ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

2020年2月29日(土)曇りのち雨

本日より恋人と山梨の小淵沢に旅行。年末年始に二人とも誕生日を迎えるので、そのお祝いを兼ねて例年1月頃に旅行に行くのだけど、今年はいろいろあってこのタイミングになった。

小淵沢は新宿から特急で2時間ほど。特に予定を詰め込んでいないので、9時半くらいに家を出た。恋人が「除菌シートみたいなの、どっかで手に入らないかなあ」と言い出したが、マスクも品薄だし難しそう。もしものためにと思って、パン屋で朝食を買うときに「お手ふき2つもらってもいいですか」と言ってみる。快く対応してもらえたが、今考えるとずる賢かったかもしれない。

 

特急に乗ったらパンを食べつつ、友達に返せていなかったLINEの返信。それから、一緒にジンを作っているみのるんにLINEを送る。

今作っているのは、年末年始のことを記録した日記のジンだ。2010年代についての個人的なことや、オリンピック前の空気感を織り込みながら書いていたのだけど、今から出すには牧歌的すぎて時代錯誤な気がしていたのだ。ここ数日で時代の空気が一気に変わってしまった。オリンピック以前の記録として出そうと思っていたけど、「コロナウイルス以後」という予想外のフェーズが訪れたなと感じる。ただ病が蔓延しているというだけではなくて、政治や人種差別、貧富の格差、知性へのリテラシー、あらゆる問題が問われている。この中で、それ以前の生活について綴った日記を出すことにどんな意味があるのだろう。いや、意味はあるけど、それは今やるべきことなのか? そんなことを考えて、長いLINEを送ったのだった。

 

12時前に小淵沢に到着。電車を降りると空気がおいしい。まずはタクシーでキースへリング美術館へ。運転手さんがよく話す人で、この街の魅力をたくさん語ってくれた。水に恵まれているから野菜がおいしくて、八ヶ岳南アルプスなどの山々に囲まれた景色が見事。人もおだやかで、晴れた日の夜には満天の星空と天の川が見られる……などなど。

恋人が「長く住まれているんですか?」と聞くと、なんと昨年移住してきたばかりだという。昨年の春にお連れ合いの方と一緒に小淵沢を訪れ、そこで見た星空に感激。夫婦二人で移住を即決したのだという。「馬鹿ですよねえ」と心底うれしそうに話している。

ちなみに、「小淵沢のある北杜市は移住者が多くて、人口4万5000人のうち3万人が移住者なんですよ」と話していた。数字のファクトチェックはできていないが、人気の移住先であることは間違いないみたい。

 

美術館に着き、さっそく展示を見る。現在開催されているのは「Keith Haring: Endless」。今年は没後30年ということで、展示も力を入れているそう。入り口にはまず、ネオン管で作られたピンクトライアングルが掲げられていた。LGBTQのシンボルでもあるけれど、その下で光る「SILENCE=DEATH」のメッセージは今見るとより広がりのある意味をもって響いてくる。

最近はファッションとのコラボで目にする機会ばかりで、ポップな側面が強調されている気がするキースへリングだけど、展示で飾られている作品には、ブラックユーモアや批評性が感じられるものも。こっちの方が好きだなあ。ペニスを突き出している男性のイラストとか、こっちの方をグッズ化してほしい。Tシャツは勇気がなくて結局着れない気がするので、下着とか靴下とかで。

 

展示を見終えたあとは、ミュージアムのスタッフの女性が近くのレストランまで案内してくれる。その道すがら、今回のメインの作品となっている《オルターピース:キリストの生涯》について話してくれた。亡くなる2週間前に作られた祭壇画で、ブロンズの板に聖母子や天使が刻まれている。世界に9点ほどあるうちの一つとのことで、日本には二点あって、ここと、オノヨーコの個人コレクションで広島の美術館に寄贈されているものがあるそう。実際に彼の葬式の時に使われたものもあって、それは葬儀を行った教会に置かれているという。そう聞くと、作品の迫力がまた違って感じられる。真っ暗な部屋で、銀色に輝く祭壇画の陰影を思い返す。

 

食事のあとは早々にホテルにチェックイン。恋人との冬の旅行はホテルでだらだらするのが恒例となりつつある。窓から見える八ヶ岳を眺めたり、持ってきた本を読んだりして過ごした。

食事をして、風呂から上がったら東京で開催されているはずの東京事変のライブのセットリストを調べる。最近の椎名林檎関連の動きは乗り切れないところもあるのだけど、東京事変は中学〜高校〜大学時代にかなり聞いていたので思い入れが強く、動向をチェックしてしまうし新曲も聴いている。チケット外れたけど、ライブ行きたかったなあ。

行けないことが確定しているライブはセトリ順にプレイリストを作って聴くのが習慣になっているので、ひとまずセトリをアップしている方のツイートをスクショ。でも、最近は動員数の多いアーティストのライブだとApple Musicのプレイリストで作って公開してくれる方がいるから、自分で作らなくても良いのよな。便利な時代だとつくづく思う。

これだけさまざまなイベントの中止が相次ぐ中での開催ということで、サーモグラフィーを導入するなど対策はかなり徹底されていた模様。8年ぶりの開催ということで、リスクを取ってでもやり遂げたいという意志があったのだろうなあ。

自粛というとやっぱり東日本大震災が思い出されるけれど、あの時とは違って人が集まる場にはリスクが伴ってしまうので、ただのムードだと退けるわけにもいかない。自分自身はあまり気にせず、こうして旅行にも来ているけれど……。大規模なイベント、友人たちとの集まり、中止であれ開催であれ、あんまりジャッジしないようにしようと思う。

 

夜は再び読書など。本を二冊持ってきていて、一冊目を読み終え、川上未映子『すべてはあの謎にむかって』という文庫を読む。川上未映子が震災時に連載していたものをまとめた『ぜんぶの後に残るもの』など二冊の単行本からセレクトして文庫化したもの。恐らくどちらも単行本で読んでいるのだけど、図書館で借りたものなので手元にはない。少し前に川上未映子ブームがきている時に買って、震災の時期が近くなるまで寝かせておいたのだ。たしか以前読んだのも震災の空気が色濃い頃で、その時の感覚を思い出せるかな、と思ったから。

しかし、読み進めても当時はっとしたような内容があまり出てこない。震災への言及がなされたものがもっとたくさんあった気がするし、それこそ自粛やその裏返しの「食べて応援!」などについて言及していたエッセイがあったはずなのだけど、セレクトから漏れてしまったのだろうか。

ただ、「東電の対応も政府の発表も信用できない」というようなことが書かれていて、ああ、とは思った。最近Twitterを見ていたら、民主党政権時代がいかに素晴らしかったかを語るものが時々出回ってくる。自分でも、今のこの閉塞感と比べたらそりゃあずいぶんマシだろうと思う。今よりずっと誠実さがあるように見える。だけど、あの頃がめちゃくちゃ素晴らしかったわけでもないよなあ、と読みながら思い出した。

当時と今を比較したいわけではない。そうではなくて、私たちの認識はいつも歪むということ。だからこそ、こうして日記を書くことにはきっと意味があるのだろう。一人の人間の見方でしかないから、これだってバイアスがかかっていないとは言わないけれど、それでも。

 

読んでいるうちに眠くなった。朝早かったし疲れていたので、24時前に就寝。