ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

今じゃない[2021年10月30日(土)晴れ]

9時過ぎに起きて、朝から恋人と一緒に駅前のパン屋へ行き朝食。家に帰ってきて、何をするでもなくぼーっとする。少し本を読んだけど、内容が頭に入ってこない。10月は本当に本を読めなかった。それは忙しかったのもあるし、今読んでいる本がしっくりこないことも関係していた。

ある人の自伝なのだけど、日常におけるある一種の違和感が何度も繰り返され、読んでいて単調に感じてしまう。その違和感はその人のジャーナリスティックな視点の原動力になっているものだし、繰り返し繰り返し感じて、それを書き続けていること、その重さをちゃんと受け取りたいと思ってページをめくるのだけど、どうにもしんどくて前に進まなかった。6割ほど読んだところで、今は読むべきタイミングじゃなかったのかもしれないと感じはじめる。無理に通読するとかえって何も得られないような気がして、読むのをやめることにする。懸命な判断だと思うが、挫折の味もする。

 

12時過ぎごろ新宿へ行き、駅周辺のショッピングビルを色々とめぐる。8月頃から行くのを控えていたので(伊勢丹、ルミネなど新宿の百貨店、ショッピングビルは店員の感染情報を日々公開していたのだけど、8月は毎日、ほぼすべての施設で感染者が出ていた)すごく久しぶり。新宿二丁目のそばにあるACTUSでオガちゃんに水やりをするための霧吹きや、先日割ってしまった茶碗の代わりになるものを物色し、結局買わずに出る。

恋人と昼食を食べ、それぞれ別れて自分の見たい店を見る。いくつか気になる洋服はあったものの、なんとなく億劫で試着しなかった。そもそも接客を受けるのが苦手なことに加え、体が小さいのでセレクトショップに置いているようなブランドだと一番小さなサイズでも丈や袖が長いようなことが少なからずあり、その失敗体験が積み重なって回避しがちになっている。一番小さいサイズでも大きい、というのは、ブランドに拒否された気持ちになるし、店員さんも困らせてしまうしでけっこうしんどいのだ。

ジェーン・スーがラジオやポッドキャストで、日本ではXLでもギリギリだったけどアメリカに留学したら私の上に3サイズくらい展開があってすごく気が楽だった、とよく話している。全体的に大きめに作られているイメージがあるし、それでいうと私の場合はXSでも着られなかったりするのではないか。それとも、小さいサイズも展開が多いのだろうか。実際、西欧圏にも私と同じくらいの体格の男性はいるだろうし。でも、旅行記などを読んでいると男性用小便器の位置が高くてアジア人は用を足すのにちょっと苦労する、みたいな(コミカルな)描写を見ることもあって、どうなのかなと思ったり。

そういうサイズが合わないかもしれないストレスを考えるとユニクロの安心感が半端なく、つい行ってしまうのだった。でも、今日は特にほしいものがなかった。そうやって楽な買い物ばかりしていたらクローゼットの半分近くをユニクロが占めるようになってしまい、それはそれで違う…と思っていることも影響しているだろう。

 

恋人と合流しようと何度かLINEを送るも、既読がつかない。いそうな店をまわっていると接客を受けて試着している最中で、そのためにスマホを見ていなかったのだろう。コンプレックスを刺激されたようで一瞬むっとなりかけるが、それをこの人にぶつけるのは違うと気持ちを押し戻す。

恋人はまだ色々と見たい店があるようだったので、一人で先に帰宅。近所の古着屋でパタゴニアやノースフェイスのアウターを物色する。古着は一点もので、サイズがなくても「その時縁がなかった」と思うだけで済むから気楽だ。店員も塩対応気味のところが多いし。でも、今日は店が混んでいたので特に試着などせず見るだけにとどめた。スーパーで夕飯の材料を買う。

 

帰ってきて、iPhoneをiOS15にアップデートする。その間、iPadで『セックス・エデュケーション』シーズン3のエピソード1を見る。キャラクターみんな好きだけど、特にメイヴ、アダム、ジャスティンに幸せになってほしいと常に思っていて、彼らが登場するたび傷つけられることが起きないよう祈るような気持ちになる。エイミーのトラウマも絶対にいい方向に向かってほしい。

シーズン2ではなぜオーティスとオーラが付き合っているのかよくわからず(二人がお互いの何に惹かれているのかあんまりよくわからなかった。それは当て馬としてのメイヴの存在や、親との関係によって結託してしまったところもあるのだろうか)、メイヴとくっついてくれ〜と思いながら見ていたが、オーティスがどんどんろくでもない感じになっているので今はそう思わない。というか、もし今くっついてもすぐダメになる気がする。

