ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

遊び疲れる[2021年3月27日(土)晴れ]

吉祥寺ZINEフェスティバル出展のため、朝から吉祥寺。8時前に到着して、パルコの従業員入り口でMと合流。開口一番に「テーブル忘れちゃった……」と言うので爆笑してしまった。今回のイベントは出演者が自分でテーブルや椅子を用意することになっていて、Mには折りたたみ式のテーブルを持ってきてもらうよう頼んでいたのだった。他の出展者の方の荷物を見て気づいたらしい。Mには取りに戻ってもらい、私は先に会場となる屋上へ。折りたたみ式の椅子を広げたり、『消毒日記』に特典としてつけるペーパーを折ったりする。雲一つない快晴で、風がおだやか。良い天気でよかった。

手持ちぶさたになって隣のブースの人と話したり、なんとなく作品を並べてレイアウトを考えたり(テーブルがないので完成はしない)していると、向かい側から2人組が歩いてきて声をかけてくれる。bundleの久保泉さんと大坪メイさんだった。bundleはリトルプレスを作っていて、5月の文学フリマで発売する予定の新作『わたしが部屋にいるときは』では、私も2月のある一日の日記を書いている。寄稿をしてくれたことにお礼を言われ、私も寄稿依頼をしてくれたことがうれしかったとお礼を返した。メールではやりとりをしていたけどお会いするのははじめてで、こうして知り合いが増えていくのは楽しいなと思う。『わたしが部屋にいるときは』のチラシもいただき、私のブースにも置かせてもらう。

そうしているうちにMが戻ってきて、テーブルに設営。隣のブースにいたTONECHIさんに「あ、テーブル来たんですね!」と言われ、そこからまた少し話したり。

 

10時にイベントがスタート。私のブースからは会場に上がるエレベーターが見えたのだけど、エレベーターはひっきりなしに地上と屋上を行き来し、毎回たくさんの人を運んできていた。今回のイベント、チラシを吉祥寺じゅうで4000枚配ったそう。メディアで紹介もされていて、けっこう注目度が高かったようだった。天気がよかったし、緊急事態宣言明けでみんなおでかけ気分になっていたことも大きいのだろう。

私のブースも予想以上にたくさんの人が足を止めてくれた。新刊を出しているわけでもないし、今回のイベントはグラフィック要素の強いZINEの出展が多かったので、テキスト中心の私のZINEはそんなに売れないだろうと思っていたのだけど、持っていった在庫はほとんどすべて売れた。イベント自体の力、目を引くタイトルと装丁(どちらも私が手がけたわけじゃないから存分に自慢できる)のおかげだろう。

友人やお世話になっている人、姉たちが来てくれたこともうれしかった。それから、私の名前を見て「先日ラジオに出てましたよね!」と感想を話してくれたり、同じく名前を見て『仕事文脈』に寄稿したエッセイを読んだと言ってくれたりする人も。どの人も私が出展していることは知らずに来ていて、名前を見て思い出したようだった。そんな風に誰かの記憶に残っているというのは得がたい経験で、この仕事の幸せな部分の一つだ。

 

出展すると一人でも多くの人と話したくて、なるべくブースにいたいと思う。そうして、あまり他のブースは見ることができなくなってしまう。だから隣のブースのTONECHIさんとZINEを交換したり(タトゥーを入れている友人に、そのタトゥーの意味やこだわりを聞いたものをまとめたZINE)、斜め向かいのブースにいたbundleの二人とお互いの客が途切れた時に手を振ったりして交流できたのはうれしかった。姉のFがクリームパンを差し入れてくれたことや、午後から手伝いに来てくれたHが「さとう」*1のメンチカツやコロッケを買ってきてくれたことも。

 

そんなこんなで、あっという間にイベント終了の17時。MのZINEも早々に完売したし、私のZINEも多くの人に手にとってもらえて、出展してよかった。今度イベントがあるときには新作を作りたい。

