ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

痛みでつなぐ[2022年7月30日(土)晴れ]

朝、恋人がアラームの鳴っているスマホをずっと探しているが見つからない様子。枕をひっくり返したりマットレスとベッドの隙間に手を突っ込んだりしているのをなんとなく気にしていると、いきなり笑い出した。何かと思ったら「割り箸が鳴ってると思ってた」と言う。枕元にあるスマホをスルーして、割り箸をずっと探していたらしい。寝ぼけすぎ! 朝食は昨日から作ろうと言っていたパンケーキ。

 

お昼前にスーパーへ。帰ってきてかぼちゃコロッケもどきを作る。かぼちゃをレンチンしたものに下味をつけてマッシュし、適当な大きさに成形する。フライパンでパン粉を多めの油で炒め、きつね色になったらマッシュかぼちゃをその上で適当に転がして表面にまぶして完成。通常の揚げ物よりもかなり簡単で、それなりに揚げ物食べたい欲は満たされる。これはかなり良いかもしれない。今度はじゃがいもでやってみよう。

お昼はこのコロッケもどきと、きゅうりとみょうがの酢醤油漬をのせた冷やしうどん。酢がさっぱりしておいしい。

 

15時からフジロックのストリーミングで折坂悠太のライブを見る。フジの配信、去年は見る気になれなかったけど今年はいくつか見る気でいる。会場の様子が映ると、友達の誰かがこの中にいるかもしれないと思う。私もたしか2018年ごろまで参加していたので、フジロックが好きな友達は多い。年々楽しめなくなっている自分を無視できなくなり、数年前にもういいやとなってしまったのだけど。フジはアーティストのライブと同じかそれ以上に場の空気や文化を愛している人が多くて、その空気や文化こそ私が離れてしまった原因だった。祝祭的な雰囲気にノることが、20代のある時から自分にはとても難しくなっていった。

 

折坂悠太は昨年、感染状況などをみて直前で出演をキャンセルしていた。それを経ての出演。

「辞退した去年と今年でどう状況が違うのか……答えられません。……去年はやめた、今年はやる。……そうして試行錯誤するしか、方法がわかりません」

断続的な調子で、だけど一言一言をはっきりと発声しながら、最初のMCではこのように話される。去年の戸惑いを忘れずにいること、今もまだ戸惑いの中にいること、それでも今日こうして演奏できるのを喜びたいこと。途切れ途切れの言葉の合間は静かで、その静寂が観客の「ちゃんと聞いている」という態度を示しているようだった。

 

気の合う友達って
たくさんいるのさ
今は気付かないだけ
街ですれちがっただけで
わかるようになるよ

 

RCサクセション「わかってもらえるさ」の一節を折坂が口ずさみ、続けて「トーチ」が歌われる。

 

プールに行ったあと新宿のブックファースト紀伊国屋書店をはしごし、仕事で必要な本、気になっていた『文藝』の金原ひとみ責任編集の私小説特集、『現代思想』の特集「「加害者」を考える」購入し帰宅。夕飯にカツオのたたき、ねぎ豆腐わかめのみそ汁、サラダ。昼に作ったかぼちゃのコロッケもどきもトースターで温める。

 

恋人とフジロックの配信でArlo Parks。音源で聴いていた時はもっとロンドンのアーティストらしい曇り空が似合う印象だったのだけど、ライブはまた違っていて爽やかな風のよう。歌っている内容はとても内省的なはずだけど、本人の佇まいにも歌声にも開放感があった。演奏もより立体的な感じ。ライブの印象が音源と違う時、地図で眺めていた道を実際に歩いてみるみたいな気持ちになる。この上り坂はこんなに急だったのかと気づくような。いいライブで、配信とはいえ見られてよかった。これまで以上に好きになる。

 

22時からコーネリアスのライブ。暗闇に沈んだ会場の静けさは、オーディエンスの期待や不安が身動きできないほど充満しているみたいに濃い。その緊張を音楽が揺らす。振動し、別のものへと変化していく。

SNSを見ていると、いろんな人が「おかえりなさい!」といった言葉とともにライブの写真や映像をアップしている(多くはディスプレイ越しのもの)。見ながら、自分はただ喜んでおかえりと言える立場にはいない、と思う。

オリンピック開会式の直前に起きたあの騒動について、私は辞任は仕方なかったと考えている。過去の言動が広く報じられる中で、五輪という大きな、国家的な、人種や性別や障害といったあらゆる属性への差別を許さない“本来は”平和の祭典であるべきはずの場に関わっていいのか、それがいじめ被害を受けた当事者や、同様の経験をしたことがある人にとってつらいものになるならふさわしくないのではないか、と思っていた。

