ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

開会式[2021年7月23日(金・祝)晴れ]

朝起きてTwitterを見て、一番に飛び込んできたのがセネガル出身のパーカッショニストLatyr SyさんがJOCに出演を一方的にキャンセルされた話。本人のFacebookが拡散されているのだが、その投稿によればキャンセルの理由は「なんでここにアフリカ人が?ってなる」からだという。もう、言葉がない。本当にそんなことがあるのかと俄かに信じられない気持ちと、一連の騒動を見ていたらやりかねないな、と思ってしまう気持ちが混ざり合っている。

 

今日は恋人とどこかドライブに行こうと話していたのだけど、昨日レンタカーやカーシェアリングを調べたらもう借りられる車が一つもなかった。車でドライブ、かつ日帰りなら人との接触を極力避けられるからギリOK、と話し合って決めていたので、車が使えないならどうしようもない。何も予定がなく、家で過ごす。昨日途中まで書いていた21日の日記を書く。小山田圭吾さんのことについて書きながら、昨日はディレクターの小林賢太郎さんが解任されているからそのことも考えたくて、もう全然追いつかないな、と思う。追いつかないくらいトラブルが起こっている。

 

それぞれの辞任・解任は「五輪に関わったアーティストが、過去の言動で炎上」という点では同じだけど、それでひとまとめにするには内実はだいぶ違っているようにみえる。問題になっている「できるかな」というコントも見てみたのだけど、全体の流れの中でみると少なくともホロコーストを肯定したり揶揄したりしているようには見えない。ただ、ではそこに批評性があるか(動画のコメント欄にあるような、絶対にやっちゃいけないことの例として機能しているか)というと微妙で、もっと無邪気にただぶっ飛んだものを出すことで笑いにしようとしただけのように見える。

そしてそういう笑いのあり方は、このコントが放送された1998年の価値基準*1と照らし合わせても大きく違和感のあるものではないと感じる。今となってみればうかつだし、あんまりよくはないと思う。ただ、有無を言わさず解任というのが本当に適切だったのだろうか。

私はラーメンズについて詳しいわけではないのだけど、いろいろ調べる中で、過去に人を傷つける表現をしたことを後悔するようなインタビュー記事を読んだ。それは具体的に「できるかな」について触れたものではなかったから留意が必要だけど、でも考えが変わっていることを予感させるものではあった。

いろんな要素を集めてそのすべてを好意的に解釈すればOK、かも…という感じで、もう少し丁寧なやりとりを重ねることができていれば違っていたかもしれないと考える。時間がなかったことやトラブルが相次いでいたこともあるのか、素早い火消しが何より優先されてしまったように思えた。

しかしとにかくもう組織委員会に不信感しかない。まずそもそも小山田さんの時と同様に人選の基準はどうなってるんだという話で、調べていなくて知らなかったのであれば甘いと思うし知っていて起用したならクリエイターを守ってほしい。素早すぎる火消しもそうだし、ディレクターを解任しておきながらプランを変更せず、その人が作ったものをそのまま使うって……。演者の人たちも相当複雑な思いになるのでは。だってディレクターからは練習や打ち合わせの場で指示や提案を受けているはずで、血肉化されたそれがきっとパフォーマンスを支える。そういう仕事を仕事としてカウントせず、「1人で演出を手がけた部分はないから」と名前を消して成果だけ奪うって一体なに?

 

お昼ご飯を食べて、仕事のメールの返信など。それから李琴峰『彼岸花が咲く島』と同時に芥川賞を受賞した石沢麻依『貝に続く場所にて』を読む。合間にTwitter。今日公開されたLIL NAS Xの新曲MVが最高で、何度か続けて見た。

タイムラインに国立競技場付近でのデモに参加している人がいて、その様子が流れてくる。あとはオリンピックですぎやまこういち作曲のドラクエのテーマが使われる、という話。すぎやまさんは杉田水脈議員の「LGBTには生産性がない」発言に同調していたりして、小山田さんの音楽を使わないのだしこちらも使ってほしくない。組織委員会が倫理観や社会的望ましさによって判断しているわけではないのが透けて見えて虚しくなる。

 

開会式は見るかどうか迷っていたのだけど、やはり見ることにする。まったく話題にしないことで反対の意を示す考えもあるけれど、自分としては見た上で何かを言いたかった。

見る前は「もし素晴らしくて感動したらどうしよう」と思っていて、「どんなに素晴らしくても、それがいろんな人の意見やコロナの感染状況を無視した上で国威発揚として行われたものである以上は評価できないよ」という言葉を胸の奥に用意していたのだけど、その言葉を口にすることはなかった。わくわくする/してしまう感じがなくて、そのことに安堵しながら同時にがっかりしている自分がいた。

部分的に良いなと思うところはあったし、それぞれの人がそれぞれの考えで引き受けているんだろうということは、SNSで流れてくる詳しそうな人の解説を補助線に感じ取ったけれど、全体を通して見たことがあるイメージの連続で、なんというか想像を超えなかった。

繰り返される「多様性」という言葉もなんか、日本の広告代理店が考える多様性という感じがした。そもそもLGBT法案も同性婚も実現していない、パーカッショニストを人種を理由に拒否する、難民の扱いもひどいみたいな現実があるのにショーでだけ輝かしくクローズアップされても良いように使われたとしか思えないし、「復興五輪」みたいな言葉も空虚、医療従事者らエッセンシャルワーカーが出てくるのもうーん、と思う……このオリンピックが医療従事者の負担をかなり大きくさせるものになりそうなことは明らかではないかと思うんだけど……。

選手団の入場も最初がすぎやまこういち作曲のドラクエ「ロトのテーマ」で、音楽が高らかに鳴れば鳴るほど複雑な気持ちになる。選手入場は各国の衣装にそれぞれの国の特性が反映されていそうで楽しく見てしまったのだけど、やっぱり複雑でもあり。笑顔で入場してくる選手団を見ながら、こんなオリンピックじゃなかったらな、と思って少し泣けた。

 

今日の新規陽性者数は1359人、現在の重症者数は68人、死者1人。

*1:私がまだ小学校に上がったくらいのころのものだから、小山田圭吾さんの件と同様にきちんと把握できているわけではないと思う。ただ、その空気は2000年代以降も引き継がれていたから、なんとなくは理解できていると思う