ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

愛のいくつか[2021年9月7日(火)曇り]

遠くから聞こえるアラームの音が気になって目が覚める。ピピピピピと素早く、連続して鳴るこの音はおそらく隣の家からのものだ。いつも夕方の18時ごろに小さく聞こえて、おそらく家に誰もいないので10分以上鳴り続け、目覚まし時計のオートストップ機能か何かでいつの間にか止まる。朝に聞くのははじめてで、iPhoneの時計を見ると6時。アナログ時計なのかなと想像する。なかなか音が鳴り止まず、気になって眠れない。

それでも横になって目を閉じて、起きたら9時。7時や8時にセットしたアラームにまったく気づかなかった。最近、遅くまで寝てしまう。今朝ももっと早く起きたかったのにそれができなくて、朝の時間がごそっと消えたようで焦る。

 

シャワーを浴びて仕事。ただでさえ時間が遅れているのに、保留になっている心配事のいくつかが頭から離れず、気づくと手を止めて考え込んでしまっている。そんな中で秋頃までの仕事の予定が、かなり立て込みそうな気配がありつつ全容が掴めないという一番落ち着かない状態なのも不安に拍車をかける。当然直近の仕事もあって、一人で静かにパニック。胸のあたりがずんと重く、目の前の仕事が手に付かない。ちょっとやばいかも、と思う。

少し前までは元気だったのにこうして途端に崩れてしまうのは、実は元気じゃなくてストレスに気づかないふりをしているからなのだろうか。だとしたら恥ずかしいなと感じつつ、あまりしっくりこない。というよりはものごとを処理するための頭や心のテーブルが私は小さく、そこに一度にたくさんのものが載せられるとダメになってしまう、テーブルを整理できないことへの耐性が低いということなのではないかと思う。簡単に言えばシングルタスク気質なのだ。

頭の中にあるだけだとモヤモヤしたままいつまでも場所を取るので、とりあえず仕事のざっくりとしたスケジュールを可視化しようとGoogleスプレッドシートガントチャートを作る。どの時期がどのくらい忙しいのかがざっくり把握できて、少し落ち着く。それから昨日の日記。そこに今感じている不安を書きつけるとまた少し落ち着いたけれど、それでもまだ収まらない。

ホテルのような静かな場所で一晩ひとりで過ごしたい、と思う。あるいは映画を見に行くとか。久しぶりにサウナも行きたい……と、思考がいろいろな方面へ飛んでいく。どれも家の外でやることばかりで、私は家の中で過ごすのが苦にならないと思っていたけどやっぱり実はストレスが溜まっていたのかなと考え、ちょっと違うなと思い直す。もちろん小さくストレスは感じていたと思うけれど、それが限界に達したというよりは、最近していないことをして日常のループを壊すことで、閉塞した気持ちをリセットできると考えているのだろう。

恋人に「ちょっと今週どこかホテルに泊まるかもしれません……」と伝える。恋人に何か原因があるわけではないと言い添えたけれど、一緒に暮らしている人が調子を崩していたら心配になるし、直接の原因が自分になくてもどこか責任を感じてしまうもので、こんな言葉で消えるものではないよね、ごめん、とも思う。

 

話を聞いてほしい人の顔がいくつか浮かぶ。仲が良くて、頻繁に連絡をとっている人では必ずしもないことに、自分で意外な感じを覚える。連絡してみようかなと思いつつ、いきなりすぎる気もするし、SNSに弱音を吐いたばかりで心配をかけてしまうかなと迷って、結局誰にも連絡しなかった。できなかった、というほうが近いのだろうか。

 

朝ごはんも抜いたし取材の前に何か食べなければと思うのだけど、食欲がない。恋人が昼飯を買いに行くのがドアごしにわかったけれど、元気が出ず見送りもしないままいってらっしゃい、と小さく言う。

適当にカップスープでも飲もうと立ち上がったところで「バインミー買うけどいる?」と恋人からLINE。バインミーなんてどこで売ってるんだと思いつつ、それなら食べられそうな気がしてくる。「んー、じゃあいる」と返信するとすぐ既読がついて、メニューの写真が返ってくる。具材を選べたので、オムレツとレバーパテでお願いする。

