちょっと疲れている。そして、最近は月末〜月初めはだいたい少し暇になっているなと思う。今の自分の仕事はそういうリズムになっているのかもしれない。

頭をからっぽにしたくて、このまま下りの電車に乗って江ノ島にでも行ってしまおうかと思う。海をぼーっと眺めたい気がした。でも、ぼーっとするのが苦手で、すぐに手や体を動かしたくなってしまうから、思うようにはくつろげないだろう。誰かと一緒ならリラックスできるかもしれないけど、人と話したい気分でもなかった。

 

上りの電車に乗って、音楽を聴きながら車窓の景色を眺める。学生の頃を思い出すような気持ちになるけれど、具体的な記憶はほとんど浮かび上がってこなくて、抽象的な懐かしさを持て余した。新宿に近づくにつれて下北沢とか、代々木上原とか、今でも訪れる駅が増えて、その気持ちもいつの間にか景色の中に雲散していく。