ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

納得の仕方[2020年10月9日(金)雨]

取材がある午後までに原稿を書き終えたかったのに、朝なかなか起きられず。昨日は早起きできたのに、なかなか安定しない。台風が来ていることも関係しているのだろうか。

出遅れて焦り気味のスタートとなったものの、原稿は無事に午前中に書き終えることができた。そこそこ時間がかかるだろうと思っていたので、早く書き上げられて一安心。最近、書くのが早くなってきたように感じていて、それはここで人に見せる日記をつけるようになったことも関係していると思う。「とりあえず完成」のラインまで仕上げるためのスピードが上がったというか。これはEvernoteでひとり日記をつけているだけでは感じない変化だったので、誰にも見せないことと、少人数でも誰かに見せることの間には大きな差があるなあ、と感じる。

 

お昼ご飯はいなばのグリーンタイカレー缶。昨日炊いたご飯をレンジでチンして、そこに缶のカレーをそのままかけて食べる。いなばの缶詰はカレーだけでもかなり種類があって、どれもクオリティが高いのだけど、一番よく見かけるグリーンカレーが一番好き。ちなみに私の近所だとSEIYUにしか売っていないのだけど、ガパオの缶詰というのもあって、これもかなりおいしい。一見量が少なそうに見えるけど、さらさらとした液体に近いカレーなのでご飯が多くても白米にまんべんなく馴染んでくれるし、具材の鶏肉が大きめなので食べ応えもばっちり。常温のままかけるのでご飯は熱めにするのがポイントです。

食後はZoomで取材一件。それから来週の取材の質問案の作成。網羅的にあれこれと聞く取材なのでリサーチの量が多く、質問を考えるのもエネルギーを使いそう。このまま家でやっているとだらだらしてしまいそうなので、近所のPRONTOに移動してアイスカフェラテを飲みながら集中して作業をした。私は基本的にブラックコーヒーか、甘いのがほしければココアなどを頼むことが多いのだけど、最近は妙にカフェラテの、あの牛乳の甘みがほしくなる。カルシウム足りてないんだろうか。

 

18時過ぎまで作業して、そのあと『over the sun』の第二回を聞きながらSEIYUで夕飯の買い出し。『生活は踊る』はスーパーで買い物をする時によく聞いているのだけど、『over the sun』はスーさん、堀井さんのトークがかっ飛ばしすぎていて、外なのに声をあげて笑いそうになる。何度も吹き出しそうになるのをこらえて帰宅し、食材をしまいながら堀井さんの「ポゥワー」に爆笑した。一人でいても声をあげて笑うとすっきりする。

そのあとは夕飯の鮭ときのこのホイル焼き、ほうれん草のみそ汁を準備しながら、若林恵さんと佐久間裕美子さんのポッドキャスト『こんにちは未来』の「第51回 ジェンダーの話をしよう」を聞く。

9月に筑摩書房から『コロナ後の世界 いま、この地点から考える』という12人の知識人による本が出たのだけど、寄稿しているのが全員男性で「コロナ後の世界で女は絶滅したのか?」と批判されていた。そんな話題を切り口に、ジェンダーイコーリティについてとか、こういう重鎮とか識者が集う場が男性ばかりになってしまう現状に大きな違和感を持たずにきたことへの反省とか、男性も女性もこうした不均衡に気づいたら言っていかないといけないよねとか、そういう話。

メディアとジェンダーイコーリティの話で、私が聞きながら思い浮かべていたのは音楽誌の「●●アルバムベスト100」のような企画。日本の音楽ライターは女性が少ない、という話はよく聞く。例えば、今手元にある『MUSIC MAGAZINE』2016年7月号「90年代の邦楽アルバム・ベスト100」では、選定に関わった識者50人の男女比はほぼ9:1だった。こうした差はもちろん日々の誌面制作や原稿・企画の切り口にも影響するのだけど、中でも「ベスト100」のような(決定のプロセスに多数決的な手法が含まれる)ランキング形式だとその差がより強くあらわれると思う。「男性がいいと感じたもの」が、上位に食い込みやすくなるのだ。

選者の男女比を1:1に近づけたランキングを作れば、それだけで違った結果になるだろう。ただ、それで万事OKかというとそうではないし、仮に変化がなかったからといって「男女差はない」と結論付けることはできない。「90年代のアルバム」のように過去のものを扱おうとすると、(男性優位社会の)歴史の中で権威化されていった存在があり、その文脈があることを視野に入れないといけないからだ。どこまでがその影響下にあるのかを細かくチェックすることはできないし、だからすべてをニュートラルに戻すこともできない。特定の音楽を、一組のアーティストを再評価することはできるかもしれないけれど、地殻変動のように丸ごと書き換えることは不可能に近い。別に現状を全否定したいわけではないけれど、そう考えるとなんだかとても歯がゆいし、これからはニュートラルな状態に近づくほうが絶対にいいなあ、と思う。

こうした歴史が今様々なシーンで見直され、変わっていこうとしているのだろう。「あいちトリエンナーレ2019」も「表現の不自由」展ばかりが騒がれてしまったけど、参加作家の男女比を半々にしていた。

「こんにちは未来」でも語られていたけれど、私たちにはまだそのことを疑問視する習慣がちゃんとついていないから、気を緩めると見過ごしてしまう。そうならないように、まずは自分の関わるものごとから注意を払い続けていきたい。もちろん、すべてにおいて画一的に男女比を一緒にすればいいという話でもないから、考えながら。

 

一方で、こうしたジェンダー平等が実現すれば相対的に男性は自分たちの枠が減ることになる。私は男性だし、代替可能な無名のライターなので、枠が減るという事実だけを見ればなかなか手放しでは喜べなくて、けっこう難しいのだけど……。実際に自分の利益や機会が減るか、ジェンダー平等を見ないふりをするか、という状況に直面した時、全体のためを思っていつでも清々しい気持ちで退けるかというと、かなり自信がない。

ただそこは「男性としては機会が減っても、長期的にみればこの動きはアジア人やゲイとしての自分を救うことになるかもしれない」と、インターセクショナリティの考え方で自分を納得させることはできるかもしれない。でも、そのロジックだと「デフォルトマン」と呼ばれるような白人異性愛者の男性を納得させることは難しいだろう。「こんにちは未来」で佐久間さんは「ジェンダー平等になった方が男性にとっても良い」と話していたけれど、若林さんは首肯せず「優越感の問題とかもあるじゃん」と言っていた。うーん、答えが出ない。

 

ホイル焼きはとてもおいしくできた。フライパンも汚れないし、今後積極的に作っていきたい。仕事を終えて24時過ぎにようやく帰ってきた恋人も、「おいしい」と言って食べてくれて満足。