ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

この夏合流したいね[2022年1月22日(土)晴れ]

昨日は乗代雄介『皆のあらばしり』、九龍ジョー『東京で聖者になるのはたいへんだ』、佐原ひかり『ブラザーズ・ブラジャー』を立て続けに読み、移動時間に宇多田ヒカル『BADモード』を聴いていた。先週末に見た『偶然と想像』からの流れもあると思うけど、色々な人の作品に触れてすごく刺激を受けている。今日と明日はたくさん見たり読んだり聴いたりする日にしよう、と決める。

 

午前中に佐原ひかり『ブラザーズ・ブラジャー』を読み終える。ブックマンションと吉祥寺ジュンク堂のコラボ企画で、にちようだなさんが選書していたもの。もともと作品のタイトルやあらすじを聞いて気になっていたけど、せっかくなのでここで買わせていただいた。最初は人の核心にあるものをどう描くかの眼差しや言葉遣いに吉本ばななっぽさを感じたのだけど、後半に向かってその印象が薄れていった。神秘的なものに回収されることなく、登場人物たちがただただ自分や相手と向き合うことで物語が進んでいくので、どこまでも不恰好で地道だ。どれだけ感情が爆発しても、結局はその地道さしかない、というまっすぐさ。個人的には主人公のちぐさや晴彦よりも、ままならなさを抱えながらもどうにかやっていく方法を身につけた大人たちに心を重ねてしまうのだけど、大人たちのそういうところがこの姉弟を苛立たせる原因でもあって、痛いところを突かれたような気持ちにもなった。

 

お昼ご飯は恋人と一緒に近所でハンバーガー。いつかテイクアウトしておいしかったところ。店内は薄暗く、若い女性の2人組が食べ終えた皿を前に話しているだけ。その2人組もしばらくすると席を立って、私たちが食べている時は他に客はいなかった。でも、ウーバーイーツの注文が入ったことを知らせる通知音は何度かキッチンから聴こえてきていた。

スーパーで夕飯の食材などを買って、恋人にそれを持って帰ってもらう。私は喫茶店で1時間だけ仕事。今日はなんとなく家では仕事と関係ないことだけしていたかった。一席だけ空いていたテーブル席に座って作業をする。

本当はまっすぐ帰って、できるだけ家にいたほうがいいのだろう。でも、適度に外で食事をしたり仕事をしたりしている今を「別にいいじゃん」と感じている自分もいる。結果的に気にせず出歩くわけでも完全にこもりきるのでもなく「状況に応じて」ということになっているのだけど、都度ちゃんと判断しているかというと怪しい。もう疲れてしまって、判断の基準が摩耗して、ろくに機能していない気もする。

 

帰ってきて、恋人と一緒に宇多田ヒカルの配信ライブのアーカイブを見る。「君に夢中」が良かった。音源ではさらりとしているからそこまで強く意識していなかったけど、演奏も歌唱もかなり難しそうな曲。正確に乗りこなそうとする時に必然的に切迫感が生まれて、それが曲と合っていた。ただ感情を爆発させるのではなく、抑制されたなかから濃縮したものがこぼれ落ちるような感じ。あとはサックスの音色が好きなので「BADモード」「誰にも言わない」も良かった。

欲を言えば、「気分じゃないの(Not In The Mood)」「Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー」のアルバム曲2曲も聴きたかった。

「気分じゃないの(Not In The Mood)」では「私のポエム買ってくれませんか?今夜シェルターに泊まるためのお金が必要なんです」と話しかけてきた人の詩を、ロエベの財布から出したお札で買って読む、という描写が登場するのだけど、その瞬間の空虚さが切り取られていてすごい。ノブレス・オブリージュのような規範を内面化していたら見過ごしてしまうような、本来人間の価値は等しいはずなのに、という実感が滲んでいて、「社会」からはみ出した本音のように感じた。

「Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー」は「僕はロンドン、君はパリ/この夏合流したいね/行きやすいとこがいいね/マルセイユ辺り」というカジュアルな歌詞が浮遊感のあるサウンドにのせて歌われるのだけど、これも「対等さ」という観点でみるとまた意味合いが変わってくるように思う。お互いの行きやすいところ、中間地点を探るということ。分断を超えること、あるいは境界線そのものがない場所を目指し、その状態を回復すること。深読みのような気もするけど、コロナ禍でカジュアルにはできない旅行が歌のテーマになっていて、かつ実際には合流できていないこと(歌われているのは「オーシャンビューの部屋」を「予約」するところまで)の地に足のついていない感じとみょうにリンクする。ただ、それは比喩というよりは暗示のようなもので、そのために作られた歌詞ではなく、個別具体的なシーンに時代のほうが意味を与えてしまう、みたいなことな気もした。

 

夕飯はきのこ納豆鍋。肉を使っていないのだけど、きのこや油揚げ、こんにゃくの豊かな歯ざわりがそれと同等の満足感をもたらしてくれる。ネトフリ版の『新聞記者』を見ながら食べた。

食後は一人で、見逃していた『はちどり』を見る。万引き、夜遊び、休学や突然の退職。規範の外へと身軽にアクセスする女性たちの足取りは、閉塞感を抱える主人公のウニにも影響していく。逆に、規範に自分自身を添わせようとする父親や兄の厳しさもウニに影響を与える(力を奪っていく)。潮の満ち引きのような人間関係と、その間で引き裂かれそうになる心を丁寧に見つめている映画だった。

生き延び[2022年1月18日(火)晴れ]

スケジュールが遅れている記事の赤字修正を朝イチで戻す。そのあと、8時半くらいから出張の原稿のブラッシュアップ。前回の日記で書いた「パズルのピースが一気にはまっていくような感覚」になる作業のはずだったのだけど、今回はあまりその気持ちよさはなかった。文章自体は収まるべきところに収まっていくのだけど、なんとなく自転車のペダルが軽すぎる時のような感覚があって不安。思っていたよりも1時間近く早く作業が終わったのも、何か重要なことを見落としているのではないかと心配になった。

ひとまず、現時点での完成度は8割。今週あと一日作業日を確保できているから、そこでひとまず提出できる状態には持っていけるはず。

 

作業中、知り合いのライターさんから連絡。新年会に誘っていただいていたのだけど、「オミクロンの感染が落ち着くまで延期しましょう」とのこと。残念だけれど、自分も完全に同意。まん延防止等重点措置も適用になるみたいだし、しばらくはまた人とも会いづらくなりそう。結局(悪い予想が的中して)「新年会しましょう」と言っていた人たちとは会うタイミングを逃してしまった。声をかけたりかけてもらったりした人たちとは、きっとまた会う機会がと思っているけど、やっぱり寂しくはある。

そしてここで考えてしまうのが週に一度通っている会社のこと。つい先日「新年会をしましょう」とミーティングで言われて、参加の返事をしてしまったのだった。そこには、夏の飲み会や忘年会を断っていた後ろめたさがあった(忘年会は単純に都合がつかなかったのだけど)。予定日は今から少し先で、増加のペースをみていると、もしかしたら再び緊急事態宣言に突入している頃かもしれない。これまでのケースから判断すると、それでもおそらく予定通り行われるだろう。また断るの言いだしにくいなあ……。

会社では私一人だけ立ち位置がやや特殊で、フリーランスの出入り業者だけど元社員なので、みんなの接し方としてはほぼ社員、みたいな感じ。そして社員時代から数えると最古参だが、すでに社員ではないので、気を使いつつもけっこう自由にやらせてもらっている。

夏の飲み会を断った時は、これだけ感染が広がる中で参加したいと思えなかったことに加えて、不参加を言い出しにくい人もいるかなと思って自分から口火を切ったところがあった。ただ、その後の会社の人たちの様子をみていると、どうやらみんな私ほどは気にしていなさそうなのだった。だから一人だけ「めっちゃ気にしている人」みたいになってしまっていて、それも言い出しにくさに拍車をかけている……。