キャラクターも、その関係性もどんどん変化していく。ブレブレってくらいにみんなブレまくるのだけど、「設定が」ブレているのではなくて、「キャラ自身の心が」ブレているのを捉えているのがすごい。アイデンティティを獲得していく時期。そのアイデンティティは性と密接に関わり合っているけれど、でもそれはごく一部で、まわりの人間とのコミュニケーションによって有害になったり無害化できたりする。

 

夕飯は昨日作ったナスとひきにくのトマト煮を、パスタにあえて食べる。あとはレタスとミニトマトのサラダ、スーパーで買った紙パック入りのパンプキンスープ。期せずしてハロウィン感。ニュースでは宣言解除後の街に人が戻ってきていることや、ハロウィンの渋谷の様子を、やや警戒感の強い調子で報道していて、昼間に買い物を楽しんだ身としてはやや責められている気持ちになる。でも、そのニュアンスの意味もすごくわかる。

 

いくつかの番組を流し見したあと、NHKで選挙特番をやっていたので見る。各党首の選挙戦に臨む姿を追ったドキュメントなのだけど、公約の内容よりも人柄を伝えるものが多く、これだけだと印象論になるなと思ってしまう。みんなコンビニやスーパーの惣菜を買って食べたり、ラジオ体操をしたりして、庶民の味方アピールをしている。あと、やたらと走ってる姿が映る。

今回の選挙、私はそれぞれの公約にはざっと目を通して、小選挙区は入れたい候補者がいるし、比例は自民党を落としたいという気持ちで野党第一党に入れる予定。

 

最高裁判官の国民審査については、SNSで「夫婦別姓を認めないのは合憲とした裁判官はこの人たちだ」と、それぞれの判決をマルバツで示した表がリツイートされてくるのをよく見るのだけど、ものすごく危うさを感じている。私も夫婦別姓は進めてほしいけど、そんな単純化して大丈夫か? 実際、公報誌を読むと長嶺安政、岡村和美の2名の裁判官は、違憲ではないものの民主主義的なプロセスによって夫婦別姓の議論がなされるべき、という判断をとっている。問題意識はあるが憲法の問題ではない、と判断することは十分ありえるはずで、それらも一緒くたにクロとしてしまっていいのか。

それから、堅田香緒里『生きるためのフェミニズム』という本の中で紹介されていたあるケースが印象に残っているというのもある。2021年3月に札幌の裁判所で「同性婚を認めないのは違憲」という画期的な判決を下した裁判官が、その2週間後に生活保護の減額決定の取り消しを求めた裁判で、原告の生活保護受給者の訴えを退けた、というものだ。私自身が同性婚訴訟の判決に舞い上がったから、知った時は冷や水を浴びせられた気分になった。

本の中では、これをネオリベラリズムは「パン(金)」には不寛容だが、「バラ(尊厳)」には寛容な態度を示すケースとして紹介している。それはつまり、体制の側がコストを引き受けないで済むかどうかによって、包摂されるマイノリティと排除されるマイノリティが生まれてしまう、ということだ。

今回の夫婦別姓の件を、この「パンかバラか」という論点で語れるかはケースバイケースだと思うけれど、でも、ある一点のみでその人の是非を判断すると、別の側面から見た時に大きな間違いにつながる可能性があることは確かだ。夫婦別姓と同じくらい大事にしている問題について、その人は自分とまったく違う価値観を持っているかもしれない。

恋人は公報誌を読みながら荻上チキ・Sessionを聞いていて、「ジャーナリストの江川紹子さんが『国民審査は点じゃなくて価値観を見た方がいい』って言ってたよ」と教えてくれた。

 

夜は時間があって、何を読もうか迷ったあと、kindle坂口恭平『土になる』を読みはじめる。コロナ禍で畑をはじめたことについて書かれているのだけど、土との対話の中に絵、音楽、建築、いのっちの電話など、彼が続けていた経験がすべて溶けていてすごい。最近また文章が書けないモードだったのだけど、ますます軽やかな坂口恭平の文章を読んでいると、自分もすらすら言葉が出てくるような気がする。

 

今日の新規陽性者数は23人、現在の重症者数は14人、死者5人。

今のままで[2021年10月27日(水)晴れ]

