ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

台風の日は[2022年8月13日(土)雨時々曇り]

台風が来るからまだ雨が降らない午前中のうちにスーパーへ行きたい。でも読みかけの本を最後まで読みたい気持ちもある。窓の外を見ながらどうしようかなあと悩んでいると、恋人が「代わりに行く」という。実際にどうかはわからないけど、その声に優柔不断な私に痺れを切らしたニュアンスを感じた。仕事を押し付けてしまったような後ろめたさと、仕事を取り上げられたようなやるせなさを同時に覚えて身動きがとれなくなってしまう。

最近、こういう小さな行き違いが頻発している。私の言い方が良くなくてなんとなく空気が悪くなることも多い。大ごとにこそならないけど、繰り返されると「またこうなった」と思ってしまう。今週、私は取材や出社がなかったし、恋人は夏休みで家にずっといる。そして私は自室の冷房の効きが悪いのと消費電力を減らすために、恋人がくつろいでいるリビングで仕事をしている。一緒にいる時間が長いせいで、小さな違いが目についてしまうのだろうか。とはいえ、ちょっとした行き違いがあっても30分もすれば別の話題で爆笑していたりするのだけど。

スーパーから帰ってきた恋人が冷やし中華を作ってくれる。手製の錦糸卵がほのかにあたたかくおいしかった。

 

食後は岸本聡子『私がつかんだコモンと民主主義』を読みはじめる。ロスジェネ世代として生まれ、小さな子どもを連れて移民としてヨーロッパに渡り、水道の民営化や気候正義の問題に活動家として取り組んだ岸本さんのこれまでを綴ったエッセイ。やっていることがゴリゴリですごい。

たとえば1998年にはジュネーブで開催される世界貿易機関WTO)の第2回閣僚会議への対抗行動「人々の国際行動(Peoples Global Action)」に参加している。この運動は「気候変動や生物多様性と、先住民や農民の土地、種子、労働運動、女性の権利運動、途上国の債務といった問題が、みんなどこかでつながっていて、どうやら現在の国際政治経済体制が、私たち普通の人の生活や生物が生きる環境をぎゅうぎゅう締め付けている」という認識が世界的に共有されはじめるなかで生まれたもの。前年に大学を卒業したばかりで、まだ活動家としての経験の浅かった岸本さんはこの運動に参加した体験を次のように書いている。

 

ジュネーブでの対抗運動はとても新鮮だった。WTO閣僚会議の開催を阻止、もしくは遅らせるための行動の基本は、会議場に向かう通りの占拠だった。目的の通りに無許可で繰り出し、徐々に占拠していく。そんな経験は皆無だった私とみほは、圧倒されながらも、前日仲間と一緒に作った横断幕やオブジェを握りしめて、通りを塞ぐ、つまり車の通行を阻止した。他の人たちは、停止させられた一般自動車のバンパーにチラシを挟み込み、なぜ私たちが通行を止めているかを説明する。(中略)私は市民の非暴力の直接行動の展開を目の当たりにした。自分も横断幕の先頭で車の通行を阻止しながら、市民が通りを占拠する自由と権利を初めて体で学んだ」

 

この1998年の経験を経て、岸本さんはアムステルダムに移住し、ヨーロッパの政策NGOで、生きていくのに必要不可欠な安全な水のための公水道を求める「水の正義 Water Justice」プロジェクトに関わっていく。その中で、子育てを通して感じた多文化共生や日本との学費の自費負担額の違い、収入がなくても生きられる生活保障のあり方など、移民として暮らしてきた体験も綴られている。

人がよりよい未来を生きていくのに必要なものは何か、立場の弱い人がさらに押しやられていないか、仕組みに問題があるんじゃないか? という視点が常に一貫している。あらためてすごい人が区長になったね、杉並区……! チャリで初登庁も納得。熱狂しすぎると冷静な判断ができなくなるから(特に自分はそう)慎重でいたいけど、それでも胸が熱くなる。

この前友人と会った時にも話したのだけど、杉並区長のこと、昨年の衆院選で吉田晴美さんが当選したことなど、自分の一票が結果に反映される経験を重ねることで、確実に意識が変わってきている。期待していいんだ、というか、ある種の自信というか。

ただ、同時に「それでいいの?」という思いもあった。「多数派」になったことで自信を獲得するのでは違和感がある。数が多い方が民意だとすれば、現在の与党の考えが民意ということになってしまうし、それは数の少ないマイノリティの意見やまだ周知されていない問題を隅に追いやる思想と地続きになる。

