ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

言葉とルール[2022年5月1日(日)曇りのち雨]

昨日の夜は副反応のせいでひどい悪寒があったのだけど、3時ごろに目が覚めた時はだいぶ楽になっていた。ようやく治まってきたかな、と思って体温を測ると37.8度。これだけ体が軽いのにけっこう高い。昨晩も体温を測っておけばよかったな、と思いながらロキソニンを飲んだ。なんとなく眠りたくなくて、時間の感覚を失いながら深夜にネットをしたりする。SNSにはけっこう起きてる人がいる。

 

空が青白くなってきた頃に眠って、起きたのがたしか8時くらい。今度こそ本当に体調は良くなった感じで、体温も36度台後半。2回目の接種時の副反応が重かったからこの土日は両方潰れる覚悟でいたのだけど、今日は少しは動けそう。そう思ったら出かけたい気がして、1日ぶりにシャワーを浴びて着替える。明るい色の服がほしくてネットで買って、届いたばかりのUnited AthleのグリーンのTシャツを着た。

 

新宿のモンベルで折り畳み傘を修理に出す。先日、恋人がドアに挟んで持ち手の部分が割れてしまったのだった。店員の人に見てもらうと、挟んだ時の衝撃で軸も歪んでおり、あわせて交換が必要だという。修理の期間は4週間。色々面倒くさくて新しいものを買ってしまおうかと思ったけど、なんか恋人も修理してほしそうだったし、私も(修理して長く使うってだけで全然大したことではないのに)消費資本主義に抵抗するんや……とか思って、修理に出すことにした。ちょっと良いことをした気分になっている自分がいて、うわ軽薄〜と思う。

ルミネなど駅周辺の服屋をうろつく。ふらっと入った店で「Tシャツ、綺麗ですね。発色がいい」と言われる。その店でも、他の店でも何も買わなかった。ここ数年の夏服のパターンに完全に飽きており、何か新しいものを取り入れたい。グリーンのTシャツもその一環だった。高島屋ユニクロでラガーシャツを見かけて、ラガーシャツは自分的に地続きでありながらちょっと新しくていいかもと手に取る。しかしそれなら古着のほうが人と被らないだろうし、今度高円寺などで探せばいいやと棚に戻した。アイデアだけ得た。

 

歩き回ったら疲れてしまい、体も再び発熱してきた気がする。胃に負担がかからないものが食べたくてスープストックで昼食を食べ、駅構内の成城石井でミントティーを買う。まるでおしゃれさんみたいやね、と思いながらホームへ。意外と雨が強く降っていて、恋人とLINEしていたら「駅まで迎えに行こうか?」と申し出。傘を壊したこと、それを修理に出したことで私の手元に傘がないことに何か思うことがあるのかもしれない。濡れたくないのでそうしてもらう。

 

家では少し仕事の連絡などをして、夕方に『マティアス&マキシム』を見る。副反応でダウンするからこの週末は気になっていた新作や見逃していた映像作品を色々見ようと決めていた。

疲れもあったのか、中盤少しうつらうつらしてしまった。このままではまともに内容が頭に入ってこないと思って、30分ほど寝てから視聴再開。後半はある程度集中して見られて、映像の美しさにも何度か見入った。

言葉とそれ以外のコミュニケーション、ルールのうちそと、が対置された映画として見る。マティアスはたとえば友人が「ケーキに火を付ける」と言ったのを「ロウソクにだろ」と訂正したりする、友人から「言葉警察」と揶揄されるような男。それはマティアスが言葉という客観的に判断できるもの=ルールが明確なものに頼っていることの一つの表彰となっている。弁護士というマティアスの職業もそうだし、マキシムを送り出すパーティで行われたゲーム(言葉遊びのゲームだった)でマキシムがインチキをしているのに怒り出す場面からもその性質が読み取れる。

ただその一方で、劇中で「言葉」の信頼性は限りなく低い。旅立つマキシムにマティアスが贈るスピーチは冴えないし、マティアスと恋人、マキシムと母親、マティアスと友人など、様々な関係性の中で印象的な会話のシーンの多くが口論となっている。マキシムとその友人たち、マティアスの恋人が音楽で盛り上がるシーンでも、マティアスはひとり沈んだ表情でいる=非言語コミュニケーションを拒絶する。トロントからやってきた弁護士のマカフィのジョークも、女性を性的に消費する言動を繰り返しながらマティアスを誘う視線も、マティアスを混乱させるだけでしかない。マキシムがオーストラリアで必要になる推薦状(「言葉」で書かれた書面)は届かないし、マキシムは「その英語じゃ向こう(オーストラリア)では通じないわよ」と笑われたりもする。そもそも、マティアス&マキシムという名前自体、愛称にするとマット&マックスでかなりややこしいし*1

言葉が信用されていないのは、マティアスとマキシムがお互いへの気持ちを、「ルール」から外れる感情を言葉にすることができないからなのだろう。ルールに則っていればないものにできると考えているから、でもある(社会的な規範にせよ、「あのキスは映画のため、罰ゲームのため」という言い訳にせよ)。

終盤、マティアスがマキシムに向けた言葉が狂いなく届くシーンが一つだけあるのだけど、それは誰もが言葉にしないことが暗黙の了解となっていた言葉だった。マティアスは自分をがんじがらめにする「言葉」を口にして、「ルール」を破る。そこから物語が変わっていく。言葉以外のコミュニケーションがマティアスから溢れ、非言語の曖昧さによって混濁しながら、多くがマキシムに届いていく。

ノンバーバルコミュニケーションの豊かさを織り上げ、映画はクライマックスへたどり着く。希望と切なさのあるラストシーンのあと、二人がどんな言葉を交わしたかは明言されない。

 

映画を見たあとは古着を見に行ったり銭湯に行ったりしたいなと思っていたけど、体調もよくなかったし、途中で少し寝たせいで時間も遅かった。夕飯にかつおのたたきを食べて、夜は早めに眠った。

今日の新規陽性者数は2403人、現在の重症者数は10人、死者3人。

*1:このややこしさは、監督でマキシム役を演じたグザヴィエ・ドランが『君の名前で僕を呼んで』に感銘を受けて本作を撮ったことともつながっているんだろう