晴れ、と書きつつ一日外に出ていないので天気に自信がない。作業をするデスクの目の前はすりガラスの窓で、カーテンをかけていないからだいたいの天気はわかる(晴れか曇りかは空の色でわかる。深い庇があるから雨が降っているかどうかは案外わからない)のだけど、記憶がなし。

 

急ぎの原稿の見直しをして朝一で送ったあと、取材から数週間近く手がつけられなかった原稿に着手する。この企画はいつもだいたい取材日から2週間と言われているけど、今月後半は本当に忙しくなることがわかっていたので、もう1週間ほど猶予をもらっていた。おかげでどの締め切りにも遅れることなく提出することができて、忙しさもようやく終わりが見えてきた。

私は締め切りをかなりきちんと守るタイプで、最初に提示された日程が難しそうであれば交渉するし、仮に遅れるとしても「何日までには出します」としっかりことわりを入れる。それは職業ライターとしてけっこう重宝される特性なのだけど、自分としては「肝が小さいから」でしかないと思っている。締め切りを「守っている」というより、「破れない」のほうが近い。

だから私は「締め切りを破れる人」に、引け目を感じているところがある。あんまり締め切りを守れていなそうな人に、締め切りを破ってでも自分の書くものととことん向き合うような、天才肌的なイメージをもれなく投影してしまう。実際にその人が天才肌で、書くものととことん向き合った結果締め切りをぶっちぎっていることは少ないと思うのだけど、自分が小さくまとまっているように感じて、うっすらと傷つく。コンプレックスを刺激されてしまう。

かといって、じゃあいっそのこと締め切りを破ってみるかとか、そういう話でもない。私は時間に追われると雑になるから「とことん向き合う」ために余裕を持って書いているのだし、そもそも締め切りに常に追われる生活がしたいわけでもない。今のままでいいのだ。今のままで、コンプレックスだけを小さくしていけたらいい。でも、それが難しい。こういうふうに、多分それは利点なのだけど、コンプレックスに感じていてうまく生かせていないことが、他にもたくさんあるような気がする。

 

原稿をざっくり書いて、昼ごはんは昨日鍋いっぱいに作ったシチューとパン。朝ごはんもシチューとパンで、夕飯もシチューの予定。カレーとかシチューとか、同じものを食べ続けて飽きるということがあまりない。大鍋で作る料理は食べても食べてもなかなか減らず、その感じを頼もしく思う。食後は原稿の続き。

ひととおり形になったところで、新しい日記本のゲラチェック。あと1週間くらいで入稿なので、いよいよ作業は佳境に。頭から通しで読んでいく。最近、自分の中で色々なものごとへの考え方が変化しているのを感じているので、全然納得できないことが書かれていたらどうしようと(自分の日記なのに)不安だった。でも、読んでみると特におかしなことは書いていなくて安心した。ただそのぶん、これが果たして面白いのかどうかはまったくわからない。初売りは来月の文フリ東京。

 

夕方、月曜から石川旅行に行っていた恋人が帰宅。シチューを食べながらみやげ話を聞く。「トピックを言うね」と、恋人がiPhoneのメモを読み上げ始める。トピックは「針葉樹」、「こんにちは at タクシー」、「バスで焼き芋」、「ポージングの女」など16タイトル。バラエティ番組のエピソードトークみたいだ。「どれがいい?」と嬉々とした表情で聞かれるので、「じゃあ、まずは『こんにちは at タクシー』!」と乗っかる。

 

夜はまた仕事へ。業務量は落ち着いてきているけど気持ちが追いついていなくて、ついパソコンに向かって作業を進めてしまう。この一ヶ月まったくと言っていいほど本を読めていないので、そろそろ読む時間もしっかり確保するようにしたい。

 

今日の新規陽性者数は36人、現在の重症者数は16人、死者2人。

混ざって[2021年10月23日(土)晴れ]

眠くて、ではなくて、疲れていて起きれない、というのを久しぶりに経験した。木曜日の日帰り北海道出張や金曜日の半日取材、時間がとれないぶん作業を夜にせざるを得ないことなどがじわじわと蓄積しているのだろう。でも、アドレナリンなのかドーパミンなのか、何かしらのアッパーな脳内物質が出ているみたいで、その忙しさを苦痛とは感じていない。脳のどこかがハイになっている。

