ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

静かな時間、小さな物語[2022年8月6日(土)曇り]

久しぶりに冷房をつけずに窓を開けて寝られた。日差しや風が穏やかで寝覚めもよく、こういう日がずっと続いてほしいと思う。シャワーを浴びて、昨日Sさんから届いていた原稿を確認。Sさんには先日私が取材をさせていただいたのだけど、会った人に5分間のインタビューを行う「立ち話」という企画を最近やっているそうで、自分がインタビューをしたあとに逆にインタビューされる、という貴重な経験をしたのだった。

そのインタビューで私は日記の話をしたのだけど、思っていた以上に話せなくて帰り道ちょっと落ち込んでいた。もともと話すことには苦手意識があるのだけど(だから自分がインタビューなんて、よくやれているなと思う)、今日も勝手に焦ってしまって、深いところからではなく引き出しの中の取り出しやすい言葉をしゃべってしまう感じがあった。だけどまとめていただいた原稿を読むとそんなに変なことは言っておらず、取り出しやすい言葉からもそれはそれで浮かんでくるものがあるなと思う。これは自分で文章を書くだけでは見えない側面かもしれない。うまくしゃべれるようになろうとするより、まずは苦手意識を緩めていくのがいいのかも。いくつかの箇所を修正し、最後の自分の発言を加筆する。

 

作業中にスマホに通知が届き、広島の平和記念式典を中継しているという。テレビをつけてちょっと見る。今日の広島は暑いのだろうか、過ごしやすいのだろうか。8時15分になって黙祷。テレビの向こうから鐘の音と蝉の声が聞こえてきて、窓の外の蝉の声と重なる。やがて遠くから響く救急車のサイレンと重なり、通過して音が小さくなりはじめたころに黙祷終了の合図があった。

被曝77年、新しい侵略戦争がはじまった年の原爆の日。今月でロシアの侵攻がはじまってから半年が経つ。毎日色々なニュースが届くから相対的に関心が薄くなっていた気がするけれど、こうして過去の戦争を参照し、その時に何があったかを思えばあらためて認識できることがある。平和のバランスを維持する強さについて、そして今起きていることのおかしさについて。

 

昼過ぎには吉祥寺へ。駅前でうどんを食べ、井の頭公園を抜けてキチジョウジギャラリーで木澤洋一さんの個展「トゲトゲシティを歩く(針の下は安全)」。額装された大小の絵がタイルのように壁を埋め尽くしていて、ここだけ重力が違うように密度が濃い。シュールレアリズムの自動筆記のような、空間の歪みや裂け目が点在しているのに出口がないような作品群で、ラフなボールペン画も、キャンバスに描かれた絵もそれぞれの宇宙があった。展示はキャンバスの絵を約20点、ボールペンのドローイング約70点。許可を得て写真を撮ったけど、キャンバスの絵の野蛮な鮮やかさは写真にはうつらなかった。

木澤さんにお会いするのは数年ぶりだったけど、変わりない様子でよかった。「はじめて会った時と比べてだんだん清潔さが増している気がします」みたいなことを言われて笑う。はじめて会った時の私はどんな印象だったんだろう……まあ年々清潔さがなくなっているよりはいっか! ポストカード一枚購入。空を無数の暗い虹が埋め尽くしていて、手前に身体中に花が刺さって倒れた人、その間に刃物を持った妖精が浮かんでいる。買う時に木澤さんは「今日は展示してないけど、よく描けたやつです」と言っていた。

 

再び井の頭公園を歩いて吉祥寺へ戻る。天候が最高すぎてゆっくり歩いたり、立ち止まってみたりする。池でボートを漕いでいる人たちを見ながら、自分が乗るより人が漕いでいるのを見る方が好きかもと思う。というか乗った記憶があまりない。ゆっくりと湖面を進んでいるボートの一つを眺めて、あんまり見られているのも嫌かな、と思って景色全体を眺めるようにする。

公園を抜けたあと、友達がほぼ同じ時間に井の頭公園にいたらしいことをインスタのストーリーで知った。吉祥寺ブックマンションに寄って自分の棚の本の入れ替え。「百年」と「一日」をはしごして、古本を何冊か買った。

 

夕方に帰ってきて、先日買った『イン・クィア・タイム』を読みはじめる。アジアのLGBTQI+作家によるクィア小説のアンソロジー。まずもう装丁が良い……表紙にはQueerの語を掲げているけど、その印象はQuietでもある。静かな時間、小さな物語。ずっとそこにあったけれど、耳を傾けることではじめて聞こえてくる声。そんな連想をして、森栄喜さんが数年前に行っていた『A Poet: We See a Rainbow』を思い出したり。街中であえて小さな声で朗読をして、雑踏にかき消されることをマイノリティの現状と重ねたパフォーマンス。

まだ読んでいる途中なのだけど、一人の人の幼少期からの成長を通して「女の子」「クィア」「ムスリム」といった属性を主体的に引き受け直し、最後にはラベリングを超えた場所へと到達する「ラベルの名前」、大学の寮で同室になった同級生との初恋を描く「あのこ」といった青春小説から、レズビアンの魔女が主人公の「呪詛」のようなファンタジーまで幅広い。一つ一つの作品は短くてさくさく読める。大きな作品もいいけれど、こういう小さな物語が世界中で書かれていて、たくさんのバリエーションがあるという事実に励まされることもある。

昨日はノーマルスクリーンで「ヤング&ワイルド Part1*1という、近年制作されたユースが主人公の短編映画を色々見ていた。この作品群からも同じような励まされ方をした。

良かったのはマシュー・プッチーニの「Dirty」。若いゲイカップルが授業をサボってセックスをしようとするのだけど、うまくいかずシーツを汚してしまった。タチのグレアムは「平気だよ」と言うけど、ウケをしたマルコのほうが動揺してしまってその言葉を信じられず、「君ほど経験なくて悪かったね」なんて嫌味を言ってしまう。

似たような失敗談って当事者の間で笑い話としてされることはあったけど、ここではちゃんと傷ついている姿を描いていたのが印象的だった。ゲイが登場する作品で性描写があるものは多いけど、たとえばBLなんかはセックスのいい面だけを抽出していてほぼファンタジー。こういうリアルな失敗と傷つき、相手からの受容と関係性の立て直しにフォーカスした作品は少なかったのでは。

やさしく淡々としたランドリーでのラストシーンを見ながら、この「うまくいかなさ」が、かえって結びつきを強めることだってあるんだよな……と当たり前のことを思う。本当に当たり前なのだけど、それは描かれないと見落としてしまうものでもあるのだった。

 

今日の新規陽性者数は30970人、現在の重症者数は37人、死者13人。

*1:8月5日に配信終了と書かれていたのだけど、7日午前の時点ではまだ見られるみたい?