ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

まとめない[2021年6月15日(火)曇り]

午前中に原稿を2本、昨日ざっくりと書いておいたものを整えていく。12時過ぎに家を出て、取材のため総武線で千葉のほうまで。1時間以上電車に揺られる。

学生時代は実家があった小田急線の新百合ケ丘駅から都心の方まで毎日通っていたのだけど、あえて各停に乗って行くことも多かった。座れないくらいには混んでいる車内で落ち着かずに20分とか30分とか過ごすより、1時間近くかかっても座ってゆっくり本を読んだりできるほうが有意義に時間を使える気がしていたのだ。実際、あの時間にたくさん本を読んだり、音楽を聴いたりしていたなと思う。社会人になって忙しくなると会社に15分ほどで行けるところに住み始めたのだけど、そうして移動の時間を節約することで失われたものもあると感じる。とはいえ、当時は慣れない仕事でせいいっぱいだったから仕方ないとは思うのだけど。

車内では取材の質問項目を確認したあと、植本一子さんの『個人的な三ヶ月 にぎやかな季節』を最後まで読み終えた。久しぶりにじっくり本を読む時間をとれた気がする。本を閉じて顔を上げると、車窓から見える建物が全体的に背が低く、空が広い。東京から離れたなあ、と感じる。

 

17時頃まで取材。有名人や名前を大きく出して活動しているわけではないような人たちに、仕事のことなどを中心に聞く企画。一人ひとりにあまり時間がかけられないうえ、みなさんインタビューをされた経験がたくさんあるわけではないと思うので、名言や誰もが驚くエピソードが出てくることは少ない。でも、それで全然大丈夫。きれいに整えられたエピソードを持っている人より、そういう人のほうがその場で考えて、本心を言葉にしようとしてくれる。

単純なインタビューではなく雰囲気も含めて描写していくので、記憶が新しいうちに言語化しておきたい。帰りの電車の中で、全員分の粗いスケッチや、印象に残った言葉をメモしておく。もちろん録音も聞きなおすしちゃんと書くのはこれからだけど、この時点で半分以上は終わったような気がする。いいものにできそうな予感があって一安心。文章にすることはその人を切り取ることで、そこからは逃れられないし、媒体や企画との兼ね合いはもちろんあるのだけど、それでも変に加工しすぎないようにしたいと思う。

 

帰ってきて夕飯の準備。今日は日曜日に作ったセロリと鳥ひき肉のレモン炒めと、パトゥルジャン・イマム・バユルドゥというトルコ料理が余っている。トルコ料理のほうは正式にはパトゥルジャン〜ではなくて、恋人が①名前の響き、②主要な食材(ナス)、③トルコ料理であるという情報だけをもとに作ったもの。日曜日、彼が知り合いと「まったく知らない名前の外国の料理を想像で作って持寄る」というパーティをした時に持って行った余りだ。ちなみに「パトゥルジャン・イマム・バユルドゥ」というのは日本語に訳すと「坊さんの気絶」で、高僧が食べて気絶するほどおいしいから、という理由でこの名前らしい。ハードルが高すぎる。

実際のメニューはこういうやつなのだけど、恋人が作ったのはナスと牛肉のトマト煮のような料理。そこにヨーグルトソース(ヨーグルトにニンニクとオリーブオイル、刻んだミントを混ぜたもの)をかけて食べる。

微妙にクセのあるこの2品、ただ食卓に並べるだけではつまらないかなと思いワンプレートにすることに。酢キャベツとトマトのコンソメスープも作る。国籍不明のワンプレートだが、なんとなく酸味で統一感が出たような気がする。

 

食後は『大豆田とわ子と三人の元夫』最終回を視聴。なんだかんだでほとんどリアルタイムで見ていて、本当にこの3ヶ月毎週楽しみにしていたドラマだった。

新しい恋がはじまって、結婚するかと思いきや別れて、というところまでを描いた前回で、ストーリーとしてはきれいに収まっていたように思う。今回のエピソードはその意味ではちょっとおまけっぽい。ただ、おまけっぽいというのは直線的に進行するドラマの時間軸においてという話であって、そこで描かれた感情は他と同じだけの尊さと重さを持っている。だからこれによって作品の世界に−−というか、とわ子たちの人生にぐっと奥行きが生まれていた。

 

前半はとわ子の家族たちの話。とわ子の娘・唄が医者になる夢を捨てていきなり「医者の嫁になる」と言い出した真相と、とわ子の母・つき子がとわ子の幼い頃に思いを寄せていた相手に、とわ子と唄が会いに行く話が平行して描かれる。つき子が思いを寄せていた相手は女性だったのだけど、同性愛を描いたというよりは友情と愛情のあいまいさ、関係の流動性を示しているような感じ。その意味ではとわ子とかごめの関係と響きあうし、もしかしたら元夫たちとの関係もそうかもしれない。「同性愛」「LGBT」として切り分けて描くのではなく、愛の一つの変奏としてシームレスに存在しているように見えて、うれしかった。

 

つき子の件は前話までで特に触れられていなかったしけっこう唐突に感じたのだけど、その配置のアンバランスさにかえってリアルさを感じてしまった。それに、きれいにまとまろうとするところからはみ出して何かが起こって、ある事実が明かされることによって、視聴者は自分の知らない生を登場人物たちが生きている/生きてきたことを想像する。ドラマは終わってしまうから、その想像の余白にエピソードが書き込まれることは残念ながらもうない。でも、余白を感じられることは、登場人物の人生がたしかにあって、この先も続いていくんじゃないかという気持ちを強めてくれる。それはドラマを見るときのもっとも幸福な誤解のひとつだ。いつかシーズン2やらないかなって思うけど、そういうことではなくて。

 

後半の元夫たちとの片付けが大変そうなパーティも本当に素晴らしかったなあ。おそろいの英字新聞シャツ、元夫ボウリング、3つ並んだコルク、花火が刺さった浮かれたドリンク。胸がいっぱい。ドラマの中もハッピーエンド(エンド、という言葉がふさわしいとも思わないけど、便宜的に)だったし、この作品をリアルタイムで視聴できたということもうれしくて、見終わったあともずっと幸福な余韻が続いていた。

 

今日の新規陽性者数は337人、重症者数は45人、死者12人。