ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

過ぎ去る時間の迫力[2020年9月9日(水)晴れ]

午前中のうちに原稿を2本執筆。取材はうまくいったと思うし、決して難しいテーマではなかったのだけど思ったよりも手こずった。はじめて書くメディアだったからかもしれない。細かくトンマナが決まっていたり、文体が特殊だったりするわけではなくても、はじめてのメディアで書く時はいつも不思議と時間がかかる。手足の動かし方を意識するとうまく歩けなくなるみたいに、文章のことを意識しすぎてよくわからなくなることも多い。これはなんなんだろう? 緊張しているというのともちょっと違う。2回、3回と回数を重ねていくとその感覚は薄れて、スムーズに書けるようになっていくのだけど。

 

昼は休日に作った余り物のカレー。引き続き原稿をやったあと、過去の日記の整理。今週末にデザインを担当してくれるMと会うので、それまでに最低でも1ヶ月分の原稿を渡したい。

11月の文学フリマに出展するにあたり、ウェブカタログに掲載する出展者名と説明を決める必要がある。私の日記の他にMの作品も販売予定なので、個人名ではなく何かグループ名をつけたいところ。先月末に「期間限定ユニット的な感じにしよ〜」と二人してLINEではしゃいでいたのだけど、いまだにまったくユニット名を考えられていない。

 

夕方まで原稿を整理して、それからオンライン取材。そしてプール。朝からけっこう頭を使ったので、体を動かすのがいいリフレッシュになるかと思っていたのだけど、調子が悪くて全然泳げなかった。350メートルで今日は断念。しかも左耳に水が入ってしまったのがどうやっても取れず気持ち悪い。

プールのあとはスーパーで夕飯の買い物。今日は先日ネットでバズったのを見かけてからたまに作っている30分チキン、エリンギとなすを焼いたもの、トマトのコンソメスープ、キャベツの塩昆布和え。珍しく品数が多めになった。それからりんごジュースとローズマリーも買った。Twitterでバズったものばかり作っている。

 

耳に水が入っているせいで、食事中も自分の咀嚼音に違和感。食後に頭を思い切り振って水を出そうとしていたら恋人に笑われ、動画を撮られた。後から知ったのだけど、しかもその動画を私の母親に送ったらしい。多分、私よりも恋人のほうが母とLINEをしている気がする。別にいいけど、恋人と2人でいる時と母親といる時では表情や話し方も変わるのでちょっと恥ずかしかった。

 

それから寝るまで柴崎友香『百年と一日』。序盤、うまく読み進められなくて手が止まりがちだったのだけど、中盤からこの作品に漂う妙な怖さに惹きつけられて、最後まで一気に読んでしまった。

人間は自分の体験とか思い入れによって、交わした言葉や聞いた話、目にした光景を特別なもののように扱うことがある。でも、それはその本人にとってさえいずれ特別なものではなくなることがあるし、その場を去ったり、死んだりする時まで特別に思い続けていたとしても、他の人からしてみればどうでもよかったり、感情を理解できなかったりする。そういう誰かが個人的に積み上げてきたこととか、とある「一日」の重さが、長い時間の中で色褪せ、吹けば飛ぶ塵の一つになる、みたいなことが繰り返し描かれていた。そこには肯定も否定もなく、ただ絶対的な「時間は過ぎ去っていく」ということの迫力だけがある。それは何か、人間というものを超越した視点のように感じられる。轟音で流れ落ちる滝とか、誰もいないまま循環を繰り返している森の奥地に似た小説だと思う。

 

なんだか最近は自分の内側に入り込んで思考するような時間が取れていなくて、日記に書いている内容も散漫な気がする。