それに北海道出張は日帰りで残念ではあったけれど、1日に2回も飛行機と高速バスに乗れて、本州とは違う場所に行けたのはよかった。着陸姿勢に入った行きの飛行機の窓から見えたターコイズ色の海は冷たそうに輝いていたし、白樺の連なる風景は少し外国のようだった。道路沿いの紅葉もきれいで季節が進んでいる感じがしたけど、予想していたほど寒くはなくてカバンに入れたダウンジャケットは出番がなかった。まともな食事をする暇もなかったけど、空港のビルで北海道牛乳のソフトクリームを食べ、おみやげを買ったらけっこうな金額になった。帰りの飛行機は雨雲に突っ込むようにして離陸していき、ある地点で雲の上に出たら満月が近くにあって、その光が雨雲の上にうっすらと反射していた。と、書き損ねてしまった日の記録を無理やり別の日に挿入する。

 

8時くらいに起きて、シャワーを浴びつつ洗濯をまわす。この流れで衣替えしたのだけど、時間と気持ちに余裕がない。その日の気温を見てたんすの中から洋服を引っ張り出して、それを着る。なし崩し的にクローゼットの中で夏服と冬服が混ざっていく。

 

10時過ぎから2週間ぶりの病院。経過は相変わらず良好で、次回は1ヶ月後。創部に薬を塗っている時、自分ではかなり傷口が小さくなってきた感覚があるのだけど、写真で見比べると思ったほど変化がなかった。「次回には見た目もかなり変わってくると思いますよ」と先生。これ、完治はいつになるんだろう? 寒くなってきたし、仕事の隙を見てサウナや銭湯に行きたい。でもまだ膿が多少出るし、もうしばらくは難しいだろうか。

膿を受け止めるのに少し前はおむつを使っていたけど、最近は生理用ナプキンを使っている。残量が少なくなってきたので、処方箋の薬を受け取ったあと、病院のある建物に入っている薬局でナプキンを買った。毎回、こんなにたくさん種類があるのかと思う(ブランドの数というより、シーンなどによって使い分けるための種類が多い)。

変な自意識が発動し、私はどう見えているのだろうかと考えてしまう。パートナーの生理用品を代わりに買いに来た男だろうか。実際は痔ろうの手術をしたゲイなんですよ、と思いながらカバンに押し込む。店員さんも気にしていないだろうし、どう思われようと別に関係ないと言えばそうなのだけど。

 

移動してMと合流。アクリル絵の具をキャンバスに垂らして模様を作る、フルイドアートを体験する。今作っている日記の表紙に使うため。色同士が混ざり合わない絵の具を一つのコップに好きな順に入れていき、コップを逆さにしてキャンバスに中身を落とす。しばらく時間が経ったらコップを外して、絵の具がじわじわと広がっていくのを待つ。これ以上広がらなくなったらキャンバスを動かして、全体に絵の具が行き渡って色がつくようにする。

最初の一回はきれいに行き渡ったのだけど、そのあとは液が少なかったのか、あるいは液が固かったのかうまくできなかった。そして色が混ざり合わないと書かれていたけどけっこうしっかり混ざってしまうこともあって、思ったようにうまくいかない。私は黄色と青の反対色で鮮やかなものを作りたかったのだけど、どうにも混ざって緑色になってしまう。3回目に挑戦したものは黄色がはっきり出たけど、絵の具がうまく伸びなかったので割り箸や指で広げたり、途中で絵の具を足したりと力技を使うことになり、やっぱり思ったようにはできなかった。難しい。

Mも作って、二人で6枚の作品が完成。どれもそれなりに面白いけど、日記のイメージに合うか、作品をそのまま使って良い表紙になるかというと、ちょっとよくわからない。綺麗にできた部分をクローズアップして取り込むとか、なんらかの工夫が必要になりそう。

 

たまたま近くにいたA、Nも来てくれて、二人にも意見を聞いてみる。私が3回目に作ったものを良いと言ってくれて、意外な感じ。力技で完成させたので、自分としては作っている最中の(あ〜、うまくいかない)という焦りの感情が強く、これは失敗だと思っていた。制作プロセスを知らない人が見るとまた違った印象になるのだなと気づく。

二人が帰って、私はMと一緒に少し表紙のイメージを試行錯誤。そのあとはアイデアを得ようと渋谷のABCに行って、いろんな本の表紙を眺めた。

 

渋谷駅まで歩いて、山手線が工事で本数が減っているので副都心線新宿三丁目へ。それから新宿の街中を歩いて、JRのほうへ向かう。渋谷も新宿も明るく、にぎわっている。第六波を遅らせるためになるべく出歩かないというのも大事だと思うけど、これだけ長い期間緊急事態宣言などで人と会うのを制限されていて、会うなら今だよね、という気持ちも。フラッグスの前で立憲民主党が街頭演説をしていて、かなりの数の人が集まっていた。私も少し立ち止まって聞く。

