ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

積み上げていく[2021年6月27日(日)晴れ]

11時からビックロApple製品修理カウンターでMacBookを見てもらう。ディスプレイの不具合に加えてバッテリーも消耗しているそうで、修理に出す場合は5万6000円ほどかかるとのこと。

新品を買うよりはずっと安いが、そこまでして長く使う必要ってあるのかな、と考えてしまう。すでに何年も使っているから恐らく他の部分も経年劣化しているだろうし、今回修理してもまた別の場所で不具合が起こる可能性が高い。そうなった時にまた同様の料金を支払って修理するのも馬鹿らしいし。

 

……と、それっぽい理由を考えるけれど、本当は「新しいものがほしい」という欲望にただ火がついただけだということを、頭のどこかで理解している。買わざるを得ない理由を探しているのは、「ほしいからほしい」とストレートに物欲に駆動されるのがなんとなく品がないようで気が引けているからだ。私は妙に言い訳がましいところがある。あるいは、「私は欲望ではなく合理性で判断する理知的な人間です」と思い込みたい見栄のようなものが働いているのかもしれない。

ストレートに「ほしい」と言うのと、欲望を隠してすました顔でいるのって、本当に品がないのはどっちだろう。それは時と場合によるかもしれない。そしてもちろん、買うという判断が間違っているわけではなく、それなりの合理性があるのも事実。でも、「欲望によってそれを選んでいる」ことを隠そうとする心の働きがある場合、合理性で選んだと思い込める時こそ危険だ。欲望を漂白することに慣れると、きっとどこかで歪みが生じてくる。私はもっと自分に正直になったほうがいいと思った。

 

新宿で他の用事をいくつか済ませて帰宅。お昼は恋人がそうめんを茹でてくれるという。昨日、Twitterで「そうめんはお湯を沸騰させたフライパンに入れ、10秒かき混ぜたらあとは火を止めて蓋をして置いておくだけで良い」という投稿がバズっていた。この人、多分これを試したいんだなと思いながら帰ったら、やっぱりフライパンで茹でている。「あのツイート見たんでしょ」と言ったら笑っていた。

 

日記を書いて、読みかけだったホン・ソンス『ヘイトをとめるレッスン』を最後まで読む。韓国の法学者が2018年に発表したヘイト表現*1にまつわる本。

ヘイト表現はマジョリティに対しても成立するのかといった話を、男性嫌悪を例にとって丁寧に解説していたり、「偏見」が最下層(基盤)にあり、「ヘイト表現」「差別行為」「憎悪犯罪」「集団虐殺」と段階的に上っていくその特徴を「ヘイトのピラミッド」を用いて図示していたりとわかりやすい。文章も本人の内省を織り込みつつ決してそれが主役にならず、毅然としていながら体温が伝わってくる。

ヘイト表現を考える上で避けて通れない表現の自由とのバランスについて、「法ではなく別の方法でヘイトに対処すべき」というアメリカ式アプローチ=規制反対論について論じているところが興味深かった。

本では、イラク戦争で命を落とした同性愛者の米兵の葬儀会場に、同性愛に反対するデモ隊がひどい言葉を書いたプラカードを掲げて集まった時のケースを紹介している。米兵の父親はデモ隊を訴えたのだけど、最高裁判所はこれを「表現の自由の範囲内」だと判決を下したという。

ここだけ聞くとマジかよ、と思ってしまうのだけど、ホンは「(アメリカは)連邦レベルのヘイト表現禁止法がないのはたしかだが、ヘイト表現について何も施していないわけではない」と続ける。メディアではヘイト表現は規制されているし、企業や教育機関でも差別禁止の対策を行っている。影響力のある企業や人物が人種差別や性的マイノリティの問題に明確な立場を表明することも多い。法はないけれど、あらゆる社会的なレイヤーで反差別的な空気を醸成しているのだ。

そもそも、法で規制することにも様々な難しさや限界がある。たとえば「ヘイト表現を規制するのは表現の自由との兼ね合いもあって、線引きが難しい(現に規制推進派のヨーロッパではヘイト表現の概念定義をめぐって今でも論争がある)」「規制の基準を設けると、そのラインをかいくぐる表現が出てきた時に対処ができない」「法的整備を行うと”有罪”と判断し、罰則を与えることで何かを達成した気になってしまって、根本的な問題解決に目がいかなくなるリスクがある」といった課題が指摘されていて、なるほどなあという感じ。

 

ホンは、米国自由人権協会の「もっと少ない表現ではなく、さらなる表現が最高の復讐」という言葉も紹介している。

 

 

 彼らはヘイト表現規制法をつくるかわりに、ヘイト勢力に立ち向かい、「一緒に闘おう」と言う。彼らを市民社会の力で退けることこそが、健全な市民社会の象徴だと主張する。

 

