ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

ずるいやり方[2020年2月5日(金)晴れ]

今週は5日間とも早起きしたいのにできなかった。10時ごろから仕事開始。雑誌の記事を一本書く。事前に決まっていた文字量に対して素材が少ない気がして、最初は埋まるかなあと思っていたのだけど、全然問題なかった。

12時過ぎまでに半分書いて、いなばのタイカレーをパックの玄米ご飯にかけたものを昼食にする。昨晩、あまりにお腹が空いて夜食に食べようかと思ったけど、我慢したもの。先日ゆで卵を作ろうと思って失敗してできた半熟卵ものせた。

14時過ぎ、いったん完成。細かい調整は月曜日にやることにする。続けて文字起こし一件。

 

今日はものすごく働いたわけでもないのだけど、なんだかすごく疲れてしまって頭が働かなかった。昨日もオンラインの取材や打ち合わせが続いて一歩も外に出なかったし、気晴らしと運動不足解消を兼ねて散歩へ行く。徒歩15分ほどのところにある、持ち帰り餃子の専門店を目指す。

冬物のコートを着込んではいるけれど風が吹いても寒くはなくて、空気が春めいていた。久しぶりに歩く商店街は人が多くて、これは出かけたくなっても仕方がないよなと思う。ただ、人が多い一方で休業していたり、閉店してもぬけの殻になっていたりするお店が目立った。

道すがら、餃子のお店もなくなっているかもと一瞬不安になったけど、営業時間を1時間短縮しているだけで特に変わった様子はなかった。よく考えてみれば自炊をする人が増えているので、むしろ繁盛しているくらいかもしれない。普通の餃子を40個と、しそ餃子を20個購入。最初は普通の餃子は20個にしようかと思ったのを、土壇場で40個にした。でも、もっと買ってもよかったかもしれない。会計しながら、「こんなんなんぼあってもいいですからね」というフレーズが脳裏をよぎる。

 

帰宅後は日記を書こうかと思ったのだけど、とにかく頭が働かず。私はEvernoteにメモ的につけている日記をもとに、思い出したり思考の断片をしっかり詰めたりしながら書いているのだけど、2日以上前になると思い出せるかどうかというより鮮度の面で書けなくなることが多い。自分のスタンスが変わったり、社会問題やトラブルであれば何かしらの進展があったりするので、なかなかその瞬間のことを気持ちをのせて書けなくなってしまう。
今日は本当は水曜日のことを書きたかった。取材で久しぶりに原宿のあたりに行ったのでその街のこととか、森喜朗会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」発言に対しての考え(一言で言っておくなら、「このくそじじいが」ということなのだが。あんまり強い言葉を使いたくないのだけど、なんかもうそれ以外の言葉が浮かばない)を記録しておきたかったのだけど、気持ちを持っていくことができなかった。

せっかくだから書いておきたいのに、と思う半面、まあ書きたいことのすべてを書く必要もないか、とも思う。アウトプットを全部この日記に向ける必要はないし、そういう「日記としては書けなかったもの」が、何か別の時に別のかたちになることもあるのだろう。今年は日記以外のものも書いていきたいし、そのための時間も作らないといけない。ちょっとスタンスを変えるべきタイミングなのだろうな、と思った。日記も続けていきたいので、いきなり大きく方向転換をするというより、微調整を重ねていく感じになるとは思うけれど。

 

書くのをあきらめ、YouTubeを見たりPodcastを聞いたりして過ごした。荻上チキ・SessionのPodcastで、澤田大樹記者が森会長に切り込んでいく音声を聞いて胸のすく思い。と同時に、澤田記者の発言や、その後のジャーナリストの治部れんげさんと荻上チキさんのトークを聞きながら自分のことを振り返る。

もし自分が出席した会議で偉い人が森会長と似たような発言をしていて、その場で手を上げて「今の発言は差別ですよ」と言えるかというと、けっこう難しいな……と思ってしまう。一対一とか、少人数だったら「そういうこと言わないほうがいいですよ」と、かなりキョドりながら言おうとするだろうし、実際に言ったこともある(言えなかった時もたくさんある)。でも、大勢の人が参加している会議、いわゆるマイクが回ってこないような場面でそれを言うことは多分、自分の性格ではかなり難しい。

というか、基本的にはそういうあまりにも自分と価値観が違う人に対しては、私はその場はやりすごしながら早めに切り上げ、その後はなるべく関わらない、という選択をする気がする。それは、結果的に差別を温存することにつながってしまうのだけど……。

 

面と向かってまっすぐ言葉をぶつけられるのが一番いいんだろう、とは思う。そうできるようになるべきだとも。今そうしている人たちだって精神的な負担は大きいと思うから、「できる人がやればいい」と任せておくだけでは駄目だ。でも、どんなに頑張っても多分毎回はできないし、それにうまくできない自分が無理をして真似をするより、別のやり方を探す方法もあるんじゃないか? という気もしている。

それはきっと正攻法ではないやり方で、情けなさとか、良心が痛むことに耐えながら実行するしかないものかもしれない。でも、ずるいやり方や、プランB、プランCのようなものだったとしても効果がないわけではないし、方法は多彩なほうが、広く、長く続けていけるはずだ。

一番避けたいのは、まっすぐ声を上げることができない自分を駄目だと思うあまり「仕方ない」と正当化して、そのまま鈍っていくこと。そうならないために、情けない気持ちを抱えながらできる方法を私は自分に用意する必要がある。

自分みたいな性格の人ばっかりでは、世の中ダメになってしまうだろう。でも、幸い世の中は自分みたいな人ばかりではないし、そして「自分だけ」でもないのだ。先頭に立てない人間としてできる方法を考えたいし、他の人とも協力しながら模索したい。

 

21時過ぎ、出社している恋人が帰宅し、餃子を焼いた。食べた後でテレビを見ていたらEテレで「RGB 最強の85才」を放送していたので見る。この一週間の終わりに見るのにぴったりの内容に思えて、ぐっときた。