 

帰宅したすぐあとで恋人も帰宅。お互いの1日について話す。その中で、以前恋人に言われて改めようと思ったはずの自分のうかつな言動をまっすぐに指摘され、あー、そうだよね、またやってしまった……と大反省。同じ間違いを繰り返さないようにしたいといつも思っているけれど、そういう間違いって思考のくせに由来することが多いので、忘れた頃にふとした拍子でまたやってしまう。一度転んだだけではなかなか矯正できない、そういうものなのかもしれない。何度も痛い目を見るしかないと思うと気が重いが、少しずつくせを直していきたい。

 

今日の新規陽性者数は32人、現在の重症者数は22人、死者1人。最近、この数字を記すのを忘れがち。前回の日記に記していなかったことに気づいて、さっき慌てて追記した。

オガちゃん[2021年10月19日(火)雨]

寒さで目が覚める。薄手のタオルケットを首元まで引き上げ、体全体を覆うようにしてもあたたかくならない。そうしているうちに頭が冴えてしまった。諦めてベッドから抜け出る。

 

先日のクラフトビールの取材原稿を書き進める。週の後半は取材で作業ができないので(木曜日には日帰り北海道出張なんていう予定もある)、今日と明日でどこまで書けるかが勝負。午前中はいいペースだったけど、冷凍うどんと賞味期限の切れたチョリソーを食べた昼ごはんのあとから失速。というか、疲れてきて文章の細部に気が回らなくなってしまったので、要素を書き出してざっくり構成を並べるやり方(準-原稿よりもさらに一段階解像度を落としたようなものを書いておくやり方)に切り替える。素材をある程度まとめて並べることができれば、短い原稿であれば半分以上できたようなもの。それをなるべく多く作っておいて、集中力が復活した明日の朝などに手際よく原稿のかたちに持っていくようにしたい。

 

執筆の途中、恋人が昨日オザキフラワーパークで買った観葉植物が届く。観葉植物を買うと聞いた時は、へえ、という感じであまり興味もなく、家に届いた時も一瞥しただけだった。リビングに置かれたそれを最初に見た時も(大きいな)という印象しかなかったのだけど、ケトルの湯が沸くのを待ちながらじっくり見たりしているうちに、あっという間に親密さを抱くようになった。オーガスタという品種なので「オガちゃん」と命名。ことあるごとに呼びかける。3人家族になったような気分。

オーガスタはアフリカなどに自生する植物で、サイズはものによるけれど、オガちゃんは鉢も含めた高さが1.8メートルほどある。私よりも、恋人よりも背が高い。野生では10メートルに達することもあるそうで、検索すると大きくなりすぎて困っている人の相談がいくつかヒットした。たった半日でこれだけ親しみを覚えているので、長い時間を一緒に過ごしたあと、成長しすぎて手放さざるを得なくなる…ということになったらかなり悲しいと思う。その引き裂かれるような気持ちを先回りして妄想し、切なくなる。鉢のサイズを大きすぎるものにしなければ、そんなことには多分ならないと思うけれど。

 

私は先週から来週にかけて2021年で一番忙しいくらいなので、夜になっても仕事は終わらず。休憩も兼ねて夕食。私がかなりバタバタしていて土日も仕事続きの一方、恋人は転職前の有休消化期間中で、毎日いろんなところへ出かけたり、家でゆっくり過ごしたりしている。そのためここのところ夕飯も恋人に任せきり。しかしかなり助かっている。なんとなくそのことを日記にちゃんと書いておきたいな、と思う。明日は書く時間が取れるだろうか。今日は恋人が作ってくれたガリバタチキンとみそ汁、あとはスーパーのポテトサラダだった。

 

食後少し休憩して、また仕事。2時間ほどやって、今日は終了ということにする。寝るにはまだ早かったので最近できていない読書がしたいと思ったが、SNSをだらだら見ていたらあっという間に時間が過ぎていた。考えることをする気力がない。

 

寝支度をして、オガちゃんにおやすみを言う。マジの声かけというよりは恋人とのコミュニケーションの側面が強いのだけど、とはいえそうして挨拶などしているうちに情が蓄積するということも、実感としてたしかに胸の内側にある。

 

