ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

ディスタンス[2020年11月6日(金)晴れ]

7時ごろ起きて、メールの確認や次の取材のための企画書、原稿の構成作り。10時からオンライン取材があって、はじめての媒体なので少し緊張している。9時半ごろからそわそわしはじめ、取材先の事前回答やこちらの質問項目を何度か見返した。

取材は無事に終了。今週はオンライン取材が2件あったのだけど、どちらもなんとなく対面よりも話題そのものに集中できた感覚があった。オンラインはリアルな人間の間や微妙な雰囲気が読みづらいやりにくさもあるのだけど、一方で、私はそうしたものに気を取られすぎて注意力が散漫になってしまうことがある。「この質問で相手がどう思うか/思ったか」「質問を書いたメモに目を落としている時間が長すぎると感じているのではないか」など、相手が自分のことをどう思っているかを頻繁に読み取ろうとしてしまったり、そこでネガティブな印象を与えたと感じたら突っ込んだ質問をする時に歯切れが悪くなったりする(体の大きな人、語気が強い人の場合は特に)。要するに自意識過剰なのだろう。同時に、相手と自分の身体がどれだけ関係に影響するかを考えもする。私のはただ臆病なだけだけど、圧迫感のある男性と仕事をしないといけない女性などの場合、物理的に空間が離れていることはかなり仕事のしやすさにつながっていそう。

ディスプレイ越しだと相手の微細な雰囲気が読み取れなくなるし、こちらも「見られている」という意識が希薄になって、質問すること、聞くことにより集中できる。なんだかんだでコロナでオンライン文化が急速に浸透して半年以上が経つ。やりづらさやデメリットに慣れてきたことで、新たな良い面が見えてきた。しかし、そもそも私が主にやっている取材では見られていることを意識する必要ってそんなにないので、対面でもこの「気にしなさ」をちゃんと発揮できるようになりたい。「気にする必要、特にないよな」という確かな実感が得られているので、今後は極端に気にしそうになった時にこのカードを切ることができると思う。それを繰り返していけば、きっと少しずつ普段の思考に馴染んでいくはず。

 

昼食は先日炊いたご飯の残りといなばのタイカレー缶。急いで食べつつ、アメリカの大統領選挙の状況を確認。開票当初から接戦続きではらはらしっぱなしで、ことあるごとに「大統領選」とSNSGoogleで調べてしまう。

はじまりの頃はトランプが勝つのかと思っていたが、今はバイデンが優勢。結果が判明するまでに時間がかかっているのは郵便投票が多いから。この郵便投票、もともと制度としてはあったそうなのだけどコロナの影響で利用者が急増したのらしい。ニッポン放送飯田浩司のOK! Cozy up!」、国際政治学者の高橋和夫さんの解説によれば、選挙に行きにくかった貧しい人たちが、郵送によって選挙に参加しやすくなった、ということがあるそう。

 

これまで、貧しい人は選挙に行きにくかったのです。投票所までの車を持っていない、あるいはレストランでウェイターをやっていると、投票に行くとその日のチップが得られなくなるから行けないというような人が多いのです。しかし、そういう人たちも郵送だと選挙に参加しやすい。
ニッポン放送NEWS ONLINE『新型コロナウイルスがバイデン氏の「追い風」になったワケ~アメリカ大統領選』

 

コロナへの危機意識から郵便投票を選ぶ人は、民主党支持が多いということもあるのだろうか。トランプ本人の言動からしても、支持者はあまり気にしてなさそうだし。しかしこうしたイレギュラーな制度によって選挙結果が左右されることで、より両者の対立が深刻になっている印象。

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』の小川淳也議員の発言「政治っていうのは、勝った51がどれだけ残りの49を背負うか」という言葉は以前も引用したけれど、この意味で言えばバイデンの方が49を背負う姿勢があるようにみえる。ただ、トランプを支持する人達にとってはそういう問題ではないのだろうな、とも思う。

トランプ、劣勢に立たされてからの言動がマンガや映画における悪役の断末魔を地でいくような感じになってしまっている。すでに暴力行為も出ているみたいだし(それは両陣営の支持者ともにだけど)。選挙結果が決まったらどうなるんだろう。ただ眺めていることしかできないが。

 

夕方まで取材依頼と原稿執筆。合間に、新しい仕事の依頼を受けたり、最近よく仕事をするようになった編集の方から来た飲みのお誘いに返信したり。11月は規模が大きい案件が2つ動いているほか、単発の原稿取材や執筆も相次いでいる。加えて、なぜか人からご飯に誘われることが多い。今週だけでも、東京に来ているという大阪在住の友人、数年連絡をとっていなかった大学の友人と会ってご飯に行ったし(どちらも誘われたのは数日前〜当日)、今日もこれからお世話になっている編集者の人たちと川崎まで中華を食べに行く。

夏頃は本当に仕事の依頼が少なかったし、人を誘って良いのかわからない雰囲気がずるずると続いていて、その中で疎遠になってしまった(ように感じる)人もいた。当時は、このままいろんな人や場所に忘れ去られていくんだな……と、悲観的というか、諦めることで心を穏やかに保っていたところがあったと今では思う。

一人でいるほうが落ち着くのは自分の性分だし、まるっきり夏の過ごし方が良くなかったとは思わないのだけど、ちょっと考え過ぎだったなと思う。文フリの告知をして、いろんな人から反応や「行きます」と言ってもらえたことも励みになった。文フリは会場が遠いし、誰も来てくれないのでは…と不安になっていたので、行きたいという気持ちを直接伝えてもらえたことは本当にうれしかった。滞留していたところに血が通いだしたような感覚がある。

 

川崎に18時集合なので、17時前に家を出た。空一面のひつじ雲に夕焼けが反射し、赤く染まっている。電車を乗り継ぐうちに日が暮れて、東京駅や品川あたりの夜景が澄んできれいだった。中華は本格四川料理の店で、見たことがないメニューもありつつ、どれもおいしかった。