ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

この夏[2021年8月30日(月)晴れのち曇り]

2週間ぶりに会社へ行く日。出社前に仕事をしたいと思っていたのだけど、疲れていたのかまったく起きられず。しかも寝違えてしまって首の左側がとても痛い。いろんなことのやる気が削がれている。

 

会社に着いて、こまごまと色々な仕事。来月はけっこう忙しくなりそう。夕方に休憩に出て、サイゼリヤで500円ランチを食べる。ランチは17時までだったので、駆け込みだった。帰ってきて、事務作業をしながら先週金曜日の『荻上チキSession』の「ニュース座談会8月場所」を聞く。岸政彦さん出演の回。コロナの状況がずっと続いていることについて「行動制限ではなく人生制限」「(飲食店への休業要請やまともな補償が支払われていないことについて)飲食業という一つの自由な生き方が失われている」という言葉が胸に刺さる。今度出る『東京の生活史』に関わった人と話す中で聞いた「19,20の夏がコロナで終わりました」という言葉も重い。

私は仕事も在宅でしているし、恋人と暮らしているから寂しさを覚えることも少なく、もともと社交的でもないから今の状況でも比較的ストレスが少なく過ごしていられる。でも、ただその生活を送っていると、自分とは違ったかたちで生活を送る人が何を感じて行動しているのか、考えることが遠ざかってしまう。

岸さんが解説を務めたNHK100分de名著のブルデューディスタンクシオン』のテキストで、岸さんは「他者の合理性」という言葉を使っていた。「他者の合理性とは、『その状況だったら僕でもそうします』という話」と書かれていたのだけど、この視点を自分はもっと広く持つようにしたいと、番組を聞きながら思った。

番組では、他にもコロナ禍でのオリンピック開催、名古屋入管のウィシュマさん死亡事件、小田急線の女性を狙った刺傷事件などが取り上げられていた。どれもヘビーで、それらがここ1ヶ月の間に話題になったできごとであるということに、なんだか遠近感がバグったような感じを覚える。

 

退勤まであと少しの時間に、ふとワクチン接種完了後の行動制限について調べる。状況が状況だし、自分の発症は防いでも人に感染させてしまうリスクはあると聞くから、接種後も変わらず外出や人と会うのを控えなければと思っていた。でも、そういえば打った人から街に出て、これまで行けていなかったお店やイベントに行くのを再開させていくようなビジョンもあったような、と思い出したのだ。先々週の金曜に2回目を接種したので、私はそろそろ免疫ができるはずだ。

しかしざっと調べた限りでは、日本向けの記事ではいまいち歯切れの悪い言葉が並ぶばかりであまり参考にならず。なんとなく接種した人同士で食事をするのは大丈夫そうで、アメリカの記事の翻訳では「孫をハグできますか?」「お互いに接種していれば大丈夫です」といった記載もあった。とはいえ、ワクチンを接種した同士であればいつでもOKというよりは、やはり街中の感染状況や医療の逼迫状況に左右されるものでもあるだろうし、複合的に判断する必要がありそう。と、結局私も歯切れの悪い結論になってしまう。

 

帰り道、セブンイレブンの豆花がおいしいと聞くので探すも、いつも行くお店には置いていなかった。少し散歩したい気もして、近隣のセブンイレブンを何店舗かめぐる。ある店舗では、かつてイートインスペースとして使われていたらしいテーブルで花火の詰め合わせが売られていて、パッケージに使われた賑やかな蛍光色、コンビニの無表情で照らしすぎる白い光、触れられた形跡のない整然とした感じを、なにかこの夏の象徴のように思う。手花火やりたいなあと思いつつ、東京では全然できる場所がないからそのまま通り過ぎる。

 

今日の新規陽性者数は1915人、現在の重症者数は287人、死者12人。新規感染者の数は改善傾向なのだろうか。しかし一方で自宅療養者の数がかなり多く、東京で2万人、全国で12万人と聞く。