最終章では、日本のカウンター運動や2016年にソウル大学で起きたある事件を例に挙げながら、「対抗表現」について紹介している。

ソウル大学の方を説明すると、性的マイノリティサークルが大学の正門付近に「ソウル大学に入学された性的マイノリティ、性的マジョリティの新入生を歓迎します」と書かれた横断幕を設置したところ、何者かがその垂れ幕をナイフで引き裂いたという事件だ。

それは性的マイノリティにとってひどく傷つき、恐怖を覚えるものだっただろう。「自分の属性に対してはっきりと悪意を持っている人がいる」ということを見せつけられたのだから。一方、サークルは横断幕を新たに製作するのではなくて、学生たちに「絆創膏で横断幕を修復してほしい」と呼びかけた。これが対抗表現の一例で、悪意を上回る支持と連帯を示すことで、ヘイト表現を隅に追いやる表現・闘い方を指す。

 

私はもともと自己効力感がかなり低くて、政治的・社会的な主張をすることに対して「自分がやることにどれだけの意味があるんだろう」といつも思っている。ある時から、その自己効力感の低い自分と向き合い葛藤することがとにかくきつくなってしまい、一律でほとんどやらないようになってしまっていた。

自分自身の性質はすぐには変わらないと思うのだけど、対抗表現という視点を取り入れると、少し考え方が変わってくるように思う。たとえば、「政治的・社会的なもの」とひとまとめにしているけれど、オリンピック中止などの目的があって対応を求めるような主張と、マイノリティへの差別に声を上げるのは性質が違う(かなりざっくりとした分類になるけれど)。今の私は前者に日常的に取り組むことがちょっと難しいのだけど、後者であれば意味を想像できる。差別や抑圧を受けている人が対抗表現を発見した時、どんなふうに安心するのかがわかるからだ。それはある意味、自分が意見を発することがすでに小さな達成になる。そのことは別のことなどと関連して最近考えていたことでもあったのだけど、よりはっきりと言語化できたように思う。

そして両者は切り分けられるものではなくて重なっている。だから、後者をやっているうちに前者に通じることもあるだろう。自分なりの積み上げ方を回復する、その糸口を見つけられた気がした。

 

夜は録画していた『ファースト・デイ 私はハナ!』を見た。NHK教育で26日に放送された、オーストラリア製作のドラマ。主人公のハナはトランスジェンダーで、中学入学と同時に女性として生きる決意をする。校長先生は理解を示してくれるものの女子トイレではなく「誰でもトイレ」を使わなければいけないと言われたり、お泊まりやプールに他の友達と同じように参加するのを躊躇してしまったり、学生のトランスジェンダーはこういう困難に直面するのか、ということを具体的に知ることができた。見てよかった。

内容がどれだけ現実の問題を反映しているのかは私には判断できないのだけど、様々な配慮があったと感じる。ハナがトランスジェンダーであることをアウティングするネットの書き込みや、トイレの壁への悪意ある落書きなどは、それが起こったということを示しつつも、具体的な言葉は出さない。ネットには次第にアウティングに怒る言葉やハナを応援する言葉が増えていくようになるし、トイレの落書きも友人たちがそれを消しているシーンとセットで描かれる。「悪意を抱く人はいなくならないかもしれないが、その上で(みんなで)どう立ち向かうか」という視点があって、『ヘイトをとめるレッスン』と重なるなと思う。

それから、ハナは物語の中盤で友人のオリビアに自分がトランスジェンダーであることを唯一打ち明けるのだけど、その後のやりとりが自然でありながら啓蒙的。打ち明けた翌日、オリビアは興奮した様子で「あなたが女子トイレを使えないなんておかしい!署名運動しよう」とまあまあの声量でハナに話しかける。ハナは「人に知られたくないの」「誰にも言わないって約束したでしょ」と自分の気持ちをもう一度伝えて、オリビアは結果的にハナを尊重して理解してくれる。

打ち明けられてはじめてその問題を(リアルに)知って、調べるうちに怒りが生まれて突っ走りたくなる気持ちってある。だけどそれが善意であっても本人が望まないことだったら、トラブルを招くかもしれないし信頼関係も損ねてしまう。このやりとりではそのことをとても丁寧に描いていて、これはトランスジェンダーに限らず他のマイノリティとの関係にも応用して理解できるなと思った。

ドラマの放送は『天才てれびくんhello』と連動していて、ちょい役だけど天てれ戦士が声優に挑戦していたりもする。こういうドラマに小学生の時から触れる機会があるというのはすごくいいなあ。

 

今日の新規陽性者数は386人、現在の重症者数は37人、死者1人。

*1:韓国語の「嫌悪表現」の訳語。日本のヘイトスピーチとは重なりながらも同じではないため、主にこの表現が使われている