ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

すごい営み[2021年4月11日(日)晴れ]

昨日おおむね完成させた小説を頭から読み直す。大学の同級生の文芸サークルに誘われて書いたもので、5月の文フリ(開催されるのだろうか)でおそらく初売りになるもの。気になったところに手を加えていくも、いまいちどこをどう直せばいいのかわからない。一眼レフのカメラを手にした時とか、Adobeインデザインをはじめて触った時に似ていた。作りたいものがあるのだけど、そのための最善の方法がわからない。だからとりあえず今できる一番いいやり方を試してみる、という感じ。

私が書いたのは原稿用紙10枚程度と短いものだけど、小説をまともに書いたのがはじめてということもあってけっこう大変だった。下手にいろいろ読んでいて理想があるぶん、自分の力量とのギャップも大きく、執筆が止まってしまう。追求するには文字数も時間も足りなくて、最後はとりあえず破綻していないかたちを目指してハンドルを切っていったけど、面白いのかどうかはまったく不明。というか、面白いかどうかはわりと二の次で、「こういう人や関係が本当にあるのか」を重視していたなと、いま日記を書きながら思った。でも、それもちゃんとできているのかあまり自信がない。

 

ただ、「すごいものを書いている」とは思えなかったけど、なんというか「すごい営みの末席に連なっている」みたいな感覚は強烈にあった。小説という大きく長い、脈々と続いてきた表現の端で書いている、という感覚。日記や普段の原稿とは比べものにならないくらい時間がかかったし苦戦したけど、また書いてみたいと思う。もう二度と書きたくないという気持ちもあるけど。

今度はもっと自分に近い人物を書いてみたい。今回書いた作品の主人公も自分と重なるところがないわけではないけど、設定があらかじめ決められていたので、その点で自分自身と距離があるものになったと思う。

 

午後までにおおむね見直しを終え、昼は小松菜とトマト、ツナのパスタを作って恋人と食べる。恋人はこのあと九品仏のd&departmentに棚を見に行くそう。レンジやトースターを置くための棚。もともと冷蔵庫の上に置いていたのだけど、1月に大きい冷蔵庫を買ったら置けなくなってしまった。仮でコンテナボックスの上に置いて、気づけば3ヶ月近くが経つ。もう慣れてしまってこのままで良い気がしてきているけど、うちのインテリア担当は恋人なのでそこはお任せする。

食後は昨日の日記を書く。昨日は今日以上に集中して小説を書いていて、その中で感じたことを記録しようと思ったのだけど、なんだかうまくまとまらない。とりあえず今書けるだけ書いて、後日まとまるようならブログにアップするし、まとまらないならメモ的に残しておこう、と思う。

しかし今週は本当に仕事が忙しくて、日記を書く時間をまったく取れなかった。来週後半だと思っていた締め切りが前半〜半ばだった、というのが2件あって、かつ取材も立て続けに入ったのが原因。こんなに長く更新しなかったことはなかった気がするから、けっこう悔しい。これが癖になって、どんどん更新期間が空くようなことにならないようにしたいと思う。最近は読書や英語の勉強もおろそかになりがちだ。可処分時間が圧倒的に足りない。どこかでリズムを立て直したい。

 

夕方から高円寺でCLOUDS GALALLY+COFFEEの『バクちゃん展』と、タタの『IWAKAN』の展示をはしご。どちらも今日が最終日。『バクちゃん展』では作者の増村十七さんが在廊していて、少し話す。以前オンラインでインタビューさせてもらったお礼など。私がギャラリーに行ったタイミングでは他に難民支援をしている方や留学生の方などがいて、みんなが増村さんに作品が支えになったことを伝えていた。漫画は2巻で完結してしまったけど、ネトフリとかでアニメ化しないかな、と思う。「次回作を楽しみにしています」と伝えて出る。

タタの『IWAKAN』展は、はしごを上った屋根裏のような場所に展示スペースがあった。クィアな体験をGoogle map上に記録・集積し、それを無機質な音声が読み上げる「Queering The Map」の展示がよかった。『IWAKAN』にはこの創設者のインタビューも載っているそうで、今から読むのが楽しみ。最終日ということもあって、編集部らしき人もたくさん在廊していたのだけど、人見知りもあって特に話しかけたりはできず。『IWAKAN』最新号とメイ・サートン『今かくあれども』の古本を買って店を出る。

 

一旦帰って荷物を置いてプールへ。ちょっと体が重かったけど、1800メートル泳ぐ。帰ったら恋人が先に帰ってきていて、一緒に豚キムチの残りとみそ汁、サラダを食べる。

夜は短い小説を書くのに参考になるかと思って買ったチョン・セラン『フィフティー・ピープル』を読んで過ごす。面白いけど、思っていたよりバイオレンスな描写が多め。喪失や悲しみが作品のキーになっているし、書かれた時期的にもセウォル号事件以後の韓国文学になるか。Twitterに相関図を書いてアップしている方がいて、ぼんやり眺めたり。しかし途中で睡魔に耐え切れず、22時過ぎに本を開いたまま寝落ちしてしまった。展示にプールに欲張ったせいで疲れていたのだと思う。