 

夜は一度私の家に荷物を置きに帰って、そのあとHと私の恋人と居酒屋。昼から用事があって離脱していたM、来られないと思っていたNもあとから合流し、よく遊ぶ5人が期せずして揃った。対面で会うのが久しぶりだったので居酒屋を追い出されてからも話は尽きず、近くの公園でめいめいお酒やお茶を飲みながら話した。そうして24時近くまで話していたけど、朝が早かったこと、春にしては強い日射しの下でずっと接客みたいなことをしていたこと、いつもよりもお酒を多く飲んだことなどが積み重なって、後半はあまり頭が働かず。だけど充実した気分だった。遊び疲れてくたくたになるのも久しぶりだ。

*1:吉祥寺の商店街にある肉屋で、いつも長い行列がついている名店

【お知らせ】吉祥寺ZINEフェスティバルに出ました

昨日27日に吉祥寺PARCOの屋上で開催された「吉祥寺ZINEフェスティバル」に出店していました。よく考えたら、このブログでも告知をすればよかった……事後報告ですみません。

当日は朝8時の集合から17時のイベント終了までずっと天気がよくて、特に午前中が晴れていた。その日差しを受けて、顔の左側が赤く日焼けしたほど。なお顔の下半分はマスクをしていたので無事。かつ、午後からは手伝いに来てくれた友人Hに借りた日焼け止めを塗ったので右側は比較的軽症で済んだ。こんなに長いこと屋外で一箇所に留まっていた経験はあまりなくて、時間とともに太陽が動いていくのを観察できたのが楽しかった。

 

当日のことはまた書くかもしれませんが、ひとまず来てくださった方ありがとうございました。そして当日は2021年3月25日の日記を印刷したペーパーをテイクフリーで配っていたのですが、『消毒日記』をすでに買ってくださっていてこられなかった方もいると思うので、ここにもアップしておきます。実際にはピンク色の紙に印刷して配っていました(春のイメージで)。

 

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イベントでペーパーだけを手にとってこのブログを訪れた方、『消毒日記』は以下のリンクからでも購入可能です。まだ在庫はあるので、ご興味があればぜひ!

 

booth.pm

個人の息づかい[2021年3月20日(土)曇り]

恵比寿で恋人と買い物をして、店を出てスマホを見たら「宮城県で震度5強の地震」「宮城県沖に津波注意報」というニュース。東京でもけっこう揺れたみたいだけど、まったく気付けなかった。先月東北であった地震東日本大震災の余震だったから、今回も関連したものなのだろうか。どちらにしても、こんなに何年も大きな地震が繰り返し起きるのはどれだけつらいだろうと思う。

 

ガーデンプレイスから恵比寿駅のほうへ、動く歩道を使って戻る。先日まとめ買いして一気に読んだ『違国日記』で、「歩く歩道あるじゃん」「動く歩道じゃない?」みたいな会話が書かれていたことを思い出す。『違国日記』はこういう登場人物同士の些細な会話の掛け合いや言葉遣いがとてもリアルで、同じ時代を生きている人たちの物語だと感じる(「歩く歩道」は回想シーンだけど)。

現時点の最新刊である7巻には、医学部受験で女子の得点が不正に下げられていた問題や、ホモソーシャルの有害性について触れた話が収録されていた。こうした現代的なテーマを物語に組み込みながら、決して問題(や、その解決)ありきにはなっていなくて、「この人がこの事件に直面したらそうするだろうな」と思う姿が描かれている。それは、人物の些細な会話や空気感のたしかな描写に裏打ちされていると感じる。個人の息づかいがまずあって、それが織り重なって時代の息づかいを成しているというか。このマンガについてはまたいずれ書きたい。

 

今日は昼間から出かけていたのだけど、人が多くて歩いているだけで疲れてしまった。あたたかくて過ごしやすい気候だったし、月曜日で緊急事態宣言が解除だと言われたら実質的にはこの週末はもうOKだと判断する人は多いだろう。私も似たようなものだ。