今日の新規陽性者数は36人、現在の重症者数は26人、死者13人。

中心線[2021年10月16日(土)曇り時々雨]

眠りが浅くて、2時と5時に一度目が覚める。トイレに行ったり水を飲んだりしながら、少しずつアルコールが抜けているのは感じていたけれど、頭の鈍痛がなかなか治らない。7時過ぎに目覚ましが鳴った時にはだいぶやわらいでいたけれど、本調子ではなかった。すぐにシャワーを浴びたかったけど創部を洗う関係でトイレに行ってからにしたく、朝食を食べて、便意を待ってトイレに行ってから浴室へ。熱い湯を頭からかぶって、少しリセットされた気がする。

 

駅前のコンビニでウコンと水を買う。クラフトビール屋をめぐる取材をしていて、昨日と今日の2日がかりで10軒以上をばーっとめぐる。編集の人に「(ビールを飲むのは)無理しないでいいですよ」と言われたのだけど、取材・撮影用に出されたものを残すのも申し訳なくて、時間が許せば飲み干すようにしている。結果的に若干二日酔い気味で、今日は川崎から奥多摩の手前まで、点在する店を5軒まわる……1軒目の前に少しでも回復したい。

集合場所の駅に着いて、コンビニでおにぎりなどの軽食とホットコーヒーを買う。ホットコーヒーがかなり沁みた。内臓が温まったことで、つかえが取れたように体が動き出した感じがする。アルコールも分解され始めた。科学的にどこまで正しいかはわからないけど、実感として。

 

お酒を飲みながら取材をするのはかなり変な感覚。気が緩みそうなのを理性で律するのだけど、時間が経つにつれて中心線を見失い、どの程度律すればいつも通りなのかがよくわからなくなってくる。とはいえそんな極端に混乱しているわけではなくて、おおまかに言えば普段の自分の範囲内ではあったと思うのだけど。心臓の音を気にしていると止まるんじゃないかと不安になったり、歩き方を考えすぎると手と足が同時に出てしまったりするのと同じで、意識しすぎてバグる、みたいなことが起こっていた。

 

予定をうまく組めなかったのか昨日も今日もバタバタのスケジュールで、休憩がまったくとれない。合間の移動時間に朝買ったおにぎりなどを食べる。昨日はコンビニに寄る時間もなくて空腹でビールを飲み続けることになってしまったから、それを教訓として今日はしっかり買い込んでおいた。しかし私は移動時間に食事したりぼーっとしたりできるけど、運転していた人は一日中気が休まらなかっただろう。しかもエリアでまとまっていたらよかったのに、多摩川沿いの同じ道を何度も往復するような感じになっていたし。

 

18時前に最後の取材を終えて、国立でレンタカーを返却。手続きをしてもらっている間にトイレを借りたら、出たあとで店員の人に「うちはトイレの貸し出ししてないんですけど」と尖った声で注意される。レンタカーの営業所ってだいたいどこもトイレを貸し出している印象があったので無断で使ってしまった。完全に私が悪いが、別にいいじゃん、とも思ってしまう。

 

電車で地元の駅まで帰って、餃子の王将で恋人と合流。あたたかい食事が久しぶりに感じる……*1天津炒飯と餃子を食べた。途中で入ってきた若者二人が「20時を過ぎていてお酒は出せないんです」という店員にごねていたり、少し離れた席の男女が口論をはじめたり、全体的に治安が悪い。私は疲労と満腹感が合わさって一気に眠くなる。帰ってシャワーを浴びて、労りの気持ちで数ヶ月ぶりにフェイスパックなどしてすぐに寝た。明日も仕事。

 

今日の新規陽性者数は66人、現在の重症者数は35人、死者7人。

*1:昨日は23時前に家に着いてテイクアウトしたマクドナルドを食べた。冷たいか温かいかで言ったら温かいが、そういう意味ではなくて。

見慣れた気持ち[2021年10月10日(日)晴れ]

昨日は『セックス・エデュケーション』を見はじめたら止まらなくなってしまって、25時前には見終えたのだけど、頭が冴えてしまってなかなか寝付けなかった。眠かったけど、午前中にオンラインで取材があるので起き出す。私はネトフリなどのドラマを見るまでの腰がかなり重くて(時間があると本を読む方を優先してしまう)、その一方で見はじめると一気に見てしまう。リズムが作れない。見たい作品がたまるばかりで取りこぼしも多いので何か視聴を習慣づける仕組みを作りたいのだけど、そもそも習慣化とか考えているのがおかしい気もする。止まらなくて睡眠時間を削ってしまう、みたいなほうが、(身体的にはともかく精神的には)健全なような。そんな管理するものでもないのだ。

