ヌマ日記

想像力と実感/生活のほんの一部

納骨式[2020年6月20日(土)晴れ]

朝6時起床。思いのほか早く目が覚めてしまったので、シャワーを浴びたあと30分ほど仕事。その後、喪服に着替えて8時過ぎに出発。今日は納骨式。先日墓じまいをして取り出した父や祖父、祖母らの遺骨を、23区内にある新しいお墓に納める日だ。

暑いかと思っていたが、午前中のためか案外涼しく、助かった。行きの電車で村井理子『兄の終い』を読みはじめる。疎遠になっていた兄が突如死に、唯一の親類である妹(村井さん)とその前妻が協力して片付けをしていくエッセイ。先日見た『凪の海』といい、なぜか家族が死ぬ話によく触れている。そして今は喪服を着ているし。特に意図的に選んでいるわけではないのだが。

 

到着して色々と手続き。今日は姉のFとY、Yの子のy(イニシャルが同じなので、小文字で)、母が参加した。

先日まで菩提寺だった寺の住職の方が法要をあげにきてくれたので、式がはじまる前に挨拶。長男の私が形式上は当主(?)というかたちになるため、一人で住職の方の控え室へ向かう。「遠いところからお越し下さってありがとうございます……」みたいなことを言いながらお布施をお渡ししようとしたら「まだお経もあげてないのにいいんですか」と笑われた。ルールが何もわからない。とはいえ引っ込めるわけにもいかないので、お布施やらお車代やらを渡していく。

最初は手渡ししていたのだが、その途中でさっき母から預かった小さな黒いお盆が目に入る。無言で渡されたので(なんだろう)と思っていたのだが、そういえば母が住職の方とお金のやりとりをする時は、これに封筒をのせて差し出していた。突然思い出してしまったので、最後の封筒だけ唐突に手渡しからそのスタイルに変更。すさまじくぎこちない。

 

挨拶を終え、準備が整うまでロビーで待つ。姉のFに「『凪の海』よかったよ!」と伝える。映画の序盤で父親が遺骨を食べるシーンがあるのだけど、その遺骨はFが作ったのだという。「メレンゲとココアで作ったんだよ〜」と言っていた。おいしそう。

新しいお墓は現代的な納骨堂で、式はその中にある会議室のような場所で行われる。冷房が効きすぎていて、少し寒い。緑にあふれた開放感ある元の菩提寺とは雰囲気が違うので不思議な感じ。住職の方がお経をあげる声はいつも通りだと思うのだけど、部屋が狭いのでずいぶん大きく聞こえた。その声にあわせて、参加者もお経を唱える。参加者は数人程度だが、全員が同時に息継ぎをしてお経が止まってしまう、というようなことがないのが不思議だなあと思ったりした。

 

式はとどこおりなく終了。まっすぐ帰るという母とYとyを見送り、Fと駅前で昼食をとる。お互いや、お互いのパートナーの仕事の話やら。その中でふと、「最終的には私もあの墓地に入ることになるのかな」と姉に話してみる。

これまでは葬式だの墓じまいだの見送る側の立場であれこれやってきていて、今の納骨堂も「みんな東京に住んでいるし、お墓参りしやすいところがいいだろう」という基準で選んだ。ただ、そこに自分が入るという想像を一切していなかったことに気づく。

でも、そうなると私と恋人は同性婚ができるようにならない限り、一緒に墓地には入れないのだろうか。それもなんか寂しい気がする。

私がこの先なにごともなく生きられたとしたら、死ぬのは40〜50年後くらいだろう。その時には母やきょうだいもきっといなくなっているから、わざわざ墓参りに来てくれる人がいるとすれば恋人のことも知っている友人たちだと思う。そう考えると、一緒に入っていたほうが面倒をかけずにすむのでは。でも、管理をすることになるのは甥や姪なので、彼らの手間を考えれば、父や母と同じ墓に入る方が楽かもしれない。

昨日読み終えた滝口悠生『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』でも、モンゴル出身のバイサとお互いの国の葬式事情について話す場面があった。モンゴルの伝統的なノマドは、人が死ぬと野に置いて動物たちに食べさせる。見えないところに遺体を置くために梃子を使って遠くに放り投げたりもするという。ウランバートルなどの都市部には墓はあるが、あんまり管理とかお墓参りとかはしない、と書かれていた。

その場合、亡くなった人のことを思い出す時にはどうしているんだろう。「山などの自然に還ったのだから、故人を思う時は山を見る」というような考え方だろうか。一時期、そうした自然葬を良いなと思ったこともあったのだが、山は山、墓は墓であってほしいような気が今はしている。特にその山が生活圏にある場合、生きていく中で故人の記憶とは違う思い出がどんどん重なっていくから、山を見た時にその人を本当の意味で思い出せる気がしない。まあでも、管理などが負担になって墓や祖先にネガティブなイメージを持ってしまうよりは、そっちのほうがいいのかも。

 

Fと別れ、まっすぐ帰宅。窮屈なので早く喪服を脱ぎたい。これで一つ片付いたが、来月には祖母方の墓じまいもある。今後の世代のことを考えて、私たちの代で協力して墓問題を整理しよう、と決めてみんなで頑張っているのだけど、とはいえなかなか大変。時間もお金もかかる。

 

帰宅後は『兄の終い』を最後まで読む。そのうちに散髪に行っていた恋人が帰ってきた。「なんかチャラくなった!」と言って、ひとりで騒いでいる。恋人は今センターパートにしているのだが、たしかに全体的に整いすぎていて、ちょっとガツガツしてそうな雰囲気に。多分一週間もたてば伸びて崩れてきて、良い感じに落ち着くのではないかと思うけど。

 

それからしばらく本を読んだあと、恋人と近所の雑貨屋を見たのちOKストアに買い出し。近所のOKストアはコロナ対策のため一人でしか入れないので、私だけが入る。夕飯用の豚肉やねぎ、みそ汁のためのなす、みょうが。それから日曜日は久しぶりに鶏肉と豆腐のハンバーグを作ろうと思ったので、その材料も買っておく。

買い物を終え、恋人と合流。帰り道、選挙ポスターの掲示板を見る。納骨式の時にYが「うちの近所、ホリエモンのポスターが2枚も貼られてるんだよね」と言っていたが、見てみるとたしかに2枚、ホリエモン新党の立花孝志を挟むように貼られていた。

帰宅後調べると掲示板の掲示場所は立候補の届け出順で、12〜14番目の位置にポスターを貼る権利を立花氏を含むホリエモン新党の3人が持っている。で、12番目と14番目に届け出た二人は堀江貴文の顔が大きく写り、自身の姿は写さないポスターを掲示することにしたと。公職選挙法はポスターの内容に規定がないため、問題にはならないという。うーん、、都知事選は候補者名を書くものだったと思うので、仮によく調べなかった人が「ホリエモン」と書いても立花氏らの得票にはならないはずだし、これで当選するほど支持を伸ばすとは思えないが、不穏ではある。