緊急事態宣言の解除前から東京の感染は拡大傾向にあって、だから引き続きあまり外出しないほうが良いのだろうと思う。でも、解除になって今後さらに感染が広がっていくのは間違いなく、だとしたら今が一番感染が収まっている状況ということになる。だったら、今のうちに用事を済ませたり人に会ったりしておきたい。「この2週間が勝負」みたいな気持ちで予定をあれこれと入れてしまいそうになる。何でこんなふうに政策の裏をかくようなことをしているんだろう。それは「政府の方針を鵜呑みにせず、自分で考えるのが大事」というのとはちょっと違う気がする。

大きな声で話している、大学生らしき若者4人組を追い抜く。「卒業式の日は学校行きたい」「それなー」という会話が耳に入る。話はまだ続いていたけど、その先は雑踏にまぎれて聞こえなかった。

 

くたくたになって帰宅。長いこと外にいたせいで、花粉症の症状もひどい。少しソファで休んで、8時半ごろに重い腰をあげて夕飯の準備。温野菜と豚肉。ニュースで「東京五輪の海外客受け入れ断念」。開会式の不適切演出案や文春が報じたMIKIKOさん冷遇・排除の話も醜悪としか言いようがないし、本当にもうやめたらいいのに……。オリンピック関連では今後も色々とひどいニュースが続きそうで、一応書き留めておこうと思う。去年の今頃日記を書いていたのと似たモチベーションが湧き上がってきている。

 

花粉を洗い流したくて、久しぶりに夜に風呂に入る。体の疲れをとるためにバスタブに湯も張った。

浸かりながら、「ウイルスを洗い流すため」ではないんだな、と気づく。たしか去年の今ごろは、一日外にいた日は真っ先にシャワーを浴びていた。

札幌0317[2021年3月17日(水)晴れ]

今週はEvernoteに個人的につけている日記の書き出しがすべて「起きれない……」。今日も6時半に一度目が覚めたけど、二度寝して起きたらもう9時過ぎ。春は毎年こうだ。今年もこの季節がやってきたかとおおらかに思う気持ちと、一日のスタートが出遅れた焦りが混ざり合う。どっちの色合いが濃いかはその日の予定によるけど、今日は午前中に原稿を一本書きたかったので焦りが強め。出かける用もないのでシャワーを浴びず、朝食も摂らずパソコンに向かう。

 

原稿を書いている途中、ふと見たTwitterで札幌の同性婚訴訟のことを知る。その時は「賠償請求を棄却」という短い速報だけが出ていて、調べると全体的にやや落胆ムードが優勢。ちょうど昨日は同性同士の不倫も不貞行為にあたるという判決が東京地裁であったので、もし敗訴なら矛盾していてかなりモヤモヤする。そう思いながらスクロールしていたらMARRIAGE FOR ALL JAPANのアカウントが「判決理由が重要です。続報を待ちましょう」とツイートしていて、先回りして腹を立ててしまったことに反省。気を取り直し、固唾をのんで見守る。

数分おきにタイムラインを見ていたら、ある時「法の下の平等を定めた憲法14条に違反と判断」という速報が目に飛び込んできた! 一つだけだと確信しきれないので、複数のメディアが情報を流すまで待つ。タイムラインを更新したらいくつかのメディアが同じ内容の速報を打っていて、それと同時に喜びの声があふれだした。みんな反応が早い。動向を気にしていたんだな、と思う。私もメディアの投稿をリツイートしたあと、短くツイート。いろんな人が次々にいいねをつけてくれて、背中を叩いて励まされたような温かい気持ちになった。たかがいいねでこんなに祝福しあえるのかと思って、私も目に付いたツイートを積極的にいいねした。

 