悶々としながら言い訳を考える。「フリーランスで取材などの予定もあるし、万が一かかった時のリスクがどうしても大きいのだ」という言葉が浮かぶ。でも、実のところリスクというのは一部分にすぎなくて、「感染が広がる中であまり人と飲食したくない。その自分の主義を曲げることに抵抗がある」というのが主な理由だと感じている。その言い方はだいぶ角が立つからそのまま言ったりはしないけど、「感染のリスク」みたいななんとなくみんなが理解を示してくれそうな理由で納得してもらおうとするのも、嘘ついてるみたいで嫌だなと思ってしまう。言い訳なんてそんなものだと、割り切ってもいいのかもしれないけれど。

もともとそんなに会社の飲み会を楽しめていなくて、その消極的な姿勢がみんなに思いっきり伝わってしまっているのも大きい(だって「結婚は男から切り出さなきゃ」とか言われるし)。それでも絶対に参加したくないわけじゃなくて、話したいと言ってくれる人もいるから参加しないとな、と思う気持ちもあるのだけど……ここで断ったら「やっぱり来たくないんだな」としか受け取られなさそうなのも悩む。それは自分が断り続けた結果でもあるのだけど……うーん。

 

少し時間が余ったので、乗代雄介『皆のあらばしり』を読み始める。ウザいけど絶妙に憎みきれないおっさんのこの感じ、いいですね……ニヤニヤしながら読む。芥川賞の発表は明日。

夕方からHMV&BOOKS 日比谷コテージで清田隆之さんの出版記念トークイベント。ゲストは澤田大樹記者。お二人の本の話、男らしさの現在地の話、面白かった。盛り上がっていたのは「男子校」の話で、そこで生まれる有害なホモソーシャル空間についてや、男子校を優秀な成績で卒業し、名門大学に進学したエリートがそのまま官僚になったりするので結果的に日本社会や政治の中枢にも男子校のようなノリ、不文律が蔓延してしまうなどなど。

話を聞きながら、私はつい最近読み終えた遠野遥『教育』のことを思い出していた。ある学校が舞台なのだけど、そこでは1日に3回オーガズムに達することが推奨されていて、成績も「4枚の伏せられたカードから正解を当てる」という、サイキックというか、オカルトめいた能力によって決められる。そういう外から見たらまったく意味不明な状況に過剰適応して、良い成績を残そうとしているのが主人公。登場人物は、男たちはだいたい成績をはじめとする能力によるパワーゲームに一切の違和感を抱いていなくて、その外に目を向けようとするのは基本女性。要するに、男性が置かれた場所に過剰適応していくこと、それによって内面が空洞化していくこと、完璧に適応してしまっているから自分がおかしいことにも気づけないこと、などが描かれていた。前作の『破局』からテーマが一貫していると感じる。そして、それは今回のトークイベントで繰り広げられた「男子校」の空気ともかなり通じるなあと思ったのだった。

 

質疑応答ではまさに男子校で教師をしているという方が質問されていて、そこで澤田さんが「自分が通っていた男子校にも同性愛者やトランスジェンダーの生徒はいたと思うし、今思うととても苦しかったのではないかと想像する。(男子校のルールの)外の風を入れてあげることが大事だ」というようなことを話していたのが印象的だった。二年生の時に行かなくなってしまったのだけど、私も中堅進学校の男子校に通っていたから、その時の自分に声をかけてもらったような気持ちになった。

まあ、私の場合は正直そんなにいい話ではないっていうか、犠牲者(なんとなく被害者という言葉よりはこっちが近いように思う。でも、どちらの言葉もあまりしっくりきてはいない)でもあり共犯者でもあるのだけど……中学での私は、経緯を忘れてしまったけど「早熟キャラ」みたいになっていて、雑誌などで仕入れた性の話を積極的にする子どもだった。どうしてそんなことをしたのか今考えてみると、そうすることでホモソーシャルな空間の中で自分を卓越化できたし、自分のセクシュアリティに対するアリバイ工作にもなるという、二重の利益があったのだ。すっっっごい愚か……そして切実……でも、同じようにしてどうにか生き延びたゲイの人もいるのではないかなと想像する。この話はまたどこかできちんと整理しよう。

