ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

ちょうど1年[2021年3月5日(金)曇り時々雨]

今年はあまり外出もしないし大丈夫だろうと思って油断していたら、花粉症の症状が一気にきた。朝起きた時から鼻が詰まっていて、鼻水が止まらない。1日2回の市販薬を1日1回しか飲んでいなかった(夜にいつも飲み忘れてしまう)ことを後悔しつつ、とりあえず1錠飲む。

短い原稿を一本書いて、それからオンラインで打ち合わせ。打ち合わせの最中も鼻水が止まらない。ティッシュで鼻をかめたらよかったのだけど手が届く範囲になく、取りに行く時に部屋が丸写しになってしまうのがなんとなく嫌で、諦めてずるずると啜っていたら「花粉症、大変そうですね」と言われた。「今朝、急にひどくなったんですよ〜」と返しつつ、音声が入ると耳障りかなと思って啜るのを控えめにする。

それでもとめどなく垂れてきて、後半のほうはさらさらとした液体が鼻から上唇へ流れるのを気にしないようにしながら話していた。対面だったらヤバい人だけど、Zoomで画質も粗いし大丈夫のはず……一瞬鼻の下がてかったように見えて、慌てて顎を引きつつさりげなく手で拭った。

 

お昼ご飯を食べて、締め切りが近づいている原稿の見直し。編集者の方の「原稿を提出する前に『という』『と思います』などをカットできないか見直してほしい」という内容のツイートがバズっていて、私も原稿を見直すときは同じことをしているので「まあそうだね」と思いながら見ていたのだけど、反感を抱く人も多いみたいだった。

まあたしかに、当該のツイートは著者やライターさんへのお願いとして書かれているけどこのルールはある程度書き慣れた人であれば一度は聞いたことがあるはずで、その上で「という」とか「と思います」とかみんな使っていると思います。そう考えると、「著者やライターさんへのお願い」という対象設定はざっくりすぎるというか、主語が大きい。「ライター初心者へのお願い」とか「編集者の個人的な愚痴」くらいの範囲だろうか。でも、それだとバズらなかった気もする。「プロ編集者から、プロの書き手へのお願い」という体裁で書くことが、初期段階での肯定的なバズを生んだというか。でもやっぱり主語が大きすぎるので、広がるにつれて違和感を持つ著者やライターさんが声を上げはじめた、という感じに見える。

いろいろな人の意見を読んでいたのだけど、「それは編集者の仕事」「著者は細かい文章や表記、読みやすさは気にせず内容に集中すればいい」みたいな声がけっこうあって、ちょっと驚く。文章を書くときは読みやすさや文章の細部まで含めて「内容」だと思うし、それは編集というより「推敲」という、文章を書いた人がやる作業のうちだと思っていた。もちろん、どこまでその基本的なルールを適用するかはお互いの関係によるし、推敲した上で残す判断が許容される土壌があってこそだと思うけど。

というか私としてはライターと編集って、そんなにきっぱり役割が分かれたものではなく*1、基本的に違うレイヤーから見ているけど、お互いに取りこぼしがあれば拾いあうような共同作業者、という認識だった。こっからここまでと決めすぎず、ただお互いに文章をよくすることを考えていれば、自然と役割はあいまいに、でも目標は明確になっていくように思う。

……と、思わず長々と書いてしまったけど、この文章も「という」「と思います」使いまくっている。一文も長くて表現もくどい。それはろくに推敲をしていないからだけど、推敲しても「という」とかが一切なくなることはないと思うので、本当にケースバイケース。私も基本スタンスはこうだけど、どんなものを書くかによってけっこう変わるし。主観だけど、人文・文芸に近いジャンルほど許容範囲が広く(細部の統一や杓子定規的な読みやすさよりも文章のリズムを優先する。この日記も意識としてはこっち寄り)、実用・ビジネスジャンルほどこの編集者の方の視点を活かしやすいと思いました。色々見ていても、前者の人のほうが反感を抱いている印象。*2

 

花粉症の薬をもらいに内科へ。今年は行かなくて済みそうだと思っていたので、負けた気分。道中、aikoの新しいアルバムを聴く。フルで聴く時間が今はないので、かいつまんで「メロンソーダ」「磁石」、それからシングル曲あたりを。昨日、J-WAVESONAR MUSICに桃山商事の清田さんが出ていて、あっこゴリラさんらとともにaikoの魅力を語っていた。そこでアルバム1曲目の「ばいばーーい」が流れていたのだけど、すごい怖い曲で心の準備がないと聴けないと感じたので、今はスキップした。

清田さんのラジオでのしゃべりはスムーズで、歌詞の読み解きもわかりやすくてハッとするところが多く、自分もこういう風に話せたらなあと思う。ポッドキャストやラジオを経験して、「話すの苦手だから嫌だな」から「うまく話せるようになりたいな」に徐々に変わりつつある。

 

16時頃は比較的空いています、とホームページに書いてあったからその時間めがけて行ったのだけど、思ったよりも混んでいた。診察よりも、そのあと薬を処方してもらうまでに時間がかかった印象(この病院は薬局に処方箋を持って行く必要がなく、薬もこの場で出してくれる)。待ち時間に鼻がむず痒くなり、くしゃみが出そうになったけど、他の人にすごく嫌がられそうなのでどうにか我慢した。