判決の動向を気にしていた恋人にLINEを送る。素晴らしい結果をこうやって文字にすると、言いようのない気持ちが湧き上がってきて泣きそうになる。でも、ただ純粋にうれしいのとは少し違っていた。あまり情緒的な表現は使いたくないのだけど、麻痺していたところに血が通いはじめた時の感覚が一番近い。痺れた腕に血液がどくどくと流れ込んで、その激しさによって「自分は欠損していた」と気付くような感じ。

気にしていないつもりだったけど、権利がないことに、思っていたよりずっと傷ついていたのかもしれない。そしてその傷つきを、自分は認めていいのかもしれない。

 

もしこのまますべてが無事に運んで、日本で同性婚ができるようになったとして、私が結婚をするかどうかはわからない。前にも書いたけれどうまく想像ができないし、婚姻制度そのものへの疑問もある。でも、今日が歴史的な日で、大きく前進したことに変わりはない。そのことは個人がどうするかというスタンスを一度脇に置いて、手放しで喜んでいいことだ。

そして社会を変えるために尽力した人たちがいることを忘れないようにする。勝手に変わっていくなんてことはなくて、一人一人の生き方や考え方が風向きを変えていく。最前線で切り開いてくれる方々に敬意を払いながら、自分もできることをしていきたい。

これからも他の裁判は続くし、道は長い。バックラッシュも起こるだろう。それでも負けないように、喜びの中でこそ強く胸に刻みたい。

 

ひとしきり喜んだあとは生活に戻る。午前中から書いていた原稿を終え、編集や他の原稿の調整。疲れてきたタイミングでスーパーへ。とてもよく晴れている。ちょうど「荻上チキ・Session」の時間だったのでradikoを起動したら、これから木村草太さんが今日の同性婚訴訟について解説をするところだった。

祝杯だ、と思って、缶ビールをかごに入れる。

雷雨、エヴァ、打つ手なし[2021年3月13日(土)雨のち曇り]

雨と低気圧のせいで体調が狂って、午前中を棒に振ってしまった。朝から仕事をする予定が崩れてしまったし、なんか天気が悪いのがそれっぽいなと思って、明日行こうと思っていた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』に今晩行くことにする。たくさんの映画館で一日に何本も上映しているけど、どの回も残席わずか。IMAXで見たい気がしたけど良い席がなかったので、新宿ピカデリーで16時50分の回を予約した。

寄りたいところがあったし昼過ぎから出かけようと思っていたけど、その時間から雨風が強まってくる。なんでこんな日に映画のチケットとったんだろうと、ノリで動いた数時間前の自分を恨む。しかも冷静に考えると「天気悪い=エヴァっぽい」というのもよくわからないし。

恋人は「エヴァっぽいじゃん」と皮肉なのか励ましなのかわからないようなことを、両方が打ち消しあってニュートラルになったような声で言う。それぞれリビングで本を読んでいるとドーンと大きな雷鳴が響いて、私のバカさを二人で笑う。またすぐに近くの空を稲妻が走って、私たちの部屋も光る。

 

15時過ぎには少し天気が持ち直してきた。今のうちにと駅へ急ぐ。近くの紀伊国屋書店、ピカデリーの下にある無印良品で少し買い物をしてから劇場へ。以下、(この場所は基本そうだけど)ネタバレありです。

 

映画を見終えたら家に帰って、すでに見ていたM、たまたま今日違う場所で見ていたN、Hと感想を話す。みんな私よりもずっと気合の入ったファンで、旧劇場版やアニメシリーズとの比較を足がかりに話していた。私は新劇場版から入ったし、アニメ、旧劇場版の内容がかなりうろ覚えなので、彼らの感想や考察を楽しく聞く。

後半で碇ゲンドウの独白があって、私は「長い上にしょうもないな……」とちょっとしらけてしまった。でも、Hに「あの場面こそ必要だった」と力説される。話を聞いてもしょうもないという感想はあんまり変わらないのだけど、ただしょうもないことをそのまま話すこと、そしてそれをしょうもないものとして扱わないシンジの態度は重要だったと思い直した。話して、聞いて、認めるというプロセスは、自分の中を逡巡し続けるループ構造から抜け出す鍵になるし。

