ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

こわい空気/阻止したい[2022年7月24日(日)晴れ]

案の定寝坊してしまった。案の定というのは、昨日早朝からバリバリ活動したため。一日に詰め込んで頑張るとたいてい翌日のろのろとしか動けなくなるので、足して割ると二日ともほどほどにやった時とおそらく変わらないのだけど、それでも昨日みたいに動きすぎてしまう日が時々ある。アドレナリンが過剰な感じ。今日はその出涸らし。昼過ぎまで仕事し、近所にそばを食べに行く。昨日は土用の丑の日だったけど食べそびれていたので、恋人はうな丼のセットを注文していた。私はイカ天丼とざるそば。

 

帰宅後、話題を集めていたポリタスtvの「宗教右派自民党の関係 ジェンダーと宗教」。前後編で4時間あるのでところどころ流し聞きになってしまったけど、怖い……2000年代前半ごろのインターネット拡大期から、新聞各社のネット利用が遅く、有料公開に絞るなど消極的なのに対し、世界日報(旧統一教会系の新聞)や産経新聞はネットに無料で記事を公開し続けていた。それは新聞本紙の販売力が弱かったからでもあるけれど、その後産経新聞マイクロソフトと契約してmsnのトップページにたくさん記事が掲載されるようになっていく。「この動きが2000年代のネット右翼を勢いづけたのでは」と解説されていた。

とにかく空気を作っていくのがうまかったんだなあと思う。旧統一教会などの宗教団体の思想が細部まで行き渡っているというよりは、政治や宗教とは一見無関係な顔をして、保守的な家族観やジェンダー観が広まっていく。自分がこうしたステレオタイプに抵抗するのは間違いではなかった……と思うと同時に、もうなんか「家族」という言葉自体を捨てたい気がしてくる。それはたとえば震災後に「絆」が多用された時や、支持できない政党名に「希望」が掲げられた時にも似たようなことを思った。でも、そこで使わないという選択をするのが自分はすごく悔しいんだよな。なんで言葉を奪われてこっちが迂回しないといけないんだと思って、頑固に居座りたくなってしまう。

事情は異なるけれど、もとは「クィア」を性的少数者が自ら名乗ることで従来の侮蔑的な意味を転倒させた、そのやり方に勇気づけられているところがあるかもしれない。納得いかない使われ方をしている言葉を諦めるのでなく、居座って解体したい。

 

夕方から近所の古着屋をめぐる。ジャストサイズのリンガーTシャツ(首と袖まわりが縁取られたTシャツ)がほしくて探しているのだが、なかなかこれというものに出会えない。あるお店で見つけたものはサイズや色がちょうどよさそうだから手に取ってみたら、胸元にでっかく五輪ロゴが入っていてすぐ棚に戻した。また別のお店ではかわいいタッチのクマのイラストがプリントされたTシャツを見つけて、こちらもサイズ・色ともに良さそうだったのだけど英字で「Christian XXXX XXXXX」と何かの団体の名前が書いてある。クリスチャン……? 調べてみるとアメリカ・ノースカロライナ州にある団体のようで問題はなさそうだったけど、自分が調べきれてないだけでゴリゴリの宗教保守だったら嫌すぎると思ってこちらも棚に戻した。結局何も買わずにプールへ。2000メートル泳ぐ。

 

帰ってきて、夕飯はKALDIで買った山椒焼きそば。昼も夜も麺になってしまった。

 

寝る前に少しサル痘について調べる。昨日の夜にWHOが緊急事態を宣言し、緊張感が高まってきている。SNSで調べると「コロナの次はサル痘を流行らせてワクチンを打たせるのか」といった陰謀論と、現時点での感染者が男性同士の性的接触があった人に集中していることから同性愛者への偏見や中傷がめちゃくちゃ多い。地獄……。

偏見や中傷はニュース記事から「感染者の多くは男性との性的接触がある男性」と抜き出して報道しているツイートのリプライに集中していた。現在ゲイコミュニティの中で感染が拡大していることは注意喚起する必要があるけど、それだけを伝えると差別を助長するし、「ゲイ以外はかからない」と当事者以外が油断することになりかねない。そうやって他者化すれば安心できるかもしれないけど、ウイルスはセクシュアリティを選んで感染するわけじゃない。条件が揃えば誰だってかかりうる。

ひどい投稿の中には深く考えず、「男性同士の性的接触」という字面を見て条件反射的に面白がっているようなものもあった。こういうの、空気でなんとなくやっているんだろう。過去に「ゲイの病気」の負のレッテルを貼られたものとしては、HIVがある。そのレッテルがどれだけ対策を軽視させ、当事者に苦痛を強いてきたか。二の轍を踏むようなことは絶対に避けたい。

 

今日の新規陽性者数は28112人、現在の重症者数は14人、死者2人。