ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

8月の自殺者数[2020年9月10日(木)晴れ]

朝から昨日の取材の文字起こし。それからオンラインで取材と打ち合わせ。

昼は父方の祖父の墓じまいにかかった費用を石屋さんへ振り込みに銀行。これで我が家の去年〜今年の一大プロジェクトだった墓じまいは支払い含めてすべて終わったと思う。請求書に同封されていた、更地になった墓地の写真を撮って家族のグループLINEに送信。

 

せっかく外に出たのでそのまま外食をする。平日の昼に外で食事をするのは久しぶりな気がする。ケンタッキーを食べたのだけど、一食の値段を高いと感じた自分に驚く。去年の今頃などは自炊をほとんどしておらず、毎日のように外で食べていたのだ。お金の使い方としては贅沢だが、自炊が定着した今となっては浪費だったと感じる。私にとっては前日に作った料理が冷蔵庫に残っていたり、余り物の野菜で手早く何かを作れたりする今の生活のほうが贅沢だ。

でも久しぶりに食べたケンタッキーはかなりおいしかった。外食ならではの楽しさももちろんある。

 

食後は急に血糖値が上がったせいなのか、頭と体が重い。休憩もかねてこだま『いまだ、おしまいの地』を手に取った。少しだけ読んで仕事に戻ろうと思ったのだけど、面白くてどんどん読み進めてしまった。うつ病になってしまったり、「書けない」ことに苦しめられたりもしているのだけど、その筆致はどこか明るい。ネット大喜利で培った(?)瞬発力のある笑いが差し挟まれるおかげもあると思うけど、それ以上に、こだまさんが明るいほうを見ようとしていることが大きいのかなと感じた。暗闇を凝視しなくなったというか。

デビュー作『夫のちんぽが入らない』はこだまさんにとって苛酷な日々のことを綴った私小説で、ぎりぎりの自分から目をそらさない強さとそこでしか生まれない素晴らしさがあった。2作目のエッセイ『ここは、おしまいの地』は、強烈な体験を開示していく話が多くて『おとちん』の延長線上にある気がしたけれど、今作は少し趣向を異にしている。

大きな人生のうねりとか、耳目を集める不幸とか、そういうわかりやすい武器がなくても、こだまさんの書く文章は強い。そのことを証明した一冊だと思う。

 

夕方からEさんと1on1。2ヶ月半ぶりだったのだけど、自分でもこの場で最近のことを振り返るのを楽しみにしていたんだなあと思うくらい、あれこれと話が湧き出てきた。
それから調味料などを買い出しに行き、夕飯は麻婆豆腐。仕事終わりに髪を切ってきた恋人と一緒に食べる。さっぱりしてうれしそう。

東京都は新型コロナウイルスの警戒レベルを引き下げる方針を固めたけど、今日の感染者数は276人と久しぶりに200人超え。GoToトラベルも東京が10月から追加になりそう。7月の実施によって大きく感染者数が増えているわけでもないみたいだし、案外大丈夫なのだろうか。あと、仮に旅行が大丈夫そうだとしても、GoToを利用することが本当に最善なのかももう少し調べたい。

しかし、じゃあ今どこか遠くへ行きたいのかと言われるとその欲求は薄い。一時期は旅行したいと考えていたけど、今はあれこれ悩みながら遠くへ行くなら家にいたほうがいいと思っている。そもそも外出の機会が減っているから、東京を少し歩いただけでおでかけ欲が満たされてしまうということもあるのだろう。一番に思っているのは、それが観光業の人の支えになるなら行きたい、ということ。でも、旅行ってそれだけのためにやるものではないような。いっそ旅行に行かず同額を寄付するかとも考えたけれど、なんか考えすぎて自己犠牲的になってしまっている気がする。

 

8月の自殺者数が大幅に増加した、というニュースも見た。緊急事態宣言下で4月の自殺者数が減ったというニュースがあったけれど、やっぱり揺り戻しは来てしまうのだな……。コロナとの関連性は分析中のようだけど、経済的に困窮したり、長引く息苦しい空気に不安を感じたりする人は確実に増えているし、これからどうなっていくのか考えると暗い気持ちになってくる。

一方で自民党の総裁選とか、野党の合流とか、政権関連の動きを全然追えていない。それも胸に引っかかっている。