第三村での生活を「ポスト資本主義」の世界を描いているという話も面白かった。今回はいろいろな最先端の思想と接続できそうな、2020年代に完結する意味を支えるような場面がところどころにあった。

件のゲンドウの独白は男性学的な話に引きつけて語れそうだし、ジェンダーの話でいえば、エヴァ作品の女性キャラの神格化は「崇めているようで矮小化している」という信田さよ子さんがよく言っている批判に当てはまるところがあるように感じていたけど、今作ではそこからも解放するようなところが見られた。それはフェミニズム的視点の導入というよりは、キャラクターを尊重し旅立たせるという行為の副次的効果としてそうなった感じ。でもその経路が一番理想的だと思う。

贖罪・責任というテーマだと國分功一郎さんの中動態の話や、熊谷晋一郎さんとの共著『〈責任〉の生成』あたりも参考になりそう。それこそ、『ユリイカ』とかで特集を組んでも良さそうなものだけど、今のユリイカはもっと若い読者がターゲットなんだろうか。

 

24時前に終了。恋人のいるリビングに行ったら「緊急事態宣言解除だって」と言われる。ニュースを見たら21日で解除の方向で動くとのことで、しかしその判断理由は後ろ向き。専門家組織の会合では「もう打つ手がない」という意見も出たそうで……この2週間特に新たな手を打っていたようにも見えないのに、じゃあこの再延長はなんだったんだという。たしかに宣言は形骸化してしまっているかもしれないけど、何も対策やっていないのをこちらのせいにされているようでイライラ。エヴァの人間賛歌からの惨憺たる現実。『シン・ゴジラ』みたいに一回全部終わってくれ〜という気持ちになったけど、現実にすべて焼け野原になるような状況が訪れた時、再起不能なほどの被害をこうむるのは立場が弱い人たちで、それはコロナ禍が実証してしまったことでもある。

過剰適応と権威性[2021年3月10日(水)晴れ]

前回の日記で書いた「原稿を提出する前に『という』『と思います』などをカットできないか見直してほしい」というツイートについて引き続き考えていた。あのあと、ツイートをした編集者の人は投稿を削除したようで、不適切な内容だったと謝罪する投稿が誰かのリツイートで流れてきたのを見た。

考える中で、これは権威性の問題だったと気づく。編集者とライターの力関係は媒体や作っている内容によっても異なると思うのだけど、「発注側」である編集者が構造的に上に立つことが多い。制作の現場では対等だとしても、ライターとしては頭のどこかで「面倒なことを言うと、仕事を切られるかも」と考えてしまうことはあるし、それが弱みになって強く主張できないことは少なくない。だからこそ、文章を書く人を尊重している編集者ほど、権威性をまとう振る舞いから距離を置いているように思う。それが構造に意識的だからなのか、文章を書く人を尊重した結果自然にそうなるのかは人によるけれど。

 

私は全面的にあの編集者の方の投稿を首肯していたわけではないし、「どっちのパターンもあるよね」という考えに変わりはない。ただ、この問題を考える上で権威性のことがすっぽり抜け落ちていたことにぞっとした。それは過剰適応しがちな私の性格と無縁ではないだろう。権力勾配の下にいる時、過剰適応は自分自身だけを傷つけるものだけど、上にいる人間がそれをやると大勢の人を巻き込む。同じ仕事を長くやっていれば自然と上に上がることや、上にいる人として見られる機会が出てくる。その場合でも適切なのか、有害さをまとってしまう危険はないか、もっと意識しなくてはいけない。

過剰適応が何から来るかといえば、原因はいくつかあるけど私の場合は主に自信のなさや、コミュニケーションに対する臆病さからきていると思う。なかなか難しいけどどうにかしていかなければ。