そう考えていたから、岸本新区長が就任時の記者会見で語った「私に投票しなかった人たちの思いをより意識的に聞いていく」というメッセージには安心した。そういうことなのだ。それは『なぜ君は総理大臣になれないのか』で小川淳也さん(今は辞意の動向が気になるけど)の話した「多数決で51対49で勝ったら、負けた49の思いを背負わなくてはいけない」にも通じる。

岸本さんはさっそく区長と区民が行政課題をテーマに意見交換を行う「聴っくオフ・ミーティング」を始動していて、第一回が9月にも行われる予定。自分で応募した人だけでなく、無作為抽出した区民2000名にも案内を送るという。去年読んだ『WIRED』の「コモンズと合意形成の未来」には「『民意』を反映するための6つのアイデア」としてさまざまな民主主義のあり方が紹介されていたのだけど、一つのテーマについて区長と区民が一緒にじっくり考えるのは「熟議民主主義」、抽選で選ばれた市民が討議するのは「くじ引き民主主義」に通じるところがあると思った。誰かのためだけにならない、オープンな場を作ろうという意志を感じる。

 

こういう政治が自分の街ではじまろうとしているのが見えているから、内閣改造のニュースにうんざりしつつ、昔に比べればタフでいられる。「LGBTには生産性がない」はじめ数々の差別発言がある杉田水脈議員が総務政務官に起用されたり、「生物学上、LGBTは種の保存に背く」と発言した簗和生議員が新文部科学副大臣(文部科学!)になったり、旧統一教会との関係は「見直しを了承した人のみ入閣」というなんだかあいまいな基準だったり。まったく納得できないからできることを探したい。

 

夕方にはネトフリで『詩人の恋』を見る。なんとなく自分にとって大切な作品になるだろうという予感があり、ずっと見るタイミングを逃していた作品。台風の日は、こうした映画を見る気分になる。

お腹の出た中年男性で、収入もない詩人のテッキ。詩作はスランプ、家計を支える妻のガンユンが妊活をはじめる中で乏精子症と診断されるなどいいことがない日々を送っていたが、ある時新しくオープンしたドーナツ屋で働く青年・セユンと会い、これまでになかった感情を抱くことになる。

前半はガンユンがどうしてここまでテッキを愛するのか、その機嫌のよさも含めてよくわからずちょっと引っかかった。前半は主にテッキをケアする存在、後半はテッキとセユンの道を阻む存在として描かれていて、ちょっと不憫なような……。そのもやもやはあるのだけど、セユンを求めるテッキの心情の揺れ動き、その正直さにとても惹かれた。

結末を書いてしまうと、テッキとセユンが結ばれることはない。ガンユンとの生活に戻り、はじめての誕生日を迎えた子どもとの日々を穏やかに暮らしている。ありきたりといえばそうなのかもしれない。でも現実はドラマチックで革新的にことが運んでいくばかりではないし、小さな済州島を舞台にしたこの物語では「どこにも行けないまま、悲しみをたたえてどう生きるか?」がテーマであるようにも思う。だからこそ、序盤の「悲しみを抱えきれない人のために代わりに泣いてあげるのが詩人なんだ」というテッキの言葉が、彼の作る詩が響く。

 

映画を見終えると暗くなっていて、少し雨が強くなっている。でも、予報で見ていたよりはひどい雨にはならなそう。夕飯の支度。母親が親戚からもらったといって送ってくれた鮎を塩焼きにする。流水で解凍し、ぬめりを落として包丁でうろこを削ぎ取る。解凍された鮎には筋肉質な弾力があり、口やエラ、背びれを観察するとかなり生き物、という感じ。ちょっと気持ち悪い感じもして、だからこそやっぱり切り身ばかりじゃダメかもな、自分が何を食べているのかを忘れるから。と、いっちょまえに思うなどした。ボウルで鮎を洗う。恋人がその様子を写真に撮っている。「Ayuでぇす」と、往年の浜崎あゆみの真似をしながら……。

面倒くさがってフライパンで焼いたら、案の定皮が剥がれて見栄えが悪くなってしまった。今度はちゃんとグリルで焼こう。レモンをかけて食べる。骨や内臓は気持ち良く取れて、身や内臓は気持ち良いくらいするっと取れた。副菜はトマトのだしびたし、小松菜のサラダ、大根のみそ汁。トマトは「せっかくの鮎だし」と張り切って作ったもの。湯剥きもがんばった。

 

今日の新規陽性者数は23773人、現在の重症者数は43人、死者32人。