作品と作家は別物という考え方もあるけど、こうした五輪の趣旨に(それが東京五輪でも機能していた前提で進めるならだけど)照らせば、作品と作家が限りなく近づくのは正当性があると思う。ただ、それは人を傷つけたことがある人は表舞台で活動するなということではない。ひどい言動をした人の作品は社会全体からキャンセルされるべきということでもない。どんな過去があっても作品を発表し、表現をする自由はある。表現自体がその人の問題のある言動と結びついていたり(この結びつきの範囲設定はすごく難しいのだけど)、偏見や差別が含まれていたりしない限り。だからすべての活動を停止させ、「おかえりなさい!」と言わせてしまう空白期間を生み出してしまうほど批判が激化したことが良かったとは思っていない。

今回のことはただいじめ行為をしたというだけではなくて、それをメディアで露悪的に話したこと、メディアの取り上げ方、事件に関する報道が加熱する中でソースとなったブログが事実を歪曲して伝えるものであったこと(インフォデミック)、過去の文脈のできごとを現在にどう再解釈するか、といったさまざまな問題を含んでいて、ものすごく複雑だった。五輪に反対する感情ともつながっていた。その中で、私はどれだけ一つ一つの問題を切り分けながら捉えられていただろう。ごちゃっとしたものを整理しきれないまま言葉を急いでいなかったか。

 

 書いた時、私はすごく迷っていたのに、なぜか迷いを排除しなければと思っていた。開会式の前後は東京の上空に破裂寸前の巨大な風船が浮かんでいるような気分で、「わからない」という保留の態度をとる余裕はないように感じていた。
 でも、あの時の私が判断を急ぐ必要はどこにもなかったのではないかと今は思う。わからないままでよかったのだと思う。文章を読み返すと、何か大切なことが損なわれているように感じた。

 

五輪前後の日記をまとめたジンのあとがきのようなテキストで、私はこう書いた。辞任の直後に書いた日記は1ヶ月ほどで非公開にして、ジンにも収録せず自分以外は読めないようにしている。大して読まれたものではなかったと思うけれど、世の中への影響力というより、自分が「空気」に取り込まれながら拙速に言葉を立ち上げてしまったことへの後悔が大きい。それは何か、自分で自分を信用できなくなるような体験だった。

 

ライブは「聞こえますか?聞こえますか?」と呼びかける「MIC CHECK」からはじまり、「あなたがいるなら」で幕を閉じた。そのパフォーマンスは、1年間待ち続けた人への応答でもあっただろう。見ながら、自分はただ喜んでおかえりと言える立場にはいない、と思う。同時に、ライブを見られてよかった、とも思っている。心を打たれて、その再生に癒される気持ちになりかける。だけど癒されることが忘れることなら、自分は癒されてはいけない。むしろここまでにあった一連のこと−−事件の顛末も、自分の心の動きも−−を、消えない痛みとして感じ続けていないといけない。

間違った行動をしてしまった、誰かを傷つけた苦い記憶はこれまでにいくつもあって、私はそれを毎日のように思い出す。思い出すから、もし次に似た局面を迎えた時には慎重になれると思う。そこでも間違わないとは言えない。同じ間違い方をしないように注意することができる、たったそれだけだ。でも、癖や弱さはそのくらい手強いものなのだと感じている。ずきずきと痛むから意識するし、そうやって意識している間に少しでも離れていけるように、思考と判断を重ねていくしかない。

 

20日鶴見俊輔の命日に紹介されていた『たまたま、この世界に生まれて』の一節のことを思い出す。

「「中庸」というのは、棒の真ん中をぽんとたたくことじゃない。自分がたたくときに、どっちかに寄りやすいと意識して打つと、それが中庸。自分がどっちにぶれやすいかを意識に置くってことだ」

 

終演後にテレビを切ってSNSを見ていると、菊池成孔のコロナ感染記が流れてくる。「とはいえ、こうして、僕は、スマホ頼りのガバメントアナウンス頼りのインターネット頼りではなく、ストリートの繋がりとストリートの知性だけで動いたので」とある通りの体験記。さすがのタフさ。そしてめちゃくちゃ症状がひどそう。文章の終盤、この時代に生きる人を「皆複雑なファクターを読みながらそれを乗りこなしてゆく情報のサーファー」と定義した上で、次のように書いていた。

 

インターネットは、このサーファーとしての力を著しく人々から奪い、情報に流されて右往左往する「一番支配しやすい国民」を量産する、国家統治用の装置ですし、同時に、妄想症を無限に許容して活字に変換、強度を持たせてしまう恐ろしい装置です。

 

全面的に同じことを思っているわけではないけど、自分が昨年(と今年)で右往左往したフジロック東京五輪期のことを思い返した直後だったので耳が痛かった。

 

今日の新規陽性者数は33466人、現在の重症者数は24人、死者12人。