ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

回想[2022年6月22日(水)曇り]

上旬にあるはずだった出張取材のために6月は仕事を入れすぎないようにしていたので、その出張がなくなったことで比較的ゆったり過ごしている。とはいえ新しい仕事も飛び込んできていて、それなりに毎日やることはある。予定通り出張があったらどんな忙しさだったんだろう。いくつかは断らざるを得なかったのかもしれないし、それなりになんとかなったのかもしれない。逆に飛び込みの仕事がまったくなくて、暇すぎて不安になることもあり得ただろうか。

こういう考えなくてもいいこと、考えても仕方ないことをつい空想してしまう。実在しない忙しさのことを空想しても意味がない。というか、それによって忙しさへのうんざり感が澱のように溜まっていく感じもあり、だとすれば悪影響ですらある。あまり考えないようにしよう。至るところで言っている気がするけど、この気持ちの切り替えの大切さを私は『ぼのぼの』から学んだ。持っていた貝を全部食べてしまって、「食べ物がなくてあとでこまると思うなァ」と困っているぼのぼのに、アライグマくんが「後でこまるんだったら後でこまればいいじゃねえか なんで今こまるんだよ」と言う回*1。この漫画を読んでから、後で困ればいいことは後で困ろう、起きなかったことを想像して困るのもやめよう、今困っている時だけ困ろう、と考えられるようになった。

 

お昼ご飯はトマトとツナのそうめん。何度も作っているのになぜか茹でたそうめんを締めようとしてしまい、ちょっと冷水で洗ってしまった。すぐ引き上げたから味には影響がなく、恋人も全然気にしていなかったけど、食べている最中も自分が間違った手順をしていると気づいた時の動揺が小さく長く続いていた。余っていた大葉を刻んでのせたので、今日はいつもよりちょっと手の込んだ感じ。トマトの赤と大葉の緑が鮮やか。

 

食後はいくつかの原稿を仕上げて提出。仕事がひと段落したので、東京五輪の公式報告書関連のニュースを読む。情報公開の面で色々と不明瞭なところが多い。30日に組織委員会は解散するようだけど、最後まで強い不信感を拭えなかった。特にきついと思ったのはジェンダー平等などに関する動きについてで、日刊スポーツには「開幕間近に起きた組織委幹部や関係者の人権に関する言動に触れ「組織委が重要さを再認識する契機となっただけでなく、日本社会全体の議論を活発化させることになった」とした」とある*2

「議論が活発化したからよかった」ってものすごい結果論だし、トラブルを引き起こした側が(少なくともこんな短いタームで)言うことではないのでは。無理がある、と思う。こういう文書ってなんでも前向きな結論にしなくてはならないのかな。非を認めると訴えられるとか、関係者に角が立つとか? だけど組織委を批判している人の多くは、そういう戦略とか利権、忖度を優先してばかりで、実際のところどう考えているのかわからないことに怒っているのではないかと思うのだけど。いや、それとも本当に「議論が活発化したからよかった」と心底思っているのだろうか。

思い返してみても、東京五輪の期間は本当にしんどかった。大きな流れに巻き込まれないように、別の大きな流れに身を任せるしかなかったようなことがあったと感じる。一つ一つの考えや主張はきちんと自分の感覚にもとづいたものではあったと思うけど、発言の強弱をコントロールしきれなくて、それによって何かを見落としていたと思う。そのボタンのかけ違いで、冷静な時とは違う結論を、「自分で考えて」導き出してしまったこともあった。

 

蒸し暑いからサウナか銭湯でさっぱりしたいと思っていたけど、水曜日なので映画が安い日でもある。少し迷って、結局池袋に『FLEE』を見に行くことに。

アフガニスタンからの移民「アミン」が、祖国から逃亡した過去をはじめて語る様子を記録したアニメーションドキュメンタリー。語ってくれたアミンやその周囲の人々の匿名性を保ち、安全を守るためにアニメーションという手法がとられたこと(アミンという名前も仮名)、難民としての困難、セクシュアルマイノリティとしての苦悩……そんな前情報があったので、ひたすら重く暗いものを覚悟していた。実際、アミンや家族が亡命するシーンやロシアでの不法滞在の日々は見ているこちらまで息が詰まり苦しくなってくる。ただそれだけではなくて、幸福な瞬間が鮮やかに切り取られてもいた。ヘッドフォンでA-haの「Take on me」を聴きながら、姉のワンピースを着て街中を走り回った幼少期のこと。強くたくましいジャン=クロード・ヴァン・ダムに恋をしたこと。

『FLEE』はアミンの語り=回想が主軸のドキュメンタリーだ。映像ドキュメンタリーで回想シーンというと、本人が語っている映像、当時の語り手や関係者の写真、その時代の記録映像などをつないで制作する印象が強い(これは私の勉強不足で、もっと他にもやり方があるかもしれない)。FLEEはアニメーションなので資料が残っているかどうかに縛られていなくて、アミンの語りをもとに映像を作り出すことができる。そこではアミンの記憶や心に寄り添おうとするように、幸福な場面は鮮やかに、つらい場面は色彩を失い抽象的に描かれている。アニメーションであることが、アミンたちの安全を守るだけでなく、彼らの体験をリアリティを持って伝える手段となっていた。

難民としての体験はアミンの人生に大きな影を落とし、その影響は現在の対人関係にも強い影響を及ぼしている。一方で、ゲイであることは困難もあるけれど、おおむね光として描かれているように見えた。アミンがゲイとしての体験について語る時はユーモアを交えて、声もリラックスしていることが多い。同性愛者はいないものとされるアフガニスタンで、子どもの頃から男性に惹かれていると自覚していたアミンにとって、ゲイであることは苦しみであると同時に、自己を規定するアイデンティティであったかもしれない。そのアイデンティティを受け入れたアミンを捉えたアニメーションには、彼が難民として負った傷もいつか大丈夫になってほしいという祈りが込められているようにも見えた。

 

今日の新規陽性者数は2329人、現在の重症者数は0人、死者1人。

*1:https://ameblo.jp/ta9-08/entry-12632482785.html

*2:なお、朝日新聞ではこの議論を活発化うんぬんは開会式の主要スタッフの辞任に関する発言とされており、森喜朗元会長の女性蔑視発言については「「ジェンダーに関する自身の発言による混乱の責任を取って、辞意を表明」とだけ記述」とある(有料記事部分)。