 

朝から撮影の立会いのため渋谷へ。スタジオが駅から徒歩20分ほどのところにあり、バスもあるようだったけど歩いていく。風は強いけど、天気がよくて気持ちがいい。渋谷でもいつもあまり行かない方面で、特に何があるわけでもないけどなんだか楽しかった。撮影のあと、家に戻って仕事をして、オンラインで取材。本当は取材も対面で行う予定だったのだけど、緊急事態宣言が延長になったためオンラインになった。

取材の前後で昨日の取材の文字起こし。そういえば、昨日の取材も駅から徒歩20分ほどのところで行ったのだった。なんだかよく歩いている。そして今週は取材が多い。本当は7日で宣言が解除の予定だったから、みんなこの週に詰め込んだのだと思われる。

 

夕方からプールへ。ちょうど日が暮れていく時間で、宇多田ヒカルの「One Last Kiss」を繰り返し聴きながら向かう。1オクターブ低い声で「忘れられない人」と歌われる時、いつも底の見えない穴を覗いたような気持ちになる。

意味や隠されたメッセージやレトリックばかりが「深い」ともてはやされるけれど、私は深読みを拒否しながら深淵をたたえて存在しているものが好きだ。そういうものに言葉は追いつかない。「吹いていった風の後を 追いかけた 眩しい午後」という終わり方もすごい。

 

今日は時間をかけて2キロ泳いだ。タッチターンで、足を床につけずに1キロ泳ぐのを2セット。

ちょうど1年[2021年3月5日(金)曇り時々雨]

今年はあまり外出もしないし大丈夫だろうと思って油断していたら、花粉症の症状が一気にきた。朝起きた時から鼻が詰まっていて、鼻水が止まらない。1日2回の市販薬を1日1回しか飲んでいなかった(夜にいつも飲み忘れてしまう)ことを後悔しつつ、とりあえず1錠飲む。

短い原稿を一本書いて、それからオンラインで打ち合わせ。打ち合わせの最中も鼻水が止まらない。ティッシュで鼻をかめたらよかったのだけど手が届く範囲になく、取りに行く時に部屋が丸写しになってしまうのがなんとなく嫌で、諦めてずるずると啜っていたら「花粉症、大変そうですね」と言われた。「今朝、急にひどくなったんですよ〜」と返しつつ、音声が入ると耳障りかなと思って啜るのを控えめにする。

それでもとめどなく垂れてきて、後半のほうはさらさらとした液体が鼻から上唇へ流れるのを気にしないようにしながら話していた。対面だったらヤバい人だけど、Zoomで画質も粗いし大丈夫のはず……一瞬鼻の下がてかったように見えて、慌てて顎を引きつつさりげなく手で拭った。

 

お昼ご飯を食べて、締め切りが近づいている原稿の見直し。編集者の方の「原稿を提出する前に『という』『と思います』などをカットできないか見直してほしい」という内容のツイートがバズっていて、私も原稿を見直すときは同じことをしているので「まあそうだね」と思いながら見ていたのだけど、反感を抱く人も多いみたいだった。

まあたしかに、当該のツイートは著者やライターさんへのお願いとして書かれているけどこのルールはある程度書き慣れた人であれば一度は聞いたことがあるはずで、その上で「という」とか「と思います」とかみんな使っていると思います。そう考えると、「著者やライターさんへのお願い」という対象設定はざっくりすぎるというか、主語が大きい。「ライター初心者へのお願い」とか「編集者の個人的な愚痴」くらいの範囲だろうか。でも、それだとバズらなかった気もする。「プロ編集者から、プロの書き手へのお願い」という体裁で書くことが、初期段階での肯定的なバズを生んだというか。でもやっぱり主語が大きすぎるので、広がるにつれて違和感を持つ著者やライターさんが声を上げはじめた、という感じに見える。