日比谷コテージ店長の花田さんや、清田さんに少し挨拶。澤田記者の本にサインをもらう。帰って、恋人と一緒にフォーを食べた。今日の新規陽性者数は5185人、現在の重症者数は7人、死者0人。

把握できる[2022年1月12日(水)晴れ]

今日から少しずつ、出張取材の原稿に着手しはじめる。だけどうまく頭が働かなくて、まだ疲れが抜けきっていない感じ。それでも午前中いっぱいを使って書けそうなところまで進めていく。ダメそうだと思ったら日を改めたほうがいいフェーズと、ちょっとダメそうでも手を動かした方がいいフェーズがあって、今は後者のフェーズ。てにをはがおかしかったり、単語や文章のリズムが精査しきれていなかったりする文章をとりあえず書いていく。

これは自分がいつも「準-原稿」と認識しているものよりもさらにゆるくて、現時点ではとても人に見せられるレベルではない。でも、ここでは文章がきちんとしているかどうかは大事ではなくて、要素が文字として打ち出されていること、なんとなく起承転結が把握できることが大事。ひとまずこれが書けると、次に推敲した時にほぼ完成まで持っていくことができる。その時のパズルのピースが一気にはまっていくような感覚は本当に不思議で、どうしてそんな魔法のようなことがいつも起きるのか、作業しているのは自分なのだけど謎に感じている。このてにをはもめちゃくちゃな原稿が本当に使い物になるのか。そんな魔法みたいなことが起きるのか。経験則としては「起きる」のだけど、毎回不安になる。でも、ひとまず経験を信じて進めるしかない。そういう不思議さと、不安を抱えているのが今のフェーズ。

このフェーズは私が一番苦手な段階でもある。気持ち的には全体の6割くらいを占めているのだけど、完成度は全体の30パーセントに満たないくらいで、その大変さと成果のギャップが苦手の原因だと思う。逆にこの先の推敲のフェーズは気持ち的には2割くらいだけど完成度を80パーセントくらいまで上げられるので、気持ちよくて本当に魔法的に感じる。

 

お昼ご飯は先日作ったカレー納豆そば再び。乾麺のそばが二人で150グラムと少なめだったので、年末に母から贈られてきたおもちも入れた。家に常備している食材でちゃちゃっと作れる、こんな料理を増やしていきたい。

午後は日記を書く。今、次のZINEのためにブログに掲載しているのとは別で毎日日記を書いているのだけど、けっこう大変で息切れしている。出張などでうまく休みが取れておらず気力が回復し切らない中、自分でタスクを増やしてしまっているだけなのでどうしようもないのだけど……。分量的に今週末くらいで終わりにしようとは思っているけど、大変だなあと思いながら向き合っていると「そもそもこれ人が読んで面白いのかいな」みたいな気にもなってしまって、全体的にモチベーションが下がり気味。

 

16時から打ち合わせ1件、そのあと18時半から3回目の整骨院。姿勢が悪いのが実はコンプレックスで、矯正するには人の手を借りるしかないと思って(姿勢良く立つことを意識してもすぐ戻ってしまうし、そもそもその「いいと思っている姿勢」が正しいかどうかも自信がないので)年明けから通い始めたものだ。

今日は筋肉をしっかりマッサージされる。私は背骨のあたりの筋肉がめちゃくちゃ凝り固まっているそうで、ここをかなり強く押される。うめき声が出るくらい痛いのだけど、その最中も「3連休でしたけど、どんなことして過ごしてたんですか?」とかニコニコした声で聞かれるので、答えざるを得ないし痛いとも言い出しにくい。ここの整骨院はみなさんとても明るくていい人なのだけど、なんとなく「よく訓練されている」と形容したくなる雰囲気があり、微妙に噛み合わない気がしてしまう。プログラムについて話をしていても、こちらの発言を表層的には組み込みつつも実際は高度にマニュアル化された流れに乗せられているだけ、という感じがうっすらとするし。

しかし施術や体の歪みに関する説明には納得感があり(といっても、素人の私から見て、という話だけど)、施術後はよくわかっていなかった体のパーツの正しい置きどころが把握できるようになる。腰の上にすっと上半身が乗っているような、自然な感覚を取り戻せるというか。ひとまずもう少し通ってみよう。帰りにOKストアで買い出しをして、夕飯はフライパンで作る温野菜。

