ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

早送りしたい[2021年7月18日(日)晴れ]

もう少し早めに起きたかったのだけど8時過ぎにしか起きられず。午前中に原稿を1本編集して、そのあとスーパーで食材の買い出し。ランチはコンビーフとミントのパスタを作る。

コンビーフとミントの組み合わせは少し前に買った遠藤雅司『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』を読んでいる時になんとなく頭に浮かんだもので、細かいレシピはこのクックパッドの投稿を参考にした。
『歴メシ!』は本自体は古代メソポタミアなどの歴史上の料理を再現し、ものによっては現代人の口に合うように、また作りやすいようにアレンジを加えたレシピ集。普段自分が使わないスパイスや食材ばかり出てくるのが面白い。「豆のスープ 庶民風」などは作りやすそうだし、「トロネ風サメのステーキ」もおいしそうで、いつか作ってみたい。

 

茹で上がったパスタをフライパンで具とあえている時、恋人から急に「来週の四連休、どこかへ旅行に行きたい」と言われる。別の考え事が心を占めていたこともあってちょっとキャパオーバーになってしまい、尖った声で返事をしてしまった。先日友人に旅行に誘われた時も後ろ向きな返事をしたし、なんだかとても旅行をする気分にはなれないのだけど、恋人はテンションがけっこう違うらしい。もともと恋人のほうがどこかへ行くのが好きだし、にもかかわらず私は8月に出張があって東京を脱出する機会があるが、彼には今のところそれもない。こういう状況で突っぱねるのも違うよなと思って、車でどこかへ行くくらいなら……と提案。恋人の表情がぱっと明るくなる。

 

家で仕事の続きをする気分になれず、午後はサウナへ行く。サウナに入って、休憩室でアイデア出しをして、またサウナ。旅行は抵抗があるのに、不特定多数がマスクを外して会話しているサウナはいいのか? と自分で自分に突っ込む。そもそも東京で出かけるほうがよほど感染のリスクが高いと思うけど、慣性のバイアスのようなものがかかっているのか。

まっすぐ線を引くように切り分けられるものではないとわかっているはずだけど、自分の判断基準のおかしなところが急に目につきだして、なんだか感じるのも考えるのも行動するのもやめたくなってしまっている。この息苦しさは、最初の緊急事態宣言の時に似ている。

オリンピック開催まで1週間を切って、Twitterを見るとみんなぴりぴりしているし、ニュースも狂ったようなものばかり。バッハ会長の歓迎会とか、五輪後の感染者数が2400人に達するという試算に政府高官が「それくらいなら大丈夫」と答えたというものとか。

 

サウナを出て帰宅。夕飯は鶏胸肉とキャベツ、卵の味噌マヨネーズ炒め。食べながら『#家族募集します』の2話を見る。相変わらず仲野太賀の演技に見入る。先日コロナに感染したというニュースがあったけど、体調や撮影は大丈夫なんだろうか。夜は本を読もうと思っていたのだけど何もする気が起きなくて、22時くらいにベッドに横になった。昨日の夜もそうだった。時間を早送りしてしまいたい、という気持ちがある。

 

今日の新規陽性者数は1008人、現在の重症者数は58人、死者0人。

こうやってコロナの患者数を書いているのは、毎日これだけの人が病気で不安な思いをしたり命の危機に陥ったりしているのにオリンピックを開催するってどうなんだ、という思いではじめたところがある。なのだけど、書いているうちに自分の方が、それを単なる数字として処理していないか、自らの政治思想的イシューに利用するために、数字が大きくなることを心のどこかで期待してしまっているんじゃないかと疑念も抱くようになった。それからもし身近な人がコロナで亡くなった時も、こうして淡々と数字を記せるのか? とも。でも、「死者0人」と書く時にいつもよりもずっと気持ちが楽だったから、私はこの件において歪んだ方向に行ってはいないし、感覚も麻痺していない、と思えた。できることならこのまま死者数は0であってほしいし、その他の数字も小さくなっていってほしい。