いろいろな人の意見を読んでいたのだけど、「それは編集者の仕事」「著者は細かい文章や表記、読みやすさは気にせず内容に集中すればいい」みたいな声がけっこうあって、ちょっと驚く。文章を書くときは読みやすさや文章の細部まで含めて「内容」だと思うし、それは編集というより「推敲」という、文章を書いた人がやる作業のうちだと思っていた。もちろん、どこまでその基本的なルールを適用するかはお互いの関係によるし、推敲した上で残す判断が許容される土壌があってこそだと思うけど。

というか私としてはライターと編集って、そんなにきっぱり役割が分かれたものではなく*1、基本的に違うレイヤーから見ているけど、お互いに取りこぼしがあれば拾いあうような共同作業者、という認識だった。こっからここまでと決めすぎず、ただお互いに文章をよくすることを考えていれば、自然と役割はあいまいに、でも目標は明確になっていくように思う。

……と、思わず長々と書いてしまったけど、この文章も「という」「と思います」使いまくっている。一文も長くて表現もくどい。それはろくに推敲をしていないからだけど、推敲しても「という」とかが一切なくなることはないと思うので、本当にケースバイケース。私も基本スタンスはこうだけど、どんなものを書くかによってけっこう変わるし。主観だけど、人文・文芸に近いジャンルほど許容範囲が広く(細部の統一や杓子定規的な読みやすさよりも文章のリズムを優先する。この日記も意識としてはこっち寄り)、実用・ビジネスジャンルほどこの編集者の方の視点を活かしやすいと思いました。色々見ていても、前者の人のほうが反感を抱いている印象。*2

 

花粉症の薬をもらいに内科へ。今年は行かなくて済みそうだと思っていたので、負けた気分。道中、aikoの新しいアルバムを聴く。フルで聴く時間が今はないので、かいつまんで「メロンソーダ」「磁石」、それからシングル曲あたりを。昨日、J-WAVESONAR MUSICに桃山商事の清田さんが出ていて、あっこゴリラさんらとともにaikoの魅力を語っていた。そこでアルバム1曲目の「ばいばーーい」が流れていたのだけど、すごい怖い曲で心の準備がないと聴けないと感じたので、今はスキップした。

清田さんのラジオでのしゃべりはスムーズで、歌詞の読み解きもわかりやすくてハッとするところが多く、自分もこういう風に話せたらなあと思う。ポッドキャストやラジオを経験して、「話すの苦手だから嫌だな」から「うまく話せるようになりたいな」に徐々に変わりつつある。

 

16時頃は比較的空いています、とホームページに書いてあったからその時間めがけて行ったのだけど、思ったよりも混んでいた。診察よりも、そのあと薬を処方してもらうまでに時間がかかった印象(この病院は薬局に処方箋を持って行く必要がなく、薬もこの場で出してくれる)。待ち時間に鼻がむず痒くなり、くしゃみが出そうになったけど、他の人にすごく嫌がられそうなのでどうにか我慢した。

 

帰宅後、仕事の続きや来週の取材準備。それから英語の勉強をして、夕飯を作る。「荻上チキ・Session」で参議院予算委員会の、丸川珠代男女共同参画担当相と福島瑞穂議員のやりとりを聞く。福島議員の「選択的夫婦別姓になぜ反対なのか?」という質問を、丸川担当相が延々かわし続ける内容。

福島議員が何度も質問したあと、丸川担当相はようやく「家族の一体感にかかわる議論があり、家族の根幹にかかわる問題だと認識を持ったから」と答え、福島議員はさらに「丸川は旧姓ですよね。家族の一体感がないんですか?」と問う。このあたりで、音声には他の議員の笑い声が混じる。これに答える丸川担当相も笑っている。矛盾している状況のおかしさに、自分自身も笑ってしまったのだと思っていたのだけど、笑われているのは福島議員のほうだったよう。そのあとの丸川担当相は「丸川というのは通称名で、通称名と氏は別。このことが国民の理解をなかなか得られていない」と笑いながら答えていた。