今日の新規陽性者数は2198人、現在の重症者数は4人、死者0人。予想はしていたけどかなりハイペースで感染者数が増えている。このままだと来週には東京で過去最高を更新してしまいそう。私はまだ(少なくとも保健所の定義では)濃厚接触者にすらなったことがないけど、今後はなってもおかしくないのだろう。もちろん濃厚接触だけじゃなくて、感染してしまうこともありうる。

そういう時間[2022年1月9日(日)晴れ 長野]

長野取材に来ていて、今日はその2日目。寝付きはかなり良い方なのだけど全然眠れず、2時間起きくらいに目が覚めてしまう。古いホテルで換気扇の音がずっとうるさいとか、そういうことも関係しているのだろうか。でも、いつもだったら環境に関係なく寝られるのだけど。眠りが浅いからなのか悪い夢ばかりで、殺人犯から身を隠す夢を2回見た。そうしてなんとか寝ようと格闘しているうちに、気づいたらもう起きる時間になっていた。

しゃきっとしたいと思ってシャワーを浴びる。どれだけ待っても、どれだけ温度を上げても水しか出ない。昨日はちゃんとお湯が出たのに、なぜ……同じ時間帯にお湯を使っている人が多いとか、そういうことなんだろうか。しかしもう服も脱いでいるし時間もないので、観念してそのまま浴びる。体感的に「ぬるい」と「冷たい」を繰り返すので、水温も35〜37度前後を行ったり来たりしている様子。バスルーム全体がいっこうにあたたまらないのがきつい。常温のシャワーが当たっているほうがまだマシなので、体の表面になるべくシャワーが当たるように、体を縮めて頭を洗った。これはこれで目が覚めた。

 

部屋で1時間ほどメールの返信をしたり、日記を書いたりする。10時にディレクターの人と一緒に長野市立図書館へ。今回の取材は善光寺の参道に関するもので、資料を色々と調べる。分厚い市史や町史のたぐいをめくりながら、一つの街の歴史や習俗がここに記されていて、でもそれすらほんの一部に過ぎない、というようなことを考える。昨日いろいろな人に話を聞く中で、あいまいだった部分を補完する情報を見つけられてよかった。

図書館を出ると、目の前のお店に数組の行列ができていた。近寄って見ると、タルト屋さんらしい。駅から少し離れているのに行列なんてすごいですね、と言いつつ並ぶ。季節のフルーツと、焼き洋梨のタルトを買った。

 

ホテルに帰る道すがら、「昨日誕生日だったんで、バースデーケーキですね」と言う。誕生日だったことを知らなかったようで「(出張を)ずらせばよかったのに」と驚かれ、何歳になったんですか、と聞かれて「30です」と言ったら「めっちゃ節目じゃないですか」と笑っていた。

30になって何か変わった感じしますか? と聞かれて、あんまりない、逆に30の時って変わった感じしました? と聞き返すと、「いや、全然。何も変わらないんだなって思いました」「誕生日にどこで何をしていたかも覚えていない」という。そういうものなんだろう。私も当日はそんなもんだろうなと予感していたから、こうして出張を入れたところがあるし。

ただその人は30歳の時にそれまで勤めていた会社を辞めていて、そこには節目の意識が働いていたのだそう。やっぱり自分の生き方を考えるうえで、一つの区切りになるものなのだろう。私としては、「11時になったらあれに取り掛かろう」「15時になったら散歩に行こう」とか、そういうことのもうちょっと大きい版くらいの感覚で捉えている。では30になった自分がこれから何をしようとしているかというと、具体的なことはあまり考えていないのだけど。

でも、面白いとか、これは良いと思えないことからは今まで以上にきちんと距離を取っていきたいと思っている。いろんな関係性や状況があるから、ある地点を区切りにすぱっと付き合いや仕事の方法を変えることは、少なくとも自分にはできない。断ったりするのも苦手だ。だけどゆっくりでも、良いと思える仕事の時間と数を増やして、良いと思えないものを減らしていけば、1年後、10年後は大きく変わっていくはず。漠然としているけど、これからはそういう時間になるといい。

