ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

裏切りとギフト[2020年12月5日(土)雨のち曇り]

企画書の作成や原稿の修正など、平日に後回しにしていた仕事を午前中に片付ける。こうしてバッファがあるだけで、ずいぶん余裕を持って仕事に取り組むことができる。だから土日に予定を詰め込みすぎるのは苦手だ。それだけでその一週間をずっとどこか張りつめた気持ちで過ごすことになるからだ。

 

いくつかを終えたあと、昨日の日記を書く。昨日は日記について話す機会があって、そこで話しながら感じたことなどをメモしておいた。それから、前回アップしたNIKEの広告について触れた日記を読み返して、なんか色々と想像力が足りていない気がして落ち込む。差別や偏見については積極的に考えていきたいと思っているのだけど、人種をめぐる問題に関しては書いたあとでだいたいいつも勉強不足を痛感している。そうして学んでいくものではあると思うのだけど、少ないとはいえ人目に触れる場所に書くにはまだ早いのかもしれない。

 

悶々としながらトイレに行くと、水が流れず詰まっていた。リビングにいる恋人に「なんか変なの流した?」と聞く。特に心当たりはないそう。実はトイレが詰まるのは水曜日に続いて今週二度目。これまでそんなに頻繁に詰まることはなかったのに、なんだかおかしい。

前回は水道屋さんを呼んで直してもらったのだけど、ちょっとした詰まりくらいは自分たちでなんとかできるほうがいいだろうと、詰まりを解消するためのラバーカップを買うことに。恋人が「買いに行ってくるよ」と言ってくれたので、一緒に家を出て恋人は近所のオリンピック(ディスカウントストア)へ、私はトイレを借りに家の前の公園へ……。雨が降っていて、公衆トイレの便座はかなり冷たかった。

戻ってきて仕事をしていると、恋人が帰ってくる。「うおー!面白い」とか言いながら、ラバーカップを駆使してすぐに詰まりを解消していた。

 

昼過ぎまで仕事をして、とりあえず今日はおしまい。まだ雨が降っているし、家の中にあるものでお昼にしようとツナとキャベツのパスタを作って二人で食べる。一緒に『鬼滅の刃』のアニメ第1話を見た。ようやく履修開始。これから食事のタイミングなどに二人で少しずつ見る予定。たぶん見終わる頃には映画は終わっているだろうけれど。

夕方まで本を読む。江國香織の『きらきらひかる』。最近立て続けにこの小説の名前を聞くことがあり、江國香織を読んだことがなかったのでこれを機に手に取ってみた。あらすじを知らずにとりあえず買ったのだけど、一言で言うと「アル中の女とホモの医者」*1の話で、発表されたのは約30年前。登場人物の考え方や言葉の端々に時代を感じる。

「アル中女」の笑子と「ホモの医者」の睦月の夫婦が小説の主役で、1章ごとにそれぞれの視点で交互に物語が描かれる。小説の中では結婚や子どもを持つことが当たり前のこととして描かれていて、その価値観は今よりもずっと強固だ。だからこそ、それをできないと感じている二人は苦しむ。

その価値観の重圧を感じられたのは良かったと思う半面、この睦月という男の人がなぜ笑子と一緒にいようと思うのかが理解できなかった。あと、これは笑子という女性についてもだけど、(なかばやけになったりして)ドライになろうとしているところと、感情的で割り切れないところの線引きがブレ続けている感じがある。それを人間らしさとみることもできると思うのだけど、どうにも読みながら痛々しい気持ちになってしまった。

 

続けて、先日見かけて買っておいた柳美里『JR上野駅公園口』を途中まで読む。何を見ても何かを思い出すことの悲しさ。今週は他に仕事で読まないといけない本もあるのだけど、つい別の本ばかりを手に取ってしまう。

 

日が暮れてからプールへ。道中前を通ったマンションの一室のベランダが、LEDライトで飾り付けられている。ああいうイルミネーションって部屋の中からはあまり見えないと思うけど、飾っている人はどういう気持ちで飾るんだろう。外に飾ることに意味を見出しているのか。室内にあるとうるさすぎるから、外に飾るくらいがちょうどいいのか。

そうだもうあと3週間切ってるしな、と思い、ゴンザレスの「A very chilly christmas」というクリスマスアルバムを再生する。11月にはリリースされていたけど、せっかくだからもっとクリスマスムードが高まるまで取っておこうと思っていたのだ。そうして1曲目の「Silent Night」を聴いたけれど、それだけで満たされてしまって、やっぱりこれ以上はもっとあとになってからにしようと別の曲に切り替えた。

日本では「きよしこのよる」として知られる「Silent Night」はきっと誰もが歌えるクリスマスの定番曲だけど、ゴンザレスのピアノはその聞き慣れたメロディやコードを、静謐さを保ったまま小さく裏切り続ける。その裏切りがもたらす一音ごとの発見を、ギフトのようだと思う。

*1:これは作中で登場人物の笑子自身が自嘲気味に言っている表現