ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

夏野菜テリーヌ[2022年6月18日(土) 曇りのち雨]

5時過ぎに目が覚めてしまって、なんとなくそのまま起きる。あとで眠くなるだろうけど、早朝の空気に身を置いていたいと思った。窓を少し開けて外を見る。朝の朝らしさが空気中にたまっているよう。この洗われるような清々しさを久しぶりに感じた。特別なものだと思う。あと1,2時間もすれば、バスタブの栓を抜いたように、アスファルトが乾くように、どこにも見当たらなくなってしまうもの。

コーヒーを淹れ、返そうと思っていたメールやLINEを書いて送る。すべての返信を終え、時計を見ると7時だった。

 

仕事で読まないといけない本が多かったのでなかなか時間がとれなかったけど、一昨日くらいからようやく自分の読書ができている。今読んでいるのは河野真太郎『新しい声を聞く僕たち』。否定されるべき男性性と積極的に取り入れていくべき新しい男性性がある、という風潮に触れる中で、次第に何かがすり替えられているような、隠蔽されているような違和感を感じることが増えてきていた。その対立にいくつもの補助線を引きながら慎重に言語化されていて学びが多い。

 

12時から散髪。いつも切ってくれていた人が独立したので、今回から新しい人が担当。新しい人、最初から最後までマスクをつけていなかった。他のスタッフの方はみんなつけているのだけど、その人だけ未着用。

最初こそ(えっ)と思ったけど、今はマスクをつけていない人(おしゃれな若者に多い気がする)を街中で見かける機会も増えてきているし、意外と感染リスクの面ではそこまで不安にはならず。どちらかというと不安にならない自分に、そして「相手の顔がはっきり見える」ことへの戸惑いが大きかった。友人などとの食事中に外すことはあっても、こうした接客を受ける場面では基本的にお互いマスクで、相手の顔は目元しか見えなかった。口元まで見えるって、こんなに情報量が多かったのか。

担当の人は声が低く逞しい腕にがっつりタトゥーが入っていて、その人のことをよく知らないとちょっと威圧感があった。だけど私に「後ろ(後頭部)こんな感じです」などと話しかけてきた時にちらっと顔を見ると口角が上がっており、その表情を見て受け取る印象を調整する。マスクをしていないから口元が見え、印象を変えることができたわけなのだけど、そもそも口元が隠れていたら不安になることもなかったように思う。情報量が少なければ無感覚に処理していたかもしれない。

 

帰ってきて、お昼に冷凍うどん。食後はすぐに夏野菜のテリーヌを作る。先日棚の奥からパウンド型が発掘され、なんとなく作りたいと考えていたこのメニューに挑戦することにしたのだ。一見すると凝った料理っぽいが、作るのはわりと簡単。まず大きな鍋で野菜を茹でる。野菜はなんでもよさそうだけど、今日はオクラ、ヤングコーン、アスパラ、ズッキーニ。その間にコンソメキューブと胡椒、ローリエで味をつけたスープを作り(白ワインも入れようと思っていたのに買い忘れてしまった)、最後にゼラチンを混ぜる。スープの粗熱がとれたら型に少し注ぎ、野菜、スープ、野菜、スープと交互に入れて層になるようにする。あとは冷蔵庫で3時間冷やすだけだ。

最初なので感覚が掴めず、スープの量が少し足りなかった。うまく固まるか不安だけど、今はもう待つしかない。

 

案の定眠くなり、15分だけ昼寝。すっきりしたら新宿へ行き少しうろついて、その足でプールへ。今日は2200メートル。昼寝をしたためか体が元気で、気持ちよく泳げた。胸のあたりに一昨日泳いだ時の筋肉痛が残っていたけど、泳ぎはじめてしまえば全然気にならなかった。

 

帰ってきて夕飯の支度。まずテリーヌの様子を見る。ひとまずは固まっているみたいだ。パウンド型をひっくり返して取り出す。コンソメ色のゼリーの中に野菜が整列していて、安直だけど虫や植物を閉じ込めた琥珀を連想した。

慎重にナイフを入れる。危惧していた通りスープが足りなかった、かつゼラチンの固め方がゆるかったみたいで、切っている途中で端のほうがぽろぽろと崩れてしまった。いくつかに割れたテリーヌをパズルのように手で修復し、ガラス皿に乗せる。まあ、はじめて作ったにしては上出来と思うことにする。オクラとヤングコーンの星、アスパラの円、ズッキーニの三角と、野菜の断面はきれいに出たし。

満足して、あとはぼちぼち準備する。冷たいコーンスープ(スジャータ)、チキンソテー、平皿に盛ったライス。大した手間はかかっていないが華やかな食卓。涼しげで、どこか夏至っぽさもある。

 

今日の新規陽性者数は1681人、現在の重症者数は0人、死者4人。14日に都の基準による重症者が0人になり、日々増減しているのだけど今日も0人。重症者が0人になったのは、都が2020年4月27日に現在の基準で集計をはじめてからはじめてだという。