 

駅前のそば屋で昼食を食べて、昼から夕方までガイドの方に参道を案内してもらった。すべての予定を終えた頃にはすっかり暗くなっていて、踏み固められてつるつるになった雪道で滑らないように、気をつけながら歩く。昨日と今日はとても天気が良かったけど、来週には冷え込んで、また雪が降るのだという。現地の人がそう言っていた。

帰って、ホテルの部屋でタルトを一つ食べる。

 

長野県の新規陽性者数は135人。東京の今日の新規陽性者数は1223人、現在の重症者数は4人、死者0人。

いろんな雪の日[2022年1月6日(木)曇りのち雪]

寒い日が続く中でも今日は特に寒い。午後から雪の予報になっているけど、そんな日に限って会社の仕事始めで出社しないといけない。家で少し作業したあと、電車で会社へ。締め切りの迫っている原稿に着手する。最近、またスランプに陥っている。言葉はスムーズに出てきて文章はつながるのだけど、なんか浅くて書いていて楽しくないし、できあがったものを面白いと思えない。かたちになってしまうぶん、積み上げたものがあるから引き返しづらくもあり、やっかいだなと思う。

そうするうちに雪が降り出した。原稿を書きながら、そろそろ出張のための新幹線をとらないと、と思って「えきねっと」にアクセスする。該当の時間帯の便は軒並み「△」表示。移動が活性化しているのを感じる。オミクロン株の拡大スピードが思っていた以上に早いので、ほぼ満席のような新幹線に乗ることへの不安がよぎるが、ひとまずチケットを購入した。

長野出張へ行く前に、念のためPCR検査をしたほうがよかったのかもしれない。でも今日は会社だから行けないし、明日ではもう間に合わない。こういうところにも自分の油断があらわれている。

 

ふと外を見るとけっこう雪が降っていた。電線の上に雪が積もって、それが時々ばらっと落ちる。デスクの向かい側の窓よりも高い位置に電線があるらしく、私の席からだと何もないところからいきなり雪の塊が落ちてきたように見えて、不思議な感じ。でも、それが何かリズムのようなものを生み出してもいる。

会社からは早めに帰ってもいいと言われているけれど、今日の作業量的に定時までやってちょうどよさそうだったし、しかも家に帰ったら怠けて明日にまわしてしまう気がした。もうひと頑張りするために、億劫だなと思いながら食事のために外へ出る。

覚悟を決めて出てきたけど、風がないからかあまり寒くない。コートの中にある体は熱を保ったまま、傘を持つ手だけがどんどん冷たくなっていった。転ばないように、足の裏をまっすぐ地面につけるようにして歩く。こんな日に限って、かかとのあたりに切り傷があって(いつ切ったのかわからないけれど、先日プールから上がった時にふと見たら血が滲んでいて気づいた)、歩くと少し痛い。スニーカーと靴下が濡れたらしみそうだな、と思う。

 

熱いラーメンを食べて、まっすぐに会社へ戻る。会社は四ツ谷にあるのだけど、さっき下ってきた道をのぼりながら、本当に「谷」なんだな、と思う。足に意識を集中しているから、そんなことにも気づく。帰り道、思いっきり転んでいる人を二人見かけた。私も何度か小さく足を滑らせた。凍ったらやばいかもな。

仕事の続きをして、定時の30分前くらいにすべての業務を終える。もう帰りたいけど早退するにも微妙な時間で、ちょっとネットを見たりして過ごす。オミクロンと雪のニュースが多い。

これだけの雪が降ったのは2018年以来で、その前は2014年だそう。たまたまかもしれないけど、ちょうど4年おき。その時自分が何をしていたのか思い出してみる。4年前は今と同じ家に恋人と暮らしていた。恋人はカメラを買ったばかりで、雪の景色を撮りに外へ出かけていっていたのを覚えている。8年前は今とは違う恋人と付き合っていて、その人と一緒に益子へ旅行に行こうとしていた。高速バスに乗る予定だったのに、乗り場がある秋葉原へ行ったら大雪のために運転を見合わせていて、つくばエクスプレスに乗って行ったのだった。益子も大雪だった。本当は雪が降る地域ではないそうなのだけど、私はその一回しか行っていないから、雪の益子しか知らない。