 

取材を終えて、そのあとすぐに文字起こし。いくつかの箇所で「ここでもっと踏み込めば良かった」「あの話も聞けば良かった」と思う。ライターあるあるだし、一つも逃さず聞き切るのは至難の業だと理解しているつもりだけど、定期的に「自分はこの仕事に向いていない……」くらいの落ち込みをしてしまう。今日もそう。ただ、それはできなかったことのほうばかりを見つめてしまっているからそう思うのだということもわかっていて、気づいて抜け出すまでの時間も、回数を重ねるごとに早くなってきている。今日は家を出て、ホームで電車を待っていたときに気分が切り替わったので、だいたい2時間くらいで抜けた。

 

新宿のKEN NAKAHASHIで森栄喜雷電 Dialogue』最終日滑り込み。KEN NAKAHASHIは古いビルの5階にあって、大きな窓から伝わる光や音、街の気配が美しいギャラリー。でも、今回の展示ではその窓や入り口のドアに隙間なくアルミホイルを貼って、光を遮断していた。真っ暗な中で作品と向き合う。

入り口のドアに向けて照射された映像の中では、森さんが海辺でマイクを手に、そこにはいない誰かの輪郭をなぞる。その間、背後のスピーカーからはマイクによって集めた音とその場の環境音が流れている。輪郭をなぞり終えると森さんはいなくなって、無人の風景の映像にさっきの音が重なる。それからしばらく無音の・暗闇の時間があって、再び最初から映像と音が流れ出す。

アルミホイルを貼ったドアに映し出された映像は、ホイルのたわみや壁の起伏によって歪む。場の干渉を受ける。去年の森さんの作品「シボレス」も、空間から影響を受けるインスタレーションだった。そこに何かを感じているんだなと思い、次に不在の輪郭をなぞることと、場の影響を受けることのつながりを思う。不在の中でその人を思い出すことと、作品に流れる時間とこの場の時間が重なって時間が複層化していくことはどこか似ていると感じる。作品の前に立っていた時、稲光に照らされるようにその相似形を理解した気がしていたけれど、いま言葉にしようとするとうまくできなくなってしまった。

オーナーの中橋さんに声をかけて、少し話す。ギャラリーは真っ暗、作品の音も静かで、どう声をかけようか迷う。タイミングやボリュームなど自分なりに気を使ってみたけど、その甲斐なく普通にめっちゃ驚かせてしまった。数ヶ月前に一度取材をさせてもらった時のお礼を言いつつ、この作品について教えてもらう。夏にここで開催したグループ展で発表した作品を再構成したもので、その時はもっと別の見せ方だったと言っていた。その間もスピーカーからは作品の音が流れ続けていて、中橋さんの声がその音に重なる。

コロナ禍になる前、このギャラリーで森さんとばったり出くわしたことがあった(あれは在廊、というのともちょっと違っていたと思う)。最終日だし、今日もばったり会ったりするかなあと思っていたが、特にそんなことはなかった。真っ暗なギャラリーを出て、昼間の新宿に戻る。無印で洗顔など買って帰宅。

 

しばらく家で過ごして、友人たちが私の街まで来てくれるというので会う。緊急事態宣言は明けたものの、20時がラストオーダーだったり、4人までしか入れなかったりするお店もある模様。そうした情報がどこかにまとまっているわけでもないので調べるのが億劫で、結局いつも行っている焼き鳥屋。24時前くらいまでみんなで話して飲んだ。

今日の新規陽性者数は60人、現在の重症者数は67人、死者7人。9月末から友人と会う機会が増えていて、自分でも気が緩んでいるなと感じる。しかし今日の新規陽性者数は今年最小らしく、緩めるなら今、とも思う。かと思えば後ろめたさを感じたり、後ろめたさの実感そのものを免罪符にしようとしているところもあったり。こういう心の動きはこの1年半で何度も繰り返していたことでもあって、いい加減もう飽きたなと思う。

 

今日の新規陽性者数は60人、現在の重症者数は67人、死者7人。

体(からだ/たい)[2021年10月6日(水)晴れ]