自分のぶんだけ買ってくるのだとばかり思っていたので、予想外のことに慰められた気持ちになった。私は精神的に深く落ち込むと予測できる優しさを否認してしまうというか、その中にあるはずの温度をうまく受け取れなくなってしまう悪い癖がある。それでいてこれ以上傷つきたくないので予測できないことを自分からやる勇気も持てず、結果的に視界の外から突然やってくる優しさでしか癒やされないという、相当めんどくさい状態に陥ってしまう。そこで拒否されるのは多くは恋人や近しい人の優しさで、それはすごく失礼で自分でも嫌だから、どこか事前に諦めているところがあった。でも、二人分買ってきてくれるとか、そういう素朴な優しさできちんと慰められるのだと思うと、自分の硬く捻れたところがほぐれる感じがした。

恋人と一緒にバインミーを食べる。まだ少しあたたかいそれを食べながら「買ってきてくれたものだからよりおいしい」とおどけて伝えると、恋人は私の目を見て黙って頷く。

 

ちょっと元気になって取材と仕事。目の前のことに集中できていると落ち着く。でも、今週はまだ少し余裕があるから、あまり仕事ばかりしないようにしようと思う。ホテルに泊まる必要はないかもしれないけど、何かしらゆっくりしよう。

滝口悠生『長い一日』を読み進める。小さな日常の風景が、時々時間の積み重ねについて言及されながらも、基本的にはそのまま描かれている小説。

小さな描写を重ねていくと、なんとなく私たちはその中に大きなものを見たり、宇宙的なもの、抽象的なものへと接続したりしがちだと思うのだけど、この小説はそういうところがなくて、小さいまま維持されている。それは小説の表現を借りると「説明によって得られる情報と、その説明にかかる労力というか費やされる言葉の量、伴う情報の量がアンバランス過ぎる」というような内容なのだけど、だからこその良さというか、濁りのなさみたいなものを感じる。

どの話もいいのだけど、キッチンでの夫の繊細さ、スーパーオオゼキでの高揚感が特に良かった。引っ越したことで最寄りのスーパーがオオゼキではなくなってしまい、夫はそのことに相当な喪失感を覚えて暮らすことになるのだけど、その様子を見かねた妻はある休日に夫をふた駅先のオオゼキに連れ出す。「最寄りのスーパーはオオゼキではないが、地図をたどれば必ずどこかに最寄りのオオゼキはある」という一文の、なんとも言い難い素晴らしさ。夫がオオゼキに注ぐ愛のいくつかは私が近所のユータカラヤに注ぐ愛とも重なって、こういう小ささで自分も語りたい! と思ったり。

けっこう分厚い小説だけどあっという間に折り返し。読み終わるのが寂しい。

 

夕飯は気分転換のために久しぶりに焼き鳥でも食べに行こうかという話が出たけれど、結局家で食べることにする。麻婆茄子を作って、米も炊けたしさあ一緒に食べようというところで恋人に着信。先に食べてていいよ、とジェスチャーでうながされるので、ひとり食べはじめる。しかしなかなか電話が終わる気配がなく、談笑を交えながら話をしているのを聞きながら無言で食べ終えてしまった。いつもだったら大して気にしないのだけど、気持ちがぐらついている今日にはやけにこたえる。

通話を終えた恋人が白米をよそう時、横の流しに食器を片付けながら「そんなに長引くなら早めに切り上げるとか後からかけ直すとかしてほしかった」と言ってしまう。重要な電話のようだったし、恋人には恋人の事情があるから仕方ないと思っていたのに、我慢ができなかった。「ごめん」と謝られ、気まずい空気の中でなんとなく食卓についたままiPhoneを見る。こんな時間が過ごしたいわけではないと思って明るく別の話題を振ってみるのだけど、軽く扱われたような感覚が抜けないので蒸し返してしまい、かえって嫌味になってしまう。完全に私が甘えているだけという自覚があるのだが、どうにもできず振り回してしまう。

 

結局、夕食の間じゅう気まずい雰囲気をぬぐうのに失敗し続けた。そのあとお互いに本を読んでいる時間になんとなく私が近寄り、仲直りするともなく仲直り(というか、私が一方的に苛立っていただけだけど)。険悪になる前に梨を剥いて冷やしてあったので、「ご飯一緒に食べられなかったから梨を一緒に食べよう」と誘って、二人で食べた。ままごとに付き合ってもらっているみたいで申し訳なくなる。梨は甘かった。

 

今日の新規陽性者数は1629人、現在の重症者数は260人、死者16人。