次第にいろんな雪の日のことを思い出してきた。私が一方的に好きだった(相手は私よりずっと年上で、遊びみたいな感じだったと思う)人の家に泊まっていて、「明日自動車の教習所なんですよね」「休んじゃえばいいじゃん。相変わらず真面目だね」という会話をしたこととか……。

 

そんなふうに、今日のことも思い出すのだろうか。特徴的なことは何も起こらなかった一日だけど。

外と室内の寒暖差のせいなのか、会社に戻ってから頭がぼーっとしていて、だんだん眠くなってきた。帰ったら駅前のスーパーで七草を買わないと、と思う。

 

今日の新規陽性者数は641人、現在の重症者数は3人、死者0人。

嫌いかもしれない[2022年1月3日(月)晴れ]

今日から仕事始め。午前中に原稿を一本ざっくり書いて、お昼は恋人が作ってくれたラーメンを食べる。大掃除で発掘された、賞味期限が年単位で切れているラ王。乾麺だし、問題なくおいしく食べた。

 

午後はずるずる先延ばしにしていた作業に着手。明日くらいまでは引っ張れそうな感じなので、今日はやめようかな……という考えも頭をよぎる。でも、後回しにしたい作業ほど先にやっておくと気が楽なので、頑張ってファイルを開いた。

執筆中は基本的に無音なのだけど(声やリズムに引っ張られて集中できなくなるので)、最近はやる気が出ない時だけラジオをつけるようにしている。結局10分もしないうちにノイズに感じて消すのだけど、意識をうまくごまかしながら仕事モードに切り替えられる気がする。今日も5分くらいで消して、そのあとは作業が完成するまでずっと集中してできた。1時間くらいで終わると思っていたら倍以上かかってしまったけど、余計に今日やっておいてよかった、と思う。

リビングに行くと恋人から「仕事終わった?」と聞かれて、「終わった。まだ三ヶ日で全然メールが来ないから、作業に集中できたよ」と返す。誰からも連絡が来ないので、早朝に作業している時のあの静かさが一日中続いているような気持ちでいられた。それは自分にとって心地いいことなんだなと、言いながら改めて気づく。コーヒーを淹れて自分の部屋に戻って、昨日の日記を書いた。

 

夕飯は買いすぎていたおせちの残りと、卵とキクラゲとトマトの炒め物、小松菜のサラダ。出来合いのものとかインスタントが続いていたので(しかもおせちとか海苔巻きだから基本的に冷たい)、久しぶりに自分で作った料理がかなりおいしい。自炊欲が高まり、食事しながら録画して全然見ていなかった「男子ごはん」を見る。「冬のアレンジ麺」の回で作っていたカレー納豆そばがおいしそうで、しかも今家にある材料で作れそう。明日のお昼はこれにしよう。

紅白のかまぼこに手をつけないでいたら、「縁起物だから」とうながされ、気乗りしないまま口に運んだ。「珍しく水飲んでる」と指摘され(私は食事中にほとんど水を飲まない)、自分でもそんなに好きじゃなかったんだと改めて気づく。嫌いな食べ物はないと思っていたし、なんでも食べられる自分のことが好きだったけど、嫌いかもしれない、かまぼこ。たしかに積極的に食べたい日はかなり少ないけど、おいしいと思う時もある……と往生際悪く思いながら、機械的に口に運び続ける。

 

今日の新規陽性者数は103人、現在の重症者数は1人、死者0人。久しぶりの100人超え。意識の浅いところで気を引き締めようと考えるけど、奥のほうでは全然油断している。

続かなくてもOK[2022年1月2日(日)晴れ]