 

帰宅後、仕事の続きや来週の取材準備。それから英語の勉強をして、夕飯を作る。「荻上チキ・Session」で参議院予算委員会の、丸川珠代男女共同参画担当相と福島瑞穂議員のやりとりを聞く。福島議員の「選択的夫婦別姓になぜ反対なのか?」という質問を、丸川担当相が延々かわし続ける内容。

福島議員が何度も質問したあと、丸川担当相はようやく「家族の一体感にかかわる議論があり、家族の根幹にかかわる問題だと認識を持ったから」と答え、福島議員はさらに「丸川は旧姓ですよね。家族の一体感がないんですか?」と問う。このあたりで、音声には他の議員の笑い声が混じる。これに答える丸川担当相も笑っている。矛盾している状況のおかしさに、自分自身も笑ってしまったのだと思っていたのだけど、笑われているのは福島議員のほうだったよう。そのあとの丸川担当相は「丸川というのは通称名で、通称名と氏は別。このことが国民の理解をなかなか得られていない」と笑いながら答えていた。

「Session」での放送はここまでだったのだけど、調べてみるとこのあとのやりとりが重要だと感じた。

 

11. 福島党首「国会議員は委員会や表示は通称使用が許されています。でも一般の人は、姓を変えたんだから戸籍名をちゃんと使えと圧力がかかったりします。一般の人の苦労をご存知ですか?」

丸川担当相「大臣に就任して驚いたことがありました。法律が仕上がったときに、閣議でサインをします。福島先生もサインもされたのではないかと思いますが、あの閣議でやるサインは、本名でした。大塚珠代でした」
「私は自分は旧姓、通称名で選挙をしていますので、非常に違和感がございまして、内閣総務官室に、これはおかしいのではないかというお願いをしました。数年かかりましたけれども、そこは丸川珠代で書かせていただけるようになりまして、やはり通称使用の拡大はこれからも取り組みが必要だろうと思います」

 BuzzFeed「「丸川は旧姓ですよね?」選択的夫婦別姓に反対の丸川大臣、国会追及に語った理由とは」

丸川担当相の経験にともなう制度の矛盾や不便さへの語りは、同姓にこだわっている人の考えを変えるきっかけになるように思う。そこから通称使用の拡大にいくのかよ、という感じはするけれど……通称使用の拡大と選択的夫婦別姓はどちらかではなく、両方進めていく必要があるものなのでは。そうすれば、同姓がいいけど仕事では通称を使用したいという、丸川担当相のような人も制度に包摂できるのだし。

ちなみにチキさんは「なぜ仕事で通称名を使う時は大丈夫で、実際の姓は夫婦が同じにしないと一体感が得られないのか。そのロジックなら、むしろ社会的に広く知られる通称名のほうが重要なのでは」と話していた。その視点もある。

 

夕飯は昨日作った「男子ごはん」で見た鶏の肉団子を、律儀に番組で紹介していたアレンジレシピにする。鶏団子の黒酢あんかけ。あとはみそ汁、春菊とトマトのサラダ。生で食べる春菊がおいしい。昼にゆで卵を作ろうと思って、失敗してできた半熟卵をここで活かす。

 

食べながら緊急事態宣言延長の会見を途中から見る。人口の6〜7割がワクチンを接種しても、年内は感染が広がるという尾身会長の見解。そうかあ……季節をもう一巡しなければいけないと考えると、なんだかこれまでの過ごし方を忘れてしまいそう。

当初の解除基準を下回っているという声もあるけど、私は延長自体は仕方ないのかな、と思っている。変異株も広がっているし、花見、歓送迎会などのイベントシーズンであることを考えると、慎重な判断をとったほうがいいと思う。ただ、気にしていない人はもうまったく気にしていないみたいに見えるし、延長がどれだけ一般の人々にメッセージとして響くのかはわからないけれど。ニュースでは目黒川の桜並木沿いにある居酒屋を取材していて、テロップで「花見シーズンの売り上げが年間の4割」と表示されていた。思っていた以上に大きな数字。

卒業式の中止や卒業旅行の断念を悲しむ学生たちの声もあるそう。矛盾したことを言うようだけど、卒業旅行は行きたかったらできるだけ行った方がいいんじゃないかな、とも思う。国が緊急事態宣言を出しているからといって、それに常に従う必要はない。国には感染拡大を防止する役割があるから延長には意味があるし、完全に形骸化しないように圧力を加えることもあるだろうけど、今どうしてもやるべきだと思ったら萎縮せず、網の目をくぐってみても良いはず。咎められないようにというよりは、咎められてもはね返すような気持ちで。

 

はてなからのメールによると、今日でこのブログを開設してちょうど1年だという。

*1:これは文章に向き合う時の話で、それ以外の点では役割が分担が明確なほうがやりやすいと思う

*2:2021年3月11日追記:このことについて、さらに考えたことをここに書いた。