「Session」での放送はここまでだったのだけど、調べてみるとこのあとのやりとりが重要だと感じた。

 

11. 福島党首「国会議員は委員会や表示は通称使用が許されています。でも一般の人は、姓を変えたんだから戸籍名をちゃんと使えと圧力がかかったりします。一般の人の苦労をご存知ですか?」

丸川担当相「大臣に就任して驚いたことがありました。法律が仕上がったときに、閣議でサインをします。福島先生もサインもされたのではないかと思いますが、あの閣議でやるサインは、本名でした。大塚珠代でした」
「私は自分は旧姓、通称名で選挙をしていますので、非常に違和感がございまして、内閣総務官室に、これはおかしいのではないかというお願いをしました。数年かかりましたけれども、そこは丸川珠代で書かせていただけるようになりまして、やはり通称使用の拡大はこれからも取り組みが必要だろうと思います」

 BuzzFeed「「丸川は旧姓ですよね?」選択的夫婦別姓に反対の丸川大臣、国会追及に語った理由とは」

丸川担当相の経験にともなう制度の矛盾や不便さへの語りは、同姓にこだわっている人の考えを変えるきっかけになるように思う。そこから通称使用の拡大にいくのかよ、という感じはするけれど……通称使用の拡大と選択的夫婦別姓はどちらかではなく、両方進めていく必要があるものなのでは。そうすれば、同姓がいいけど仕事では通称を使用したいという、丸川担当相のような人も制度に包摂できるのだし。

ちなみにチキさんは「なぜ仕事で通称名を使う時は大丈夫で、実際の姓は夫婦が同じにしないと一体感が得られないのか。そのロジックなら、むしろ社会的に広く知られる通称名のほうが重要なのでは」と話していた。その視点もある。

 

夕飯は昨日作った「男子ごはん」で見た鶏の肉団子を、律儀に番組で紹介していたアレンジレシピにする。鶏団子の黒酢あんかけ。あとはみそ汁、春菊とトマトのサラダ。生で食べる春菊がおいしい。昼にゆで卵を作ろうと思って、失敗してできた半熟卵をここで活かす。

 

食べながら緊急事態宣言延長の会見を途中から見る。人口の6〜7割がワクチンを接種しても、年内は感染が広がるという尾身会長の見解。そうかあ……季節をもう一巡しなければいけないと考えると、なんだかこれまでの過ごし方を忘れてしまいそう。

当初の解除基準を下回っているという声もあるけど、私は延長自体は仕方ないのかな、と思っている。変異株も広がっているし、花見、歓送迎会などのイベントシーズンであることを考えると、慎重な判断をとったほうがいいと思う。ただ、気にしていない人はもうまったく気にしていないみたいに見えるし、延長がどれだけ一般の人々にメッセージとして響くのかはわからないけれど。ニュースでは目黒川の桜並木沿いにある居酒屋を取材していて、テロップで「花見シーズンの売り上げが年間の4割」と表示されていた。思っていた以上に大きな数字。

卒業式の中止や卒業旅行の断念を悲しむ学生たちの声もあるそう。矛盾したことを言うようだけど、卒業旅行は行きたかったらできるだけ行った方がいいんじゃないかな、とも思う。国が緊急事態宣言を出しているからといって、それに常に従う必要はない。国には感染拡大を防止する役割があるから延長には意味があるし、完全に形骸化しないように圧力を加えることもあるだろうけど、今どうしてもやるべきだと思ったら萎縮せず、網の目をくぐってみても良いはず。咎められないようにというよりは、咎められてもはね返すような気持ちで。

 

はてなからのメールによると、今日でこのブログを開設してちょうど1年だという。

*1:これは文章に向き合う時の話で、それ以外の点では役割が分担が明確なほうがやりやすいと思う

*2:2021年3月11日追記:このことについて、さらに考えたことをここに書いた。