文章を書く仕事をしていて致命的だと我ながら思うのだけど、言葉を扱う能力が低下する時期が定期的にやってくる。感覚としては、だいたい1ヶ月ほど普通に書ける時期があったあと、10日から2週間ほど書けない期間がある。書けなさの程度はその時によってまちまちで、あまり気にならないこともあればかなり顕著なこともある。今回は後者で、めちゃくちゃ能力が下がってるな、という自覚がある。書いていて明らかに言葉や表現が単調になるし、喋っていても言葉が出てこなくてつっかえるし、本を読んでも目が滑って内容が頭に入ってこない。あと、この言語力低下期間の特徴として「音楽がすごく豊かに聴こえるようになる」というのがあって、それもいつも通り発動している。

おかげで仕事をしながらかなりもどかしい思いをしているのだけど、今でよかった、とも思う。今週は比較的仕事が少ないので、今なら多少能率が下がっていても困らない。この期間を抜けた直後は頭がフル回転していつも以上に書けて話せるようになるので、来週半ば以降の忙しい時期にちょうど当たればいいなと都合のいいことを考えたりもしている。

 

今日は6時半に目が覚めてしまって、そのまま活動を開始した。日記を書いて、日記本の追加原稿の見直し。言語力が低下している今、見直しとかもっとも避けたい作業なのだが、タイミング的に仕方がない。それでも初稿にしてもらったあとの赤字がなるべく少なくなるように頑張って読んだ。Mに原稿を送信。

 

お昼は恋人が作ってくれた甘辛いひき肉、天かすなどを載せたそうめんチャンプルー。それから、今進めているクラフトビールの案件の執筆・リサーチ。ビールを飲みたくなってくる。しかしまだやることがあるし、そもそも手術から2週間経たないとアルコールは飲んじゃダメと言われている。金曜日で2週間なので、あと少しの我慢。

手術したところは日によって痛みが増減して、直線的に楽になっていくわけじゃないんだなあと道のりの遠さを思ったりする。普通にしていて痛みを感じることは術後も今もないけれど、最近はトイレに行ったあとの痛みがややきつい。泣き叫ぶほどの痛みを10とした時、5くらいの痛み*1

自分の部屋のデスクに長時間座っているのもきつい。今のところ、ベッドに足を伸ばして座って壁に背中を預ける姿勢が一番負担が少ない。マットレスがやわらかいことと、上半身の重さを腰とお尻で分散できるからだろう。そう考えると、私がどうして円座クッションが合わないのかも(痔といえば、という感じだけど、私はかえって悪化するような気がするほど合わなかった)説明がつく。円座クッションは腰を伸ばして座る体制を要請するかたちになっていて、上半身の重さがお尻に集中してしまうのがダメだったのだと思う。ちなみに円座=ドーナツ型は合わないけれど、U字型を意識して座るとちょっと楽。それはお尻だけではなく、太ももの裏でも体重を支えるようなかたちになるからだろう。

 

17時半までそうして原稿を書いて、オンラインで雑誌の打ち合わせ1件。すでに年末号の2021年振り返り特集の話が出ていておののいてしまう。夕飯は昼に恋人が買ってきてくれた材料を使って水炊き。butaji『RIGHT TIME』を聴きながら作る。

 

夜は『みんな政治でバカになる』を読み進める。私には難しい部分もあるけど、これは必読の書では。挑発的なタイトルだけどそれはタイトルとその周辺だけで、色々な認知バイアスについて、感情を抑えてかなり丁寧に説明されている。

たとえば2章では「集団分極化」という、同じ考えの者が議論すると極端な考え方に先鋭化する現象を紹介しているが、これはテロリストを生む温床になる一方で、一般的な討論では不可視化されるマイノリティをエンパワメントする効果もある、と書いている。こういう感じで、さまざまなバイアスや現象の両面をしっかり提示することに心を砕いている印象。多分、著者は自分の筆致や論理展開がなんらかのバイアスを生む可能性にかなり自覚的で、それをなるべく最小化しようと気を遣っているんじゃないかと思う。「都合のいいところだけ見んな」=「バカになるな」という著者の主張を体現する文体が目指されている。

熟議民主主義など、WIRED最新号で扱っているテーマと重なるところもあった。頭に入らないままページをめくってしまったところがあったので、かいつまんで読み返したい。

 

今日の新規陽性者数は149人、現在の重症者数は77人、死者10人。

*1:「痔ろう」でSNSなどをサーチすると痛みを10段階で数値化している人が多くて、これはなんなんだろうと思っていたのだけど、術後に先生から渡される経過観察シートに痛みを記録する欄があり、それが10段階評価になっていたのだった