ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

天秤[2022年2月2日(水)晴れ]

凪のように仕事がない一日。予定していた取材のスケジュールがいくつか変更になったことや、1月末締め切りの原稿を無事に出し終えたことで、今週はけっこう余裕がありそう。午前中に短い原稿だけ片付ける。

 

お昼を食べて、それから『ノーマル・ハート』。1980年代、HIVが流行しはじめたニューヨークのゲイコミュニティを描いた物語。北丸雄二さんの『愛と差別と友情とLGBTQ+』を読んで見なければと思っていた作品で、最近加入したU-NEXTで独占配信していた。

当時はHIVへの有効な対策が確立されておらず、偏見も今よりずっと根強い。友人や恋人が次々発症していく中で、政府や公的機関からまともな支援も受けられず、「HIVはゲイを浄化する」と書いたカードを掲げたアンチゲイのデモ隊に「帰れ」コールを浴びせられたりする。その間にも病気は進行して、大切な人たちが弱っていく。

ジャーナリストのネッドはあの手この手を使って支援や理解を得ようと奔走するのだけど、強硬手段や独断的な行動も多くて仲間たちから疎まれている。仲間たちはゲイであることを隠して生きているから、波風を立てるネッドのやり方が合わない。みんながみんなネッドのようなタフさを持ち合わせているわけではないし*1、ゲイであることを隠して思うように動けないのは(この時代であればなおのこと)仕方ないと思う。私自身もバランサー寄りだから、ネッドとはそりが合わないだろうとも。

物語はネッド(原作者であり、アクティビストのラリー・クレイマーがモデル)を主役に進んでいくけれど、誰のやり方が正しい、という描かれ方はしない。というか、そういう一面的な描き方は「できない」というほうが正しいのかもしれない。世間からの無関心や反発が強すぎて、どのやり方でもまともな活路を見いだせないから。それぐらい出口がない時代だった。

 

発症したゲイの患者を診る女性医師・エマの立場も切ない。冒頭、エマがゲイたちの集会に出向いて「命のためにセックスを控えて」と伝えるシーンがある。自分たちのセックスや愛のために戦ってきたゲイたちからすれば到底受け入れられず、彼女の要求は笑って退けられる。でも、エマ自身がポリオウイルスのサバイバーで、病気で命を落とす/体の自由が効かなくなる怖さを身をもって知っている。結局その場ではまったく相手にされず、エマは車椅子を操作して会場を後にする。

 

「最悪なのはセックスを恐れて自尊心まで失うことだ」。冒頭のこのシーンでは、エマの訴えにゲイの一人がそう返す。ウイルスによって命を落とすかもしれなくても、ゲイたちはセックスをやめなかった。それは彼らが「ただ単に淫らだった」からではない。「愛」のような、異性愛者にとって理解しやすいもののためでもない。淫らで、奔放であることが自由と尊厳に結びついていて、「ライフ」の一部を構成していたからなのだった。

このやりとりでは、どうしても現在のコロナ禍のことが脳裏をよぎる。安全であること、命を落とすかもしれないリスクをとにかく遠ざけることが最優先とされるけど、それは果たして「生きて」いることになるのか。

 

生の実感が損なわれることに対して、以前よりもずっと慎重になっている。最近読んだ記事や本も、無限に増殖する不安を断ち切ること、リスクを適切に見つめて生きることの重要性を指し示している。昨日から読みはじめた磯野真穂さん『他者と生きる』もそうだし、國分功一郎さん×千葉雅也さん『言語が消滅する前に』でも「(右派・左派ではなく)絶対安心・安全という側と、リスクと共に生きていくことに人間的意味を見いだす側の分割線がいま引かれている」という指摘があった。

それから医師の大脇幸志郎さんによる朝日新聞の連載『ちょっと不健康でいこう』では、1月に『「生きるとはリスクを冒して楽しむこと」危なくても風呂に入る私たち』という文章が掲載されていた。有料記事で途中までしか読めないかもだけどタイトルが主張のすべてで、(主に高齢者の)入浴にはリスクがあるけど、それでも私たちは楽しみのために風呂に浸かるでしょう、という内容。

 

デルタ株の流行の時、自分は安全を最重要視していたから、その反動もあるのだと思う。デルタと比べてオミクロンのほうが症状が軽いと言われていることも(意識的には症状の軽重に判断を委ねていないけど、無意識下では)あるかも。

もちろんコロナにかからず過ごせる方がいいのは確かだから、たとえば数ヶ月先でも構わないような飲み会などはなるべく延期している。でも、今しかできないことなのであれば、リスクがあってもやったほうがいいと思っている。

それは気にせず出歩くということではない。自分の天秤が錆びないようにする、載せるべき重りを間違えないよう扱いに慣れておく、ということだ。

 

今日の新規陽性者数は21576人、現在の重症者数は30人、死者6人。

*1:劇中でも、ネッドが「誰もが君みたいに強いわけじゃない」と諭されるシーンがある。それに対して、ネッドは「僕は弱さが怖いんだ」というような回答をするのだけど