オーガスタのオガちゃんに水をやり忘れていて、ふと見てみると土が真空パックで潰された肉のような、明らかにおかしい質感をしている。えっ、と思って焦って水をやると、ごぼごぼと大きな泡がわきたち、死んだ目のダルメシアンが出てきた。ダルメシアンはそのまま垂直にせり上がってくる。思いのほか筋肉質な体つきに本能的な身の危険を感じていると、その全身が土から抜け出た。まっすぐな棒のような姿勢で、下半身は魚の尾ひれになっていた。瞳が虚ろなので目が合っている感じはしないが、顔は私の方を向いている。恐怖に体を強張らせていると、ダルメシアンは棒のような姿勢のまま宙に浮き、高速でリビングを移動しはじめた。そこで目が覚めた。2022年の初夢だった。

 

かなり気持ち悪い夢だったな……と思いながら、「初夢 ダルメシアン」と検索する。良い結果がヒットせず、「初夢 悪魔」で検索し直す。夢に悪魔が出てくるのは「心の闇」や「性的な欲求」を意味しているそうで、本当に余計なお世話。まだ6時だったので二度寝したけど、今度見た夢も悪夢寄りだった。

 

シャワーを浴びてパソコンに向かう。吉祥寺ブックマンションとジュンク堂のコラボ企画で、棚主が新刊を選書して紹介するフェアに参加させてもらっている。私の担当は1月度で、今日からスタート。選書理由や、自分が著者インタビューをした記事のリンクなどをまとめたペーパーを配布する予定で、その最終チェックをする。ラフな文体で書こうと思ったのに全然うまくいかず、年末年始は毎日少しずつこの原稿を進めていた。見直すほど直したい点が見つかりそうだけど、今日中に設置しないといけないので修正はほどほどに。記事などをリンクしたQRコードのチェックだけ入念にやる。

売り場に貼り付けるポップも用意して、データをUSBに入れて家を出る。今年はじめての外出。ちょっと商店街を通ってみる。人通りは少ないけどお店はぽつぽつと空いていて、それだけで応援したくなる気持ちになる。コーヒー屋スタンドでカフェオレを買った。

 

新宿のキンコーズでペーパーを印刷し、のりとはさみを借りてポップ作り。厚紙に紹介文などを貼り付ける。吉祥寺へ移動して、ジュンク堂で書店員の方にあいさつののち設営。ポップの貼り付けなどは数分で終わって、ペーパーを一枚ずつ折って棚の隙間に挿す作業に時間がかかった。キンコーズで折ってくればよかった。

ブックマンションに移動し、今日のお店番の方と雑談しつつ、こちらにもペーパーを設置。何冊か本も補充した。

 

地元に戻ってきて、喫茶店で大晦日と元日の日記書き。帰り道で最寄りの神社に初詣。お守りのお焚き上げの炎が激しくて、しばらくぼーっと眺めた。帰ってきて、恋人と二人でオガちゃんに水をやる。悪魔はせり出て来ない。顔を近づけると土に水が染み込む音が聞こえて、淡い土の香りがする。自分はこの瞬間が好き。

 

夕食のあと、積読から『ベルリンうわの空 ランゲシュランゲ』を読む。自分や他人を大事にする気持ちを思い出す。語学の勉強についての記述がいくつかあって、ふと去年の忙しい時期からぱったり止まってしまった英語の勉強を再開しようと思った。読み終えて、さっそく自室で取り組む。頭のいつも使っていなかったところが刺激される感じ。
きっと忙しくなったらまた勉強が疎かになるんだろうなと思う。でも、どうせ続かないからと言ってやらないよりは、続かなくてOKの気持ちで三日坊主でもとりあえずやればいい。最近はそんな気持ちでいる。

 

以前も一日の目標としていたぶんのタスクをこなして、ちょっと休憩。あ、自分リセットされたな、という感覚があった。勉強しようと自然に思って取り組めるのは、余裕がある証拠だ。年末年始の四連休、ペーパーのテキスト執筆などけっこうやることが多くてしっかり休めていない気がしていたけど、大丈夫だったみたい。自分が回復していることに気づいて満足して、明日からの仕事始めも頑張れそうな気がした。

 

今日の新規陽性者数は84人、現在の重症者数は1人、死者0人。